熊野の不穏なフルコースを震えながら堪能したおかげか、豊富な栄養をとれたおかげか。卯月はその日、とても良く眠ることができた。
実のところ、こころからリラックスして眠る機会はそう多くなかった。
何回かに一回、鎮守府壊滅の悪夢を見てしまうからだ。
傷は浅くない。その話題になると、仲間を即座に敵認定してしまう程だ。卯月が自覚している以上にトラウマは深く刻まれている。
久しぶりにたっぷり寝ていた卯月だが、朝5時ぐらいになると、自然と目が覚めていく。
からだどころか、精神にまで染み付いた軍人の習性だ。
寝ぼけ眼でパジャマからジャージに着替えた。
「……満潮は、そうだ、出撃だった」
いたのなら、まぶたにカラシでも塗って優しく起こしてあげたのに。卯月は肩を落とす。
ちなみにそれをした場合、食材を無駄にしたことで、飛鷹から恐るべき制裁を受けることになった。卯月は命拾いをしていた。
「そろそろ、帰ってくるって言ってたけど。早すぎかぴょん」
帰ってきてたらもう少し騒がしい。基地全体から足音や話し声が聞こえてくる。
それがないから、まだ帰投していない。
「走り込みでもするぴょん、メンドイけど」
めんどくさいので、自分にそう言い聞かせた。
ジャージ姿のまま顔を洗い髪の毛を入念に整え、ポニーテールに纏めていく。
なんでこんなに長いんだろうか。
卯月は自問した。ぶっちゃけ戦闘においては若干邪魔である。
とは言っても、整えない理由もない。
卯月は熊野に言われたことを覚えている。せっかく女の子になったのだから、綺麗にしなきゃいけない。
その通りだと卯月は考える。
おしゃれも、綺麗にするのも、復讐と同じぐらい重要だ。長い髪の毛も楽しむ気概でいよう。
「完了ぴょん!」
鏡の前で一回転、頭頂部のアホ毛を除いて寝癖はない。
「なんという美少女ぴょん……」
ジャージは見なかったことにした。いやジャージさえ映えるのが美少女というものだ。
ならばわたしはどうだと、卯月はまた鏡を見る。
「あ」
とてもとても冷たい目つきの球磨が鏡の中にいた。つまり卯月の真後ろにいた。
「おはようクマ、起きてるなら構わないクマ。艦隊は7時に帰投クマ」
卯月を起こしに来た球磨は、そう捲し立てててドアをそっと閉じた。
「いっそ殺せぴょん」
ここに満潮がいたら『言質とったわ!』と叫びながら飛びかかっていた。
しかしいない。
生き恥を晒した卯月は顔を真っ赤にしながら、ランニングへ繰り出すのであった。
ランニングは程ほどにし、シャワーを浴びて食事に向かう。
だが、食堂は地獄だった。
熊野も球磨もことあるごとに『おはよう美少女の卯月』とか言うのである。そこまで言うなら『うーちゃん』って言えよ。
とうとう妖精さんにまで『美少女?』とか言われ、卯月は倒れ伏す。ここのプライバシーはどうなってんだと叫ぶ。
そんな肩身の狭い食事を終えた頃には、艦隊が帰ってくる時間になっていた。
「満潮に言いましょう、絶対に面白いですわ」
「勘弁してくれぴょん」
「冗談ですわよ、九割ぐらいは」
それ絶対信用できない九割じゃんか。
卯月の嘆きを他所に、何人かが埠頭へ集まる。
出迎えて労ってあげよう──とかではなく、暇なのである。高宮中佐はいない。執務室へ相変わらず立て籠っている。
「見えた……クマ?」
「なんで疑問系ぴょん」
双眼鏡で覗いていた球磨は首を傾げていた。
もう少し艦隊が接近すると、卯月たちも疑問の理由を理解した。
出撃した調査隊は、飛鷹、不知火、ポーラ、那珂、満潮の五隻である。
しかし今見えている艦隊は、『十隻』いたのである。
「多いぴょん」
「多いクマ」
「多いですわね」
見た感じ艦娘だ。艤装も装備している。
まさか敵を引き連れてきたなんてことはあるまい。だが味方だろうか。
卯月が訝しむ理由は、彼女たちがやたらとビクビクしているところにあった。
首を傾げている間に、艦隊は埠頭までやってくる。先頭にいるのは旗艦の不知火だ。知らない艦娘はともかく、前科戦線のメンバーは
卯月はそのことに驚く。ここに着任してから誰かがダメージを受けるのを見たことがなかったからだ。それだけの激戦だったということか。
「不知火及び艦隊帰投しました」
「お帰りなさいぴょん、その人たちは誰ぴょん?」
「客人です、丁重に対応してあげてください」
と、不知火が言った瞬間、彼女たちはビクンと肩を揺らした。この中で一番大きいフレンチクルーラーを装備した大人の女性もだ。
「球磨たちに説明は?」
「行いますが、まずは中佐への帰還報告が優先です。説明は本日10時から行いますので」
「分かったクマ、報告の間彼女たちは球磨が対応するクマ」
「お願いします」
不知火はいち早く執務室へ向かう。
残された卯月たちと来客たち。妙な緊張に満ちている。
やはり慣れない場所では、こうなって当然だ。ここはこのうーちゃんの出番である。卯月は一歩踏み出して握手を試みた。
「なにをする気だ」
ガシャンと主砲を向けられた。向けてきたのは三隻の駆逐艦の内、ショートヘアーでホットパンツを履いてる艦娘だ。
「まじか」
あんまりな事態に卯月は絶句する。わたしがなにかしたか。
ただの緊張ではない。戦闘時と同じ緊迫だと卯月は理解する。そんなものが起きてる理由は分からないが。
「球磨たちについて、どーゆー印象を持ってるかは知ってるクマ。だけどこれが、初対面の相手への態度かクマ?」
「こんな態度は当然だぜ、そいつが
その一言で、卯月は現状を理解した。
いや、思い出したのだ。
自分達が『前科持ち』であることを。外の艦娘からどう見られているのか。
特に卯月は『造反』だ。冤罪でも変わらない。仲間を深海棲艦に売り飛ばした外道として認識されている。
「だからなんだクマ。前科戦線のやり方にケチをつけにきたかクマ」
「竹、言い過ぎよ」
「……分かってるけどさ、でも松姉、こいつらは」
「ヘーイ、そこまでデース」
『竹』という艦娘は、『松』の制止にも納得していない。そこへ出てきたのは、一番大きい艦娘だ。
「Sorry、許してくれマスカ?」
悪気がないことは分かる。外部の人からしたら凶悪犯罪者を収監する刑務所にお邪魔した気分だろう。警戒しない方が無理だ。
「許すぴょん、うーちゃんの寛大さに感謝するぴょん」
「Thank you! 私のnameは金剛デース!」
「睦月型の卯月ぴょん、気軽にうーちゃんと呼ぶぴょん!」
「よろしくネ、卯月!」
またかよ。なんでだよ。どうして誰もうーちゃんと言ってくれないんだよ。
卯月の悲哀はどうでもいい。ともあれ金剛が空気をマシにしてくれたお陰で、他の艦娘たちも少しずつ話し始める。
しかし、卯月はこの辺りから違和感を持ち始めた。
「まずはわたしです、金剛お姉さまの妹分の『比叡』です!」
「わたしは『松』、で、この二人が妹たちよ」
「『竹』だ」
「水雷戦隊のアイドル、『桃』だよ!」
その時、那珂に電流走る。
「アイドル……だって……?」
「まさか、貴女も……?」
「とりあえず建物に入らない?」
飛鷹の一言で金剛たちは建物へ向かっていく。
まずは基地のトップである高宮中佐に挨拶をしにいく。卯月が同伴する必要はない。迎えも終わったので、ちょっと部屋でゴロゴロしようかと思っていた。
しかし金剛が卯月を引き留めた。
今回金剛たちがやってきたのには、卯月も関わっているからだ。なんのことか分からないままついていき、執務室の前で待つことになる。
旗艦と旗艦補佐の金剛と比叡が中佐と話している間、卯月は松たちと一緒に座っていた。
やっぱり妙に緊張する。一回砲身を突き付けられたからだろう。それをやった竹は、まだ卯月を睨み付けていた。
「気まずいぴょん、刺すような視線が痛いぴょん」
「ならわざわざ口に出すなよ」
「聞こえるように言ったんだぴょん、分からないのかぴょん」
「止めなさい竹、金剛先輩の顔に泥を塗る気?」
そこまで言って、竹は睨むのは止めた。
しかし威圧感は無くならない。ここまで嫌悪されているとは。わたしの評判はいったいどうなっているんだ。卯月は震えあがる。
「ごめんなさいね、でも余計なこと言った貴女も悪いから」
「お、おう、大丈夫気にしてないぴょん。
「そう」
違和感が、確信へ変わった。
話しかければ反応してくれる。挨拶もしてくれる。
だけど
「これって、うーちゃんの前科が原因がぴょん」
造反が知られてしまっているのだろうと、卯月は推測する。
その予想は概ね当たっていた。
深海棲艦に変異してもいない。艦娘のまま仲間を売り飛ばしたことじたい前代未聞だ。もっとも実際には冤罪だった訳だが。
冤罪かどうかなんて、外の艦娘には関係ない。仲間を売り飛ばした外道。それが今の卯月の評判だ。
「そうよ」
「どんだけ酷いんだぴょん」
「仕事じゃなければ、貴女みたいな艦娘の恥さらしとは会いたくもなかった」
「そ、そこまでかぴょん」
「だから話しかけないで」
竹ほど露骨な敵意ではない。関わることそのものを否定している。
大本営や神提督の名誉の為、背負った冤罪とはいえ、かなり辛いものがある。卯月は胸が締め付けられる思いだった。
「シャァァァァ……」
「グルルルル……」
廊下の端で威嚇しあっている二人のアイドルは無視した。アイドルというか女の子が出して良い声ではない。構ったらシリアスが崩壊する。
右には睨んでくる竹。左にはアイドルどもの縄張り争い。高宮中佐、早く呼んでくれ。卯月は心の底から懇願した。
それから十五分ぐらい経った後、執務室の扉が開いた。
しかし室内には呼ばれなかった。代わりに金剛と話していた比叡だけが出てきた。
「金剛さんは?」
「提督を挟んで、高宮中佐と話すそうです。比叡は卯月への説明をするため、出てきました」
「うーちゃんへの説明?」
比叡は卯月の方を向くと、こめかみにシワを寄せながらジロジロ見始める。
観察されている。あんまり良い気分ではない。
「いやらしい目付きは辞めるぴょん」
「……話したくないって思っているの、分かってないんですか?」
「ヒエー、これはキツイ流れぴょん」
「黙っててください、話だけ聞いてその返事だけで結構ですから」
自分が前科持ちなのは重々承知している。嫌われて当然なのも理解している。でも
直接金剛たちに被害を出したわけじゃないのに、どうして蛇蝎みたいに嫌うんだろう。
「戦艦水鬼が発見されたのは知っていますよね?」
「当然ぴょん、駆逐棲姫を沈めたことで、道が開けたって聞いたぴょん」
「なので、戦艦水鬼討伐部隊が編成されました。比叡たちはその主力部隊として動いています」
大規模作戦の時、艦隊は色々な鎮守府から選抜されて選ばれる。
ただ、運用上の観点や土地勘から、戦場付近の鎮守府から選ばれる傾向が強い。金剛たちの鎮守府は、戦艦水鬼の出現エリアに相対的に近い場所にあった。
「前科戦線の協力のおかげで、昨日中に戦艦水鬼に接触することができました。一度だけですけど撃破もできました」
前科戦線の任務はルート及び特効の調査である。この部隊がいるおかげで本隊は消耗を抑えながら中枢までつくことができるのだ。
「悶え苦しんで沈んだかぴょん?」
「沈んだ方がいいのは、卯月貴女でしょ」
「その無駄口潰していいか?」
本当にヤバイ空気になってきたので素直に黙っておく。これ以上余計なことを言ったらリンチに遭いそうだ。冗談ではなく命の危機を感じる。
「ただ、倒したんですが、問題がありました。こちらも大被害を受けてしまったんです。金剛姉さまとわたし以外は大破してしまいました」
「松たちは無事に見えるぴょん?」
「俺たちは後方支援だったんだよ、だけど大破艦を先に帰らせたから、代わりにここまでの護衛をしてたんだ」
本来の艦隊メンバーは鎮守府で入渠している。用事があった金剛たちだけが、無事だった松型に護衛してもらい前科戦線に立ち寄っているのである。
「そんなに強かったのかぴょん」
「……ええ、特に随伴艦が固くて、苦戦しました」
「なるほど」
概ね理解できた。金剛たちは戦艦水鬼の討伐部隊であること。しかし想像以上の強さに苦戦し、無事なメンバーだけで前科戦線に来たこと。
だが、だからなんだというのか。卯月は思う。
ルートと特効の調査が終わった以上前科戦線の仕事は終わりだ。戦艦水鬼撃破は金剛たち主力艦隊の仕事である。
苦戦こそするだろうが、卯月たちにはもう関係ない。
なのに前科戦線に立ち寄った。そこには相応の理由があった。
「ですが、飛鷹さんが、特効を見つけてくれたんです。比叡たちはその為にここに来ました。お願いをしにきたんです」
「金剛さんが、うーちゃんが関わってるって言ってたけど、それって」
「……本当は、こんな言葉言いたくもないんですけどね」
流れが分かってきた。期待に満ち溢れていく。海域調査が終わったから前科戦線は出撃しない。戦艦水鬼を殺す機会は巡ってこない。その絶望に一筋の希望が刺し込んだ。チャンスがやってきた。周りの空気は最悪だけど。
「特効を持っている卯月、あなたに戦艦水鬼討伐の手伝いを依頼します」
「うーちゃんが、特効持ち!」
「はい、戦艦水鬼……の随伴艦に特効を持っている、造反者の卯月さんに」
いやなんか違うっぽいぞ。期待に満ちた卯月の眉がハの字に曲がった。
というか、この嫌われっぷりでまともに戦えるのか。
期待と不安が混在した状態のまま、卯月は立ち尽くすのであった。
艦隊新聞小話
前科戦線の中にいるので忘れがちですが、卯月さんの造反はかなりの
艦娘なのに深海棲艦の味方をして鎮守府壊滅!
おかげで艦娘の世間イメージが一時期は最悪に! やはり艦娘は全員解体すべきだ! 反艦娘テロリストはこれぞ好機と、卯月さんをやり玉に声明を出しています。いくつか見てみましょう。
A「諸君、私は戦争が好きだ」
B「
C「やって見せろよ卯月!」
……ソースを間違えちゃったみたいです、ごめんなさい!
まあ世論がこんなんなので、松さんたちの態度もしょうがないってことですね。
それでもちょっと、過激な気はしますが。