話し声が聞こえた。
なにも見えず、なにも感じられない。真っ暗などこかで、甲高い笑い声と、耳障りな泣き声が聞こえていた。
「とうとう、とうとう始まっちゃったんだね。とても辛い戦いが、とても無残で、無意味な争いが!」
「……惨い戦いです、酷い争いです。視たくない、聞きたくない、知りたくもないのに」
二人の少女が話しているようだった。
同じ話題なのに反応は対照的だ。腹を抱えて大笑いする少女。掠れる声ような鼻声で呟く少女。
「ああ楽しみだ、彼女はどれだけ苦しむのかな、どんな涙を浮かべるのかな?」
「……ああ嫌だ、少しの幸せもないの、少しの喜びもないの?」
二人の声質はほとんど同じだった。楽しげか悲しげか、その違いだけで印象が全然異なる。卯月はぼんやりと会話を聞く。
暗闇の奥底から、三人目の足跡が鳴った。
「どうでしょうか、主様!」
「……どうでしょうか、主様」
「さて、どうだろう」
静かで冷静な、男の声だった。
「道がなんであれ、行きつく先は決まっている」
「それって深海!?」
「……深海、ですか?」
「そう、深海の真実だ。わたしたちは準備をしながら待てばいい。パーティーの幕が上がるのを」
「────」
声が聞こえなくなる寸前、もう一つのすすり泣きが聞こえた気がした。
泥沼に浸かっていた意識が、次第にハッキリしていく。
鉛のように重かったまぶたが上がる。
暗闇ではない。太陽がある。窓から差し込む光が温かかった。目を動かすと、周りは白い清潔なカーテンで覆われていた。わずかに薬品の臭いがする。
「面倒、本当に面倒。こんなことしてる暇なんてないのに」
不満を隠そうともしない声。乱雑にカーテンを開けて少女が入ってきた。ツインテールに加え、一部をシュシュみたいに丸めている。なんか、ドーナツというお菓子であんな形を見た気がする。
艦娘らしい、改造制服みたいな服だ。首に巻いているのは……マフラーだろうか?
なぜか分からないが、だいぶ機嫌が悪そうだ。
「早いとこ終わらせましょ」
卯月の顔を見ないまま、タオル片手に服を脱がそうとした。
途中までぼんやりしていた卯月も、これには危機感を覚えた。わたしは今から、何をされようとしているのだ、まさか!
「へ、変態だぴょん!?」
「は!? 誰が変た──は!?」
「け、憲兵さゲホッゲホッ!?」
いきなり叫んだせいか、卯月はむせ返った。
一方少女も卯月が目覚めたことに驚いていた。
しかし、しだいに変態呼ばわりされたことへの怒りが出てきた。咳が落ち着くのを見計らって、少女は卯月の胸ぐらを掴んだ。
「誰が変態よ誰が!」
「じゃあ、なんで服をひん剥くぴょん」
「あんたの体を拭こうとしたのよ! ただでさえ忙しいってのに!」
「騒がしい! いったいなにが──」
やかましさに耐えかね、別の少女が部屋に入ってきた。
変態(仮)と違った制服に、銀髪をポニーテールに纏めた、眼つきの悪い少女だ。彼女もまた、卯月が目覚めたことに驚いていた。
「目覚めたのですね」
「そうよ、だからわたしの仕事は終わり、良いわね!?」
「良いですが、なにかあったんですか?」
「そいつに聞けば!?」
憤慨しながら部屋のドアを乱雑に占めていった。変態(仮)のクセになんという態度だろうか。
「……なにが?」
「うーちゃんの服をひん剥こうとしたぴょん。からだを拭くとかなんとか言っても騙されないぴょん」
「あー、あぁ……」
顔に手をやり、うつむきながら納得していた。きょとんとする卯月を見て、また溜息をついた。頭を振って、咳ばらいもして、少女はやっとまともに話し出した。
「まず、彼女は変態ではありません。理由がありますが、それはおいおい。わたしは『不知火』。あなたと同じ駆逐艦の艦娘です」
「ほう、うーちゃんは」
「駆逐艦卯月ですよね、存じています」
知っていたのか? いや、艦娘は同じ見た目の個体が複数いる。どこかで
「卯月」
不知火は突然、真面目な目でこちらをじっと見つめてきた。
「あなたは今までのことを覚えていますか?」
「今まで?」
そりゃ覚えている。
神提督の鎮守府にドロップで着任し、菊月と一緒に挨拶周りをしたのだ。
その後は艤装を背負い訓練をし、一ヶ月ぐらいで始めての実戦を……。
「あ」
それでわたしは、思い出した。
「え? な、なんで……?」
出撃をした。
出撃をして──わたしはなぜか、全身を拘束されて運ばれていた。
思い出した途端、全身から嫌な汗が流れ出す。胸が苦しい。息がうまくできなくなっていく。胸に手をあてて深呼吸をしても、調子は戻らない。
「覚えているようですね。では、あなたが解体されかけていたことも、覚えていますね」
解体という単語に、胸が更に締め付けられる。卯月は苦痛を堪えてシーツを強く握りしめる。なにも分からないのに、どうしてここまで苦しいのだろうか。息をどうにか整え、不知火の質問に答える。
「そうらしいぴょん、説明を受けただけだけど」
詳細は知らない。護送車から救助してくれた誰かが説明してくれただけだ。なぜ解体が決まったのかも、その経緯も、過程が真実かも知らない。そこで卯月は思い至る。不知火の話し方は、どこかで聞いたことがあった。
「もしかして、うーちゃんを助けてくれたのは不知火かぴょん?」
「助けた、という言い方が正確かは分かりかねますが、護送車から卯月を強奪したのは、確かに不知火です」
「そっか、ありがとうぴょん」
「礼は要りません、それが不知火の任務なので」
それでもだ。あそこで助けてくれなければ、わたしは本当に解体されていた。なにもできないままこの世を去っていた。再びチャンスをくれた、それだけでも感謝に値する。
しかし、胸の痛みはまだ消えない。苦痛に苛まれている。多少慣れてきたが、息はまだ整わない。
「うーちゃんは、どうして解体されかけてたぴょん」
「その説明は、この施設の責任者からあります。が、その様子では聞くのも難しいでしょう」
「……大丈夫、頑張って聞くぴょん。なにも分かんないままは、もうこりごりだぴょん」
わけの分からないまま、一方的に解体されるよりはマシな筈だ。理由を知っても嫌なものは嫌だが。
「分かりました、ではこちらに」
「車椅子?」
座れと言うのか。いくらなんでもそこまでなまっちゃいないぞ。憤慨した卯月は自力で歩くためベッドから降りようとする。
結果、体どころか腕一本さえ持ち上がらなかった。
感覚はあるのに、今までどう動かしていたのか分からない。神経だけが通った義手がくっついている感じだ。
「動かないんだけど」
「半年昏睡状態なら、そんなものでしょう」
「まじか」
「なので失礼いたします」
卯月は不知火に担がれ、車椅子に乗せられた。
一体全体なにがあったんだ。不安を突き抜けて困惑に変わっていく。わたしはこれからどうなってしまうのだろう。
解体よりマシな未来だと、祈る他ない。
不知火の動かす車椅子に乗せられて、卯月は建物の中を移動する。
床も壁も、武骨なコンクリート製だ。余計なものは一切置かれていない。剥き出しの照明が目に痛い。神鎮守府とはだいぶ趣が異なっている。そういうのも、提督によって変わるのだろうか。
「ここって鎮守府なのかぴょん?」
「広義の意味で言えばそうですが、厳密には違います。ここは通常の鎮守府が行う任務を一切負わないからです」
鎮守府の普段の任務は、簡単に言えば安全確保だ。
深海凄艦というものは、どこから現れるか予測もつかない。神出鬼没、幽霊のような連中だ。それこそ突然海岸線に出てくるケースもある。
その時、一帯を管轄する鎮守府が出動し、深海凄艦を駆除する。
また、そういった事態を予防するため警戒を行ったり、場合によっては出現元を直接叩きに行ったりする。
他にも大本営や他鎮守府の要請で出撃することもあるが、だいたいはその任務だ。
「へー、なんか特殊部隊って感じっぴょん」
「……ええ、まあ」
「なんでどもるぴょん」
「……不知火になにか落ち度でも?」
こいつ、誤魔化しにかかりやがった。
責任者に聞けば良い話だが、どうにも不安が残る。本当の本当にわたしはどうなってしまうのだろうか。
「失礼いたします」
「入れ」
扉の向こうから男の声が聞こえた。神提督とは全然違う雰囲気に卯月は身構える。男の顔を見て、その直感は間違っていないと思った。
「提督、駆逐艦卯月をお連れいたしました」
男は机からゆっくりと立ち上がる。首を上げないと顔も見えない、かなりの大男だ。少なくとも日本人では中々見ない。
だけどそれ以上に、冷徹な眼つきに驚いた。
鋭く、内面まで探っているようにわたしを見てくる。教鞭をパシンパシンと手で叩きながら、値踏みしているようだった。
「……上官に対してなにも言わず、敬礼もしないつもりか?」
「あっ、ごめんなさいぴょん、駆逐艦卯月です!」
「次回は注意したまえ」
敬礼をしたものの、『ぴょん』という語尾に、明らかに顔を顰める。今出るなよと思ったが、本当にこの喋りかたはどうにもならないらしい。
まあ提督もそれ以上言及しなかったので、この話し方は許してくれそうだ。
「わたしは高宮、高宮志々雄。階級は中佐だ。不知火から聞いたとおり、この施設の責任者を務めている」
「施設って、鎮守府じゃないなら、なんの施設ぴょん」
高宮中佐が、パシンと教鞭を叩いた。いきなり睨まれて卯月は萎縮してしまう。
「卯月、いつわたしが質問を許可した」
「……ごめんなさいぴょん」
「話すのは私だ。質問は私が許可してからだ。艦娘とはいえ軍属、上官への敬意が足りていない。これだから艦娘という存在は」
呆れたような物言いに卯月はムッとする。しかし軍人としては真っ当な意見なせいで言い返せない。今言われたばかりで口答えをすれば、阿保と自称するようなものだ。話し終わるまで黙るのが賢い選択だ。
「まず一つ。お前が所属していた神躍斗少佐の鎮守府だが、
「え?」
耳を疑う。今高宮中佐はなんと言ったのだ。
「お前の初陣直後に、深海凄艦の奇襲にあったためだ。誰も予想できない完璧な奇襲と記録にはある」
「生存者は駆逐艦卯月、給油艦間宮、神躍斗少佐、以上三名。
残る所属艦は全員轟沈したと推定された。ただし生存者である三名も全員重症を負った。神少佐については、提督業への復帰は不可能とされている」
高宮中佐は徹底して淡々と語る。いっさいの抑揚なく、事務的に伝えてきた。どこまでも客観的な雰囲気は、否応なく真実味を帯びる。
菊月も、ほかの仲間も、全員沈んでしまったのか?
そんなときに、わたしはなにをしていたんだ。思い出そうとしても、何一つ思い出せない。分からないだけが積み重なって、卯月は棒立ちのまま、油汗を流し続ける。
「その様子だと、なにも覚えていないようだな。おおかた友軍が死んだ実感さえ持てないのだろう」
何も言い返せなかった。発言を許可されていないからじゃない、本当になんにも覚えていないのだ。嘘ではないと思う。でも実感が湧かない。そのせいでなんの感情も湧いてこない。困惑することしかできないのだ。
「責める気はない、予想していたことだ。襲撃のダメージで記憶が飛んだのだろう」
それでも、内心で呟く。
記憶が飛んでも、悲しみも、涙の一滴もないのは、人としてどうなのだろう。卯月は傷つかない自分を責めていた。
次の一言を、聞くまでは。
「この襲撃の黒幕は、卯月だった」
「は?」
まったく、本当に、一切、悉く意味が分からない。頭が理解を拒んだ。今なんて言った。襲撃の原因が、誰だと言ったんだ。
「艦娘が人類を裏切り、深海凄艦に尾を振るとは」
「待って、ぴょん」
「卯月は鎮守府の内部情報を深海凄艦に伝えていた、結果、完全な奇襲を受けてしまったのだ。途中で裏切ったのか、最初から裏切っていたのかは分からない」
「待ってよ、ちょっと、高宮中佐!」
「しかし、騙されたとしても、卯月は一度艦娘として着任した。であれば、法と人権に基づいた処罰が必要になる」
艦娘には人権がある。だから罰がある。
鎮守府を深海凄艦に売り飛ばし、大勢を殺した。提督は二度と現場復帰できなくなってしまった。
そんな所業をする外道に対して、与えられる処罰は一つしかない。
合点がいってしまった。だけど、どうしてそんなことになったのかはやっぱり分からない。ただ唯一、確信があった。
「お前は『造反者』として、解体が決定された。これがお前の現状だ」
わたしは二度と、まっとうな艦娘には戻れないだろう。
わたしのすべてが足元から瓦解していく感覚。沈んだときさえ覚えなかった、本当の絶望の底へ、わたしは足を絡めとられていく。
ここは地獄だ、地獄の底に来てしまったのだ。
説明回は次回まで、次は施設の概要についてざっと説明します。
ちなみに提督の名前はグリフォンからとってます。
鷹+獅子=グリフォンってことで。