執務室を出た頃にはもう朝ごはんの時間だった。
ご飯を逃してはならない。すぐさま食堂へ向かう。近づくといい香りが漂ってきた。
食堂のテーブルには、だいたいのメンバーが集まっていた。那珂や熊野とか。逆にポーラと満潮はいない。昨日の哨戒メンバーは来ていないのだ。
どこへ座ろう。考えてると那珂が手招きしてた。誘いに乗り、彼女の向かい側に座る。
「哨戒任務お疲れ!」
「マジで疲れたぴょん、着任から一週間ちょっとで味わう量じゃないぴょん」
「そういえばそうだったね」
泊地棲鬼を撃破したのが数日前だ。すぐに駆逐棲姫と交戦。
こちとら基礎訓練しかできてないのに、姫級二隻と戦う羽目になった。
とんだ地獄だ。
「まあ、生きてたんなら全部チャラだよチャラ!」
「戦わなかったからって、適当なこと言いやがるぴょん」
「だって夜寝なきゃお肌荒れるし」
「軍人の発言じゃねえぴょん」
「軍人じゃないよ、軍人だとしても軍人という名のアイドルだよ!」
戦場のアイドルってか。
前も言っていたな。他の那珂とは違うアイドルになりたいと。
言ってることはまともなんだけどな。
「そんなことより、どうだった駆逐棲姫は?」
「どうだった……って?」
「那珂ちゃんの歌を聞かせるに相応しい相手だったか」
やっぱりまともじゃないよこいつ。言ってることが意味不明だ。
「強かったか、そう聞いてるんでしょ?」
お茶を持ってきてくれた飛鷹さんが翻訳してくれた。が、翻訳しても理解できない。
「つまりね、すぐ沈んだら那珂の歌はフルで聴けないでしょ? 聴き終わるまで沈まない強い相手の方が良い。相応しいって言うのはそういう意味よ」
「そうそう、そうとも言うね!」
「そうとしか言わねえぴょん! なんで分かるんだぴょん!」
「一応そこそこの付き合いだから……」
飛鷹さんの目は遥か彼方。那珂の言語が分かるようになるまで、長い苦労があったのだ。
「で、実際強かった?」
「フッ、雑魚に決まってるぴょん。このうーちゃんを視界に入れた瞬間、恐怖に頭を垂れたぴょん」
「そうなの?」
そうなのだ!
あの時の駆逐棲姫の顔といったらケッサクだった。
嗜虐心がゾクゾク刺激される良い顔だった。
ちょっと脚色されてるが、おおむねそうだった気がする。
「中佐からはボコボコにされたって聴いたけど」
「知ってんじゃねえかぴょん! いや、その話したのは誰ぴょん、満潮か!?」
「ポーラよ」
「あんのアル重め!」
いらんこと言いやがって。これだからアル中は。もっと気を使ってほしいものだ。具体的にはわたしの評価を良く報告して満潮は下げるとか。
「恥かいたぴょん」
「こらっ嘘はダメだよ、アイドルに嘘は厳禁!」
「いつからうーちゃんはアイドルに……?」
「駆逐棲姫にサイン渡そうとしたって聞いたけど」
「全部報告してんじゃねえかぴょん」
疲れた。息が切れてきた。
当然だ、入渠して仮眠したからといって、疲労は残ってる。体力以上に精神的に。
その最大の原因は、自覚している。
「それでー、ボコボコにされて、どーだった?」
「……これ言わなきゃダメぴょん?」
「言わなくても良いよ?」
なら言わなくていいや。
こんなこと言っても何にもならない。
なによりも情けないし、恥ずかしい。こんなことわざわざ話したいと思わない。
「……くやしいぴょん」
しかし、口が勝手に動いてしまった。
慌てて口に手をやる。なんてこった、そんなに溜まってたなんて自覚してなかった。
「やっぱり、ま、そうよね」
「ほらほらー、ポロッと言っちゃったんだから、全部話しちゃいなよー」
「え、そう言われると何だか……」
「天の邪鬼じゃないんだから」
これはダメなパターンだ。那珂の前に座った時点で詰んでいた。話さないと解放されないだろう。
ハァと息を吐き、腹をくくる。
「なーんもできなかったぴょん。砲撃も魚雷もな──んにも効かなかったぴょん。足を引っ張ってばかりだし、ポーラの助けがなかったら首を折られてたし、もう散々だったぴょん」
それに尽きる。
とにかく情けないと思う。
自分が、かなり弱い艦という自覚があっても、なお無力感が苛んでくる。
「しかも相手が駆逐棲姫ってのが最悪だぴょん。泊地の仲間にやられるなんて屈辱の極みだぴょん」
「あー、そういやそうらしいね。泊地棲鬼の部下だったとか」
敵討ちの仲間なら、そいつも怨敵だ。確実に抹殺しなくてはならない相手だ。
が、このザマだ。
敵討ちどころではない。その前に死んでしまう。力不足過ぎる。
「強くなりたいぴょん……」
「そうだよね、悔しいよね……」
「できる限り楽して」
話を聞いてた那珂が、顔面をテーブルにぶつけた。後ろの飛鷹さんは滑って転びかけた。
「なんだぴょん、そんな変なこと言ったかぴょん」
「台無しよ、色々と」
「効率主義と言って欲しいぴょん」
楽をしたい……その本音を隠す建前はいくらでもある。言葉とは便利なものだ。
「確かに、強くなるなら、急がないといけないけど」
「駆逐棲姫、いつ来るか分からないんだよね。楽しみだなー……じゃなかった、大変だね」
本音を漏らした那珂はどうでもいいが、急ぐ必要はある。
さすがに今日はないだろうが、駆逐棲姫の襲撃が次何時来るか分かったもんじゃない。備えは必要だ。
決して楽したいとか辛い訓練なんてやってらんないとか、そんなんではないから誤解しないで欲しい。
「訓練はするんでしょ?」
「いや……不知火に呼ばれてるぴょん」
「ああ、高宮中佐の前で所長呼びしたって話ね」
とんでもないうっかりで地獄になった。いったいなにをやらされるのか皆目検討もつかない。
「変なのー、ここの皆、ちょこちょこ所長って呼んでるのに」
「それは影でコソコソ言ってるんだぴょん」
「ううん、目の前で。罰則とか聞いたことないよ。注意はされるけど」
は? どうなってる?
皆目の前で言ってるのになにもなし。わたしだけ罰則あり。
意味が分からない。
これは差別か、それともいじめか?
許せぬ、怒りの炎がどんどん燃え上がっていく。不知火め覚悟するがいい。
「口実なんじゃないかしら」
飛鷹さんが、少し考えて呟いた。
「口実? うーちゃんを虐待するための?」
「ええ、ウサギの踊り食いでもするのかもね」
「ぴょん!?」
「冗談よ。なんなのかは分からないわ、想像でしかないし」
そりゃそうだ。飛鷹さんだって全部は知らない。
または知っていて言わない可能性もある。飛鷹さんはいわば看守だ。必要以上の関わりは『馴れ合い』になる。
結局、行かなければ分からないのだ。
若干涙の味がするコーンスープを飲み干して、わたしは不知火という名の死地へ向かった。
執務室前で待っていた不知火は、出会うなり襲いかかってきた。
「ナンデッ!?」
返事はなかった。
いくらなんでも予想できない。
瞬く間に目隠しとずだ袋を被せられて、拘束されてしまった。なにも見えない。
続けて猿靴まで噛まされる。声も出せない、助けは呼べない。そのまま担がれて運ばれていく。
徹底していていっそ感心できる。なんて素早い拘束、わたしじゃなきゃ見逃しちゃうね……アホなこと思ってる場合じゃない!
「ムーッ!」
ハッキリ言って、かなり辛い。
この状態は『トラウマ』を思い出す。
全身拘束されてトラックに押し込まれた。あの痛みと恐怖は拭えない。
本当に怖かったのだ、あの経験は。
「ムゥ、ムー……」
だんだん言葉が出なくなってきた。息もうまくできない。トラウマにわたしが食われかけた時、不知火が拘束を解いた。
「お待たせしました」
「…………」
「いかがされましたか」
「バカーッ!」
すぐ襲いかかったわたしは絶対間違ってない。かわされてしまったが、すぐにまた飛びかかった。
で、わたしの視界は
知覚できない速度で投げられたのだ。
うん、そうなると思ってた。前もそうだったし。
「なぜ襲いかかるのですか」
「普通怒るぴょん! てかうーちゃんのトラウマを忘れたかぴょん!?」
「あ」
不知火は突如咳き込んだ。
「覚えています」
「おいコラ」
「不知火になにか落ち度でも」
「落ち度しかねーぴょん! あーっ!」
頭をガシガシ掻き毟る。ほんとうに不知火は、まじで忘れてやがったなこいつは。
「さすがのうーちゃんも怒っちゃうぴょん、ぷっぷくぷー」
「それは不知火のセリフです、高宮中佐のまえで不知火の落ち度を、よくも暴露しましたね」
「うーちゃんは事実を言っただけだっぴょん」
「おかげであの後、不知火の体は大変なことに……」
「え?」
今、なんか、とんでもない単語が聞こえた気がするが。
これは大スクープの臭い!
某重巡じゃないけど飛び付かなければ後悔する特大ネタだぴょ──
「それを、言ったら、不知火は怒りますから」
「アッハイ」
改めて、不知火に連れてこられた部屋を見る。
妙な部屋だ。窓は全くない。いくつか換気扇があるだけ、明かりは照明だけだ。
扉も一つだけ。なのに部屋は無駄に広い。殺風景極まりない。基地のどこにこんな部屋があったんだろうか。
「ここどこぴょん」
「基地の地下室です。万一の時のシェルターでもありますが、今回は別の目的で」
「秘密の部屋ってことかぴょん」
「ええ、本当に緊急用の部屋なので。ですが今回は特例で使います」
なにをするんだ。見たかんじ防音、防諜もしっかりしてる。わたしがどれだけ泣き叫んでも、すすり泣き一つ外には聞こえないだろう。
やっぱり拷問か? 拷問なのか?
恐怖に震えるわたしを他所に、不知火はその場に正座した。手招きで知覚に来るよう誘ってくる。
「な、なにをする気だぴょん」
「卯月さんには、訓練をしてもらいます」
「……訓練?」
「ええ、実益と懲罰を兼ねた、『訓練』です」
なんだ、拷問じゃなかったのか。
とりあえずホッとする。安堵もつかの間、別の不安が押し寄せる。やっぱりおかしいぞ。
「訓練を、こんな部屋で?」
「はい、この部屋でなければ、高宮中佐の許可が下りないからです」
いまいち話の要項が掴めない。
懲罰も兼ねてる以上、三途の川を覗き込むような、地獄の特訓なのは察した。
それでも、緊急用のシェルター内でやる意味は分からない。
「卯月さん、まず始めに、とても重要なことを言います」
「うーちゃんは今から壮絶ないじめに合うってことぴょん?」
「卯月さん、真面目にお願いします」
不知火の顔は真剣そのものだった。
わたしの冗談に怒りさえしなかった。こんなのは始めてだ。かなりガチな話ってことだ。
「この訓練は、とてつもない危険を伴います。下手を打てば、冗談抜きで『即死』します」
「死っ!?」
「はい、死にます」
嘘だと思いたかった。しかし不知火はそんな上手いジョークを言える奴ではない。
まじで死ぬ危険があるのだ。どんな訓練だよオイ。
「なので、外に影響が出ないように、このシェルターで行います。分かりましたか」
「分かったけど到底納得してないぴょん」
「一番の注意点は説明したので、本題に入ります」
無視された。悲しい。ここに人権はないのか──懲罰部隊だったことを思い出して諦めた。
「卯月さん、不知火たち駆逐艦では、戦艦クラスの装甲は到底貫けないことは分かりますね」
「とーぜんだぴょん。だから魚雷とかをぶちこむんだぴょん」
「しかし、雷撃さえ通じない場合もあります」
「う……」
昨日の戦いを思い出してしまう。
そうだ、『特効』でも乗らない限り、卯月が敵にダメージを与えるのは困難だ。
下手すりゃイ級も一撃で倒せない。そんなわたしじゃ姫級には到底かなわない。
こればかりは無理だ、どうしようもない。生まれつきの特性は変えられない。
「普通の鎮守府なら、そのような艦は戦闘へ出しません。輸送任務にあたらせます。昔と違い極端な戦力不足ではないので。ですが此処では事情が違います」
前科戦線は全部が特殊だ。
任務の特性上、前科持ちのエリートでなきゃいけない。当然メンバーは簡単に集まらない。
どうやっても、慢性的な戦力不足に悩む羽目になる。
「例え駆逐艦であっても、姫級と単独で戦わなければならない時もあります」
「どんな時だぴょん」
「羅針盤がそれて一隻だけ姫級の群れに放り込まれた時ですね」
具体的過ぎて嫌になる。過去にそういうことがあったって訳だ。
「駆逐艦が単独で戦艦級、姫級を相手取る時。どのように戦えばいいか分かりますか」
「関節技を決めるとか」
「卯月さんには不可能ですね」
バッサリと否定された。
そんな馬鹿な、真面目に考えたんだぞ。
姫級は人型だ。間接や可動域の概念がある。それゆえの弱点がある。だから関節技が効くと思ったんだが。
「姫級の身体能力は規格外です、戦艦ならまだしも、駆逐艦ではどうやっても押し返されます」
「えー、じゃあどうすんだっぴょん」
「本来なら、時間稼ぎの仕方をお教えする筈でした。倒せなくとも、行動を制限することはできますから」
目潰しとか、その他色々ってことか。それならできる。実際駆逐棲姫の片目は潰せたし。できてることなら、教わる必要ないんじゃないか。
「言っておきますが、如何なる状況下でも確実に、相手の弱点部位を狙撃できるという意味ですからね」
「できるわけねえぴょん、そんな超人技」
「ここのメンバーは全員できますが」
「嘘ぴょん」
そんなことできる奴、神鎮守府にもいなかったぞ。
深海棲艦は小さいし動き回っている。そんな相手の目や耳を正確に砲撃するなんて不可能だろう。
でも前科戦線のメンバーはできると不知火は言う。改めてみんなの基本技量の高さを思い知った。やっぱりわたしは、まだど素人なのだ。
「しかし、それを会得するには時間がありません」
「駆逐棲姫かぴょん」
「推測では、あと一週間以内に再襲撃があるとのことです。それまでに卯月さんを
これは、喜ぶべきなんだろうか?
駆逐棲姫を確実に抹殺できる力が欲しいとは思ってた。
でも地獄を見たいとは言っていない。不知火は間違いなく修羅のような訓練を課すだろう。わたしの心境は複雑だった。
「でも、どーするぴょん。うーちゃんいきなりそんな強くなれないぴょん」
「承知しています。なのであまり望ましい方法ではありませんが……ズルをします」
「ズル?」
不知火は持ってきたカバンから、厳重に密閉された瓶を取り出した。無色透明の液体には、大量の警告マークが刻まれていた。
「艦娘が現れる前、人々はこれで戦っていました」
「えーっと、これって」
「『毒』、と呼ぶべきでしょう」
本当にどうなっちゃうんだろうか、わたしは。
こうして駆逐棲姫襲撃までの間、不知火によるハードな訓練が幕を上げたのである。
艦隊新聞小話
不知火さんがなにをされたのかというと、高宮中佐の手料理(カロリー重点)を夜食に、大量に食べさせられたそうです。
結果不知火秘書艦の体重はうなぎ登り!
体が大変ってのは、体重的な意味合いだったんですね。
ん?おや、こんな時間に誰でしょあちょまヤバ――
次回の艦隊新聞小話は急遽休刊となります。ご了承ください。