わたしことうーちゃんは、また不知火に拘束されて運ばれていた。
シェルターに行くときと同じだ。あそこの場所は隠されている。どこにあるか分からないよう、目隠しと耳栓をつけられた。
また蘇るトラウマに震えてると、不知火が立ち止まった。
「お疲れさまでした」
拘束が解かれ、その場に下ろされる。
行きと同じ、執務室の前に戻された。
窓から見える外は赤く染まってる。夕方だ。朝からずっと訓練してたのだ。
窓のない部屋だったから、時間感覚が狂ってた。何時間連続で訓練してたんだ。
「日中訓練は終了です」
「……ぴょん」
まともな返事ができない。呂律が回らない。足から脳天まで全身の筋肉が疲労してる。
過酷な特訓だった。
けどやっと終わった。ホッと胸を撫で下ろす。今日はよく眠れるだろう。
などと、悠長なことを考えてたわたしに、不知火が宣告する。
「入渠後及び食事後は夜間訓練です」
「……ぴょん?」
「ご安心ください、入渠ドックは空いています。中佐からの許可も得ています」
連続訓練による、疲労蓄積の心配はなかった。
確かに入渠すれば疲労はとれる。駆逐艦のわたしなら数時間で入渠も終わる。短い休憩でトレーニングを継続できる。
でもわたしが心配してるのは、そこじゃあない。
「や、夜間訓練ぴょん?」
「はい」
「何時から何時までぴょん?」
「8時から翌日5時までです」
えーと、つまり、9時間訓練ってことだ。
うん、死ぬぞこれは。
入渠があっても限界はある。生命の危機を感じて、不知火に抗議する。
「無理だぴょん、もたないぴょん」
「倒れたら高速修復材で復活させます。お忘れですか、このトレーニングは『罰則』も兼ねていると」
「罰則じゃなくて死刑だぴょん!」
「駆逐棲姫に勝ちたくないのですか」
意地悪な言い方だった。
そう言われたら黙るしかない。
だってその通りだ。駆逐棲姫はどんな手段を使ってでも、殺したいと感じてる。
「生半可な鍛え方では間に合いません、仇討ちを人任せにしても問題ないなら、構いませんが」
「ざけんなぴょん、あいつを殺すのはこのうーちゃんだぴょん」
「では、分かりますね」
分かりたくないが、納得するしか道はない。
せめて『改』にならないと話にならない。本懐を遂げるには、地獄を見なきゃいけない。
「納得いただければ以上です、十分に休憩をとってください」
不知火が執務室へ消えた。
「あひん」
緊張が解けた途端、膝から崩れ落ちた。
思い出したように、全身に筋肉痛が襲いかかる、痛くて中々動けない。
トレーニングは、本当にキツかった。
それ以外の感想はない。キツい、超辛い。これで全部が説明できてしまう。何度も死ぬかと思った。
これでちゃんと強くなれるんだよな。なれなかったらただじゃあおかないぞ不知火め。
力が足に入らず立ち上がれない。壁を支えにフラフラしながら食堂へ向かう。体のダメージよりもお腹のダメージが深刻だった。
さっきからお腹が鳴ってる。グーなんてなまっちょろい音じゃない。グギョメグゴゴって感じで鳴っている。
冗談じゃない。
「何の音クマ!?」
ほら、反応した。
廊下から現れたのは球磨だった。警戒心マックスだ。わたしの胃の音はそれだけ非常識な音色だったのだ。
「って、卯月かクマ。今の音はなにクマ」
「お腹が空いた音だっぴょん」
「あんな音なるわけないクマ」
と言った途端、またグギョメギャギギギゴと鳴った。
「鳴ったぴょん」
「……どんだけお腹空いてるんだクマ、てかなんだクマその歩き方は」
「まともに立てないぴょん、助けてぴょん」
これはマジだ。この歩行速度で食堂へ辿り着ける気がしない。
球磨は呆れた顔をする。大きくため息を吐いて、目の前でしゃがんでくれた。
「ほら、背負ってやるクマ」
「ありがとぴょん、訓練で苛めるドSベアーとか思っててごめんぴょん」
「は?」
「なんでもないぴょん」
一瞬すっごい殺意が出てきた。超恐かった。でも実際あの訓練はやばかった──いや、不知火のしごきの方がヤバかった。
なにがヤバいって、不知火の訓練はガチで生命に関わるのだ。一瞬の不注意で死にかねない。毒を使うんだから、しょうがないのかもしれないけど。
「いったい、何をしてたんだクマ。不知火の罰則がそんなにハードかクマ」
「そうだぴょん、うーちゃんを使い物にするって言って、クソハードな訓練をしてるぴょん」
「訓練? 不知火がクマ?」
「そうだっぴょん」
球磨の顔が少しだけ、訝しんでるように見えた。すぐに戻っちゃったけど。なんか変なこと言ったっけ。
「で、今日は終わりかクマ」
「ううん、ご飯を入渠の後、徹夜で朝まで訓練ぴょん。助けてくれぴょん」
「球磨にはどうにもならないクマ、ドンマイクマ」
慰めるぐらいなら代わってほしい。強くなりたいけど苦労したいとは言ってない。限界まで楽をしてたかった。
と思ってる間に、食堂の前まで来ていた。
「ここまでで良いかクマ?」
「うん、ありがとぴょん」
お礼を言って下ろして貰う。食堂へ入ろうとするが、球磨は別の方向へ向かっていく。
「あれ、食べないのかぴょん?」
「他の用事があるクマ、それを済ませてからクマ」
「そっかー、じゃ、またぴょん」
ヘロヘロの足取りで食堂へ入る。まだ人はまばらだ、ちょっと来るのが早すぎたらしい。
でも支度はできている。カウンターで飛鷹さんが世話しなく動き回っていた。
「あら、お疲れうーちゃん」
「死にそうぴょん」
「あはは……不知火の特訓よね」
乾いた笑いには多分に同情が混じってる。飛鷹さんは知ってたみたいだ。高宮中佐から聞いたんだろう。
言い方からして、不知火の訓練を知ってそうだった。
「不知火の訓練を知ってるのかぴょん」
「ええ、わたしも一度、受けたことがあるから」
「へー、飛鷹さんでも仕出かすことがあったんだぴょん」
お仕置きと称した訓練を受けたってことだ。
つまり、なにかやらかしたってことだ。
とても好奇心が沸いてくる。是非知りたい。それをネタにして弄びたい。
「いや、単にわたし、不知火の後輩だから」
「なんだつまんないぴょん」
「ちょっと」
飛鷹さんの突っ込みはスルーした。
つまらんものはつまらん。不知火よりあとに着任したってのは意外だったけど。
「あーあ、せっかく良いものあげようと思ってたのになー」
「はーん、そんな見え見えの罠に引っ掛かるうーちゃんじゃな」
「取り寄せた間宮アイスなのに」
「ぴょんっ!?」
振り返った作業、飛鷹さんの手には確かに、あの光輝く間宮アイスが握られていた。
「初給料もまだなのに頑張ってるから、少し誉めてあげようって、思ったのにねー」
「ごごごごめんなさいだぴょん!」
「冗談よ、ほら、みんなが来ない内に食べちゃいなさい」
目の前に置かれた間宮アイスは、冗談抜きで光を放っていた。キラキラしたものが本当に見える。昔食べた間宮パフェに乗ってたアイスも、そうだった気がする。
「ぴょぇぇん」
「どういう声よ」
「言葉にならない旨さぴょん……あ、飛鷹さんのご飯もおいしいぴょん!」
「フォローありがと」
やはり女の子のからだには甘いものだ。細胞一つ一つに染み渡って行く。高揚感に疲労までぶっ飛んでいく……気がする。気分の問題だけど。
「あ、でもそれ給料一月分だから味わって食べたほうが」
「ぴょん?」
「手遅れだったわね……」
もう食べきっちゃったよ。
給料一月分の味は一瞬で溶けて消えた。アイスだけに。
それだけ高いのは、やっぱり輸送コストがかなりかかるからだとか。
こんなド僻地にある基地にアイスを運ぶのは、それだけでも手間だ。その上作り手も『間宮』じゃなきゃいけない。単価がうなぎ登りになる訳だ。
「ごちそーさまぴょん、また食べたいぴょん」
「次は自分で買いなさいよ」
「ありがとぴょん、でも良いのかぴょん、こんな高いもの」
親切にしてもいきすぎじゃないだろうか。
ここまでしてもらうと、逆に気まずい感じがする。
わたしの問いかけに、飛鷹さんは背中を向けながら答えた。
「良いのよ、ただでさえ辛い目にあってるんだから。泊地棲鬼だけじゃなく、そいつの仲間とも戦わなきゃいけない。なら良いじゃない」
「じゃあ不知火の特訓をなんとかしてくれぴょん」
「無理ね頑張ってる応援してるわ」
実質の死刑宣告だった。
まさかこのアイス最後の晩餐じゃなかろうな。
懐かしい味が、惨たらしい思い出にならなきゃいいが。
高宮中佐のいる執務室だが、秘書艦の不知火はいない。
夜間訓練に備えて、彼女も仮眠をとっているのだ。
無論、数日間寝なくても戦える訓練はしている。しかし卯月に課したトレーニングは極めて危険な内容だ。
特級の『毒物』を用いた訓練。事故死のリスクは極限まで減らさないといけない。卯月をここで失ったら大きな損害だ。その為に高宮中佐は、仮眠を指示したのだ。
「失礼しますだクマ」
「入れ」
ドアをノックして、球磨が入室した。
礼儀正しくお辞儀をして、高宮中佐の前まで歩いてくる。中佐はペンを止めて、顔を上げた。
「なんの用だ?」
「駆逐艦卯月について、意見申し上げるクマ」
「必要ない、帰れ」
中佐は気づいていた。
礼儀正しくしていても、負の感情が一切隠せてないことに。
いいや、隠す気がないのだろう。
「いいえ、申し上げるクマ。前科組として言いたいクマ」
「不知火の、訓練のことだろう」
「はい、そうですクマ」
予想はできていた。不知火の行動が何名かの反感を買うことは。だがそんなことは承知している。その上で高宮中佐は、不知火に命令したのだ。
「卯月の特別扱いが、気にくわないようだな」
「……承知のうえですかクマ、でも言わせてもらうクマ」
「いいだろう、認める」
かなり無理をしてる自覚はあった。
だから高宮中佐はある種の『上官批判』を認めた。
「なぜ、卯月を特別扱いするのですかクマ」
「必要だからだ。知っての通りやつの練度は低い。いずれ死ぬだろう。そうならない為には集中的な訓練が必要だ」
「……そもそも、なぜ、あんな練度の低い艦娘をスカウトしたクマ」
「知っての通り、今の特務隊には駆逐艦が少なすぎる。ちょうどそのタイミングでスカウトできるのが、卯月しかいなかった。それだけだ」
冤罪によって処刑されそうな駆逐艦がいる。
その情報は渡りに船だった。だから不知火と飛鷹を向かわせ、強奪させた。
表向きの理由だ。
だが真実を語る理由はない。高宮中佐は口を閉ざし、カバーストーリーを語る。
「おかしいクマ」
しかし球磨は納得しなかった。
「球磨はここに来てから一番長いクマ、多少練度の低い艦娘も来たクマ。でも、卯月ほど過保護じゃなかったクマ」
「過保護? どこがだ」
「最初に球磨と那珂で訓練したこと、仇討ちのチャンスを与えたこと、不知火が専属でついた訓練、『毒物』の使用許可……中佐は、卯月になにを期待してるクマ」
「訓練は必要だからやっている、仇討ちのチャンスは、奴が羅針盤を動かす因子になりえたから。それ以外の理由はない」
タイミングが良かったので拉致した艦娘が、たまたま次の任務に役立ったに過ぎない。
高宮中佐の説明に、球磨は露骨に苛立っている。
「そうじゃないクマ、卯月を特別扱いするのはなぜですかクマ。使えない新人の面倒を見てるのに、その上特別じゃ、不満が溜まるクマ」
「そうだろうな」
「なら……」
「だがそれのどこが問題なのだ?」
ピシャリと、教鞭の音が鳴った。
「前科持ちのお前たちに、それが言える立場なのか?」
「それは……」
「卯月が弱いままで被害を被るのはお前たちだ、不知火が鍛えるのが悪いことか?」
「秘書艦直々に鍛える必要は、ないクマ」
「ならお前が鍛えればいいだろう」
その一言は、禁句だった。
球磨は固まり、顔を青くしながら脂汗を流し始めた。
まあ、こうなるだろうな。中佐は球磨を睨み付ける。
「格上に勝てるよう、やればいい。不知火が訓練する必要はなくなる。それなら納得するが、どうだ」
「…………」
「特別扱いしているのは確かだ、だから今回のことは不問とする」
「……申し訳、ありませんでした、クマ」
球磨は震えながら執務室から出ていった。
その背中を見て、高宮中佐は深い溜め息をつく。
「まだ、奴に死んでもらっては困るのだ」
一人呟く。
利用価値を終えるまでは、少なくとも生存してもらわないといけない。特別扱いはやむを得ない。
そうだとしても、この状況は中々難しい。
部隊内の空気が悪くなることは、基本避けるべきなのだから。
しかし、卯月の特別扱いは、球磨の思っている以上に複雑だ。
「北上が間に合うか、真実が暴かれるか」
提督の独り言は、誰にも聞かれることはなかった。
『毒』の正体がなんなのかは、実践までお預けにしちゃいます。