なにか、駆逐棲姫が叫んでたような気がする。
爆音でまったく聞こえなかったけど、途方もない怨念と無念、怒りにまみれた呪詛なのだろう。
まあ、まったくもってどうでも良い。
卯月は燃える残骸へ唾を吐く。
こんな汚物に敬意なんていらない。無様かつ惨たらしく死んで、誰の記憶からもなくなってしまえばいい。
「勝ったクマ、任務達成クマ」
旗艦の球磨が勝利宣言をしたことで、メンバーの緊張がほどけていく。
前科戦線のメンバーからすれば、この程度は弱い部類に入る。とはいえ命のやり取りをしてるのは変わらない。戦いが終わり、誰もがホッとしていた。
新人の卯月はもっと酷い。緊張が抜けすぎて立っていられない。その場にヘナヘナと座り込んだ。
「ぴょー……疲れたぴょー……ん」
しかし、卯月はなぜか上手く座れない。
どうもからだのバランスが悪い。重心が安定していない。不思議だと首を傾げて、裂けた片手が目に入った。
「大丈夫ですか?」
「え、腕が裂けてるぴょん」
「これはだいぶ重傷ですわね」
腕の骨は剥き出し、筋肉を突き破っている。滝のように血が流れて足元が真っ赤になっている。
そういえば、駆逐棲姫の手刀を受け止めたんだった。
卯月は今更思い出す。
気にならなかったのは、大量のアドレナリンが出ていたからだ。戦闘が終わり、それも止まった。
つまりどうなるかと言うと。
「なんじゃこりゃぁぁぁ!?」
目ん玉が飛び出るほどの叫び声を上げる。
全身の神経に棘をねじこんだような激痛に、グロテクスな腕を見たことによる精神的ショック。それがが重なった結果、卯月は泡を吹いて卒倒したのであった。
「卯月さーん!?」
走馬燈のように熊野の声が聞こえる。なんとも締まらない決着だ。そう自嘲しながら卯月は意識を手放した。
*
無機質な機械音が入渠完了を告げる。
意識が覚醒させられ、入渠ドックの蓋が開いた。ゆっくりとからだを上げて、片腕を確認する。裂かれていた腕は、傷一つ残さずくっついていた。
「あー、びっくりしたぴょん」
「呑気してんじゃねえクマ」
「痛い!」
不意打ち気味に、後ろから球磨に叩かれる。軽い一撃でも不意打ちだけけっこう痛くなる。ちょっと涙目になりながら、卯月は球磨を睨み付ける。
「なんだクマ」
お返しと言わんばかりに、球磨も目元を尖らせる。巨大なヒグマに狙われた野兎の気分になれた。死の予感がした。
「なんでもございませんですぴょん」
「そうかクマ」
生命の危機を回避し、卯月は胸をなでおろす。
落ち着いたところで記憶を思い出す。確か駆逐棲姫との戦いでダメージを負って、戦闘終了後に卒倒してしまったんだ。
「あのー、今なにがどうなってるぴょん?」
「ああ、伝えるクマ。でもその前に着替えるクマ」
「はーいぴょーん」
妖精さんが渡してくれた制服は、こざっぱりとして気持ちが良い。返り血やら塩水やらも全部落ちている。
制服に着替えた後、二人揃ってドッグの脇にある椅子に腰かける。
「ほれ、お茶だクマ」
「おお、ありがたいぴょん」
入渠中は餓死したりしないよう、必要な栄養素と水分が補充される。だから水は足りている。しかしこの喉を通り抜ける冷たいお茶の苦みには変えられない。人間の体様様だ。卯月は満足げにニンマリ笑う。
「ともかくお疲れクマ、作戦は成功、駆逐棲姫は完全撃破されたクマ」
「ッシャ!」
憎い敵が無様に死ぬ様を直に見れるのも、人間のこころのお蔭だ。卯月は邪悪にゲヒヒと嗤う。
「だから、呑気してんじゃねぇクマ」
「痛い! また殴ったぴょん!」
「どついただけクマ」
プーと頬を膨らませて不満を主張する。さっきからなんでぶつんだ。卯月は不機嫌になっている。
「球磨は今、かなり怒っているクマ」
「え、マジぴょん?」
「マジだクマ」
マジで? 卯月は呟く。
外から見ると、いかんせん怒っている感じがしないのだ。無表情ではないが、言葉や雰囲気に抑揚がない。卯月はまだ半信半疑でいた。
「ウソじゃ、ないぴょん? うーちゃんウソは嫌いぴょん」
「ホントに怒ってるクマ」
「なんでぴょん?」
嘘ではない。しかし理由が分からない。球磨を怒らせるようなことはしていない。卯月はハテナマークを出して、首を傾げる。
分かってないのか、といった呆れ顔をして、球磨はため息をついた。
「その、片腕クマ」
「……まさかうーちゃんの封印されし左腕が、球磨を殴り付けたとか?」
「一生封印してやろうかクマ?」
あ、やばい、冗談ダメなやつや。
そう言いつつも、冗談なのは
「駆逐棲姫との戦いで、卯月はその手を使い捨てたクマ」
「えっ、怒ってるって、それぴょん?」
「そうだクマ」
「……なんで?」
考えてみたが、理由は分からなかった。
駆逐棲姫は負け犬の遠吠えを晒して永遠にさようなら。片腕も入遽して完全復活。なにが不満なんだ。
「卯月、今後、そーゆー戦い方は止めるクマ。フツーの鎮守府でもアウトだけど、前科戦線では完全にアウトだクマ」
「駆逐棲姫は殺したぴょん」
「それは結果論クマ、球磨は今後の話をしてるクマ」
並んで歩いていた球磨は卯月の前に移動する。進めなくなり卯月は立ち止まる。球磨は怒りながらも、真剣そのものだ。
なぜなら、本当に卯月の今後に関わることだからだ。
「この前科戦線での任務は、なんだクマ」
「深海棲艦どもを殺すこと。その為に敵海域に突入し、攻略ルートを確立することぴょん」
卯月はどや顔だ。対して球磨はムッツリだ。まだ怒っているのだ。
「そうだクマ、だから球磨たちは『確実』に敵中枢へ突入し、『確実』に情報を持ち帰らないといけないクマ」
「知ってるぴょん、最初に聞いたぴょん」
「分かってないから言ってるクマ。なら、なんで片手を犠牲にしたクマ」
それが怒ってる理由か? 首を傾げながら、卯月は淡々と説明していく。
「あの時、確実に動きを止められる方法だったからぴょん。基地も近いから入渠も間に合うって判断したぴょん」
「その判断が、間違いクマ。撃破し損ねて、
「あ!」
卯月はやっと、自分の判断ミスを理解した。
「傷がなければ助けを待てるクマ、でもあの怪我があったら一刻と持たないクマ」
想定仕切れていなかったのだ。余計で無駄なリスクを背負った。球磨が言いたいのはこのことか。
確かに、これはミスだ。卯月は自戒する。
「戦場では想定外のことが起きるクマ。敵の奇襲にあって時間通りの帰投ができないことも、嵐の中に隠れなきゃいけない時も、数時間連続して戦わなきゃいけない時も……その負傷で、戦えるのかクマ」
できる訳がない。答えは明らかだ。
駆逐棲姫には勝った。しかし前科戦線の仕事として見たら失格。それが今回の卯月の戦闘記録。
「球磨たちを見るクマ、奴等と戦っても傷一つとて負っていないクマ。リスクを徹底的に避けるようにしているからクマ」
「え、マジかぴょん。あんだけ戦っといて……」
駆逐棲姫に重巡ネ級二隻にPT小鬼群3部隊を夜戦で相手どって無傷。対して卯月は事実上大破同然のダメージ。ここでも意識の差が現れていた。
「深海棲艦が憎くてしかたないし、ちょっと後遺症的なものがあるってのも理解してるクマ。だが、その戦い方してたら、いずれ死ぬのは明確だクマ」
返す言葉が出てこない。全て事実だからだ。
復讐心を否定された訳でもないから怒りは湧かない。ただただ自分の未熟さを痛感する。
「艦娘として生きるのを止めて、逃げ出して人間に紛れるのも一つの生き方クマ」
「それは嫌だぴょん! うーちゃんは深海棲艦を殺し尽すんだぴょん!」
「だったら、迷惑をかけるなクマ」
前から服の襟を掴まれ、顔を無理やり寄せられる。
怒っている、ここまで怒る理由は良く分からないけど、多分わたしを心配してくれているんだ。卯月はそう感じた。
本当は別の理由かもしれない、実は出て行って欲しいと思っているかもしれない。
だけど出ていくつもりはない。
目的がある、深海棲艦への報復と、神提督への再会だ。まだ前科戦線から出ることはできない。
「前科持ちの球磨たちにとって、自分の意思は二の次だクマ。なによりも任務達成が優先、それを忘れるなクマ」
「……分かったぴょん、頑張るぴょん」
「なら、良いクマ。説教は終わりクマ」
冷静になってみれば、あれは賢い戦い方ではなかった。
球磨が言った通り、戦場は予測不能だ。
ましてや羅針盤の出す『外れ』まで調べ尽くさないといけない、前科戦線なら、より戦場はカオスと化す。
徹底的にリスクを減らすこと、冷静さを失わないこと。
それはできる筈だと、卯月は考える。
どれだけぶちギレて、怒りに染まろうとも、客観的な自分を持つこと。それはできる筈──できなきゃ、いずれ死ぬ。
「とは言っても、感情のコントロールなんて、どうやれば良いんだぴょん」
「うーん、分からんクマ。球磨はそういったことで悩んだことがないクマ」
忌々しいことだ。これが天才肌ってやつか? 卯月は吐き捨てる。
「ぶっちゃけ、球磨は指導者には向いてないクマ。他の奴に頼ると良いクマ」
「えー……しょうがないかぴょん」
卯月の感情の問題は、一旦後回しとなった。
そもそもからして、卯月のは心のキズが原因になっている。トラウマがそう簡単に治る筈がない。
それでも卯月は、戦線に立つこと望む。なら感情を制御する必要がある。戦闘能力以上に厄介な問題に、卯月はぶち当たっていた。
球磨と並んで歩きながら、卯月は食堂へ向かっていた。
提督から直々に説明することでもないので、ご飯を食べながら、現状について話すと球磨は言った。
しかし、食堂には飛鷹さんも誰もいない。作りおきのご飯があったので、それをレンジでチンし、二人でテーブルを囲む。
「まず、朗報クマ」
「ぴょん?」
「神提督の鎮守府だけど、汚染が僅かに和らいだクマ」
「まじか!」
『ぴょん』さえつけ忘れる衝撃。卯月は椅子から転び落ちる。
まさか、帰れるのか、わたしの鎮守府に。
帰っても誰もがいないのは分かっている。神提督と間宮さんは別の場所にいる。
けれでも、思い出ぐらいなら残っている。
菊月や仲間の遺品もあるかもしれない。なにもなくても、みんなを弔うことができる。
やりたくてもできなかったことが、やっと叶うのだ。
「ご飯食ってる場合じゃねぇ! 今すぐ出発だぴょん、うーちゃんは今最高の気分だぴょん!」
「へぇ、球磨のご飯を食べないつもりかクマ」
「……このご飯って」
「球磨が作ったクマ」
目の前にあるのはシンプルなチャーハンだ。細かく切ったベーコンにネギに卵。ちょっとお米がくっついた、典型的チャーハン。不味くはない、むしろ美味しい。
「イメージと違う……」
「なんか言ったかクマ?」
「言ってないぴょん! とれたてのシャケとか狩りたてのジビエとか作りそうだなんて思ってないぴょん!」
「目潰しだクマ」
球磨のアホ毛が蠢き、卯月の目を刺突した。
「ギャー!?」
なんだ今の攻撃は!? のたうちまわる卯月を無視して、球磨は話を再開する。
「あの海に駆逐棲姫は影響を与えてたみたいだクマ。それが死んだことで、汚染がマシになったクマ」
「えー、で、立ち入りは?」
「まだダメクマ、許可が必要だクマ」
許可ってお前、前科(冤罪)持ちのわたしに許可が下りる訳がないだろう。
要するに無理ってことである。卯月はがっくりと項垂れる。期待していた分ショックが大きい。
「まあいつかは帰れるクマ。長い目で頑張るクマ」
「他人事だと思ってるぴょん、酷いやつだぴょん」
「で、もう一つ、駆逐棲姫を沈めて変わったことがあるクマ。海域が変化したクマ」
深海棲艦のテリトリー内には、未知の法則が無数に働いている。殆どが艦娘の侵入を防ぐために張られた『結界』だ。
結界の多くは、エリアを統括する姫・鬼級によって作られている。逆に言えば原因になっている深海棲艦を沈めれば、この結界を破壊できる。
今回も同じケースだったと、球磨は説明する。
泊地棲鬼を沈め、更に駆逐棲姫を倒すことで、海流──羅針盤の挙動に変化が発生した。今まで示さなかった方向を、羅針が示すようになったのだ。
「言うなれば、駆逐棲姫を倒したから、ルートが開放されたってことクマ」
「ゲームみたいな言い方ぴょん」
「分かりやすさ重点クマ。ともかく、この新ルートの奥にいる深海棲艦が、テリトリーのボスだと大本営は考えているクマ」
そのボス個体を倒せば、神鎮守府の海域は、完全に開放される。赤く染まった海域は正常な青色に戻る。
「鎮守府の汚染も今よりマシになる筈クマ、そうなれば、立ち入り許可も緩まる。帰れる確率は跳ね上がるクマ」
落っこちていた期待が、また高まっていく。
同時に駆逐棲姫を殺して落ち着いていた殺意も、腹の底から再燃していく。
あのテリトリーのボスということは、泊地棲鬼の関係者だからだ。殺さない理由がない。仇討ちと鎮守府の解放が両方できる、これぞ一石二鳥だと卯月は笑う。
「で、そのボスってのは誰だぴょん」
「当時の攻略部隊がたまたま見つけたクマ。過去にも発見例がある、強力な鬼級深海棲艦だクマ」
球磨は卯月に写真を見せる。
以前戦った戦艦棲姫(卯月自身は逃げ惑っていただけだが)を、より巨大に、より強靭にしたような、片角の深海棲艦。写真越しでもその威圧感が伝わってくる。
「戦艦水鬼。それがこの海域の、最後の敵だクマ」
復讐劇は、これで一旦幕を閉じるのだろうか。憎悪に身を焦がしながら、卯月は戦艦水鬼を睨み付けていた。
この戦艦水鬼撃破を以って、第一章は終わりです。