前科戦線ウヅキ   作:鹿狼

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第60話 幻影

 再び悪夢を見る可能性を危惧した卯月は、飛鷹から睡眠薬を貰った。明日出撃なのに、体調を万全にできないのは不味い。既に薬は服用済。あとは寝るだけだ。

 それでも、悪夢を見る可能性は依然高い。薬どうこうでなんとかできるとは、あまり思えなかった。

 

 大きい不安を抱えたまま、浴場から部屋へ戻る。室内には仏頂面の満潮がいる。と思ったが、満潮以外にもう一人、来客がいた。

 

「こんばんわ、卯月さん」

 

 熊野がヒラヒラと手を降っていた。卯月と満潮のベッドの間だのスペースに、自分の布団を持ってきていた。ここで寝るつもりなのは間違いなかった。

 

「熊野? なんでうーちゃんの部屋に?」

 

 当然、熊野には熊野の部屋がある。なぜ自分の部屋で寝ないのか。卯月は尋ねる。

 

「卯月さんが、暴れた時の為の人員ですわ」

「わたしだけじゃ抑えきれないのよ。だから、手伝って貰ってるわけ、分かる?」

「うん、満潮が睦月型の腕力にさえ勝てないザコって分かったぴょん」

「水鬼に会う前に死にたかったのね」

「はいはい二人ともそこまでですわ」

 

 満潮がザコなのは事実であった。

 それはさておき、わたしが暴れた時のためか。卯月は途端に暗めの表情になる。

 

 幻覚を見た時、凄まじく暴れたのはなんとなく覚えていた。あの時は球磨に抑えて貰った。一歩遅ければ眼球をえぐりだしていた。今更ながら、恐ろしい状態だったと卯月は震える。

 

 だから、熊野がいてくれるのだ。自主的になのか、不知火とかに命令されたのか、どちらかは分からない。でも、ありがたいのに変わりはない。

 

「まあ、見ないに越したことはないんですが」

「……うん」

「その様子だと、厳しいでしょうね」

「本当に迷惑な奴」

 

 満潮の暴言にも言い返せなかった。昨晩は錯乱した叫び声で、全員を叩き起こしてしまった。さすがに二度目なら、メンタルへのダメージは少なくなると思うが。

 

「さて、明日のこともありますし、早く寝ましょう」

「そうね」

「睡眠不足で撃破スコアが減ったら、お給金が減りますし」

「……そんな理由?」

「それ以外に理由が?」

 

 前科戦線送りになっても、艦娘は艦娘だ。もう少しマシな理由で戦えよ。そう満潮は冷たい目線を向ける。熊野はニッコリ笑ってスルーした。

 

「あ、そうそう、卯月さんに朗報が」

「ぴょん?」

「卯月さんのお給金の出る日が決まったそうですわ」

「え! 本当かぴょん!」

 

 出なさすぎて誤魔化されてるんじゃないか。そう思い始めていたが、違ったのだ。高宮中佐も鬼ではなかった。卯月は途端に上機嫌になる。

 

「明後日ですわ」

 

 つまり、水鬼との戦いの翌日である。死んだら無論、一銭も出ない。

 

「……狙って?」

「でしょうね」

「クソだっぴょん! 絶対に死ぬかぴょん!」

 

 とんだ理由で死ねなくなった。システムのトラウマで壊れてもアウトである。これもわたしが壊れない為の、中佐の作戦なのだろうか? なんにせよ、割りと酷い行為には変わりなかった。

 

 

 *

 

 

 深夜、満潮も熊野の熟睡した頃。部屋の中に卯月の呻き声が聞こえ始めていた。催眠剤を飲んだ直後は効果が強かったが、服薬して数時間足らずで、効果は切れつつあった。

 

「……む、不味いですわね」

 

 即座に反応した熊野が、布団から起き上がる。

 熊野は実のところ、悪夢で起きるとは予想していた。寝れなくても問題ないように、昼間の内に寝溜めしていたのだ。

 

 ベッドのシーツを剥ぐと、卯月は苦しそうに息をしながら、汗を流して悶え苦しんでいた。

 

「さて、どうしましょう。ドックの使用許可は貰っていますが」

 

 また暴れたら、大なり小なりダメージが残る。念のためにドックを使えるようにはしておいた。それにしても、こうも簡単に使用許可がとれるとは。

 誰が見ても明らかな特別扱い。やむを得ない、現状唯一の、敵への手がかりなのだから。

 

「見るに堪えませんわね……」

 

 しかし、この苦しむ姿は悲惨である。最初から思うつもりはないが、特別扱いを微塵も羨ましいとは思えない。

 

「あ、あぁ……や、だ」

「やむを得ないですね。卯月さん、起きてください」

 

 このまま寝かせておいても、また呼吸困難を起こすだけだ。そう判断した熊野は、悪夢から目覚めさせるため、卯月をかなり強く揺さぶる。

 辛い夢を見て、覚醒寸前だったのか、卯月はあっさりと眼を覚ました。

 

「うぅ……く、まの?」

 

 トラウマを抉られた卯月は、弱々しい声で名前を呼ぶ。涙で潤んだ眼の焦点は、まだ合っていない。意識もまだ朦朧としている。しかし、熊野は警戒を緩めない。昨日と同じなら、ここからがヤバい。

 

「……ひっ!?」

 

 突然、卯月が怯えた。

 周囲に卯月が怯えるような物はなにもない。だが、なにもない虚空を見つめて、震えている。

 

「幻覚ですわ卯月さん! 落ち着いて!」

「げ、幻覚? そ、そうだ、卯月は……あ、あああッ」

「卯月さん!?」

 

 熊野の声は、少しだけ聞こえた。しかしもう、叫んでも卯月には聞こえない。熊野がなんど呼び掛けても、卯月は反応しなかった。けれど、昨晩のように錯乱し、暴走してはいない。

 

 ただ、壊れた瞳で、呻き声を上げながら、踞っていた。そのまま固まっていた。

 

「収まってはいませんね……卯月さん、聞こえてますか」

「……う……う」

「卯月さん……」

 

 幻覚を堪えているのか。熊野はそう判断した。何度呼び掛けても聞こえてる気がしない。それでも、声を掛け続ける選択しかない。

 

「大丈夫ですわ、大丈夫」

 

 無駄かもしれないが、熊野は卯月を抱きしめ、励まし続けていた。

 

 

 

 

 熊野が懸命に呼び掛けている間、卯月は必死で幻覚に堪えていた。頭を抱え、全身を蝕む幻触に耐える。耳を塞ぎ、目を閉じても、彼女たちは消えてくれない。

 

 手のひらの菊月が呟く。

 

『う 月、なんデ?」

 

 身体から生えた手足が、身体を這いずり、爪をたてて傷を作る。誰の手足かは分からない。

 

「助けて」

 

 耳を塞いでいるのに、四方からそんな声がする。「助けてよ」血を吐く音助けを「助けてって!」乞う音悲鳴の音が止まら「助けてなんでなんでなんで!!」

 

 目を閉じているのに、みんなが見える。皮膚が剥げて、手足が千切れ、砕けた頭蓋骨から脳味噌を溢した艦娘が、人間が、部屋の中にビッシリひしめいている。卯月を取り囲んでいる。満潮も熊野もいなくなった。

 

 身体のあちこちに、深海せいかんの歯や目が生えてる。かきむしったところで無駄だから、頑張って無視する。腫瘍みたいに大きくなる、気持ち悪い、吐きそうになる。

 

「よくも殺したな」「裏切り者」「死ねよ」「早く消えて」「沈め」「沈め」「沈め」声が止まらない、どんどん大きくなる。鼓膜が破れた。でも聞こえる。脳内に直接響く。

 

 生首になった菊月が見てる、全身火傷の高宮中佐が、蛆虫まみれで見てる。身体が半分消えた間宮さんが内臓を引きずって睨んでる。上から下から口の中から視線が突き刺さる。

 

 やがて卯月の身体にも蛆虫がたかる。身体がくさる。激痛が内蔵を抉る、皮膚のしたはもう虫まみれだ。植え付けられたたまごが孵化して、にくがくわれる。

 

 みんながからだをちぎる、てあし、が、消えた。内蔵をひきずりだされた。狂いそうに、なる、いたい、はきそう、だ。なのに、まだ、なきごえが、止まらない。『あ゛あ゛あ゛あ゛止めて狂う狂う狂うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ誰の声かわからない゛あ゛あ゛あ゛あ゛絶叫だで悲鳴でむねんのさけびあ゛あ゛あ゛消えるわたしが消えるこわれるあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』止まらない止まらない止まらない。

 

 もはや、五感の全てが狂い果てていた。

 

 昨晩見たものよりも、幻覚は悪化していた。

 

 幻覚だけではない。幻聴、幻触。卯月はそれら全てに、同時に襲われていたのだ。

 

 それでも、卯月は自分を見失わず、ギリギリの崖っぷちで堪えていた。

 

 幻聴でなにも聴こえなくなる寸前、熊野の声が聞こえていたのだ。それで思い出せた、これは『幻覚』だと。

 

 全ては幻だ。卯月はそれだけを頼りに耐える。だから錯乱せず、絶叫せずに済んでいた。

 

 しかし、狂った五感はこれが現実だと金切り声で主張する。痛みも、突き刺さる視線も、蛆虫にたかられる痒みも、卯月にとってはすべて『現実』のそれだ。

 

 いったい、いつ終わるのか。気が遠くなり、狂気に心の全てが蝕まれようとする。狂気のみならず、誰も感じられない孤独が襲う。

 実際は熊野と満潮がいるのだが、幻覚と幻聴で分からなくなっている。

 

 それでも、耐える。堪えるための最後の一線は、やはり卯月自身の報復心だった。

 ここで壊れたら、水鬼を殺せなくなる。仇をうてなくなる。だから壊れてはいけない。

 

 だから、お願いだ、消えてくれ。

 

 強く祈ったその時、幻聴が消えた。

 

 

 

 

 恐る恐る、卯月は顔を上げる。皮膚が焼けただれた仲間はいない。骨や内臓をひきずった人間はいない。先程まで、足の踏み場もないほどひしめいていた幻たちは、消え失せていた。

 

 ようやく卯月は、正常な感覚を取り戻した。室内にいるのが、熊野と満潮だけだと気づく。あれはやはり、幻だったんだと、やっと安心できた。

 

「卯月さん、ご機嫌は?」

「……最悪だぴょん」

「お疲れさまですわ、戻ってきてくれて、熊野も安心しました」

 

 熊野はずっと、卯月を抱き締めていた。震えを止め、安心させるために。なので今もまだ、抱き締められたままである。途端に恥ずかしくなり、熊野の手を退けようとする。

 

 しかし、手にまったく力が入らない。身体が上手く動かず、かなりの疲労がのし掛かっている。挙げ句、まだ震えていた。幻の恐怖はまだ抜けていない。

 

「……あー、ダメだぴょん」

 

 色々考える余力さえない。卯月は疲弊した心が求めるまま、熊野の胸元に身を預けた。

 熊野は少し驚いたが、振り払おうとはせず、そのまま抱き締める。

 

「どれぐらい?」

「……震えなくなるまで」

「分かりましたわ」

 

 壮絶。そう呼ぶ他ない幻に、卯月の心はボロボロだ。とにかく何でもいい。誰かの温もりを求めずにはいられない。卯月は胸に顔を埋めて、体温を感じていく。

 

 熊野もまた、慰めてあげようと、卯月の頭をゆっくりと撫でていた。

 自分のためという、利己的な理由はある。だが、それを抜きにしても、卯月には落ち着いて貰いたかった。

 

 顔を埋めてるので、卯月の表情は分からない。ただ頭を撫でる度に、小さな嗚咽が溢れる。

 

「我慢は、良くないですわよ?」

「……うーちゃん我慢してないぴょん、なにも、辛くなんてないぴょん」

「あら、そうですか」

 

 なわけないでしょ。熊野には分かっていた。だが感情を溢れされる真似は、卯月のプライドが許さない。

 人のことは言えないが、中々面倒な性格だ。しかし我慢は良くない。熊野はゴホンと、咳払いをする。

 

「満潮さんは寝てますわ、この熊野も、ちょっとこのまま寝ますので……なにも、聞こえないということですわ」

 

 卯月の震えが止まった。

 

「……ウソついてないぴょん?」

「嘘はつかないと約束したのをお忘れでは? この熊野、約束には誠実ですの」

「……そーいや、そうだったぴょん」

「では、お休みなさいまし」

 

 着任直後のやり取りを、卯月は思い出す。

 気をつかってくれてるのが痛いほど分かった。プライド優先のめんどくさい思想ばかりに、こんなことをさせている。

 

 けれども、限界はとうに越えていた。

 錯乱して泣いたが、正気のまま、感情を溢れさせたことは、まだ一度もしていなかった。

 熊野の優しさが、温かさが、心を解いていく。

 

「うっ……うぁ、ぁぁぁ……」

 

 前科戦線に来てから、二度目の落涙。怒りも悲しみも後悔も自責も、すべてがひっくるめて、涙とともに溢れ落ちていく。その声を聞いている者は、誰もいなかった。

 

 

「……バカ卯月」

 

 

 実は起きていた満潮も含めて。

 

 

 *

 

 

 散々泣き腫らした後、卯月はよろよろと廊下を歩いていた。約束通り熊野は寝たまま、一切動かなかった。まあ、実際は起きているんだろうけど。

 

 満潮は……起きていたのだろうか? まあ、あいつはどっちでも良い。聞かれていたとしても、特段なんとも思わない。そんなことより、シャワーを浴びたい。

 

 壮絶な幻のせいで、身体中が汗まみれだった。これで寝たら汗臭くなる。それは乙女的にアウトなのだ。寝るにしても、汗を流してからだった。

 

 お風呂の扉に手をかけ、さあ入ろうと卯月は戸をひく。

 

 瞬間、戸の隙間から、真っ白な手が現れ、卯月の手をガシッとわしづかんだ。

 

「ギャア!」

「こんな夜更けになにをしてるでありますか!」

「って、てめぇかぴょん!?」

 

 なんということはない。バスタオルをまいたあきつ丸であった。心臓が飛び出て死ぬかと思った。腰を抜かした卯月は、へなへなと地面に崩れる。

 

「いやはや、足音が聞こえたもので、つい扉を開けてしまいました。とても良い反応で、あきつ丸は大変愉悦であります」

「ざっけんなぴょん。第一こんな時間になにしてんだぴょん」

「風呂でありますが」

「それは分かるぴょん」

 

 ホカホカ湯気を立たせてれば、風呂上がりとは分かる。ただこんな時間に風呂のいうのが不思議だった。仕事が忙しかったのだろうか? その予想は、概ね当たっていた。

 

「ああ、もう部隊に帰るのでありますよ」

「……え、こんな時間に?」

「此処の位置は基本秘蔵ですから、夜に外へ出る方が、足がつかないのです。で、それならシャワーだけでも浴びていけと、中佐殿が進めてくださったのです」

 

 それにしてもこの時間から戻って仕事とは。高宮中佐だけではない。憲兵隊も『敵』の特定に全力を出しているのが感じられた。わたしのためとかではないだろうが。

 

「同じ敵を追う身、生きていれば、また会えることもあるでしょう」

 

 卯月は微妙な表情を浮かべた。

 こいつと再会かぁ……素直に喜べなかった。いや、死に別れるよりマシだけども。

 

「このあきつ丸、卯月殿の復讐を応援してるでありますよ」

「そりゃどうもぴょん」

 

 拷問マニア(疑惑)の危険人物と話すことはない。入れ替わりに風呂場へ入ろうとする。

 だが、あきつ丸は言う。

 

「しかしそれでは、復讐は叶わないでしょう」

 

 まさかの一言に、卯月の怒りは突沸しかけた。しかしあきつ丸は、気にせずに告げた。

 

 

「怒りが、足りない」

 

 

 どういう意味だ。

 だが、振り返った時、あきつ丸は消えていた。もう影も形もなかった。

 残された卯月は、呆然とする。

 

 怒りが、足りない?

 怒りの余り、周りが見えず暴走しそうになっているのに?

 なぜ、そんなことを言われなきゃならないのか。卯月にはまだ分からなかった。




うーちゃんの幻はパプリカの夢の中とサイレトヒルの裏世界が悪魔合体したような状態と思えば、イメージしやすいかもです。

あきつ丸のアドバイス(?)。
愉悦部的な助言なのか、それとも真面目な助言なのか。
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