第67話 発作
まどろみの中、卯月は誰かの声を聞いていた。
知らない声だ、聞いたことのない、不思議な声。それがぼんやりと、頭の中に反響する。ふわふわとしてくる。
「ねえ、どうするの、どうするのですか!?」
心の底から楽しそうだ。
「どうするのですか、どうすれば、良いのですか」
心の底から悲しそうだ。
「行こうよ! Dに憑かれた艦娘同士の戦いだよ? いったいどうなるんだろう、わたしは楽しみ!」
「行こうよ……準備なんてしてる場合じゃない。こんなの悲しいだけ……」
やかましい笑い声と、耳障りな泣き声。ほとんど同じ声をした二人の少女が、誰かを囲んで跳ねまわる。
誰かは、杖を持ち、遥か上を見上げた。
「いいや、まだだ」
「ええ!? 行きたいです主様!」
「そんな、主様」
主様──その単語で思い出すのは、秋月が言った『主』の存在。主様は冷静かつ不思議な声で、別の方へ向き直る。
「世界は『自由』でなければならない、だからこそ、鎖は磨かれる。わたしたちはそうだった」
「そうでしたね、そう、自由!」
「自由……」
「だが、鎖は繋がってなければ、鎖ではない」
卯月の意識が消える寸前、別の誰かの声が聞こえた。すすり泣きながらも、ハッキリとした言葉が響く。
「そう、人の行く末なんて、些細なことなの」
あまりにもおぼろげな意識で見た夢。その記憶は残らなかった。
*
泊地棲姫を発端とする大規模作戦は成功した。侵食されていた海は解放され、深海棲艦は生まれなくなった。
しかし、それは一時的なもの。艦娘たちが四六時中警備しなければ、やがてまた汚染される。定期的に巡回と争闘をすれば、海は守れるが、広大な海全てを網羅できるほど、艦娘はいない。
とはいえ勝利は勝利。一時的だろうが、深海棲艦の増殖を止められたことは、戦略的に大きな価値がある。作戦を成功させた藤提督は昇格が決まり、それを知った金剛たちは浮き足立つ。
だが、前科戦線は。
「報酬なし!?」
卯月の嘆きが、医務室に響く。叫びすぎて傷口が開いた。
「うぎゃぁ!?」
「バカなの?」
ベッドで悶える卯月を、冷ややかな目で見下す満潮。その態度に腹が立つが、更に傷が開きそうなので、頑張って感情を抑える。気持ちが落ち着くと、痛みがぶり返してきた。
「……いてぇぴょん」
「叫ぶからでしょ、バカなのね」
「バカバカ喧しいぴょん」
しかし言い返す気力も中々湧かない。
戦艦水鬼討伐から一週間、ずっと医務室暮らしでは、気が滅入ってしまう。いい加減出歩きたいなと、卯月は露骨なため息をつく。
「ってそうじゃない、なんで報酬がないんだぴょん。今回うーちゃんは、水鬼
採用しているところと、そうでないところとまちまちだが、戦果による報酬制を認めている鎮守府はいくつか存在している。あまりに傾倒し過ぎると、裏方の駆逐艦がなおざりになるので、大本営が認める範囲での話だ。
そこまでやらなくても、大物を仕留めた時、なんらかの良い事が用意されてる時もある。神鎮守府にいた頃、そういう話は良く聞いていた。所属人数が多いせいで、MVPのチャンスは少ないと、菊月が言っていた。
「いや、報酬なくても、戦果を上げたら、大本営からボーナスとか出るって聞いたぴょん。そっちは?」
「あんたやっぱ大バカね」
「どーゆー意味ぴょん」
「懲罰部隊が戦果上げたらダメじゃない」
数秒沈黙、目をパチクリさせた後、「あ」と卯月は気づいた。
「じゃあ、水鬼さま討伐の戦果って」
「全部金剛さんとこの鎮守府の戦果、あたしたちはゼロ」
「嘘ぴょん……」
罪を犯した償いの代わりに戦っているのだ。償いで報酬は出ない。出るとしても、最低限の対価として。戦果を上げても手柄にはならない。
普通の鎮守府のように戦果を上げて、それで名誉を受けることは許されない。それでは懲罰部隊にならないのだ。
「今更思ったんだけど、特効や羅針盤の情報を、前科戦線が集めてるってことは」
「直接関わった奴以外知らないわ」
「外の人からのうーちゃんたちの認識って」
「出撃も警備も護送もなにもしないクソ集団」
「うっそぴょん……」
懲罰部隊は嫌われ者でなくてはならない。一緒に作戦参加すると、金剛たちのように認識が変わることもある。だが、世間の大半は前科戦線を忌み嫌う。
なにをしても認められず、報われない。だからこそ懲罰部隊として成り立つのだ。
「まあ、それじゃあんまりだから、お金代わりの券が多めに配給されるわ」
「おお、つまりうーちゃんは!」
「水鬼との一戦目で裏切ったツケがなきゃ多めだったかもね」
「あぎゃー!」
なんで一戦目で洗脳を克服しなかったんだわたしは。
叫んだせいで、また傷が開く。もんどり返ってベッドで痙攣する卯月を、満潮はとても冷ややかな目で見降ろしていた。
「うう……辛いぴょん……身体も心も苦しいぴょん」
「あっそ」
「取り敢えずミチミチと離れれば元気になるかもぴょん」
「誰がミチミチよ、だったらさっさと治りなさい」
「できりゃ苦労しないぴょん」
なぜ、医務室暮らしなのかと言えば、強化システムの反動である。
神鎮守府壊滅から数えると、通算三度目の起動。それでも反動が緩和されることはなかった。
限界を越えた動きのせいで、体内は大破同然の状態。骨はひしゃげて砕け、筋繊維は無数に断裂。脳や内蔵から出血し、大動脈は破裂。
結果、入渠しても完治せず、絶対安静が命じられたのである。
「高速修復剤でもなんでも使えば良かったじゃない」
「『なぜ作戦中でもないのに、貴重な修復剤を使用しなければならないのですか』って不知火が」
「じゃ、仕方ないわね」
「良くねーぴょん」
卯月は再び、大きなため息をついた。
「あー、せっかく洗脳克服したのに」
「その度に身体がシェイクされてちゃ意味ないわね」
「ぷぅ……」
言い返すこともできない。いくら能力が数倍に強化されても、その度入渠沙汰ではどうにもならない。メリットとデメリットがプラマイゼロ。いやマイナスだ。
「ホント、なんなのかしら、
「知らないのか、はぁーあ、バカな奴だぴょん」
「じゃあんたなんか知ってんの」
「知らないけど?」
満潮が頬をつねる。全力で引っ張ってくるので千切れそうだ。「いひゃい」と卯月は言うが、抗議は受け入れて貰えなかった。
離した頃には、頬が赤く腫れ、ジンジンと痛む。涙目になりながら頬を擦る。
「でぃー……なんかの略語かしら」
「ドロップ・アビスで深海堕ちとか?」
「どう転んでも、ろくな名前じゃなさそうね」
「いや実際ろくなモノじゃないぴょん」
莫大な快楽と多幸感で頭をおかしくさせるシステムがまともである筈がない。どんだけ悪意にまみれた奴が、こんな物を作り上げたのやら。正直、考えたくもない。
「けど使いこなさないと……どーにかして、身体への反動を減らさないと」
「嘘、あんた、それまだ使う気なの」
「とーぜんぴょん」
あっけらかんとした態度、満潮は信じられないと言わんばかりに、眉をひそめる。
もし満潮が同じ立場だったら、存在を許せず艤装ごと破壊していた。敵への手がかりがなくなると理解してても、衝動的に叩き壊していただろう。命令違反だろうが構わないとさえ思った。
そんな代物を、卯月は今後も、使い続けるつもりなのだ。満潮には理解できない。
「敵への手がかりだから、バンバン使えって中佐も言ってるぴょん」
「そんなの無視すれば良いじゃない、半年かけても解析できなかった北上が無能なのが悪いのよ」
「んなこと嘆いたってムダぴょん、使って、より解析が進むなら、うーちゃんは喜んで協力するぴょん。それにどうせ使うなら、使いこなさないと」
理外の方法で洗脳は克服した。あとは身体への反動だけ。これを克服すれば、戦闘能力向上と解析がどちらもできる。結果だけ見れば、良いことずくめだ。
「うーちゃん、ただでさえ弱いんだし……」
「ならちゃんと訓練しなさいよ」
「辛くて苦しい訓練は嫌だぴょん」
楽して強くなりてぇ、と言い出す卯月を、満潮は殴りたくなった。
「それに、これを使いこなさないと、多分……勝てないぴょん」
「……秋月ね」
「水鬼さまの、仇だぴょん」
満潮の背筋にナイフが突き立てられた──と、錯覚した。
卯月の殺意が、満潮を恐怖させたのだ。
水鬼を殺されたことの憎しみは、凄まじく大きかった。俯く卯月の瞳には、黒く煌めく殺意が見える。
「その為には、こいつを使いこなさなきゃ話にならないぴょん」
「確かに……あの高角砲の威力は狂ってた」
いくら大破してるとはいえ、戦艦水鬼を発泡スチロールみたいに破壊できる威力だ。風穴だらけになった水鬼の姿を、満潮も覚えている。駆逐艦が出していい火力ではなかった。火力だけではない、他全ても異常強化されてるかもしれない。
だが、そんなことは些細な問題だ。
前科戦線の任務は常に過酷極まっている。敵が誰か不明、本拠地不明、到達条件不明で殴り込みをかけ、偵察を一回で成功させねばならない。敵が秋月と分かってるだけマシと言えばマシなのだ。
問題なのは、艦娘と戦わなければならないという一点に尽きる。
「……あ」
卯月の様子が急変する。おちゃらけてたにやけ顔が青白く染まり、目の焦点が一瞬で定まらなくなった。ガタガタと震えだし、両手で体を抱え込む。
「あ、ああ……!?」
「卯月?」
「うぁ、あ、アアアぁ!?」
虚ろな瞳で、恐怖の叫び声を上げた卯月は、衝動的にベッドの上でうずくまる。耳を塞ぎ、目を布団に押し付け、何も見えないように、聞こえないように、自分を閉じ込めた。突然の豹変に、満潮は一瞬呆気にとられる。
「って、窒息するでしょ!」
布団に顔を押し込み過ぎて、息ができなくなっている。慌てて布団から引き剥がすが、震えが収まる様子はない。むしろ、過呼吸を起こして悪化している。息苦しさに更に苦しむ卯月を抱きしめ、背中を摩る。効果があるか分からないが、これしかできない。
「止めて……来ないで……殺さないで……」
「誰もいないわよ……って、聞こえてないか」
「嫌だ……やだ……う、うう……」
目を閉じていても、瞼の裏側から幻覚が現れる。耳を塞いでも幻聴は止まない。満潮の声も温もりも、狂い果てた五感には届かない。
それは、全て幻でしかない。そう自分に言い聞かせ、独りで耐え続ける以外の方法を、卯月も満潮も知らなかった。
「哀れ、ね」
卯月は嫌いである。死んだらラッキーだと思うだろう。だが、それを踏まえても、卯月の有様は悲惨だった。
悲しみも怒りを殺意で纏めても、心の傷は消えない。仲間を喜々として手にかけた記憶は、卯月のメンタルに致命傷を与えていた。
水鬼との戦いの後、ある程度は吹っ切れたのか、悪夢を見る頻度は減った。
だが幻に襲われる頻度は全く減らなかった。
いつ、どこで、どれぐらいの幻を見るのか分からない。なにかしら切っ掛けがあれば、すぐに錯乱する。発作と言う他ない。
卯月は決して、どんな幻かは話さない。彼女のプライドが絶対に許さない。
しかしうわ言を聞いてる満潮は、だいたい察している。血塗れで、ウジ虫塗れの艦娘や人間が、呪詛を吐きながら、彼女を抉り、四肢を千切っていくのだ。
全て幻だが、見てる当人には本物だ。罪悪感と激痛で発狂しかけ、ボロボロと涙を流しながら、震えて耐えるしかない。これが悲惨でなければなんだと言うのか。
数分経った頃、卯月の震えが少し収まってきた。閉じていた目が開く。虚ろなままだが、満潮は認識できている。
「……み、みち、しお……?」
「終わったんなら、さっさと離れてちょうだい」
「……分かってる、ぴょん」
卯月は離れようとするが、身体が上手く動かせない。四肢を千切られ、内臓を貪られた幻痛を引きずっている。まだ、感覚が現実に戻れていない。満潮に身体を預けながら、戻るのを待つしかない。満潮も無理矢理引き剥がそうとはせず、自主的に離れるのを待つ。
「あんた、窒息しかけてたわよ」
「マジ、か、ぴょん。ごめんだぴょん」
「少しは気をつけてほしいものね、こんなことで死なれたらこっちが迷惑」
なんで満潮が世話をしているかと言うと、卯月が死ぬからだ。
五感全部が幻に襲われるせいで、平衡感覚も全部が狂う。その場で転倒して頭を打つぐらいならマシ。下手をすると入浴中に溺死しかねない。結果、同室だからという理由だけで、面倒を見るよう言われたのである。実際ベッドの上で窒息死しかけた。
「うー、キツイぴょん。全部敵のせいだぴょん」
ようやく落ち着いた卯月は、怒りを顕にしながら、満潮から離れる。そう言って、自分を責めないよう言い聞かせているのだと、満潮は最近気づいた。実際悪くないので、なにも言う気はないが。
「戦えんの、アンタ、そんなんで」
「分かりきってるぴょん」
「だって、相手は秋月よ。艦娘と戦う羽目になってんのよ」
艦娘を快楽目的で虐殺した卯月にとっては、トラウマを抉るような戦いになる。
しかも
「秋月と戦うことを想像しただけで、発作が起こんのよ。そんなんでできるの?」
それでトラウマを刺激したから、発作が起きたのだ。満潮にはまともに戦えるとは思えなかった。無駄なことだと知りながら。
「ふん、お前はバカかぴょん」
「はぁ?」
「やる以外の道は、ないんだぴょん」
卯月の言うことが全てだった。仮に戦わずに逃げ回ったとしても、『敵』は必ず卯月を見つけだして殺すだろう。自分へ繋がる手がかりを、放置してくれる筈がない。卯月もまた、『敵』を許すつもりはない。
「襲ってくるなら好都合、迎え撃ってやるぴょん」
「なら尚のことシステムに頼らず強くなりなさいよ、基礎戦闘能力虚無なんだから」
「めんどい」
「最低、死んで」
しかし、現状はかなり芳しくない。主に卯月のメンタル的に。秋月がどれだけの戦闘力なのか底も見えていない。戦いこそ終わったが、油断ならない緊迫が、前科戦線を支配していた。
秋月と戦うには、