大規模作戦終了に伴い、前科戦線は──表向きの話だが──長い休暇に入っていた。元々特務隊は大規模作戦をスムーズに進めるための、特効や羅針盤の調査任務を主とする。なので作戦がない時は、特にやることがない。
通常の鎮守府なら海域警備や船団護衛等があるが、それも免除されている。というか禁止されている。一般市民を護り、良い印象を抱かれてはならないからだ。よっぽどの緊急事態なら例外だが。
当然、この特別措置のおかげで、特務隊は更に嫌われている。近海で深海棲艦が出たり、輸送船団が襲われていても、近くの鎮守府に通達する程度。前科戦線はより嫌われる。嫌われることで、懲罰部隊の存在意義を達成する。
なので、前科持ちたちは各々、好き勝手に過ごしていた。部屋で延々とゴロゴロする者や、生真面目に自主訓練に勤しむもの。尚ポーラは平常運転なので普段と変わらず酒浸りである。
そして肝心の卯月はというと、ずっとベッド暮らしだった。暇で暇で死んでしまいそうだった。大きいところなら入渠施設という名のリラクゼーション施設があるが、こんな地獄にある筈もなく、頻発する発作に苦しみながら寝るだけだった。
しかし、今日はようやく変化が起きた。
「はい口開けてー」
「ぴょあー」
「はーい変な声出さないでー」
開いた卯月の口の中を、ライトで照らしながら北上が観察する。奥底まで覗き込み、ライトを消して「閉じていいよー」と言う。手に持ったカルテを一読して、「うん」と頷く。
「どこにも異常なし、一週間かかったけど、完治だよー」
「つまり自由かぴょん!」
「一応ねー、あーでも、単独行動は控えてねー」
北上の注意を受け、卯月は口を横一文字に結ぶ。この間もそうだったが、幻に襲われる発作はまるで予測不能だ。精神的に緩んだり、ショックを受けると起きやすいが、なにもない時でも起きることもある。
ただ、単独行動が駄目ということは、常に
「満潮以外がついてくれないのかぴょん」
「その質問何度したのさ。ダメだよムリだよ不可能だよー、中佐が許可する筈ないでしょー」
「おのれぇぇぇぇ」
同じ部屋だから連帯責任。軍隊じゃ良くあるシステムだ。だからってメンタルケアまで連帯義務にすることないだろ。卯月は嘆くが、結局どうしようもない。延々とため息を連射するほかなかった。
「吐きそう」
「そりゃこっちのセリフよ」
「げぇ、満潮!?」
卯月の診察を待っていた満潮はなぜか、卯月の背後に立っていた。あまりの衝撃に心臓が飛び出そうになった。なんて酷いやつだ、わたしをショック死させるつもりに違いない。卯月は両手を振り回し憤慨する。
「うーちゃんを殺す気かぴょん、人殺し!」
「アンタが言えたセリフ!?」
「ぐあ、満潮のせいで、発作が!?」
「死んでろ!」
「ここで騒がないでくれない?」
北上の冷めきった一言が、ナイフのように突きつけられた。二人は揃って背筋を伸ばす。視線はお互いを睨んでいた。
「で、満潮は?」
「待ちくたびれたのよ」
「じゃあもう直ぐ終わりだよー……ただ、ちょっと、一言だけ」
義足をカチカチ打ち鳴らし、カルテを机に置く。
ゆるゆるとした雰囲気が消えた。妙にシリアスな口調で、まっすぐに卯月を見つめる。卯月も満潮も、不思議そうな顔で首を傾げた。
「戦艦水鬼との戦いで、システム解明はまた進んだ。洗脳機構の解除もなんとかなりそう」
「おお、マジかぴょん、ありがとぴょん」
「だから、『殺意』を使うのは、控えた方が良いよ」
彼女の一言に卯月は固まる。北上が殺意という単語を使ったからだ。
「洗脳を打ち破るためには、しょーがないってのは理解けど、それはかなり危ない力だからね。頼るのは完全にアウト、やむを得ない時だけにしなきゃ」
「……そうなのかぴょん?」
「理性も感情も全部殺意になるような精神状態だよ、まともな訳ないじゃん」
感情から意志が生まれる。その意志をなんとしてでも遂行する境地──と言えば聞こえは良いが、言い換えれば、それ以外何も見えない状態とも言える。他人が見えないどころか、自分さえ見えなくなる危険がある。
「手段と目的が入れ替わったらおしまいだよ、気をつけなー」
「うん、でも……」
「ん?」
「北上さん、なんでそんな詳しいぴょん?」
「知り合いにいるから、そういう奴が」
いるってのはつまり、完全なる殺意を備えた艦娘という意味だ。
「いるのかぴょん」
「いるのだよ」
「そっかぁ、いるのかぴょん」
完全なる殺意は特別なものではなかったのだ。多くはないが、同じ境地に行きついてしまう個体は、確かに確認されている。北上の言う知り合いもその一人だ。
「完全なのかは、分かんないけど」
「どういう意味ぴょん」
「……完全ってことは、とても不安定ってこと。さ、私も暇じゃないからねー、出てけ出てけー」
追いやられるような感じで、卯月と満潮は工廠から出されてしまった。二人して棒立ちになった後、お互い向き合う。
「誤魔化されたぴょん」
「誤魔化してたわね」
「なんで?」
「知るわけないでしょ、知り合いに嫌な思い出でもあるんじゃないの?」
知り合いの話題の時、北上は少し俯き気味だった。その誰かは殺意を制御できず、暴走したのかもしれない。警告したようななにかが起きたのかもしれない。
そんな光景を二度も見たくないから、卯月へ忠告したのだろうか。真意は分からない。だが、納得できる話だった。北上の言葉には説得力があった。
「満潮は、深海棲艦殺すの楽しい?」
「あんたと一緒にいるよか楽しいけど……まあ、楽しくはない。ウザいだけよあんな化け物」
「……うーちゃんは、どうだろ」
現状、深海棲艦への感情は、怨念1000パーセントである。そこに快楽が入り込む余地はない。とにかく憎い、とにかくさっさと死んでほしい。特にシステムを組み込みやがった連中は臓物ぶちまけて欲しい。
だが憎悪が、なにかをトリガーに、楽しい殺戮に変異する可能性を否定できない。自覚さえできず、カッコ悪い化け物へ壊れてしまう。この殺意はそういう側面もあるのだ。
完全であるが故に、些細なことで瓦解する。目的を失った殺意なんて、深海棲艦と同族だ。
「大丈夫よ、卯月」
不安げな卯月の肩を、優しい笑顔の満潮が叩く。
「ミッチー……」
「そうなったらあらゆる理由にかこつけて紅葉おろしにして溶鉱炉へ叩き落とすから」
「遺体も残さねえ気かぴょん!」
「嫌ならそんなクソくだらない悩みをやめて、鬱陶しいから」
「酷い、もっと優しみを」
「そんな態度を私がしたら、アンタどうすんの」
「生理的嫌悪で吐くぴょん」
心の底から侮蔑して、満潮は立ち去ろうとする。単独行動が許されない卯月はついていく他ない。大声で叫びながら、卯月は追いかける。
「待つぴょん、まだ用事が!」
「なによ」
「松や金剛たちの所に行きたいんだぴょん!」
「はぁー……さっさとしてよ……わたし自主練したいんだから」
Uターンし、二人揃って歩きながら、卯月は思い直す。
満潮の言う通りなのはシャクだが、その通りだ。起きてもいないことで不安になってどうする。
それにわたしは、カッコ良く在りたいのだ。それを忘れなければ、殺意に狂うことなど早々ない。あんだけ大口叩いて発狂したら、水鬼さまに会わせる顔がない。
警告そのものは胸に刻み、いらない不安は一旦忘れる。北上の忠告はちゃんと覚えて意識する。それで良いのだ。
卯月は一先ず、そう割りきることに決めた。
*
大規模作戦が完了しても、金剛たちはまだ前科戦線にいた。それにはやや厄介な理由が絡んでいる。しかし、目的を持つ卯月にとっては好都合だった。若干フラフラしながら、金剛たちに割り当てられた私室をノックする。
「金剛、いるかぴょーん」
『いるデース、卯月ですカ?』
「入るぴょん」
扉を開くと、金剛と比叡が二人でティータイムをしていた。室内を見渡すが松姉妹はいない。別の場所にいるのだ。
「どうかしたんですか?」
「いや、松たちもいれば、好都合だったんだけど」
「松シスターズなら、工廠で艤装を
「ああ、もうすぐ帰投だもんねアンタたち」
帰投となれば、基本的に海上経由の可能性が高い。前科戦線の場合は基地の秘匿のため、陸路や空路のケースもあるが、普通の鎮守府でそれは稀だ。
「満潮、それマジかぴょん」
「マジよ、不知火に聞いたもの、知らないの? バカなの?」
「こっちゃ寝たきりだぴょん!」
寝っぱなしでどう情報を仕入れろというのか。バカにしてくる満潮の顔面を殴りたくなるが、そこまでの気力が湧かない。なんなら、立って動いているのも結構辛い。
その原因に、金剛は気づいてしまう。
「卯月、
図星である。しかし気づいて欲しくなかった。卯月は気まずそうに顔を伏せる。
ここに来る途中で、卯月はまた発作に見舞われていた。平衡感覚を失い、壁に頭をぶつけるところだった。何とか復帰したものの、ショックで体が疲れていた。
「ぷっぷくぷー」
「誤魔化すの下手すぎない……?」
「嘘嫌いだぴょん」
嘘は嫌いだから言えない。だが言うのも嫌だ。結果黙るか妙な誤魔化し方しかできない。実質『発作起こしました』と言ってるようなものだが。
「余り我慢しちゃダメデース」
「そうですよ、たまには気持ちをドバーってださないと。比叡もたまに、お姉さまに思いっ切り甘えますし!」
「そうネー、私もそろそろ、テートクとバーニングラブしたいネ」
途端に甘ったるい空気になった。卯月は無表情だが隣の満潮がヤバい。「チィッ!」って露骨に不機嫌になっている。
ただそうは言っても、あまり露骨に感情を出したくない。ダメとまでは言わないが、余りカッコ良い姿じゃないからだ。
「あー、うん、たまにはそーするぴょん」
「
「……うん、ありがとぴょん」
金剛の言う通り、溜め込み過ぎる気はない。壊れてしまって復讐できないのは嫌だ。そんなに我慢するのは返って無様だ。
「ああ、話を遮ってごめんネ。松たちに用事だったネ」
「いや、金剛さんたちにも用事ぴょん」
「どうかしたんですか?」
卯月はとても気まずい気持ちになる。恥ずかしさもある。しかしやらなければならない。有耶無耶にして終わらせたら後悔する。だから来たのだ。
背筋を伸ばし、足を揃え、真っ直ぐ金剛と比叡を見る。そして頭を深く下げて、大声で告げた。
「ごめんなさい!」
紛れもなく、謝罪だった。
水鬼との一戦目の時、システムに洗脳され、彼女たちを殺そうとした。卯月はそれについて、初めて謝った。
卯月は頭を下げたままピクリとも動かない。金剛か比叡が言葉を出さない限り、永遠にこの状態を維持するつもりだった。
「どういう、心変わり?」
金剛は不思議そうに首を傾げる。卯月は自分が悪いとは認めないと思っていた。
悪いのは洗脳した奴、わたしは悪くない。だから誰にも謝ったりしない。始めて悪夢を見た時のうわごとを、金剛たちも覚えていた。だが卯月は目の前で謝罪していた。
「あの一件が卯月の意志じゃないのは、承知してますが」
「それはそう、うーちゃんは無罪だぴょん。悪いのは敵、それは変わんないぴょん」
「ならどうして?」
比叡の質問に、顔を上げて答える。
「フェアじゃないから」
「……フェア?」
「みんながごめんって言うのに、うーちゃんが言わないのは……なんか嫌だぴょん」
「ごめんって……卯月が冤罪とは知らず、酷い態度だったことを、謝ったアレですか?」
コクリと頷く卯月。アレかと二人は思い出す。
「みんな、うーちゃんに謝ってくれたぴょん。でも、本当なら謝る必要なんてなかった」
「いや、深く知ろうともしなかったのは比叡ですし」
「ううん、冤罪なのを隠してるのはこっちの方、知らないのは当然だぴょん。だから悪くない……なのにごめんって。根本的に悪くないのは同じなのにうーちゃんは謝んない。それは気持ち悪い感じがするぴょん」
水鬼との戦いを通じ、トラウマのショックや自責の思い、憎悪でいっぱいだった感情が、殺意に収束された。
落ち着いた気持ちで考え直してみたら、こちらが謝罪しないのに向こうだけ一方的に頭を下げることは、とてもみっともなく思えたのだ。
「今更だけど、ごめんぴょん」
「卯月ってさ、思ったより、めんどくさい性格だね」
「ぴょ!?」
呆れる比叡に卯月は絶句する。
めんどい?
めんどくさい!?
本気の謝罪に対しても感想がめんどくさいとは、どういう了見だ。
「ですから、気にしなくて良いって、言ってるじゃないですか」
比叡は立ち上がり、卯月の頭をポンポン叩いた。痛くない、なでるような優しい叩き方に恥ずかしい気分になる。
「比叡は気にしてません。それでこの話は終わりです」
「でも、フェアじゃ」
「良いんですよそんな細かいトコ気にしないで! 昔とは違って、卯月は今、見た目相応の子供なんですから!」
「や、やめろ、わしゃわしゃすんなぴょん!」
恥ずかしい上に照れくさい。抵抗するものの駆逐艦のパワーでは戦艦に勝てない。なすがまま、卯月は存分に頭を撫でられる。
「松や竹も、桃も同じデース。気にしてない筈ネー」
「これから更にキッツイ戦いになるんですから、余計なことは気負わないで。当人が良いって言ってるんだから」
「ぴょん……」
けど、それではプライドが許さないから、松姉妹にも謝りにいくつもりだ。だとしても金剛や比叡の言葉は、ボロボロになった卯月を慰めてくれた。
今はそうでなければならない。
これから、もっとボロボロになるのだから。