子供を救出しただけではなく、親を発見することにも成功した卯月。
親子を連れて救出部隊へ引き渡せば、もう心配は何もない。
そう思っていた。
だが、それは想定外の形で裏切られる。
親がいなくなっていた。
代わりにいたのは戦艦ル級だった。
親は何処へ行ったのか?
分かり切った問いに、敢えて答えを出さず、卯月はル級の排除を試みた。
しかし、そこへ更なる奇襲を受け、卯月は動けなくなってしまった。
深海棲艦ではない。
人間の奇襲。
反艦娘テロリストの不意打ちを受けてしまったのだ。
万事休すかと思われたその時、『彼』の声が聞こえた。
「どうもはじめまして。憲兵です」
憲兵隊、あきつ丸の上官──波多野曹長がテロリスト共の背後でお辞儀をしていた。
何故こいつはお辞儀をしているのだ?
テロリスト達は疑問に思った。
答えはでなかった。
考える為の、頭が無くなっていたからだ。
「反艦娘テロリスト死すべし。慈悲はない!」
槍のような手刀が頭部を跳ね飛ばす。
既に波多野曹長は、敵の懐に入っていた。
残るテロリストが銃口を向ける。
その瞬間、曹長は直立姿勢から唐突にサマーソルトキックを繰り出した。
手に持っていたアサルトライフルが持っていかれる――どころか、持っていた腕そのものキックの勢いで捥がれ、ショック死した。
「返却だ」
足で奪ったライフルを、空中キックで叩き返す。
銃弾ではなく、銃本体が撃ち込まれる。
テロリストの一人はは、胴体に銃型の穴を空けられて絶命した。
「無抵抗の艦娘しか殺せないのか。それでよく艦娘反対とほざくことができる。イ級にすら劣る知能とは。いっそ関心したぞ」
波多野曹長は風となって消えた。
怯んでしまったテロリストにはもう何もできない。
一方的な処刑を待つだけである。
だが、敵はテロリストだけではない。
卯月にとって目下の危機は、眼前の戦艦ル級なのだ。
「オアアアア゛ア゛ア゛!?」
子供を護らなければならない。
憲兵隊は強いが、深海棲艦には無力だ。
人間の攻撃では、どれだけダメージを与えても、即再生してしまう。
今、わたしがやらなければならない。
なのに、思うように体が動かない。
毒が効いてしまっている。
主砲の照準が合わない。
持ち上げる事すらままならない。
まさか、護れないのか?
子供一人すら、私は護れないのか!?
絶望しかけたその時──ル級の動きが静止した。
「最適でありますな」
彼女の声が聞こえた。
当然だった。
波多野曹長がいるなら、『彼女』だっていて当然だった。
「瓦礫が多数、突起物も多数。つまり、このあきつ丸に最適な戦場という訳であります」
後ろの方から歩いてくる音がする。
頑張って首を動かす。
彼女は卯月に気が付くと、とても愉快そうに微笑んだ。
「あきつ丸……?」
「実に無様な姿でありますな……で、何故こんなところに? おっとそれは先にコレを始末してからでありますな」
あきつ丸が腕を振り上げた。
同時に、ル級の腕が千切れ飛んだ。
一体何が起きたのか?
卯月は理解できなかった。
ル級も理解できなかった。
ただ激痛と怒りのまま、考えなしに主砲を放った。
戦艦クラスの一撃が至近距離から飛来。
なのに、あきつ丸はその場から動かない。
「流石にではありますが」
動く必要がなかったからだ。
砲弾は空中で静止した。
「陸地で、揚陸艦が敗北するなど、あってはならないのでありますよ」
指先で、弾くような仕草を行う。
静止していた砲弾が、ル級の方向へ跳ね返された。
それの直撃を受け、ル級は爆発と共に燃え上がった。
「……終わった?」
かなり早く危機から脱することができた。
早すぎて、ちょっと呆気に取られていた。
そこへ、テロリストの殲滅を完遂した波多野曹長がやって来る。
「あきつ丸」
「はい」
「苦しませるな。速やかに終わらせるべし」
「了解であります」
波多野曹長が、倒れ伏している子供の前に立つ。
それを確認してから、あきつ丸が指先を激しく動かす。
燃えていたル級が、細切れになった。
頭部も胴体も輪切りに──更に、みじん切りに。
そして残骸は、光の粒子となって消えた。
「……あの、ル級は……まさか」
まさか、も何もない。
卯月は察していた。
だが、心でそれを認めることができなかった。
そんな訳がない。
あんなのはただの見間違いだ。
それが、都合の良い言い訳だと自覚していても。
「卯月さん。身体は大丈夫か」
「……曹長さん、来てたのか、ぴょん」
「テロリストがいるとの情報だ。まさかここまでやるとは想定外だったが」
話しながら曹長は卯月を触診していた。
懐から注射を取り出し、それをあきつ丸に渡す。
「頼んだ。わたしは子供を見る」
「了解であります」
「……それは?」
「解毒剤であります。テロリストが撃ち込んだ麻痺毒の。放っておいても解毒されますが、早いに越したことはありませんし」
あきつ丸が卯月の首筋に注射針を打ち込む。
鋭い痛みが走る。
その後、直ぐに動けるようになった。
「おお、楽になったぴょん」
「かなり効きが早いでありますね。いや、問題はありませんけども」
これはそんなに早く効果を発揮する薬ではない。
しかし薬効には個人差がある。
そういうものだと、あきつ丸はとりあえず思考を打ち切った。
一方動けるようになった卯月は、ふらつく足取りを堪えて、波多野曹長の元へ──彼が今見ている子供の所へ向かう。
「……大丈夫かな」
結局、あの子の前でル級を戮してしまった。
あのル級が何だったのかは言うまでもない。
きっとショックを受けている。
そんなことできるか分からないが……できる限り、安心させてあげたかった。
あの子とそう約束したからだ。
「卯月さん。どうした」
「その子が心配で、大丈夫かなって思ったんだぴょん」
「そうか。容態は……良くはない」
子供の顔は青ざめ、脂汗でびっしょりとしている。
弱々しく震え、息もかなり荒かった。
何よりも、『声』が聞こえる。
「見ての通りだ。ル級に受けたダメージで相当ショックを受けている」
「思いっきり握られてたからね……ミンチにならなかった分、まだマシっちゃマシかっぴょん……」
「しかし、致命傷になるようなダメージはない。安心して良いだろう」
治療をする必要はある。
幸い彼らに会えたから、子供を託す事ができる。
そして卯月はガンビア・ベイ追撃に向かう。
これで一件落着だ。
「ところで波多野曹長」
「なんだ」
「その注射器、中身何だぴょん」
『声』が聞こえていなければ。
「…………」
波多野曹長は躊躇した。
何故なら、それは本来、艦娘にしてはならない話だから。
しかし、卯月──を含んだ前科組──は例外となる。
彼女達は前科持ちであるが故に、そういう『配慮』が設けられていない。
だから話せる。
躊躇しているのは、偏に波多野曹長自身の良心によるものだった。
これを卯月に話して良いのか。
誤魔化す事はできる。
だがそれは、『敬意』に反する。
「曹長、もう、
「ならば、何故聞く」
「情けない話だけど、聞かなきゃ、心で認める事ができないから。聞いたり見たりしないと、現実を受け止める覚悟ができないんだぴょん」
だが、だからと言って、卯月が受け止める事ができるのだろうか?
それは、話してみなければ分からない。
波多野曹長は、『敬意』を払う事に決めた。
『心』へではなく、『覚悟』に対して『敬意』を向けた。
「あきつ丸。私は触れる事ができない」
「良いんでありますね?」
「そうだ。その子を上着を脱がしてくれ」
「……了解であります」
あきつ丸も、普段の愉悦さは一切表に出さなかった。
心の奥底では色々思っているが、周りの気持ちが分からない狂人ではない。
命令に従い、上着を脱がす。
「注射器の中身は、安楽死用の毒薬だ。これからそれを、この子に打ち込む」
毒、という単語。
卯月は意外とは思わなかった。
「毒を、この子に?」
「そうだ、この子供を殺す事こそが、私の仕事なのだ」
親を失い、逃げ惑う子供を殺すと波多野曹長は宣言した。
その理由は、現在進行形で進んでいる。
「……なんてこった」
『イ級の顔面』があった。
上着を脱がせた子供の身体から、『イ級』が生えつつあったのだ。
それが呻き声を上げる。
さっきから聞こえていたと同じだ。
「聞こえてた、変な声は、これなのか」
腫瘍のようにイ級が広がっている。
その口から悍ましい声がする。
何故こんな事になっているのか、分からない──等あり得ない。
卯月は既に目撃している。
人が消えて、代わりに戦艦ル級が現れた光景を。
どうしても、心が認めようとしなかった。
しかしこれは現実。
「この子は、深海棲艦になりつつある」
卯月の心は奈落へ突き落とされた。
深海棲艦は怨念である。
その為、全身が呪詛の塊として存在している。
しかし、艦娘は相反する存在の為、即汚染される事はない。
全く呪われない訳ではないので、帰投後に入渠等で身体を清める必要はあるが、言ってしまえば
では、人間が呪われた場合は?
答えが眼前の光景だった。
「『呪い』だ」
「呪いって、深海棲艦の……?」
「そうだ。それに感染した人間は
「じゃあ、あの、ル級は……やっぱり、そうだったのか」
見間違いではなかった。
あきつ丸により処分されたル級もまた元人間。
あの子の母親だった。
再会した直後に、深海棲艦化したのだ。
「だが最大の脅威は、『呪い』の広がり方にある。この『呪い』は接触感染で広がっていく。深海棲艦に触れれば感染。深海棲艦化した人間に触れても感染する。ネズミ算式に無尽蔵に犠牲者が増えていくのだ」
接触、という言葉で卯月は気が付いた。
「この子は、そうだ……触れられていた、お母さんに……」
「その時感染したのかもしれぬ。もしくは。逆だったのかもしれぬ。呪いの浸食速度には個人差があるのだ」
「母親と再会した時は、まだ『潜伏期間』だったのかもしれないであります」
確かに、体調が悪そうな感じはした。
まさかあの時点で既に?
そう思った卯月は首を振る。
今となってはどちらでもいい。
重要なのは別のことだ。
「この子は、助けられないの?」
「……呪いは、
「呪いを、解く手段は」
「残念だが、今の私達には、その技術がない。だからこれを打つのだ」
曹長は一瞬だけ目を伏せた。
あきつ丸も、顔を見せないよう帽子を深く被ったままだ。
「……呪いが広がっている。変異まで後一分もない」
子供の呪いは止まらない。
拳大だったのが、もう身体全体の三分の一を覆っている。
挙句、変異には恐ろしい苦しみが伴う。
もう息もできず、か細い呼吸で震えている。
「打つぞ」
防護服を着ていても、変異部位への接触は危険。
まだ無事な部分に触れて、首筋に注射を刺そうとした。
それを卯月が止めた。
「卯月さん。時間がないのだ。もう打つ──」
「貸してください」
「……何?」
「それ、打つので、ください」
波多野曹長は耳を疑った。
こんな業を態々背負うのは、自分達憲兵隊だけで良いというのに。
何故、そんな事を言うのか理解できない。
「駄目だ。感染者の処理は我々憲兵隊の仕事だ。お主にさせる訳には」
「私とこの子の約束なんです。もう時間はないんでしょう……お願いします。私がやるべきことなんです」
理由はあることは理解した。
だが、彼女にこれをさせて良いのか。
曹長はまだ決断できない。
呪いを伝えた時の様に、また躊躇する事になる。
その時、声が聞こえた。
「……助けて……お姉、ちゃん……」
もう眼も見えてない。黒ずんだ腕を伸ばしながら、その子が助けを乞う。
「……曹長さん。どうかお願いします。護るって約束したんです。私は、この子との約束を破りたくない。最後まで……護りたいんです」
波多野曹長には分からなかった。
卯月に人殺しの業をこれ以上背負わせて良いのだろうか。
それとも、この子供の望みを叶えるべきなのか。
「分かった」
正しい選択は分からなかった。
この場にいる誰にも、いない者にも決めることはできなかった。
分かるのは一つの事実。
艦娘という存在は、誰かを護る為にあるという事。
注射針を受け取った卯月は、子供に膝枕をしながら、優しく頭を撫でる。
「どこ……見えない、よ……」
「ここだぴょん、お姉ちゃんは此処にいる。手を握ってあげるぴょん!」
「……お姉ちゃん」
「暖かい? 触ってるの分かる?」
「……うん」
「良かったぴょん。さ、そのまま目を閉じちゃって……そら、これで痛いのも消える」
空の注射針が床に転がった。
「…………大丈、夫、なの……?」
「前言ったぴょん。君を恐い目には一つだって遭わせない。どんな苦しみからだって護ってあげるって。そう信じて良いんだぴょん。そろそろ痛みもなくなってきたでしょ」
「…………本当、だ……」
「でしょ? だから、安心して良いんだぴょん! 。恐い目に遭ったから疲れただけ。眠っている間に全部終わってる。起きたらママと一緒だぴょん!」
「…………ママ……だ……」
もう子供は何も見ていない。
何も感じていない。
ただ、小さな手が強く握られていた。
「……お姉ちゃん、が、ね………………」
言葉はもう発されなかった。
しかし、高い聴力を持つ卯月には、ちゃんと聞こえていた。
卯月は子供を抱えたまま、独り呟いた。
「……『護ってくれたんだ』。かぁ」
卯月は約束を果たした。
どんな苦しみからも護るという約束を、やりきったのだ。
だが命は失われた。
それが絶対の現実だった。