前科戦線ウヅキ   作:鹿狼

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第7話 リハビリ

 飛鷹さんのところで朝ごはんを食べたあとは、リハビリの訓練をすることになった。付き合ってくれるのは不知火でも飛鷹さんでもなく、球磨という前科持ちの艦娘だった。

 

「リハビリだけど、急ピッチでやるクマ」

「のんびりは駄目ぴょん?」

「駄目クマ。この前科戦線はとっても戦力が少ないから、遊ばせておく余裕はまったくないクマ」

 

 コロコロと車椅子を押す彼女を、卯月は振り返って見つめる。

 なんか、やはりアホ毛が特徴的だ。ジグザグに折れ曲がった毛ってだけでも目立つが、明らかになんか動いている。

 

「どうしたクマ」

「いや、べつに……」

「クマ?」

 

 なお、クマという語尾についてはまったく気にならない。わたしだってぴょんぴょん言ってるんだし、お互い様というやつだ。

 

「ついたクマ」

 

 そう言って球磨は車椅子を止める。

 ついたのは海の見える砂浜だった。基地の一部が海に隣接しているのだ。

 ほんとうに広い海だ、島影の一つも確認できない。

 

「ここで、リハビリをするのかぴょん?」

「そうだクマ、まずは自力で立つんだクマ」

「えー、立つって言っても」

 

 昨日まで昏睡状態だったわたしが、そんな簡単に立てる訳がない。だからずっと車椅子に座っていると言うのに。

 

「効いてきているはずだクマ、いいから一度立ってみるクマ」

 

 効いているって、なんのことだろう?

 首を傾げながらも、卯月は足に力を込め、手を支えに体を起こそうとする。

 

「あ、立てた」

 

 すると、拍子抜けする程あっさり立てた。

 半年間動かしてなかった分、衰えていると思っていたんだが、筋肉的な劣化は全然なかった。

 

「さっき風呂に入ったクマ、あれには微量の修復剤が入っているクマ」

「入渠に使う薬品ぴょん?」

「そう、微量じゃ怪我は治せないけど、疲労回復とかにはなるクマ。劣化しか筋肉もそれで回復したクマ」

「なるほど、つまりうーちゃんは完全復活! リハビリなんていらなかったってこ」

 

 走り出した卯月は即座に転んだ。

 顔面から砂浜に突っ込んだ。

 顔の皮がむけた。あと目に砂も入った。

 

「あ゛ーっ!」

「体を動かす感覚は戻らないから、それは訓練するしかないクマ。筋肉もあるていど回復しただクマ。じゃあ始めるクマ」

「ま゛って、痛いびょん」

「待たないクマ」

 

 クマクマ言っているが、彼女は容赦なかった。

 顔に乱雑に消毒液をぶっかけられて、本気で泣きそうになる。完全復活なんて言ったのはどいつだ、嘘つきめ!

 

「やることは簡単、走り込みクマ」

「走り込み」

「そうだクマ、とにかく走るクマ。体力を完全に戻して、動かし方を思い出すには一番手っ取り早いクマ」

 

 ランニングは確かに簡単だ。複雑な動きはしないし、体全体を動かせる。筋肉から肺まで全部使える。

 しかも、ペースも調整できる。専門家じゃないから合ってるか分からないけど、良い訓練だと思った。

 

「ただしこれをつけるクマ」

 

 ペイって感じで手渡されたのは、マスクだった。

 

「……健康に気をつけろと?」

「つけるクマ」

「無駄口叩くなって意味ぴょん?」

「つけるクマ」

 

 激烈に嫌な予感がする。しかしつけない選択肢はない。わたしは一応軍人。上官(先輩)には逆らえないのだ。

 

 卯月は言われるがままにマスクをつけた。

 次の瞬間、球磨が海水入りのバケツを卯月に投げつけた。

 卯月は頭から海水を浴びた。

 

「なにすんだぴょん!?」

 

 全身がベタベタする。服が水を吸って重い。

 なにより、マスクが水を吸ってしまい、息をするのがかなりキツくなってしまった。

 

「これで走るクマ」

「……え?」

「この、濡れマスクをつけた状態で、一定のペースで走り続けるクマ」

「……どれぐらい?」

「球磨は『走れ』と言ったクマ、何度も何度も疑問文で話しかけるなクマ。急ピッチでやるとは言ったクマ。はい開始!」

 

 球磨がパンを手をならす。卯月は否応なく走り出した。

 しかし、限界はすぐに訪れた。

 体力ではなく、呼吸の方の限界が。

 

 当たり前だ。濡れマスクがヤバイ。ベッタリと肌に張り付いたせいで、まともに息ができないのだ。

 

 呼吸ができなければ体力が持たなくなる。卯月の走るペースはどんどん遅くなっていった。

 だが、球磨は最初に言った。

 一定のペースで走り続けるクマと。

 

「遅いクマ」

 

 卯月の背中に、激痛が走る。

 どっから取ってきたのか、まさしく精神注入棒が握られている。

 クマはもう一度、それをフルスイングで叩き込んだ。

 

「ッッッ!?」

 

 肺の底、腹の底から空気が無理やり押し出される。一瞬視界が真っ黒になった。

 

「ペースを緩めるなクマ、走るクマ」

 

 これは不味い。リハビリと油断している場合ではない。

 死ぬ。

 本気で、死力を振り絞らないと死んでしまう。

 

 球磨は再び棒を振りかぶる。

 卯月は必死で飛び上がる。息なんて吸えてない。足だけ動かしている。

 

 しかし、まともに走ることもできなかった。

 砂浜に足をとられ、すぐに転んでしまう。咄嗟に手を出すのもできない。

 体がうまく動かせない。半年も寝てたせいだ。また顔から突っ込んだ。

 

 その度にまた、息が漏れ出してしまう。

 呼吸も水浸しのマスクのせいでできない。だが寝てたら球磨に殴られる。息ができなくても動く他ない。

 

 また無理矢理立ち上がり、足を前に動かそうとする。

 

「あっ……」

 

 瞬間、目の前が真っ暗になった。

 酸欠だ。息を止めながら激しく動き回ったようなもの。すぐに限界が訪れた。

 

 視界だけじゃなく、四肢の感覚が抜け落ちていく。あっという間に卯月は意識を失った。

 しかし球磨は容赦などしなかった。

 

「休んでいいとは言ってないクマ」

「──ッ!?」

 

 倒れ込んだお腹に向けて、またフルスイングで棒が打ち込まれた。

 もはや言葉にならない。

 尋常ではない激痛と苦痛に、卯月の意識は力業で戻される。

 

「まだ数メートルしか走ってないクマ、徹夜でマラソンする気かクマ?」

「し、しぬぴょん、しんでしまうぴょん」

「大丈夫クマ、死ぬかどうかの瀬戸際になるけど、死なないようにするクマ」

 

 球磨は笑顔だった。

 クマクマ言っていなければ、超がつく美少女である。さながら天使のようだ。現に卯月をあの世へ連れていこうとしている。あの世への案内人だ。

 

「と言う訳で再開クマ」

「死んだわわたし」

 

 いや死神だった。

 しかし殴られるのは嫌だ。卯月は半泣きで走り出す。流れた涙のせいで、マスクが更に濡れて呼吸し辛くなる。

 

 お腹に過剰な力を入れて、まるでポンプのように無理矢理息を吸っていく。

 喉から肺からお腹まで、全てを使いながら同時に体も動かす。がむしゃらにはできない。意識しながら走らないとどっかでミスる。

 

 呼吸に集中してたら転ぶし、走るのに集中したら息ができなくなる。

 限界を超えた動きのせいで、何度も何度視界がブラックアウトする。息を吸う度に肺を激痛が襲う。

 

 意識を失っても、訓練は終わらない。

 その度に叩かれるか、水をぶっかけられる。絶対死ぬだろこれ。そう愚痴る余力もなくなっていく。

 

「……さすがに限界かクマ?」

 

 球磨がそう呟くのが遠くで聞こえた。

 耳も遠くなっている。本格的にヤバイところだった。

 どうせまた走るだろうけど、これで一休みはできそうだ。砂浜にぶっ倒れながら、卯月はそう思った。

 

 しかし、ふと目線を感じた。

 

 基地の方から、誰かがわたしを見ている。

 かなり遠くだが、艦娘が二人、わたしを見ながら喋っていた。食堂で見た人たちだ。いったいなにを話しているんだろう?

 

 片方が突然笑い出した。

 

「は?」

 

 会話の内容は聞こえないが、確かに笑っている。

 茶髪のポニーテールと、黒いお団子の髪をしたうちのお団子のほうがとても良い笑顔をして、わたしを指さしていた。

 

「あ゛?」

 

 なんで笑っているんだあいつは?

 そんなにわたしが面白いのか?

 砂浜に顔を沈めてぶざまに引っ繰り返っているさまがそんなに愉快なのか?

 

「よし、いったん休憩するクマ」

「やだぴょん」

「ク、クマ?」

「このうーちゃんを、舐めるなぴょん……!」

 

 たまたまかもしれない。

 たまたま、こっちを見て笑っているように見えただけかもしれないが、それでも卯月はキレた。

 必死に頑張っているのに、どーして笑われなきゃいけないのだ、ふざけるな!

 

「本当に大丈夫かクマ、球磨が言うのもなんだけど、かなりハードな訓練クマ」

「バッチコイだぴょん、ふざけた連中に目にもの見せてくれるぴょん!」

「急にやる気になったクマ……?」

 

 まあ死なないようには気をつけるが、それにしても腹が立つ!

 卯月の頭はもう真赤に染まっていた。怒りで足を動かし、激情で息を吸う。乱雑に砂浜を踏み締めて、トレーニングを再会させるのであった。

 

 ただし、怒りの力には限界がある。

 

 五分後、吐血したことでトレーニングは強制終了となるのであった。

 

「どこがバッチコイだクマ!」

「ぴょん……」

 

 

 *

 

 

 トレーニングのやり過ぎで血を吐きぶっ倒れた卯月は、また車椅子に乗せられていた。

 酸欠と過呼吸と吐血を併発しており、瀕死の重症である。

 

 そんな状態の卯月が運び込まれたのは入渠ドックのある工廠だった。ドックの傍らにはすでに妖精さんたちがスタンバイしている。球磨は手慣れた手つきで卯月をドックへ入れた。制服は一瞬で脱がされた。

 

 同時にカウンターが点滅した。修理が終わるまでの時間が表示されている。ドックの中から、ぼんやりとそれを見つめる。

 終わるまでは30分もかからない。回復が早いのは駆逐艦の強みだ。

 

「生きてるかクマ」

「半殺しにしておいてなにを言うぴょん」

 

 ドックを覗き込む球磨に卯月は文句を垂れる。

 ブーとほおを膨らませ威嚇するが、球磨は眉一つ動かさない。そもそも限界を見誤ったのが自分自身なのは、もう忘れていた。

 

「あんなのは半殺しと言わないクマ」

「本当かぴょん、うーちゃんは嘘が嫌いぴょん」

「本当クマ」

 

 球磨はこちらをまっすぐ見ていた。嘘を言っている感じはない。いや本心なんてわかりゃしないけど。

 

「ふん、まあ信じてやるぴょん」

「そっかクマ」

 

 そう呟くと、球磨は黙り込んでしまう。

 いや黙ってるのは良いんだが、こっちを覗き込んだまま無言でいる。ちょっと怖い。なんか喋れよと思う。

 

「なにぴょん?」

「いや、なんでもないクマ」

 

 球磨は目線を卯月から一瞬背ける。

 気をつかったんだろう。かといってドックから離れたりはしない。

 あんな訓練をしておいて、けっこう心配性なんだろうか?

 

「入渠が終わったらすぐに再開クマ」

「ああ、そんな気はしてたぴょん」

「済まんクマ」

「今更ぴょん、でも、なんだってそんな急ピッチでやるんだぴょん?」

 

 いくらなんでも無茶苦茶過ぎる。

 病み上がりの可哀想なうーちゃんにして良い仕打ちではない。

 ここまでハードな訓練をするからには、それなりの理由があるはずだ。

 

「単純な話クマ、卯月の出撃まであと()()()しかないからクマ」

「おっと聞き間違えかぴょん、いまなんて言ったぴょん、一週間って聞こえた気がしたけど、いやいやいやまさかそんな」

()()()だクマ」

 

 卯月は笑った。

 球磨も笑った。

 妖精さんも笑っていた。

 みんな笑顔だった。

 

「なんで?」

「言っておくけど、これでもかなーり遅らせている方クマ。高宮中佐のおかげクマ」

「あ、うん、そうじゃないぴょん。なんでうーちゃんが出撃するんだぴょん?」

「知らんクマ、ただ高宮中佐がそう言ったから、球磨も間に合うようにしてるんだクマ」

「聞けば教えて……」

「無理クマ、教える気があったら、とっくに言ってるクマ」

 

 それで言わないのは、今は言う必要がないからだ。

 わたしにとって必要でないことを教える理由はない。必要の原則というやつだ。聞くだけ無駄なのは予想できた。

 

「結局のところ、トレーニングは負荷をかけた分だけ帰ってくるクマ。本当ならその負荷は時間をかけて直すけど、艦娘は荒業ができるクマ」

「あー、だから入渠ってわけかぴょん」

「そうだクマ、壊しては治し、壊しては治すクマ」

 

 瀕死になるような負荷をかけたら、そのまま死んでしまう。

 しかし入渠すれば全部チャラだ。短い時間で回復できる。確かにこの方法なら、短い時間で体力や感覚を取り戻せるだろう。

 

「それ下手なブラック鎮守府よかアレじゃないかぴょん?」

「懲罰部隊に今更なにを言ってるクマ」

 

 ごもっともであった。

 そもそも道理の通らない部隊だった。ちょっと忘れていた。ブラックじゃなくて漆黒だったか。

 

「まあ、これで死なないのは理解できたと思うクマ」

「分かったけど、でも、納得いってないトコがあるぴょん」

「なにクマ?」

「いやさすがに、人が苦しんでるの見て笑うのはえぐいぴょん」

 

 そもそも、あんな奴等がいたせいでわたしは『プッツン』してしまったのだ。前科戦線とかブラックとか関係なく、単純に腹が立った。思い出すだけでムカムカしてくる。

 

 わたしの文句に、球磨は考え込む様子で首を傾げる。

 

「あ」

 

 思い当たるのがあったようだ。

 

「あいつらか、いや、それは違うクマ」

「違うって?」

「苦しんでいるのを笑ったんじゃないクマ。別の理由だクマ。どっちにしても知らん方がいいと思うクマ」

「余計気になること言わないで欲しいぴょん」

「悪いクマ、ほらもう入渠終わりクマ、また走り込みをするクマ」

 

 知らん方が良いって、どんな理由なんだよ。

 卯月の疑問を意図して無視し、球磨はドックを開く。疲労やダメージは完璧にとれたが、精神疲労は別問題だ。

 

 時計はまだ正午を切ってさえいない。この走り込みはまだまだ──体力が戻るまで、問答無用で続く。出撃に間に合わせるにはそれしかない。

 

 まだ話せていない仲間(仮)に、地獄のようなトレーニング。

 自分で志願したこととはいえ、文句ぐらい言いたくなる。もはや無だ、無になるしかない。感情を殺して足を動かすマシーンになるのだ。

 

 卯月はそう言い聞かせて、制服の裾に腕を通す。

 地獄の奥、底の底、前科戦線での日常はまだ始まったばかりだ。

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