ガンビア・ベイとの戦いまで──後一日となった。
それでも卯月の訓練はギリギリまで続行。三週間昏睡した事での
とは言え、後一日で出来る事は多くない。
最後の慣らしと、赤城に叩き込まれた『技術』の総ざらいがメイン。
赤城の方も最低ラインに達したと判断したので、前程苛烈な訓練は課さなかった。
「休憩がこんなにも素晴らしく感じるなんて。赤城さんの訓練は誰にもできない素晴らしいものだぴょん」
「うふふ、そういう事言われると照れますねぇ」
「皮肉言ってんだよ」
休憩なし。死亡・怪我の保証なし。食事の時間は──これはあったけど超短時間。
何というブラック労働だろうか。
これで遣り甲斐まで設定されてたらパーフェクト。
次こんな目にあったら、絶対労働基準監督署に訴えてやる。卯月は心から決意する。
まあやったとて勿論門前払いだ。
そもそも雇用契約さえ無い。前科戦線はブラック故に前科戦線なのだ。
「飛鷹さんのご飯は美味しいですね。卯月さんに付き合わされたのはこの世の終わりでしたが、これについては中々。地獄に垂らされた蜘蛛の糸のよう。正に救済です」
「あー……それは確かに。飛鷹さんのご飯は美味しいぴょん。でもそう思うなら食事時間をもっと確保してくれぴょん」
「は? 教授される身で何を?」
こいつは確実に人選ミスだ。
坏土大将は良い人だが、人選においての才能はない。おのれこの恨み忘れてなるものか。
と勝手な非難。
大将はいい迷惑だ。
「──あ」
「む、どうしました。ひょっとしてお腹一杯ですか。ではそのご飯はこの赤城が頂戴しま」
「しませんッ!」
「そんな……」
捨てられた子犬めいた顔、ウルウルする瞳。効果は抜群だ!
……背中に山積みの弁当箱(空)が無ければ、だが。
間違っても子犬ではない。
子供だとしても蠅とか蛆の類であろう。卯月の目線は冷ややかだった。
「赤城という艦娘は大体腹ペコなんですよ……それは卯月さんも知ったじゃないですかぁ……」
「うるせー、そんな食べたきゃ、素潜りでマグロの一匹でも捕ってくるぴょん。それなら文句はないぴょん」
「その手がありましたか!」
「しまった。本当に食欲のバカだった!」
流れるようなフォームで飛び込もうとする赤城を、火事場の馬鹿力で必死に止めた。
何でこんな事で全力を出す羽目に?
卯月は一層赤城が嫌いになった。
訓練は身になったし、『殺意』をよりものにできたから、そこは尊敬しているのだが、他で台無しだ。
「どうせなら戦艦水鬼様に教わりたかったぴょん……カッコ良いし、偶に優しくしてくれるだろうし、でもちゃんと厳しいだろうし」
「何だ私と同じじゃないですか」
「しばくよ?」
「事実を言っただけです。エヘン」
「一体何処から謎の自信が……もういいや疲れたぴょん」
丁度弁当も食べ終わった。空の容器を端っこへ置き、埠頭へ寝っ転がる。
「……結局正体を掴み切れなかったんだけど」
「ん?」
「いや、分かってはいるんだけど、非現実的過ぎて確証が持てないというか……」
「何の話で?」
「あれは
訓練中何度も披露していた謎の高速移動。
卯月は『矢』を媒介とした瞬間移動だと想像する。
しかし、あり得るのか。
原理は知っておきたい。今後同じ事ができる敵が出た時の為に。
「あれは……彼女曰く『重心移動』だそうです」
「じゅ、重心移動? それで瞬間移動ができるって言うのかぴょん。アホぬかすなぴょん」
「すみません。『重心移動』がどういう意味合いなのかは、彼女から聞いてないのです。彼女から教わった『技』ですが、生憎私は、完全にものにはできなかったので」
「あれで完全じゃない?」
赤城は呆れ果てた顔付きだ。『彼女』はそんな顔をさせる程の奴なのだ。
「完全に使いこなせるのは、『武蔵』だけです」
「武蔵……?」
「ええ、有象無象の武蔵ではなく、『海上最強生物:武蔵』だけです」
誰だよその武蔵。武蔵は全員武蔵じゃないのか。
しかし冗談を言ってる様子はない。
感じられるのは純粋な『畏怖』のみ。
赤城にこう感じさせるとは、どんな艦娘なのだろうか。
「基礎原理の説明はできますが、今の卯月さんが会得すべき技術ではありません。あくまで知識として知っておく程度でお願いします」
下手に習得しようとしたら、身体を壊しかねない。時間も無くなる。本来の才能を無駄なことに潰しかねない。
赤城はそう念押しした上で説明を始める。
「まず矢は私です」
「???」
卯月はもう挫折しそうだった。
「……あー、この『矢』、何だと思いますか?」
「……『艦載機』に変異できる『矢』だぴょん」
「それは
「な、何故?」
「あり得ないでしょう。艦載機に成るだなんて。けど成る。それは何故でしょう」
卯月には分からない。
陰陽? 式神? 多分そんなんじゃないかとは予想できるが、本当の原理は知らない。
赤城は、その反応を見越している。
「つまりは概念です。矢でありながら、艦載機の概念が封入されている。逆説的に言えば概念は形に囚われない。
もしかして私は、恐ろしい質問をしてしまったのでは?
頭部から蒸気を噴出させながら、卯月は後悔に打ち震える。
「で、あれば、艦載機に自在に皮を与えられるなら、同類の何にでも皮を与えられる。故に私はこうしました。『矢』は『私』であると。無茶苦茶だと思いますか? 私はそう思いません。『人型』に『軍艦』を封入できるのに、矢にはできない理由がない。『艦載機』を封入できるのだから、『軍艦』も封入できる」
卯月はある過ちを自覚した。
これはきっと、理屈で識別していいものではない。
もっと根幹、もっと深淵。
私達の存在証明に関わる原理を利用した、超技術だ。
「自己認識、その重心の変容、即ち『重心移動』……理解できましたか?」
「ウン、トッテモワカリヤスカッタピョン!」
「それは良かった! 私も正直、説明に自信がなかったので……いざとなれば理解できるまで説明を貫徹する予定でした」
勿論理解は全然できていない。
しかし、嘘を吐かなければ、確実に生命に関わる。
もう二度とこれに関する質問はしまい。心に強く誓った。
「……と説明したんですが、まあ簡単ではなくてですね。そりゃそうですよね。ミスったら存在証明できなくなってこの世から霧散しますし」
「怖いなオイ」
「ええ、なので私では、矢に自分を封入するので精一杯。それも一瞬だけ。飛ばした矢に重心を移して、なんちゃってワープをするのが限界です」
「十分じゃ……」
何だよワープって。恐いわ重心移動。
ってかあれ、移動ですらなかったのかよ。マジでワープしてたのかよ。
これを使い熟せる『海上最強生物 武蔵』とは一体。
「艦娘の外見してんのかな……」
「では私はお腹が空いたのでマグロを捕ってきます」
「あ」
水泳選手のようなフォームで海へダイブする赤城。
そして数分後、彼女は立派なマグロを矢でぶち抜いて見事帰還。
マグロは晩御飯のおかずになった。
美味しかったと卯月は語る。もう突っ込む気力もなかった。
*
それはある種のケジメ。
こんな事態を招いてしまった者の一人としての責任。
夕食が終わった後、卯月達は執務室へ呼ばれていた。
「……このメンツは」
卯月と満潮、更に秋月。
加えて最上と熊野。合計五名。
「……当事者と、付き添いって事ですわね」
「当事者って、ああ、システムを乗せてた当事者ってことかい?」
「最上さんの思う通りでしょうね」
このメンバーで集められた。
何の話がされるのかは明らかだ。
そして、彼女達の向かいに平須磨僧正が座る。
「作戦直前に呼んでしまい申し訳ありません。しかしまだ生きている間に、説明責任を果たしたかったのです」
執務室を選んだのは、地下施設同様、防諜設備が徹底しているからだ。
高宮中佐に不知火もいる。
話す内容が内容なので、責任者の同伴も必要だった。
「既に中佐には話してあります。皆様には初めて話します。これは私の贖罪です。あのシステムに関わってしまった人として……誠に申し訳ありません」
平須磨僧正は深々と頭を下げた。
握る手は震えている。
不安か、悔いか、分からないが、彼の心音は不安定。
分かる、これが罪悪感に震える音だ。
「話をお願いするぴょん」
とりあえずは許す。暗にそう告げる。
彼は良い人だ。自己保身の嘘を吐く可能性は低い。責める気は最初から無かった。
「では……」
とお茶を一杯飲み、平須磨僧正は話し始める。
「関係者ではありますが、私は全てに関わっていた訳ではないことをご承知ください。私だけでなく殆どの人員がそうでした。自分に割り当てられた業務以上の事は教えられなかった。幾つかの情報は
全てを知っている人は僅か。
その内一人は──恐らく──
「計画主導者の政府官僚達、及び、開発主任であった『千夜千夜子博士』。全てを知るのはこの方々のみです」
「千夜博士……ですか」
「秋月さん、心当たりが?」
「いえ全く」
当然の事である。
「その政府官僚とやらは誰なのですか?」
「私には……」
「調査中だ。流石に難航しているがな。だがある程度の絞り込みはできている。ある程度だが」
執務をしていた高宮中佐が割って入った。
「ある程度、と言いますと」
「艦娘に対する考え方には『派閥』がある。システム開発に関わった連中は恐らく『艦娘擁護派』だ」
「よーご? よーごは何だっけ?」
擁護とはかばいまもること。たすけまもること。という意味である。
「あれで!? 何処に!? 擁護要素が!?」
艦娘を洗脳して深海棲艦化させる装置の何処に擁護要素があると言うのか。
流石の卯月も突っ込まずにはいられなかった。
「卯月さん静粛に。平須磨僧正構わず説明を。朝まで掛かったら作戦に支障がでます」
「すみません不知火さん……話を再開します。これが艦娘擁護派主導という推測は、この装置の開発目的にあります。|D-ABYSS
艦娘の強化。
僧正の言う事に矛盾はない。
確かに強化はある。
それもとびっきり強力なパワーアップ。今までの戦いを思い出せば分かる事だ。
「これは、あらゆる海域で、『特効』を得る為の装置でした」
「『特効』って……あの特効?」
「その特効です。これについては、特務隊である貴女方が最も詳しいと思います」
「最近その任務ないけどね。誰のせいかしら」
「……ぴょん」
満潮の一言に、卯月はちょっと目線を逸らした。
前科戦線──もとい特務隊の任務の一つは『特効』の特定。
海域、敵の種類によって、特定の艦娘は『特効』を得る。
その存在は作戦成功に大きく関わる。
戦いは数と言うが、艦娘の場合数より質。それを跳ね上げられる『特効』は、戦略上非常に重要とされる。
「特務隊の方々は大丈夫でしょうけど、他の方は、特効の基礎原理は大丈夫ですか」
「えーっと、敵や海域。そこに生じる『縁』を利用して、海のエネルギーからのバックアップを受けてのパワーアップ……だったと思うけど。合ってるかい熊野?」
「その通りですわ」
「……秋月は初めて知りました」
「じゃあ今知ったって事だね。良かったね!」
「あ゛?」
尚、秋月の最上に対する憎悪はまだ健在。同じ部屋にいるのもそれなりのリスクがある。卯月は溜息を吐いた。
「はい満潮、こっちへパス」
「めんどくさ」
「え……ひゃ、あああぁぁぁ」
卯月は秋月を膝に乗せた。
こうすれば暴走はしないと思ったからである。
予想通り秋月は絶叫。
『ふぇへぇへぇ』と恍惚と腑抜けた。
「よし」
「秋月は嬉しそうだね。僕も嬉しくなるな」
「ええ、そうですわね最上さん」
「シリアスが持たない」
満潮の愚痴は知らん。卯月は次の説明を僧正に求める。
「特効は強力です。それ故に発現は困難です。不確かな『縁』を媒介しなければ得られない。だからこう考えたのです……」
一息吐いて、僧正は。
「あらゆる海域で、特効を得られないか」
それが開発の始まりだった。
「『縁』の代わりに別のものを触媒にし、海のエネルギーを取り込めれば、この戦争に勝てる。しかし『縁』無しで、直で取り込むのは困難だった。『縁』は媒介だけでなく、『変換装置』も兼ねていたのです」
「変換装置?」
「海のエネルギーとは即ち深海のエネルギー。艦娘とは相反するパワー。そのままでは取り込めません。『縁』はこれを補正してくれていたのです。それを使わない以上、別の方法で補正するしかない。結果……誰が考案したか分かりませんが、
卯月には心当たりがあった。
縁の代替となる、触媒となる概念。
システム作動に必要なのは、何だっただろうか。
その答えが、漸く明確に示された。
「『負念』です」
「…………」
「それも精神へのダメージを引き起こす程の、凄まじい負念。これを『種火』として、|D-ABYSS
それは、姫級の原理。
姫級は海域そのもの、海域のバックアップを受ける。海域のエネルギーが尽きない限り、
システムは『種火』を用いて、それを一部再現したのだ。
「卯月さんが命を狙われる理由の一つが、此処にあります」
赤城さんの説明は聞き流しても大丈夫です。本編とは全く関係ないので。