秋津洲の操縦する輸送艇の中は、緊張に静まり返っていた。戦艦水鬼との決着、泊地棲鬼から始まる大規模作戦の締めくくり。金剛たち、藤提督の艦娘たちにとっては、初めてのイベント海域である。
成功しなければ、藤提督の地位に関わる。逆に成功すれば、提督の昇進も夢ではない。ある意味で運命のかかった一戦。昇進目的で戦ってるわけではないが、緊張は途切れなかった。
前科戦線メンバーも、緊張していた。だが金剛たちとは理由が違う。大規模作戦は慣れきっている。ではなぜ、緊張しているのか。
目線の先には、目を血走らせた卯月がいた。
「卯月さん……大丈夫なんですよね?」
「そんなのも分かんないのかぴょんこのバカ」
バカ呼ばわりされ、熊野の顔はひくついた。
卯月は始終、こんな状態だった。誰がみても分かるほど、苛立ちを溢れさせている。
理由は言うまでもない。戦艦水鬼だ。彼女に接近するにつれ、卯月の『怒り』は際限無しに高まっていく。それを発散できず、ストレスになっていた。
「バカがバカって言うんじゃないわよザコ」
「うるせぇぴょんカレー食えないザコの癖に」
「感情のコントロールもできないのはザコの証拠じゃないの?」
「おいおいお前鏡を見たらどうだぴょん」
その卯月にあてられ、苛立つ満潮は暴言を放つ。暴言同士の殴り会いに、周囲は辟易としていた。少しでも落ち着いて貰おうと、卯月を抱き締めていた熊野の目は死につつあった。
「冷静になってくださいな……」
うんざりした様子の熊野を見て、卯月は少しだけ冷静になる。だが、怒りは収まらない。ささくれだつ感情に、心身が振り回されている。
「くそぉ、まだ、まだつかないのかぴょん!」
『まだかもー、それとマナー違反の人には降りて貰うかもー』
「うーちゃん、秋津洲はマジよ。前ポーラがこの高度から叩き落とされたから」
理由はまあ、言うまでもない。コンバットタロン内でポーラが一切酒を飲まないのはトラウマが理由だった。
さすがに、そんな脅しを言われたら黙るしかない。怒りよりも恐怖心の方が、僅かに上回った。
「ホント、暴走して迷惑かけるのは止めてよね。ただでさえ弱いんだから」
「満潮は煽らないの」
「フンッ」
卯月は黙っているが、心の中は落ち着かない。怒りで煮えたぎっている。
それは、単に仇というだけではない。
システムにより、隷属されられた屈辱が、忘れられないからだ。
基地にいた時は、まだ気を紛らわすことができた。しかし水鬼に接近するにつれ、その記憶が呼び起こされる。心を折られ、優しく甘く、快楽で侵される悦楽が、忘れられない。
この度に、屈辱への怒りが噴き出す。そんなものに屈服した自分が許せない。
だが、また、そうなるのではないかと、恐怖もある。今度は恐怖している自分に苛立つ。
感情どころか、まるで、心がバラバラになったようだ。深い傷を更に深く抉られて、砕けそうになっている。気持ちが纏まらず、滅茶苦茶に暴れまわる。
そんな精神状態だからか、視界の端に、チラホラと幻が見えている。半透明でうっすらとだが、血と蛆にまみれた仲間が、私を覗き込んでいた。
こんなんで、水鬼に勝てるのか。
もう、なんだか、勝つとかがどうでも良くなっていた。とにかく、この怒りを叩きつけたい。
わたしはどうなっても良い、自分の命への興味がなくなる。死んでもいい、水鬼を殺せればそれ以外要らない。
死んだら、ブラックボックスが失われるが……そんなのは中佐たちの都合だ。そうだ、なんでここまで、生きることを強要されるのか。わたしの命だ、どう使おうが、わたしの自由だろ。
憎い、水鬼が憎い。
思うように復讐させてくれない、中佐たちが憎い。システムを仕込んだ『敵』が憎い。弱い自分が、なによりも憎い。全部が恨めしい、壊したくて堪らない。
だが、それで暴走するのは『卯月』のプライドが許さない。誰かに迷惑をかけたくないし、無様な姿を晒すのは嫌だ。
相反する考えがぶつかり合い、頭が痛くなる。
これで、戦艦水鬼を目の当たりにしたら、どうなってしまうのか。システムに洗脳された屈辱で、怒り易さに拍車がかかっている。暴走が目に余ったら、不知火が気絶させてくれるが、面倒をかけたくはない。
『作戦海域間もなく、降下準備開始!』
頭を抱えて苦しんでいる間に、そんな時間が経ってしまっていた。もう考えたってどうにもならない。卯月は意を決して、立ち上がる。
やる以外の道はないのだ、それを選んだのは、他ならぬ私なのだから。
『ハッチ解放、頑張ってかもー!』
眼下に広がる赤い海を見下ろし、唾を呑む。形見のハチマキを握りしめて強く思った。必ず、仇を討ってきますと。
それが、皆を殺したわたしが、唯一できることだから。
「駆逐艦、卯月、出撃っ!」
輸送艇から、卯月は真っ先に飛び降りていった。
*
水鬼により支配されている海域。だが、数度に渡る撃破で、その力はほぼ失われている。轟沈から蘇るたびに、海のエネルギーは消費されていく。ここが腸に溜めていた怨念は、残り僅か──その筈だった。
「赤い……」
前回来た時よりも、海が更に赤く、朱く、緋く染まっている。追い込んでいる筈なのに、侵食は高まっているように見える。
「簡単な話です、呼応しているんですよ、水鬼にこの海域が」
「水鬼に?」
「追い詰められ、怒り狂う水鬼に呼応し、海もまた激昂しているんです」
海と姫級は一心同体だ。身体となる海と、心臓である姫。侵食を浄化しきるまでは、依然、口の中にいることに変わりはない。逆に言えば、海を見れば姫のようすもわかる。
「そっか、死ぬ前の、最後の輝きかぴょん」
いわば断末魔、最後の足掻きなのだと、卯月は考えた。
反吐が出る、化け物なら化け物らしく、最後まで惨めに惨たらしく死ねばいいものを。
そう思うということは、つまり、この輝きを卯月は、
「敵が、辺りにいないデース」
「いま、索敵するわ」
「前来た時は、もう敵がいた気がするけど」
しかし、索敵を行っても、周囲に敵影は確認できなかった。艦載機を飛ばした飛鷹は、不思議そうに首を傾げる。松たち駆逐隊が潜水艦を疑うが、それもいない。
「水鬼のところに全員集まってるのでしょうか」
「桃のファンが押し寄せてるってことだね……こわ」
「纏めて殺せるなら楽で良いぴょん」
羅針盤を見ることなく、卯月は勝手に進みだした。
満潮は舌打ちをする。そんなことをしても、水鬼には到達できない。怒りで頭がおかしくなっているのだ。
「迷子になって死ぬわよ」
「こっちで、あってるぴょん」
それは本当なのかと、不知火に向けて振り返る。
「合っています」
羅針盤を見ながら答えた。
理由は、卯月と水鬼の縁であった。彼女たちが思う以上に、卯月と水鬼は強い縁で繋がっている。だから方向が分かった。
「うーちゃんには、分かるぴょん」
だが、卯月にも分かるということは、水鬼にも分かるということ。
「聴こえるぴょん、あいつの、足音が!」
足音が、戦場に響き始める。卯月だけじゃなく、他のメンバーも、迫り来る殺気に顔を上げる。
空気を貫く、巨大な爆発音が轟いた。
その砲撃は、卯月の髪の毛を突き破り、艦隊の目の前に着弾した。
焼けた髪の毛をたなびかせて、卯月は地平線を睨み付ける。
その姿を見た時、彼女の心はほんの一瞬だけ高鳴った。だが直ぐ様、溢れる屈辱に顔を歪ませた。高鳴る想いを否定するかの如く。怒りで心を染め上げる。
「フフフ……ソウ、態々来テクレタノネ」
「戦艦、水鬼ッ!」
現れたのは、間違いなく、戦艦水鬼だった。
ありったけの敵意を込めて、その名を呼ぶ。
水鬼の後ろから、わらわらと敵艦隊が現れる。どれもこれも、卯月の仲間を混ぜられた『顔無し』だ。
「フッー……フッー……!」
卯月は自分の胸ぐらを掴みながら、必死で暴走を堪える。暴走したって勝てないことは、頭では理解している。それでも堪えがたい。心を焦がす激情が、あいつを殺せと暴れ回っている。そんな、彼女の思いを知ってか知らずか、水鬼は挑発的に嗤う。
「ヘーイ、誰を見てるネ。貴女の相手は、私達デース!」
金剛と比叡が先頭に立ち、水鬼と卯月の間へ割り込んだ。そうすれば、卯月は突撃できなくなる。それに、戦艦と正面から戦えるのは戦艦だけ。金剛と比叡は、最初から水鬼の相手をするつもりだった。
「アッソウ」
だが水鬼は、お前らなど眼中にはないと、適当にあしらう。彼女がジッと見つめているのは、金剛の後ろで息を荒らげている卯月だった。
「私ガ用ガアルノハ、卯月ナノヨ」
「は? なんで卯月に、用があるんですか」
「決マッテルジャナイ」
比叡の問いに、水鬼は邪悪な笑みを浮かべて答えた。
「卯月ハ、私ノモノダカラヨ」
その発言に、後ろにいた卯月は戦慄と屈辱を覚えた。
「戦力的には期待できねぇぞ、こいつ」
「エエ、ソウネ。目的ハソレジャナイ。『縁』ヲ奪ウ為ヨ」
「縁、そういう目的ね」
「どういうことだぴょん、飛鷹さん!」
水鬼からすれば、卯月は取るに足らない駆逐艦の筈。なにが目的なのか、飛鷹は理解できていた。
「水鬼へ到達するには、うーちゃんが必要……戦艦水鬼は貴女を奪って、誰も自分のところへ到達できないようにするつもりよ」
「正解、ソウスレバ、私ヲ止メラレル者ハイナクナル。私ノ殺戮ハ達成サレル」
誰にも襲われない、討伐しようにも、見つけることさえできない。それは無敵に他ならない。水鬼は自分へ繋がる縁を全て手に入れ、独占しようとしている。その為に、卯月を奪おうとしていた。
「別ニ殺シテモイイノダケド、ドウセナラ、戦力ニシタ方ガ、効率的ジャナイ?」
「なにが言いたいんですか?」
「
わざわざ卯月に問いかけたのは、卯月がその答えを知ってるからだ。
そうだ、水鬼に忠誠を誓った時。泊地棲鬼に従った時。卯月が襲った艦娘は……誰も即座に反撃できなかった。仲間を即座に撃てるほど冷酷になれる艦娘は、いなかった。黙り込む卯月を見て、水鬼は満足げだ。
「冷酷ニナレルノハ少数、動揺シタ艦娘ナンテ只ノ的。ソレダケデモ、戦力ニスル価値ハアル」
「外道ですわね、反吐がでますわ」
熊野の言葉を、水鬼は一笑した。
「過程ヤ方法ナンテ、ドウデモイイノ。重要ナノハ自分ノ
重要なのは過程でも、結果でもない。根底にある『意志』と、水鬼は持論を展開した。
身勝手なことを。
なによりも、最後の一言が、卯月の理性を破壊──しかけた。
「うるせえ、そんな、見え透いた挑発に、乗る訳ねえぴょん!」
顔を真っ赤に、目を血走らせ、口から涎を垂らす様はどう見ても正気ではない。挑発に乗るのが屈辱的だから、暴走してないだけ。精神は着実に壊れていく。
「顔無しも、お前も、ここで死ぬんだよ!」
「ナラ、ヤッテミナサイ……二度目ノ、仲間殺シヲ」
「だまれぇぇぇ!」
絶叫しながら、主砲を放つ──顔無しの方に。
水鬼に撃っても、駆逐艦の攻撃ではさしたダメージにならない。顔無しの数を減らす方がマシだ。まだ、それぐらいの理性は残っていた。
「卯月に続くね! 主砲一斉射、ファイアー!」
卯月の一撃を皮切りに戦いは始まった。
降り注ぐ大量の砲撃を、顔無したちは素早く回避する。襲いかかる反撃の合間を縫って、松たちが雷撃を射し込んだ。
あわよくば、水鬼を巻き込もうとした攻撃だが、海面をひっくり返すような砲撃で破壊される。戦艦水鬼の一撃で、すべての魚雷が破壊されたのだ。
「卯月ヲ渡シテクレレバ、今回ハ見シテアゲルノダケド」
「なにバカなこと言ってやがる、死にすぎて頭が腐ったか?」
「腐ルノハ貴女達、水底デ藻屑ニ成リ果テル……魚ノ餌ニシテアゲルワ」
水鬼が小声で、指示を出した。
顔無したちは散開し、卯月の方へ襲いかかる。元仲間をぶつければ、心を揺さぶることができる。精神的に不安定な兵士は、簡単に殺せるからだ。
「チャンス、喰らえっ!」
その、指示を出した一瞬を、比叡は見逃さなかった。
魚雷の爆炎に隠れ、死角から砲撃を撃つ。威力も速度も、駆逐艦の砲撃とは比べ物にならない。
水鬼が気づいた時には、既に、主砲が腕にめりこんでいた。
だが、主砲は逆に、弾かれた。
「なっ」
「隙アリ」
動揺すると確信していた水鬼は、既に攻撃していた。爆炎を突き破って、眼前に砲弾が現れる。
比叡の生首が宙を舞う──そう思われたが、真横からの攻撃に、水鬼の砲弾は破壊された。
「大丈夫ですカ、比叡」
「だ、大丈夫です、お姉さま」
「油断はダメ、今日のあいつは、一番Dangerousデース」
主砲を弾いた水鬼の腕は、かすり傷しかついていなかった。
艤装ではなく、柔らかい生身を狙ったというのに。いくら内部骨格が鋼鉄でも、固すぎる。
「感謝シテイルワ、貴女達ガ追イ込ンデクレタカラ、私ハ『壊』ニナレタ」
深海棲艦は怨念の化身と言われている。なら、死に瀕した時こそ、更なる力を発揮できる。それは『壊』と呼ばれた。
戦艦水鬼壊は、赤黒いオーラを纏い、艦娘の前に立ち塞がる。それだけで、全身をナイフに刺されたような錯覚に陥る。足が重くなり、四肢が動かなくなる。
「強がってんじゃねえよ」
だが、威圧されながらも、竹が一歩、踏み出した。
「アラ」
興味深そうな態度に、竹は怒気を強める。
「俺たちは何度もお前を沈めてる、今更、『壊』ぐらいで怯むと思うな」
「ヒョットシテ、怒ッテルノ?」
「当たり前だ、同じ仲間が、あんな目に遭わされて、怒らねぇ訳がねぇだろ!」
金剛も、松たちも、竹と同じ思いだった。『敵』に怒っているのは卯月だけではない。皆が怒りを抱いている。人の尊厳を侮辱するようなやり方を、認めようとする者は誰一人としていなかった。
「ソウネ、竹の言う通り! 人の心を踏みにじるような
震えを抑え込み、金剛たちが再び闘志を燃やす。
戦艦水鬼はその光景を見て、金剛たちが気づかない一瞬の間、複雑そうな顔を浮かべた。
「何度デモ言ウワ。手段ナンテ、ドウデモイイ。何ヲドウ利用シヨウトモ、艦娘ヲ滅ボス。ソレガ私ノ
「だったら、その思想諸共、叩き潰します!」
「行くよ、竹、桃!」
「了解、松お姉ちゃん!」
再び砲火が交差し、爆音が海上に轟く。
これが、最後の戦いになり得るか。
重要なのは、意志か、過程か、それとも結果か。
そもそも意志とは……ゲッターとは……そうか、そうだったのか(アニメ終了によるゲッター線欠乏症)
なお、水鬼のこの思想、前回登場した時に、すこーしだけ語ってます。
戦艦水鬼改壊はいても、水鬼壊は確かいなかったので、少しオリジナルということになりますね。