高宮中佐の言葉に、卯月は困惑していた。
戦艦水鬼討伐任務に卯月も参加する。それは良い。しかしブラックボックスを積んだままで、出撃しろと中佐は言った。
卯月の脳裏には、水鬼に忠誠を誓う自分の姿が浮かんでいた。
間違いなく暴走するだろう。そんな命令を出す理由が分からなかった。
「あの、中佐。ブラックボックスを外して出撃することは、できないのかぴょん」
最低でもブラックボックスがなければ暴走する心配はない。随伴艦の始末をすることはできる。
「外すことはできる、だが、ダメだ」
「なんでだぴょん」
「これは、お前が寝ている間、出撃しなかった理由でもある。現在我々は、水鬼の元に到達できなくなっているのだ」
水鬼の元に、辿り着けないだって? バカな、金剛たちだけでも水鬼のところには到達できていた。なにが起きれば、そんな異常なことが起こるのだ。
「飛鷹に再度、海域調査を命令した。その結果、羅針盤の制御に、必要な『因子』が増えていることが分かった」
「増えてるって、誰かが、追加で要るってことかぴょん」
「そうだ、ルートが変化したのだ」
羅針盤の制御に関わる要因は様々だ。特定の艦種、特定の誰か、艦の速度に輸送装備に索敵能力の有無など。
ルートが変化して、今までの編成では到達できなくなったということだ。ルートを制御するための『誰か』が要るのだ。
「ん?」
中佐は、『お前が寝ている間、出撃しなかった理由』と言った。卯月は因子が誰なのか気づいた。
「まさか、うーちゃん?」
高宮中佐は、「そうだ」と頷いた。ルート制御に必要な新たな因子とは、『卯月』のことだった。
「……なんで?」
しかし、卯月にとってはまだ不可解だ。卯月と戦艦水鬼の間にはなんの縁もなかった。泊地棲姫の時とは違う。どうして自分がルート制御要員になるのか分からない。
「十中八九、ブラックボックスだろう」
「……ま、まさか、あの時、『縁』が?」
「だろうな」
「嘘だろ、まじかぴょん」
卯月は頭を抱えた、そうか、そういうことか。あの時だ、水鬼に忠誠を誓った時だ。
あの時、まるで水鬼に魂が染められていくような快楽を感じていた。その上忠誠を誓ったことで、わたしと水鬼の間に『縁』が紡がれてしまったのだ。
「忠誠と支配、それにより生まれた縁が、ルートを変えてしまったのだ」
「クソだぴょん、こんな面倒なことをするなんて、敵め!」
「そうだな、敵のせいだ」
頑なに自分のせいだとは認めない。あくまで敵が原因である。卯月はこのスタンスを変えようとはしなかった。中佐も不知火も、その姿勢にある程度の理解を示しているから、なにも言わない。
「そんな理由であるが故に、ブラックボックスを積んだ卯月でなければ、水鬼の元に到達できなくなったのだ」
「積んでないうーちゃんじゃ、ダメって訳ね」
「飛鷹の式神で実証済みだ、間違いないだろう」
それなら仕方がない、と卯月は諦めた。ただそれはそれとして、不安なことはある。
「あの、でもうーちゃん、本当に出ていいのかぴょん」
「出撃したくないのか」
「違うぴょん! 出撃はしたい、水鬼はこの手で殺したいぴょん!」
直接手を出せなくても、間接的に抹殺の手伝いができればそれで良い。泊地棲鬼の親玉という時点で万死に値する。挙句わたしを洗脳しやがったのだ。卯月の怒りは振りきれている。
「なら、なんだ」
「……また、暴走するかもしれないぴょん」
「そうだな」
正直、自信がなかった。また洗脳されるかもしれない。二度目はもう、正気に戻れないかもしれない。そうなったらまた、みんなを殺そうとする。仲間に殺意を抱いてしまうかと思うと、手が震えた。
「それについては既に結論が出ている」
「どんな?」
「むしろ好都合」
中佐のまさかの発言に、卯月は絶句した。
「ブラックボックスが作動してくれれば、データを収集できる。システムの解明により近づける」
「いや、確かにそうだけど」
「システムの解析は、極めて重要な案件だ。それはお前にも分かるだろう」
現状ブラックボックスは、『敵』へと繋がるただ一つの手掛かりだ。そもそも卯月が生きていることが想定外。システムが誰かの手に渡ることもまた、想定外だ。解析を進めれば、『敵』への手掛かりになる。また追い詰めることでリアクションを引き出せる。
卯月も、それは理解していた。ただ、それで仲間に一々襲い掛かるのはいかがなものか。
「暴走への対策も検討している。システムの解明が進めば、洗脳のデメリットそのものも解消できるかもしれん」
「……システムが解明できるまでは、システムを積んだまま出撃するってことかぴょん?」
「それしか方法がない、時間もない」
システムの解析は半年間もやってきたが、ダメだったのだ。これ以上同じ方法で調べるのは時間の無駄でしかない。
戦闘時なら、作動することがある。
作動時に解析すれば、新たに分かることがあるかもしれない。今はそれを頼りにして調べていくしかない。
「デメリット改善まで、何度も洗脳されろってことかぴょん?」
「そうなる」
「それじゃあ、うーちゃん、壊れちゃうぴょん」
一回洗脳されただけで、あのザマだ。何度も価値観をおかしくされ、正気に戻される。二度目や三度目を耐えれるとはとても思えなかった。システムの解析は重要だが、わたしが発狂するのは嫌だ。卯月は不安な顔で訴える。
「そんなことはどうでもいい」
中佐のまさかの発言に、卯月はまた絶句した。
「お前の正気よりも、システムの解析の方が重要だ。最悪お前は生きてさえいればいい。廃人でも構わん。廃人には廃人の使い道がある」
「で、でも中佐は、嘘を吐いてたぴょん。うーちゃんが壊れない為の嘘を」
「昨日の話か」
「造反を冤罪って偽ったのは、うーちゃんが、壊れないための嘘だって言ってたぴょん。なのに、今は、壊れていいのかぴょん」
矛盾しているじゃないか。壊れないために嘘を吐いたのに、今はもう、システム解明のためなら壊れていもいいだなんて。
中佐はただ淡々と、事務的に理由を説明する。
「優先順位の問題だ」
「優先順位?」
「壊れているより、壊れていない方が良い。だがシステム解明のためなら壊れても良い。システムが水鬼の前で作動した時点で、優先順位は変わったのだ」
「どういうことだぴょん」
「敵が、お前の生存を確信したということだ」
卯月の生存が、『敵』にとって想定外なのは確かである。
しかし、今までは、卯月が生存しているかどうか、敵から見ると定かではなかった。それらしき個体はいるが、システムを搭載した卯月なのかは分からない。同じ見た目の別の卯月の可能性も否定できない。反応を引き出すため、全く別の卯月を生き残りに仕立て上げていた可能性もあった。
だが、システムが作動した今では話が違う。
敵は、前科戦線の卯月が、生き残りの卯月だと確信できたことになる。そうなれば、唯一の手掛かりを始末するため、動きだすのは必然だった。
「敵は、すぐにでも追手を差し向けて来るだろう。お前が殺される可能性を考慮すれば、時間的余裕はない。火急速やかにシステム解明に尽くさねばならない」
「そういう理由ならしょうがいないぴょん」
「とは言え、壊れない方が良いのも事実。さっき言った通りできることはやる」
あくまで、中佐の目的は敵の打倒だ。卯月の救助ではない。
理由も正当性のあるものだった。どっちもできれば良いんだろうけど、この世の中はそんな都合よくできていない。優先順位を設けて、低い物を切り捨てなければいけない。
見た目は子供でも、卯月は駆逐艦『卯月』でもある。中佐の理屈は納得できるものだった。
それに、敬意もあった。
洗脳のデメリットの解除とか言うけど、本当にできる確約はない。それでも『やる』と言ったのは、強烈な負担を強いる
「ねぇ、中佐。バカバカしいけど、約束をしてもらってもいいかぴょん?」
「なんだ?」
「卯月が壊れても、絶対、絶対に、敵を殺してね」
仮に自分が死んででも、敵を倒す。この怒りを晴らす。道連れになっても構わない、死なば諸ともの精神。艦娘よりも深海棲艦に近しい感情だ。だがそれが、今の卯月を支えるのに必要なのだ。
「当然だ、約束なぞ、するまでもない」
「ははは、だからバカバカしいって言ったんだぴょん」
「私からの話は以上だ、明日にはもう出撃する。なるべく休むことだ」
「了解ぴょん」
話は終わり、卯月は執務室から退室する。
明日、わたしは洗脳せずにいられるのだろうか? 壊れても、敵は殺すと約束してくれたが、この手で殺せるなら、それに越したことはない。
「……クソ、クソッ、イライラする!」
こんな目に遭わせた敵に苛立つ、思うようにされてる自分に苛立つ。怒りが瞬く間に溢れ返り、抑えられなくなりそうだ。物でも人でも、当たり散らさないとおかしくなりそうになる。洗脳で壊れる前に、怒りで壊れるかもしれなかった。
*
高宮中佐との話を終えた卯月は、当てもなく鎮守府を彷徨っていた。あそこでじっとしていたら、無差別に暴れ回りそうだった。動いてた方がまだ気晴らしになる。凄まじい怒りを抱えながら、息を荒らげてウロウロしていた。
そんな歩き方をしていたから、周囲に一切意識が向いていなかった。やっと感情が落ち着いた頃には、夕方になっていた。
中佐と話し終わった時は昼下がりだった筈。どんだけ歩いてたんだと卯月は驚いた。なので数時間は歩いていたことになる。冷静になったことで、疲労感が押し寄せてきた。
「お腹空いたぴょん」
休めたのだろうか、これは?
散々イライラしたり、感情のふり幅が大きすぎる。肉体的には休めたが、精神的には全然休めていない。仕方ないけど。まあしょうがない。今からでも休めるだけ休んでおこう。そう考えて卯月は食堂へ向かおうとする。
「ん?」
聞き覚えのない音が聞こえて、立ち止まる。
地面を何度も踏み鳴らす音と、話し声のような音。しかし、音程があって声の感覚が規則的に並んでいる。
「歌かぴょん?」
誰かが歌っている。なんとなく物悲しいメロディーだ。いったい誰が歌っているのか。卯月は歌のする方へ向かっていく。発生源は海岸線の方のようだ。ここからも近いのは楽で良かった。
そこで、卯月が見たのは、那珂と桃の二人だった。
二人はジャージ姿で、音楽プレーヤーに合わせて汗をかきながら踊って歌っている。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
「どうしたの桃ちゃん! 動きが止まってるよ、そんなキレの悪さじゃみんな呆れちゃうけど!」
「動けるもん! まだまだ、全然平気なんだから!」
「よーし、じゃあTAKE48回目、いくよ!」
なにやってんだあいつら。明日また出撃があること忘れてんのか?
卯月は呆れながら突っ込んだ。TAKE48回目ってなんだよ、どんだけ練習してんだよ、アイドルの前にお前ら軍人だろ。
心の中のツッコミは止まないが、彼女たちは真剣そのものだった。
しかし、なぜ妙に哀しそうな曲なんだろうか。アイドルに詳しくないけど、こういう歌はあまり似合わないんじゃないだろうか。
そう考えていると、那珂と目線が合った。
那珂が硬直したことで、桃も目線の向かう先に気づく。「しまった」とでも言いたそうに、口に手をやって桃は絶句した。
「いやーっ! 見られてたー!」
「あー、まあ、ここそんな広くないから……」
「秘密にしておきたかったのにー!」
「な、なんか済まないぴょん」
本気でしょぼくれる桃に、気まずい気分になった。隠れる意味はない。卯月は二人の傍に近づいていく。
「いったいなにしてたんだぴょん」
「言っちゃって良い?」
「駄目! それは、桃から言いたい」
砂浜に凹んでいた桃は立ち上がり、真面目な顔で卯月を見た。
「あのね、桃、卯月ちゃんに歌を送りたかったの」
「……歌? 卯月に? なんで?」
話の方向性が見えてこない。なにがどうしてどうなってわたしに歌を送る話になったんだ。
「松お姉ちゃんと竹お姉ちゃん、卯月ちゃんに謝ってたでしょ」
「え、ああ、まあそうだけど」
「だから、桃も謝るべきなの。桃も結構、酷いことしちゃったから」
謝らなくて良い、騙してたのはこっちだから。卯月はそう言おうと思ったが、止めておいた。松たちと同じように、そう言っても謝ってくるだろうから。ただ、そっからどうして歌になるんだ。
「でもただ言葉で言うのは簡単でしょ、だから桃は、桃なりのやり方で、ごめんなさいって伝えようって思ったの」
「それが、歌かぴょん?」
「うん、歌は万能だから」
さっぱり理解できない、そう言いたげな卯月を見て、桃は慌てる。傍から見れば意味不明なことを言ってるのは自覚していた。そこで那珂がフォローに入る。
「卯月ちゃん、さっき歌聞いてたでしょ。悲しそうだなーって思わなかった?」
「思ったぴょん、アイドルらしくない雰囲気だなって」
「そこだよ、そこ。桃ちゃんは、自分を一番表現できる方法で、感情を伝えようとしてたの」
言われてみれば、確かにそうだった。あの悲しさは、申し訳ない気持ちや、自分への不甲斐無さ、酷い言葉を浴びせたことへの後悔──そういった全てを内包していたのだ。歌詞もそんなフレーズだった。
「不誠実って言われるかもしれないけど、桃はこれが一番得意だから……だから、那珂先輩に手伝って貰ってたの」
「明日もし水鬼を倒せれば、桃ちゃんたちはそのまま帰投だろうからねー。聞かせる機会がないって焦って他の」
「まだ未完成だから、聞かれたくなかったのにー!」
と、桃は恥ずかしそうにまた蹲った。
気持ちだけで十分、などと言う気は全くなかった。桃自身が納得できるかどうかの問題だからだ。
「……那珂ちゃん」
「ん? どしたの?」
「こんな方法も、あるのに驚いたぴょん」
謝罪と言えば、頭を下げたり文書を送ったり、そう言うのが一般的だし、常識的だ。こんな伝え方もあることに、卯月は驚いていた。
那珂は同意するように頷いたあと、笑って答えた。
「方法なんでも良いんだよ。その人らしいやり方ならなんでも」
那珂に、そんな意図は多分なかった。
しかし卯月は、自分の在り方が認められたような気分になった。敵の思い通りになるものかという、誇りを貫く在り方。謝罪ではなく、敵を倒して仇をとるやり方。
罪悪感と怒りが酷過ぎて、段々それが正しいのか自信が持てなくなっていた。
けど、正しくなくても、良いのかもしれない。このやり方が、わたしが一番納得できる在り方だから。
那珂の意図しない励ましに、卯月は救われたような気分だった。水鬼を殺すための気力を、少し取り戻すことができたようだった。
お茶会に桃だけいなかったのは、歌の練習をしてたからです。
卯月への態度がかなり軟化してますが、割と当たり前です。
全員ブラックボックスの真相を聞いた上で、悪夢を見た卯月の錯乱も知っているので……あそこまで疲弊しきった人に、これまでのような態度を貫けるかと言うと。