悪夢と幻に苦しめられたものの、感情をぶちまけたことで、かなりスッキリできた。シャワーを浴びて二度寝をしたが、また悪夢を見ることはなく、熟睡することができた。
「……くぁ」
しかし一度起きたせいで、やや睡眠不足だ。万全ではないが、もうしょうがない。いっそこのイライラごと、水鬼にぶつけるつもりでいよう。
「水鬼……よくも、殺してやる、殺してやるっ!!」
暴力衝動が一瞬で膨れ上がった。布団をかきむしり、毛布を何度も殴り付ける。それでも足りず、手元の枕を乱雑に投げ飛ばした。枕は勢いよく飛び、満潮の顔面を直撃した。
「がはっ!?」
意識外からの攻撃に、満潮は、即覚醒した。
「イライラする……あぁっ、深海魚風情が!」
「わたしに言うことないの!?」
「苛ついてるって言ったぴょん! でもすまんぴょん! これで良いなぴょん!」
「ざけんな! 一発ビンタさせろ!」
「やってみろよ満潮!」
ちなみに熊野はもう部屋を出ていた。出撃前のおしゃれ、もとい準備で忙しい。ストッパーはいない。出撃に支障が出るので殴ったりはしないが、激しい闘いとなった。
結果、準備の時間がなくなり、二人は大慌てで食堂へ向かうことになった。
「おはよううーちゃん、満潮……え、どうしたの頬」
「なんでもないぴょん」
「なにも問題ないわ」
寝癖つき、かつ頬は赤くちょっと腫れている。お互いのビンタが直撃したダメージである。
二人は会話せず、黙々と食事を済ませ、最後の準備に取りかかる。
満潮は継ぎ接ぎのスカーフを首に巻き、自爆装置の首輪を取りつける。
卯月は形見のハチマキを髪の毛に巻き付け、気絶装置の首輪を取りつけた。
「卯月」
「なんだぴょん」
「あんたの仲間だから、確認しておくわ。『顔無し』は容赦なく沈めていいのね?」
顔無しの戦闘力は厄介だ。だが無視はできる。ハードな立ち回りになるが、無視しながらでも闘える。満潮だけではなく、前科組全員がそうだった。
「ああ、殺してくれぴょん」
卯月は、躊躇なく断言した。
「迷い、ないのね」
「あれは死体だぴょん、敵でしかないぴょん。むしろ、殺してあげるべきだぴょん」
存在自体が哀れだ。これ以上尊厳を弄ばれる前に、完璧に終わらせなければならない。
「中から回収して、サルベージできる可能性だって……」
「満潮、いいか、みんなは死んだ。殺したぴょん、うーちゃんがこの手で。サルベージだって? また、みんなの命を侮辱しろって言うのか?」
「生きてれば、それで良いとは思わないの。また新しい一歩を踏み出せるとは」
満潮の言うことは一利ある。そりゃ死ぬより生きてる方が良い。生きていれば可能性は開ける。それでも、卯月は、サルベージなんて考えられない。
「終わった物は戻らないんだぴょん」
それは不可侵領域だ。わたしたちだからこそ、一層犯してはならない禁忌なのだ。
だからこそ、正さなければならない。確実に破壊しなければならないのだ。
「ホント、あんたとは合わないわね」
「今更なにを言うかぴょん」
「それもそうね。今度は顔無しの中身を見ても、暴走しないでよ」
満潮は部屋を出ていき、工廠へ向かった。出撃の時間は迫っていた。卯月ももう出なければならない。だが彼女は不思議そうに立ち尽くす。
「顔無しの中身なんて、うーちゃん見たっけ」
顔無しが、仲間の死体を材料にしていることは認識している。しかし、どうやってそれを知ったのか、いまいち良く覚えていなかった。これは話しておくべきことなのか。卯月は戸惑いながらも、工廠へ向かった。
*
工廠にはもう、全メンバーが集結していた。出撃メンバーは前回と僅かに違う。那珂とポーラが交代だ。那珂は不満そうにしながら不知火に訴えている。
「那珂ちゃんお留守番なのー!?」
「ええ、夜戦が想定されているので」
「ならむしろ、那珂ちゃんのステージじゃん!」
「卯月さんがいるのをお忘れですか」
卯月的にも那珂の方が良かった。酔いどれのへべれけと一緒とか嫌で嫌で仕方がない。
「なにを飲みましょー、うへへへへ」
ポーラは泥酔している時が最も強い。だから酔いのタイミングを調整するため、艤装内部にワインを詰め込んでいた。クソみたいな光景だ。
だが、そんなのを気にしてる心の余裕はなかった。卯月の目線は、彼女自身の艤装へ──ブラックボックスへと向けられている。特級の爆弾を抱えたまま、行かなきゃいけない。
緊張と恐怖が入り交じり、脂汗が額に浮かぶ。心臓がバクンバクンと音を立ててうるさい。息が荒れる。
そこへ、北上が声をかけた。
「おーい、卯月」
「な、なんだぴょん」
「……大丈夫?」
「だいじょばなくても、行くしかないぴょん」
ブラックボックスを積んだ卯月がいなければ、水鬼へは到達できない。選択肢はない。
「まあ、そうだしね。一応さ、暴走への対策はやっておいたよ」
北上が手を動かすと、クレーンに載せられて、卯月の脚部艤装が運ばれてきた。
パッと見普通に見えるが、良く見ると色が違う。脚部艤装全体が、ラバーのような物でコーティングされていた。
「これは?」
「このシステムは、深海のエネルギーを取り込む機能がある。てことは、それを遮断しちゃえば良い」
「……そうすれば、洗脳されないのかぴょん」
北上は「そうだよ」と頷いた。仮説段階だが、価値観が変わってしまうのは、深海のエネルギーに呑まれるからだ。だからエネルギーを取り込まなければ、わたしは変わらずに済む。
「深海の力って言うからには、エネルギーは
なおこれらは全て、大本営が元々持っている技術である。北上はそれを応用して組み込んだ。
卯月は加工された艤装を眺めて、息を吐く。
心から安心、とまではいかないが、大分心が楽になった。あんな辛い思い、しないに越したことはない。
「でも気をつけて、外から加工してるだけだから、艤装のダメージが酷くなったら防げなくなる」
「分かった、気をつけるぴょん。ありがとう北上さん」
「良いんだよ。あたしがさっさと解析できてれば、こうはならなかったんだから」
「いや、悪いのは『敵』だぴょん。北上さんが気に病むことはなんにもないぴょん」
北上が気にするのを、卯月は止めた。そんな態度は『敵』を喜ばせるだけだ。そんなことは許されない。憎しみが止まらなくなる。だから、気にしちゃいけないのだ。
「そうだね……わたしができるのは此処まで。あとは、卯月自身が頑張るしかない」
言われずとも、分かっている。
この復讐は、わたしのものだ。怒りも憎しみもわたしだけのものだ。誰にも譲るつもりはない。
まあ、戦闘力的に、水鬼に止めを刺すことは不可能に近いけど……間接的に手伝いができれば良いことにする。
水鬼を見て、殺意が暴走しなければの話だが。いや、暴走しちゃいけない、感情を抑えなきゃいけない。
その時、あきつ丸の言葉が脳裏を過った。『怒りが足りない』と、あいつは言った。
足りたら、どうなるのか。余計暴走しやすくなるだけじゃないか。なんであきつ丸は、あんなことを言ったんだ。
よく分からない思考に陥りかけた時、高宮中佐の教鞭の音が鳴り響いた。意識が切り替わり、余計な考えが意識の外側へ追いやられる。
全員が揃っているのを確認した高宮中佐が、話し始めた。
「事前に通達してある通り、今回、駆逐艦卯月にはブラックボックスを積んだまま出撃してもらう。当然暴走のリスクは承知の上だ。だが今回は対策を行った。暴走した場合は即座に気絶装置を作動させる。破壊されるよりも前に。藤艦隊所属のお前たちは、気にすることなく戦闘に集中してほしい」
前回、卯月の暴走で作戦は大混乱になった。それを踏まえた発言だ。
「だが、今回の作戦。刺客の襲撃が想定されている。そうだ、あの襲撃の生き証人である、卯月を抹殺するための刺客だ。仮に刺客が現れた場合は、我々特務隊を殿として、撤退を行う。ただし、刺客が出現しても、水鬼は必ず撃破する。既に作戦期間の猶予はないのだ、その上で、作戦の成功を命令する」
前回組は慣れた表情で頷いた。水鬼の撃破が至上目的、金剛たちの生存はその次、前科組の優先度は最下位に位置している。卯月も文句なんて言う気はない。
要するに、死ななければ良いだけの話なのだから。
「秋津洲が外で待機している、これより、水鬼討伐作戦を開始する」
ブラックボックスの謎は残る。『敵』との闘いも続く。けど、これで一つの戦いが終わる。泊地棲鬼の一派は、戦艦水鬼の死を以て決着となる。
この怒りを、必ず思い知らせてやる。
淀んだ瞳には、あらゆる負念が渦巻き突発しつつあった。
*
コンバットタロンに乗って、飛んでいった卯月たちを、高宮中佐が執務室から眺めていた。
顔にこそ出さなかったが、内心、かなりの不安が渦巻いていた。
あらゆることが、イレギュラー過ぎる。ブラックボックスしかり、刺客の可能性しかり。
だが、これしか方法がないことは、彼自身が一番理解していた。
なにせ、半年間だ。
一定の技術力がある北上が、半年間調べて、ほとんど分からなかったのである。文字通りの『ブラックボックス』だ。
たった一つの進展が、水鬼との戦いで、システムが作動したというだけ。亀の方がまだ早い。
それでも、進展だ。
戦闘下であれば、作動する可能性が高い。卯月を戦線に出したのは、それが理由である。
作動しなくても、顔無しの露払いや、ルート固定に貢献できる。作動すれば、なお良しだ。
しかし、洗脳されるだろう。対策はしているが、焼け石に水だと、中佐は思っていた。だが、それはもはや、問題にならない。たかが一個人の精神を気にする段階は過ぎている。
壊れて、システムを作動させるだけの道具になるか。それとも『卯月』として報復を成し遂げるか。
それは、卯月次第だ。『地獄でも良い』と了承したのは、間違いなく卯月なのだから。
もっとも、これで壊れるようなら、今壊れた方が幸福に違いない。
これからの戦いは、心身ともに過酷なものになる。卯月は今のままでは生き残れない。
どう転ぶか、中佐には分からない。どちらでも構わない、どうなっても使い道はある。
正気のほうが、望ましいというだけの話だ。
「行ったか」
コンバットタロンが、完全に地平線の彼方へ消えた。最後まで見送り、緊張がほどけた高宮中佐は、不知火が淹れておいてくれた、コーヒーを口につけた。
「……ッ」
凍りついている中佐の表情筋が、激しく歪む。ゆっくりコーヒーカップを起き、こめかみを指で抑える。
口の中に残った液体を飲み干し、カップを睨む。
「なぜ、コーヒーとめんつゆを間違える……」
落ち度の化身であった。
しかも砂糖とミルクは忘れていない。もう最悪の気分である。ただこれでも、昔と比べれば、発生頻度は七割ぐらい減っている。
「中佐ー! いるー!」
挙げ句やかましいのが乱入してきた。那珂である。中佐は心底げんなりした。
「ノックはどうした」
「この那珂ちゃんはノックなんてしなくても十分存在感があるもん!」
「……そうか」
お勤めの期間をなんとか延長できないだろうか。高宮中佐は割りと真剣に、そんなことを考える。
「で、なんの用だ」
「那珂ちゃんお仕事ダメ?」
「ダメだ」
中佐は躊躇なく自室へ戻ろうとした。
「待って待って! 早いよ!?」
「お前のアイドルごっこに付き合う気はない」
「酷い!?」
しかし那珂は、中佐の裾を掴んだまま離れない。無理やり振りほどくことはできる。しかし、口内のめんつゆがやる気をかなり削ぎ落としていた。
「出撃はダメだ。説明した筈だぞ、敵襲があった場合に備えなければならない」
「そうだけどぉー」
「貴様、なぜ此処に来たのか忘れたのか?」
その一言に、那珂は顔を暗くさせた。
だがすぐに、いつもの明るい顔に戻る。
「でも、今の卯月ちゃんなら大丈夫だと思うんだけど」
「ダメだな、むしろ、今までで一番危険だ。あの精神状態は理解しているだろう」
「そんな状態で出撃命令出した人に言われた!」
那珂の突っ込みは完全に無視した。中佐は執務机に座り、資料を広げていく。あきつ丸のレポートや、一緒に寝た熊野からの報告書である。那珂は覗き見する程、非常識ではない。ブーブー言いながら、ソファーに座った。
「……まあ、お楽しみは、那珂ちゃん後に取って置く主義だから良いけど」
「お楽しみか、良くそんなことを言える」
「だって、那珂ちゃんはアイドルだからね」
アイドルが何を指示しているのか、中佐は正確に理解していた。伊達に前科戦線の責任者をやってはいない。その分、那珂の
「うふふ、感じるよー、観客さんの視線を!」
彼女の発言に、中佐は資料を読むのが止まった。
「理解しているのか?」
「何度も言わせないでよー、だって那珂ちゃんは、アイドルなんだよ?」
「……ならば、この話は」
「勿論! アイドルには秘密が付き物だからね!」
卯月たちはまだ、水鬼のところに到達していないだろう。だが、これで、一つの推測が完成される。
高宮中佐の手元に置かれた、大本営に提出する作戦資料。
そこの出撃日時は、
基地が直接襲われた時のために戦力は残していますが、基本一隻で事足ります。前科戦線は大本営からしても、かなりの重要拠点なので、位置を特定されないための術式を何重にも張っているからです。
なので、現れるのは、偶然迷い込んだ野良が数隻。一隻で十分、撃退できる範疇なのです。