しかし第一章の日常パートは、これでお終いです。
桃の練習光景を意図せず見てしまった卯月。彼女なりの謝罪方法としてそのやり方を選んでくれたのは嬉しい。しかし、やり過ぎだった。時間がないとしても、出撃前夜に練習し過ぎだ。
「えー、そう?」
「そうそう、水鬼倒してからでも時間はあるぴょん。桃の気持ちは分かったし」
「むー、そーゆーなら、まあ」
不満そうにする桃をなだめ、練習を一先ず止めさせた。ただ、卯月が見た時点で、躍りも歌もほぼ完成されていたように見える。あれじゃダメだったのか。那珂に聞いてみたところ。
「アイドルに100パーセントはないんだよ」
と返された。なにも言えなかった。アイドルとは別の世界の住人らしい。
桃と別れた後、卯月と那珂は揃って食堂へ向かっていた。無論夕食のためである。
歩きながら話すのは、自然とさっきの話になる。
「いやぁ、歌って凄いもんだぴょん」
「でしょー、歌は良いよー、ダンスも良いよー、だからアイドルはとても良いものなんだよ!」
よくよく考えてみれば、歌も躍りも『卯月』の頃から知ってはいた。だけど、ただの音としてしか認識していなかった。そこに意味合いを見出だせるのは、人の特権かもしれない。
「歌ってのはねえ、全部を詰め込めるんだよ。楽しいことも、悲しみも喜びも、怒りも、全て歌にできる。だから那珂ちゃんはアイドルが好きなの!」
那珂は、わたしよりよっぽど『人らしい』のかもしれない。未だに人間のからだをエンジョイできてないわたしより、何歩も先を行っている。
だからこそ、ふとしたことに気づいた。
「そーいえば、那珂ちゃんは歌わないのかぴょん?」
曲に合わせて踊ることはあったけど、アイドルらしい活動は見たことがない。前科持ちのアイドルなんて世間一般では認められないから、今は自粛してるのだろうか。
「うん、アイドルやるのは好きだけど、そっちは趣味に留めてるんだ」
「……え、あれで?」
「ちょっとどういう意味?」
アイドルという単語に反応して発狂する様を見た卯月には信じられなかった。アイドルというかアイドル信者ということなのか。「アレ」呼ばわりされて、那珂は顔を引くつかせる。
「本業のアイドルは、他の『那珂ちゃん』がやってくれる。でもみんなと同じことやってちゃつまんないじゃない。だから那珂ちゃんは、違うことをするの」
「アイドルは全部同じじゃないかぴょん」
「那珂ちゃんは、アイドルはアイドルでも、『戦場のアイドル』を目指すことにしてるの!」
自信満々に宣言する那珂を前に、卯月はポカーンとしていた。
ちょっと、いや大分理解できない。戦場のアイドルとはなんぞや。まさかスピーカーをマシンガンで撃ち込みながらゲリラライブで走り回る訳じゃあるまいし。
「どういう意味だぴょん」
「戦場のアイドルはつまり戦場のアイドルだよ、味方にとっても敵から見てもアイドルだから戦場のアイドルになるってわけ」
「アッハイ」
聞かなきゃ良かった。心底後悔する。アイドルについて触れたらこうなるのは分かってたのに。アイドルのいう単語がゲシュタルト崩壊しそうだ。
「……本当に分かったの?」
「ももも勿論バッチグーだぴょん!」
「じゃあ水鬼倒した後テストやるね! 大丈夫赤点とっても入念に補習をしてあげるから!」
「え、いや遠慮す」
「そんなの要らないよー、那珂ちゃんと卯月ちゃんの仲じゃない!」
「誰かー! 殺されるー!」
卯月の悲鳴はどこにも届かなかった。アイドル狂信者に迂闊に関わった対価は想像以上に大きい。水鬼を倒しても更なる地獄が待ち受ける。卯月は未来に絶望していた。
*
こうなればもう、食事しか生きる楽しみがない。心底やつれた顔の卯月が食堂に入ろうとした時、突如食堂を扉が開かれた。血相を変えた仲間たちが飛び出していく。
「艤装の整備があったクマ!」
「気持ち悪いのでポーラトイレ行きます!」
「不知火は、不知火は……なんか用事がありました!」
なにが、起きた。
呆然と立ち尽くす。気付けば那珂も姿を消していた。本当になにが起こったんだ。
「よう卯月」
「た、竹?」
「ほら、こっちに座って」
竹と松が異様に親切だ。不気味な感じがする。逃げたくなったが、二人に腕を掴まれて逃げられない。二人はニッコリと微笑む。ホラー映画のワンシーンがなぜか浮かんだ。
食堂には味わい深いスパイスの香りが漂っていた。
そう、卯月は、着任早々前科持ちになったせいで、全艦娘が知るアレを知らないのである。
厨房にいたのは、飛鷹ではなかった。
「気合い! 入れて! 作りました!」
比叡カレーが、湯気を昇らせ卯月を待ち構えていた。
「アカン」
卯月の本能が生命の危機を感じとる。カレーを食べればわたしの生命はない。逃げようにも、両手を拘束されている。
「大丈夫だよ卯月ちゃん、他の比叡さんのとはだいぶ違うから」
「ああ、慣れたらすぐ旨くなる」
「ほほほ本当かぴょん、このうーちゃんは嘘が大嫌いだぴょん」
比叡カレーがいかなる現象か、卯月は知らないが、球磨たちの慌てようから、かなりヤバい物と考えられる。そうでなくとも本能が悲鳴を上げている。
「明日また出撃なので、作らせていただきました! 何故かみんな逃げましたけど!」
「あの事件の傷は癒えないネー……」
「カレーの話なんだよね?」
良く見たら、食堂の隅で飛鷹さんと満潮が死んでいた。今日を持って前科戦線ウヅキは終わりとなるのか。
卯月の前に、比叡カレーが置かれた。見た目は普通だった。だがスプーンを持つ手が震える。
「食べないんですか?」
「いや、食欲が……」
「そうですか、辛いのはダメでしたか。まあ子供の身体じゃしょうがないですね! 今甘口に変えてきま」
「このうーちゃんを舐めるなぴょん!」
しかし卯月はカレーを口に突っ込んだ。ちなみに別に比叡は煽っていない。本当に気をつかっただけである。扉の影から見ていた球磨たちが「南無阿弥陀仏」と冥福を祈る。
卯月はカレーを咀嚼し、カッと目を見開いた。
「美味しいぴょん」
「そうでしょう!」
期待を裏切るものであった。
平然とカレーを食べる卯月に、球磨たちはドタドタと倒れ込む。
球磨たちは、なんであいつらは慌ててたんだろう?
30年前の惨劇を知らない卯月は、ピュアな目で球磨たちを見下ろす。
「いやぁ! これでも元々御召艦でしたから! これぐらいできないと、『比叡』の名折れですよ!」
「うまいぴょん! でも間宮さんの方がもう少し旨かったぴょん」
「そんな!?」
「あ、いや、これもとても美味しいぴょん」
モグモグしながら、卯月は間宮の作ったカレーを思い出す。かなり辛口のピリ辛だったけど、その奥に深い味わいがあった。一口食べれば、また一口食べたくなる。美味しさに意識がとろけ、気付けば空になっていた。
ただ、そう頻繁には作ってくれなかった。金曜日限定というわけではなかったけど、毎日ではない。毎日食べても飽きない味だ。皆あの味が好きだったのを覚えている。
「なんだ……食べれるのかクマ」
「さすがに失礼だよ。いや、桃も気持ちは分かるけど」
「あれは先天性の災いと思ってましたが、改善するものなんですね」
「言いたい放題ですねぇ! いや仕方ないですけど!」
半泣きになりながら、比叡はカレーを装っていた。ホントなんなんだ、比叡カレーって。あの事件って。
知らない方が良い気がしてきた。卯月は無心でカレーを味わう。そこへ、カレーを持った不知火が目の前に座る。
「ねえ不知火、なんで飛鷹さんと満潮は死んでるぴょん」
「辛いの苦手だからですよ、あの二人。ほら、ここでカレー出たことないでしょう」
「そんな理解かぴょん!?」
前科戦線でカレーが出されない、極めてしょうもない理由である。
「そんな辛いかぴょん……」
「いえ、確かに比叡さんのは、割かし辛口だと不知火も思います」
「間宮さんの方がスパイシーだったぴょん」
本当に辛かったけど、慣れればどんどん食べれた。真に美味しい味付けとは、ああいった料理を言うのだろう。
「……また、食べたいぴょん」
ボソッと、思わず呟いてしまった。
誰にも聞かれていないだろうか、卯月は慌てて周囲を見渡す。気づいていない。相席している不知火以外は無反応だ。
「彼女たちの鎮守府に、間宮さんはいますよ」
「作ってくれるかは別問題だぴょん、うーちゃんは他人から見れば、依然造反者だぴょん」
「そうですね」
不知火はただ肯定するだけだった。希望的観測をする気も、悲観的な思い込みをする気もない。
「……神提督も確か」
「ええ、いるそうですね」
今までは再会したいと思っていた。わたしが解体されるのを阻止するため、前科戦線に送られるように取り計らってくれた──そう思っていたから。
しかし、実際は違うのだろう。神提督の証言が決定打となり、わたしは解体されることになったのだ。中佐には聞いていないが、ほぼ間違いない筈だ。
「考えても無駄なことは考えない方が良いです、食事を楽しんだ方が得ですよ」
「そうだね、うん、そうだぴょん!」
気持ちの切り替えが重要だ。感情が追いつかなくても、そう思うだけで大分違ってくる。卯月は頭を振って、カレーをもしゃもしゃと食べ始める。脳裏からは間宮の作った料理の思い出が、離れてはくれなかった。
*
カレーの晩餐が終わり、各々が寝る為の支度に入り始める。卯月も一度出て行ったが、人が出払ったのを確認して、また食堂に入る。足音に気づいた飛鷹が驚いたように振り返った。
「あれ、うーちゃんどうしたの?」
「ちょっと、相談があるぴょん」
「そう、じゃあちょっと待ってて、あと少しで片付けも終わるから」
残っていたのは拭き掃除ぐらいだった。数分とかからず作業を終わらせた飛鷹は、二人分のお茶を組んでテーブルまで持ってきた。
「はいどうぞ」
「ありがとぴょん」
「で、どうしたの?」
「実は……薬のことで」
話題が話題なので、だいぶ気まずい雰囲気になる。どんよりした顔つきで、卯月は話し始めた。
昨晩見た悪夢は、壮絶としか言いようがなかった。神鎮守府を壊滅された記憶と、水鬼に忠誠を誓った記憶を延々とループしていた。しかしそれ以上に酷かったのが、目覚めた直後の幻覚や幻聴だった。卯月は思い出すのも嫌だった。思い出した瞬間、すぐにでもフラッシュバックを起こしかねない。
だが、今夜また、悪夢を見る予感があった。結局心の傷が原因なのだ、当分は見続けることになる。悪夢にうなされ、起きれば幻覚に魘される。こんな状態では到底休むことはできない。悪夢も見ないクラスの、強力な睡眠薬が欲しかった。
「なるほどね、一応聞くけど。また悪夢を見たら服用するってのじゃ、ダメなのかしら?」
「ダメだと思うぴょん、明日出撃なんだから、今日は確実に寝たいぴょん。また悪夢を見るのは明らかだぴょん」
「それもそうね、そういう話なら、薬はあるわ」
どの鎮守府にも最低限常備されている程度の薬だが、トラウマを負った艦娘も問答無用で熟睡させる強力なものだ。卯月にも効果はあると飛鷹は見込む。ただそれでも、薬を処方するのにはためらいがあった。
「うーちゃん、この間、向精神薬を処方したじゃない。あれとの兼ね合いはどうするの」
「……あ、しまったぴょん」
「忘れないでよ。でも、睡眠薬と向精神薬と同時服用は、ヤバいんじゃない?」
強力な睡眠剤と、精神の興奮を抑制する薬のダブルパンチ。安らかに永眠する未来しか、卯月には見えなかった。向精神薬を貰ったのは、戦場でブチ切れて暴走するのを防ぐためだった。結局、システムにより暴走しているが。
「ど、どうすれば良いんだぴょん」
「うーん、服用する量の調整はわたしにはできないし。現状はどっちかを止めるってのが現実的ね」
「どっちか、かぴょん」
卯月と飛鷹は揃って首を傾げて、どちらが良いか考える。数秒後二人は眼を開いた。答えは似たようなものだった。
「まあ、睡眠剤の方よね」
「うーちゃんも同意見だぴょん」
「決定ね、今持ってくるわ」
寝なければストレスがたまる、余計キレやすくなる。しかし十分寝ていれば激昂する危険性は下がる。どちらか一方なら、良質な睡眠を確保する方が重要だ。
向精神薬の方も捨てがたいけど。水鬼との戦いでは、
飛鷹は食堂の端の戸棚の鍵を開け、薬を取り出す。錠剤の物を袋に入れて、卯月に手渡す。
「服用する量は袋に書いてあるわ、ちゃんと容量を守ってね。悪夢で寝れなくても、大量に服用するのは厳禁よ」
「分かってるぴょん、うーちゃんそんなにマヌケじゃないぴょん」
艦娘なのに、陸で、しかも自殺するとかカッコ悪すぎる。そんな死に様は御免だ。仮に死ぬとしても、わたしはカッコ良く死ぬと決めている。
「うーちゃん、無理はしないでね」
「心配してくれてるのかぴょん?」
「ええ、中佐も、不知火も。目的の方が大事だけど、その次に大事なのは貴女。中佐だってちゃんと『提督』なんだから。貴女が死ぬのを望まない人は大勢いるわ」
「……うん」
卯月は、基本開き直ったつもりでいる。
しかし感情は全く追いついていない。菊月を殺したのは事実、仲間を殺した造反者には変わりない。そんな奴に、生きる資格はない。
そう後ろ向きになってしまう感情へ、投げかけられた飛鷹の言葉。生きて良いのかと卯月の感情は戸惑いを見せた。
けれども、決して悪いものではない。
艦隊新聞小話
Q:比叡カレーってどんなのなの?
A:比叡カレーは全ての比叡が先天的に保有する異常性によって齎される、異常物体の総称です。『料理』ではありません。個体によっては料理以外の事象が発生します。主に心身への深刻なダメージ・変異、周辺環境、空間へ不可逆的影響をもたらします。
比叡本人の料理スキルの向上によって、異常性が無くなるケースはありますが稀です。指導を行う際はミーム汚染への対策を必ず実施してください。場合によっては憲兵隊の出動が要請されます。
また、『調理』のプロセスを一切挟まず、発生するケースもあります。この為完全な収容は不可能です。万一発生した場合は、直ちに基地の放棄・自爆を実施してください。
尚、比叡カレーを戦略兵器として海に投入するのは軍規で禁止されており、即座の終了措置が実施されます。
以前○○提督により投入された結果、接種したイ級が40メートル級の黒い龍型生命体へ変異。日本全土を飛翔しながら、比叡カレーのブレスを一週間に渡り放出しました。
武蔵により狩猟されましたが、大本営は壊滅寸前に陥り、空はカレー色に染まり太陽光が遮断されました。武蔵がいなければ空は永遠にカレーでした。
また、これは30年前の悲劇ではありません。
30年前の悲劇は日本だけではすまず、【アクセス権限が制限されてます】となりました。
単なるギャク回だと思いますよね?