卯月は、思い出した。
戦艦水鬼に忠誠を誓い、殺そうとした記憶を。
だがそちらは、まだマシだった。結局のところ、誰も殺さずに済んだのだから。
しかし、もう一方は。
神提督や間宮に重傷を負わせ、仲間を虐殺し、鎮守府を壊滅させた記憶は。マシなどでは済まされない。
今の今まで完璧に忘れていた反動が、卯月に襲いかかる。
「卯月が、う、卯月が……みんな、を……?」
目の焦点が合っていない。身体がガタガタと震え、卯月は歯を打ち鳴らす。息ができず、過呼吸のように喘ぐ。あまりのショックに、卯月の精神は崩壊寸前に追い込まれた。
頭のなかで、狂った自分の矯声がリフレインする。仲間の断末魔が響き続ける。耳を塞ぎたいが、卯月はまだ椅子に拘束されたまま動けない。
「嘘だ……う、嘘……なんで、卯月は、提督、を」
卯月は、悪夢を振り払おうと、全身をかきむしろうとした。肌を傷つけ、血が溢れだすほどに。自分で自分を痛めつけようとする強迫観念が芽生えていた。
そうなるから、高宮中佐たちは卯月を拘束していた。暴走した時の保険的意味合いもある。おかげで卯月は、自分を傷つけないで済んでいた。
それでも、自傷行為への衝動が止まらなかった。
卯月はからだを捩りながら暴れる。拘束具に肌が何度もこすれ、そこが赤く擦れていく。手首からは僅な血が流れていく。
「落ち着いてください卯月さん、暴れないで」
「う、うう……みんな、て、提督……!」
「卯月さん、しっかりしてください!」
見かねた不知火が強く呼び掛けても、卯月には届かない。罪悪感と怒りでなにも聞こえない。
今の彼女は、殺意に溢れていた。
自らに対する殺意だ。
自責の念が止まらない。いつも深海棲艦に抱いていた怒りを、自分自身に向けていた。けれども拘束具のせいで、自殺はできない。
なぜ自殺させてくれない。
卯月は一瞬、高宮中佐たちに殺意を抱いた。
卯月の意思に呼応するように、また幻覚が見えた。
紅潮した顔つきで、戦艦水鬼と泊地棲鬼に、中佐の首を捧げていた。誉められた時、幻覚の卯月は幸せそうだった。
「い、嫌ぁ!? 止めて、やだっ、こんなの……違う、卯月は、卯月、は……」
また心が壊れていく。
卯月は、泊地棲鬼の断末魔の真の意味を理解した。復讐の先にあるのは駆逐棲姫でも戦艦水鬼でもなく、卯月だったのだ。
気づかなかった自分が許せない。忘れていた自分が許せない。以前敵は絶対に許さないと誓った。その誓いは今、卯月を殺そうと責め立てている。
だが卯月は、必死で正気にしがみついていた。
「卯月さん、貴女は悪くないんです!」
「……し、知って、ます」
「え?」
その気になれば舌を噛みきることができる。そうしなかったのは、自分が無実だからだと考えていたからだ。
自分のせいだと完全に認めたら、心が砕けると察しているからだけではない。
冷静に考えて、異常な何かが起きたのが、暴走の原因だと卯月の
「卯月じゃない。卯月は、あ、あんなこと、絶対にしません……だから、あれは、う、卯月じゃない、別の誰か……です」
「そうです、卯月さんは無実です。あの暴走は、『敵』の攻撃によるものです」
「だよね、『敵』がいるんだよね……誰が、やったんだ」
それでも、卯月の精神は憔悴している。頭は無実だと考えていても、実際自分がやったものとして、造反の記憶は残っている。
無実と不知火が言っても、罪悪感は消えはしない。仲間を殺めた触感に催した吐き気を、必死に卯月は堪え続ける。
「中佐は、知ってるんですか……『敵』が、誰なのか」
掠れて消えそうな声を、卯月は搾り出す。確証が欲しかった。『敵』がいるという確証が。わたしの意志ではないという証明が欲しかった。高宮中佐は卯月を見下ろしながら、背中を向ける。
「ああ、知っている」
その一言に、卯月は眼を見開いた。
誰かが、わたしを狂わせた。仲間を殺すように仕向けた奴がいる。狂気を孕んだ激情が膨れ上がる。圧し掛かった罪悪感に比例するように、敵への怒りが暴れ出した。
「誰、誰なんですか! 誰が卯月にこんなことを、こんな、屈辱を! 早く教えて!」
「まずは、その口を閉じてからだ、分かるな卯月」
「う、うぅ」
高宮中佐の勿体ぶった言い方に、卯月は苛立ちを募らせる。自我が崩壊しそうな罪悪感と、理性が焼き切れそうな怒りが同時にぶつかり合う。早く『敵』を知って、怒りで心を埋め尽くしたい。そうしないと、自責の思いで潰れそうだ。
卯月は歯を食いしばり、唸り声を上げながら、全部を堪える。罪悪感に潰れるなんてあり得ない。だが『敵』が誰なのか知らずに、怒り狂うのはカッコ悪すぎる。せめて、知るまでは壊れたくない。
「説明は、上の工廠で行う」
「拘束具は、つけたままにしてください。どうなるか、卯月も分からないんです」
「ああ、そうしよう。不知火、卯月を」
拘束具をつけたまま、車椅子で運ばれていく。
暴走したのは敵の策謀である。しかし原因は分からない。今の卯月は、なにを切っ掛けに爆発するか分からない不発弾だ。怒りが抑えられず暴れ回るか、再び堕ちるのか。そうでなくても罪悪感で自傷行為に走るか。なんにしても拘束は必須だったのだ。
*
拷問部屋のある地下エリアから地上へ出る。外はまだ真っ暗だった。戦艦水鬼と戦った時は昼間。まだそんなに時間は経っていないと、卯月は勘違いをしていた。実際はそんなものではなかった。
「四日後です」
「よっか!?」
不知火に撃破されたあと、四日間に渡り昏睡し続けていたのだ。卯月は愕然とする。どうしてそんなに。
「半年間昏睡していた時よりマシです」
「いや、そ、そうだけど……」
「暴走した後の卯月さんの体内は大破同然の状態でした。入渠が遅くなっていれば、また半年間昏睡してたでしょう」
どうしてそんなにボロボロになってしまったのか、心当たりはあった。堕ちていた時、限界以上の力を出せていた。あれは本当に、卯月の身体の限界を超えていたのである。結果身体が追いつかず、過度な負荷に体内組織が壊れてしまったのだ。
ただの暴走では、こうならないだろう。いったい何があったのか、これから分かる。卯月の息が荒くなっていく。
「北上さん、いますか!」
「いるよー、準備もできているよー」
「失礼します」
工廠の奥に、高宮中佐やあきつ丸が入っていく。卯月と不知火もそこへ続く。
最深部の小部屋中央には、卯月の艤装が置かれていた。無数のコードが機材へ繋がり、様々なデータがモニターに表示されている。
「……まさか、艤装?」
「お、勘が良いねぇ」
「いや、この状況なら普通そう思います」
「……語尾変わっているし」
北上の感想はともかく、さすがに勘付く。
卯月は、工廠と中佐が言った時点で、機械関係のなにかだと考えていた。そして露骨に鎮座されている艤装を見て、ほぼほぼ確信したのである。艤装のどんな話かは、あまり分かっていなかったが。
「卯月、あんた、神鎮守府のところで艤装の構造は学んだ?」
「え、はい、まあ……少しだけですけど。最低限の整備は、できるようにって」
工作艦や整備士が主に調整するのは当然だが、さすがに単独でなにもできないのも問題だ。どの鎮守府でも一般教養として、自分の艤装のメンテナンスぐらいはできるように教育がされる。一ヶ月しかいなかった卯月も例外ではなかった。
「なら見れば分かるでしょう、ホイ」
北上は艤装に機材を取り付け、それをパソコンへ繋げる。スクリーンに卯月の艤装の内部構造が表示された。
パッと見普通の艤装だ。動力源や艦娘との接続回路、弾薬庫や妖精さんの活動領域。そして中枢であるコアブロックなどだ。
「これは?」
「良く見て、コアブロック周辺を」
「えーと、コアは」
さすがに、自分の艤装の内部構造は知っている。コアブロックもすぐ見つかった。普通の構造をしているだろうと、卯月は思っていた。
しかし、卯月の艤装は、普通では無かった。
「え、なに、これ」
研修や勉強で、戦艦や駆逐艦など、一通りの艤装は見た。ざっと学んだだけなのでうろ覚えだ。それでも異常だと分かった。
素人の卯月でも分かるのである。かなりの異常だった。
こんな機構は知らない。なんの為の装置か、内部構造も良く分からない。得体の知れない機構が、コアブロックと同化する形で内包されていたのである。
「これが、中佐の言っておられた物でありますか」
「あれ、あきつ丸さん知らなかったの?」
「当然でしょう、あきつ丸が此処に着いたのは、夕刻頃でありますよ」
彼女たちはほとんど耳に入っていない。卯月は正体不明の機構を凝視する。
直感的に分かった。この機構が、私を狂わせたのだと。
「これが、こいつが……!?」
これが、艤装でなかったのなら、卯月はすぐさま小部屋へ突撃していた。そして暴走の原因を徹底的に破壊し尽くしていた。それだけの怒りが蓄積されていた。到底理性で抑えられない、自分を壊すかのような激情だ。
しかし、艤装を壊したら、卯月は戦えなくなる。また都合良く、代えの艤装を回収できる保証もない。堕落の原因はあるのに破壊できず、卯月は唸り声を上げる他ない。拘束されているので、暴走は元々できない訳でもあるが。
「もはや分かるだろう、そう、『ブラックボックス』だ」
卯月自身の艤装を封印し、代わりに菊月の艤装を使わせていた理由が、このブラックボックスだった。
*
「全ての嘘は、このシステムを調査するためにあったものだ」
高宮中佐は、そう前置きをして語り出した。
「半年前のあの日、我々は上からの命令に従い、お前を強奪する極秘任務を負った。それと同時に、『艤装』の回収任務も命じられた。お前の解体が決まった時点で、艤装も破棄される予定だった。それを強硬手段で回収したのだ」
卯月を護送していた解体施設行きの護送車は、不知火の襲撃に合った。それより少し前に飛鷹が破棄されかけていた卯月の艤装をこっそり回収したのである。無論非合法な方法だ。しかし高宮中佐は、非合法な命令を遂行したのだ。
「どーして、卯月を……」
「その時は我々にも分からなかった、なぜズブの素人を、危険まで冒して回収しなければならないのか。第零特務隊にスカウトしなければならなかったのか。だがその答えは、艤装を調べた時に分かった」
「ブラックボックスが、あったからですか」
極論、卯月に用はなかったのだ。だが艤装を動かすには、『卯月』が必要だった。ただそれだけの話なのである。
「半年間、お前が昏睡状態の間、我々はこのブラックボックスの解析を試みた、が……」
「が?」
「正直に言うと、ほぼ分からなかった」
「オイ」
半年間かけて分からないのかよ。卯月は文句を言いそうになる。しかし、分かっていれば、今回のような暴走は防いでいた筈だ。分からなかったから、こうなってしまった。第一悪いのは『敵』だ。卯月は文句を我慢する。
「分かったことに一つは、これが一種の──それが本質なのかは分からないが──強化システムだということだ」
「強化システム?」
「卯月、はい、こっち見てー」
北上が指差す方には、艤装の稼働状態を表すデータが写っていた。出力や色々なステータスが、相対的に出されている。
片方は『作動前』、片方は『作動後』と書かれていた。
データは、『作動後』の方が全てにおいて上だった。ブラックボックスの作動前後で、艤装の出力が跳ね上がっていた。
「ブラックボックスで強化されるのは艤装だけじゃない、卯月もだったの。身体能力、反応速度、全部が……ざっとでも、3、4倍まで跳ね上がってた」
「そんな……ん、待って、そのデータはいつ取ったの」
「あ、ごめん。戦艦水鬼と戦った時にとったの」
卯月に無断でデータ収集用の機械を仕込んでいたのであった。ブラックボックスの調査のためと言われたら、文句は言えないが。卯月は若干微妙な気持ちになる。パシンと教鞭を叩き、中佐が説明を再開した。
「データを取る前から、強化システムだというところまでは分かっていた。今回ので裏付けもとれた」
「そう、でもどうやって強化されるの」
「それが問題なのだ、根本的なところは、まさにそこだ」
艦娘を強化するブラックボックス。しかしその正体は、誰が聞いても危険視するパンドラの箱だった。
「深海棲艦のエネルギーを取り込むことで、艦娘を強制的に強化するシステムだったのだ」
「なっ……!?」
「だが、それと連動して、心までもが深海の意志に呑まれる。それが、お前が暴走した原因だったのだ。もっとも、強化システムの欠陥として洗脳されるのか、洗脳の副次効果で強化されるのかは分からないが」
システムがなんなのかは分かっている。しかし作られた目的は分からない。強化のためだったのか洗脳のためだったのか。
分かっている事実は、この一つのみである。
「力不足で言葉もないが、半年間かけて分かったのはこれだけだ。いかなる手段を用いて、深海のエネルギーという不確実なものを取り込んでいるかも分からない」
「なんでなんですか、やる気あるんですか」
「卯月さん、その言い方はなんですか!」
感情がぐしゃぐしゃで、何に対しても苛立ちやすくなっている。敵でもないのに、中佐に対しても物言いがとげとげしくなってしまう。あんまりな言い方に、不知火が卯月を睨み付けたが、中佐が制止する。
「ああ、言い訳をする気はない。だが……お前が昏睡している間、このシステムは一度も起動できなかったのだ。ずっと沈黙を続けてきたせいで、内部解析が進まなかったと言う一因があるのは理解したまえ」
それでも苛立ちはあるが、卯月は中佐の言葉で引き下がった。艤装に全然詳しくないのは自分も同じだ。自分ができない癖に文句を言うのは間違っている。むしろ深海のエネルギーを取りこむと分かっただけでも御の字なのだ。
その時、卯月は、あることに気づいた。
ブラックボックスを仕込んだ誰かが、『敵』だ。それは間違いない。しかし問題がある──いったいどうすれば、
「……え、これ、どこで?」
「簡単だ、艤装をいじるのに、一番適した場所は何処だ」
卯月の顔に、ぶわっと脂汗が噴き出した。深海棲艦による攻撃だと思っていた。だが、この場合、敵の正体として可能性が高いのは。
「他の可能性もあるが、我々はこう考えている」
そしてここから、卯月と前科戦線の、真の戦いが始まるのである。
「敵は、神提督の鎮守府にいた、誰かだ」