高宮中佐から報酬を受け取り、それでなにかを買おうとした卯月。しかし途中、間宮のことを思い出したせいで、一気に気分が悪くなり、飛鷹のところから逃げ出してしまった。
逃げるといっても、行き場がある訳でもない。気分はどんどん悪化していき、寒気と吐き気が込み上げてくる。歩くのもままならなくなり、卯月は壁へもたれかかる。
「うるさい……黙れぴょん……」
両耳を抑えて、ズルズルと床に座り込む。
「許さない」「なんで生きている」「よくも殺したな」──とうとう、幻聴が始まった。血塗れの犠牲者に取り囲まれ、全身を引き裂かれる。
「あ、アア……ッ!」
皮膚の下を這いずる虫も、血塗れの自分の身体も、千切られる四肢も激痛も。見てる本人からすれば本物だ。卯月はひたすら、幻を否定しながら震えて堪える。
「うう……違う、敵は、敵は……!」
『殺したのは卯月ちゃんじゃない』
「ひっ……!?」
幻が、間宮の姿で現れた。
神提督を庇ったせいで、半身が砕けた間宮が、内蔵を引きずって迫ってくる。目を閉じても、瞼の裏側に幻覚が映る。
『中佐も許してない、わたしも許さない……殺してあげる、殺してあげる殺してあげる』
「止めて、ヤダ、ヤダ……!」
『死ンデ』
仲間に押さえつけられて、動けない。振り下ろされた包丁が、顔面に突き刺さった。眼球から脳味噌まで掻き回され、激痛に狂わされる。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」
我慢できなかった、幻だと理解してても、耐えられなかった。激痛から逃げるように卯月は暴れ出す。
だが、やはり動けない。馬乗りになった間宮に押さえつけられて、メッタ刺しにされる。
死んでしまう、殺される──そう覚悟した瞬間、幻が終わった。
「ア……あ、お、終わった……?」
「ええ、終わりましたわ」
「……くまの?」
誰かに抱かれていたことに気づく。ゆっくり顔を上げると、熊野が見ていた。頬に傷がある。錯乱した卯月がつけた傷だ。少し痛そうにしていた。
「流石に子供の身体でも、全力で暴れられること堪えますね」
「……ごめん」
「いえ、お気に召さらず。立てますか?」
「……もうちょっと、このまま」
幻は綺麗さっぱり消えた。しかしまだ痛みが残っている。ある筈の腕が千切れたように痛む。幻肢痛の逆バージョンみたいだ。息も落ち着かず、すぐには立ち上がれない。仕方なく、熊野の胸に身体を預けた。
「なんで、熊野が」
「通りかかったら、頭を掻きむしっている卯月さんが見えたので」
「そう、助かったぴょん」
暴れた時動けなかったのは、熊野が押さえつけてたからだ。そのお蔭で自分を傷つけずに済んだが、代わりに熊野を殴ってしまった。悪いことをしたと、一瞬落ち込む。
「満潮は……どこ行ったぴょん」
「さあ、見てませんが」
「そう、まあ、良いぴょん」
熊野の胸に顔を押し込むと、心臓の音が聞こえた。彼女の体温と合わさって、少しずつ気持ちが落ち着いていく。熊野は抵抗せず、発作が収まるのを待っていた。
「うん、もう大丈夫だぴょん」
胸から顔を外して、立ち上がる。まだちょっとフラフラするが、十分回復したと言える。
そんな卯月を熊野は心配する。虚ろな目だし、顔色も悪い。大丈夫と言うが、強がりにしか思えなかった。
「どこか行くのですか?」
「飛鷹さんのところに、報酬を使うのだぴょん」
「ああ、そう言えば初めてでしたわね。ではご一緒しましょう、私も買い物をするので」
「奇遇だぴょん」
半分本当、半分方便である。注文をする予定はあったが今ではなかった。しかし、短時間で発作が再発する可能性があった。五感を失ってる間に窓から転落死、なんて展開があり得るのが今の卯月だ、目を離せない。満潮がいない以上、誰かが見てないと危なくてしょうがない。
「今日、何度目ですの?」
「二回目だぴょん」
「……それは、辛いですわね」
「辛いぴょん、でも、それがよりうーちゃんの怒りを強くするのだぴょん」
こんな幻を見てしまうのも敵が原因だ。絶対に許せない、なんとしてでも殺す。敵が仮に人間だったとしても、迷いなくトリガーを引くことができる。なんら躊躇なく実行できる気がした。
「そうですか、ムリはなさらずに」
熊野は少し怪訝そうな顔をしていたが、穏やかな笑顔に戻り、卯月をそう励ました。
話している内に、二人は飛鷹のところまで戻ってきた。卯月に気づいた飛鷹が心配そうに駆け寄ってくる。
「うーちゃん、大丈夫なの?」
「まずまずぴょん、美味い物を食べたら、元気になるぴょん!」
「そ、そう」
じゅるりと唾を呑み込む卯月だが、飛鷹からすると、空元気にしか見えなかった。
「本当に大丈夫なの、だってさっきショックを受けたのって」
「うん、間宮さんに再会することを、思い出しちゃったからだぴょん」
「……そういうことでしたの」
間宮と神提督は、卯月の襲撃からの生き残りだ。しかし無事ではない。間宮は知らないが、神提督は二度と提督業ができない程の重傷を負っている。そんな目に遭わされて、卯月を恨んでいないのか。
否、あり得ない。絶対に恨まれている。卯月はそう考えた。
卯月だってそうだ。口先では、わたしは悪くないと言うものの、罪悪感は消えてくれない。悪夢や幻の形で、卯月自身を責めたててくる。理性と感情を完璧に分けることなんて、できやしないのだ。
「きっと、酷い言葉で罵倒してくるぴょん、殺しにかかってくるかもしれない」
「いや、そこまでは……」
「あるかもですわ」
「でしょ、そう思ったら、発作が起きちゃったぴょん」
どうやっても、造反した記憶が掘り起こされる。それが発作のトリガーになった。
どうしても重い話になってしまう。熊野と飛鷹は気まずそうにする。しかし卯月は他人事のような態度で、カタログのページをめくっていた。
「でも、考えたってムダぴょん、会った時に考えれば良いぴょん」
卯月はあっけらかんと語る。事実その通りだ。予想できないことで悩んでも時間の無駄だ。余計なストレスを増やすだけ。だから考えないようにする。それは間違った考えではない。
カタログを持つ手が、震えてなければの話だが。
「……溜め込み過ぎるつもりはないから、大丈夫」
二人の視線に気づき、卯月は呟く。カタログを見てるのもその一環だ。なにもしてないと、無駄なことばかり考えてしまう。折角報酬を得たのだから、なにか気晴らしをしたかった。一番興味が持てるのが、食べ物関係だった。
「ムリしちゃダメよ、ハッキリ言って、本来なら軍病院に即入るレベルなんだから」
「え、そんなに?」
「幻の発作抱え込んどいて自覚してなかったんですの?」
五感全てが狂う幻が、不定期に襲いかかる。それによる溺死や転落死の危険性大。どう考えても入院コースだ。ただ今それをやると、内通者に殺される危険が大きい。高宮中佐からしても、苦渋の判断だった。
「というか、満潮さんはどこへ行ったんですの? 卯月さんの面倒を命じられてたのでは?」
「満潮ちゃんなら、うーちゃんを追い駆けていった筈だけど?」
「すれ違いませんでしたが……」
卯月がいた廊下までは、いくつか脇道がある。会っていないなら、脇道のどれかを使って去っていったことになる。
つまり、あいつ逃げやがったのか。
卯月は途端に不機嫌と化す。頬杖を立てながら悪態をつく。
「ケッ、任務放棄かぴょん。流石はド淫売の腐れ虫だぴょん」
「口が汚いですわ、下品」
「素晴らしい至上のお変態様ですわぴょん」
「言い方の問題じゃないでしょ」
飛鷹のツッコミを無視して、卯月はカタログに集中する。
それ以上満潮を罵倒する気はない。看病のために数日間も拘束してしまった、そのことに、少し負い目を感じていた。あとこれ以上満潮と一緒にいたくない。
しばらく、のんびりとカタログを眺める。
だいたいは食べ物の項目だ。どれもこれも、美味しそうな物ばかり。間宮関係のページは、手が震えるので飛ばさざるをえなかった。
大半を見終えた後、卯月は決めた。
「よし、飛鷹さーん、交換したいぴょん!」
「はいはい、分かったわ、どれを?」
「これと、それと、あれと……」
事前に見ていた通り、ほぼ食べ物関係だ。甘いシロップ漬けの桃缶やカステラ、高級そうなお菓子等。中々の値段だが、初給料だから奮発していた。なにかを買う行為自体初めて。それだけでも楽しく、気がまぎれる。
「最後に、これで」
卯月が指差したのは、食べ物のページとはまったく別だった。あまり注文されない筆記用具関係のところ。白紙のノートを注文していた。
「食べれないわよ?」
「うーちゃんを馬鹿にしてんのかぴょん……?」
「あ、ごめん。ノートねノート」
「心外だぴょん」
人をなんだと思っているのか。ギロリと睨みつける。しかし威圧感は全くない。小動物の威嚇以下である。
「なにに使うんですか?」
「日記」
「……日記?」
「そう、ちょっと日記をつけたくなったのだぴょん」
カタログに日記は乗ってなかった。代わりにノートを頼むことにした。
「今のうーちゃんは、いつ死んでもおかしくない状況だぴょん。本当に殺される可能性が高いぴょん」
発作を繰り返し、深海棲艦のエネルギーを取り込みながら、洗脳された秋月と戦わなければならない。しかも味方の大本営には内通者がいる。下手したら暗殺されるかもしれない。そんな状況で、死を間近に感じ始めた。
「だから、生きた証を残すおつもりなのですね」
「……そういうことだぴょん。死ぬのは構わないぴょん、戦争なんだし。でも、何一つ残していけないのは、申し訳ないぴょん」
「なるほど」
幸福な未来なんて、望んではいない。そんなものを求めて戦ってはいない。しかし、なにも遂げることができないのは無念だ。生きてる内に、やれることはやりたかった。
「ですが、書く内容には気をつけたほうが良いですわ。機密事項を書いたら出所の時に回収ですわ」
懲罰部隊での日々を綴った日記なんて、表に出せる物ではない。
「わはは、こんな地獄を書く気はないぴょん」
「地獄ですか、なら良いですけど。カタログ頂いてよろしいかしら?」
「あ、どーぞだぴょん」
欲しい物を頼み終えたので、カタログを熊野に渡す。パラパラとページを捲り、飛鷹を呼んだ。
「どれ?」
「そこからそこ全部、以上ですわ」
「分かったわ」
飛鷹はカタログを回収した後、注文書類を作るために出ていった。ジュースを飲む熊野を見つめる卯月。
彼女の思考はフリーズしていた。
「……え、なに、今の」
ページ指定で丸ごと買っていた。値段を見てもいない。いくらになるのか考えただけでも恐ろしい。
「化粧品とかそういった物ですが?」
「いやいやいやそうじゃないぴょん、どんな買い方してんだぴょん!?」
「一気買いですわ」
「どんだけ報酬を得てんだぴょん」
やはり長年前科戦線にいると、稼ぎ方も分かってくるのだろうか。羨ましい限りだ。
「いえ、報酬は卯月さんとあまり変わりませんわ。真面目に戦って、相応の報酬を得ているだけです」
「またまた、なら、どうやってそんな大人買いをしてるぴょん」
「闇金とか、闇賭博とか、闇購買とかですわ」
「はっはっは、
外部との接触がほとんど断たれた場所だ。そんな状態で施設運営ができる筈がない。稼ぎ方を知られたくないから、適当な嘘を言ったのだ。
卯月は笑い飛ばす。熊野は返事をせずニコニコ笑ってるだけ。
「え、嘘だぴょん?」
「本当ですわ」
「どうやって運営を?」
「なにも、わたくし
熊野はニコニコしている。悪魔の笑みにしか見えなくなってきた。
熊野が運営せずとも、賭場や闇金が運営できる。熊野の代わりに、働いてくれる部下がいるからだ。それだけ大きな組織ということ。
それに気づいた卯月は、席から立ち上がる。
「いや、なにやってんだっぴょん!?」
軍人でありながら副業って時点でダメ。闇金で更にダメ。前科持ちがやってることでもうお終いである。
「そんなに問題ですの、誘惑に耐えられないクズから巻き上げるのが?」
「そこじゃないぴょん、中佐は知ってんのかぴょん。こんな暴挙、許されるはずが!」
「ああ、中佐。彼とは良い関係を築いておりますわ」
グルであった。卯月は絶望する。
怒る気はしなかった。発作を起こした時、何度も面倒を見て貰っている。優しいところもある。性根が腐った下種ではない。
ただ、癒着関係に頭を抱えてるだけだ。
「軍に報告できない作戦をする時とかは、積極的に融資をさせていただいていますわ。今回もそうなりそうです」
「聞いちゃいけない話な気がしてきたぴょん」
「綺麗ごとだけでは世の中回りませんの」
そうだけど、軍人が言ったらお終いだろ。口には出さない。もう突っ込むやる気も失せた。
「それに、お金は溜めなければなりませんわ」
「出所に備えてかぴょん……」
「いえ、生きる為に」
卯月に目線を合せて、熊野は淡々と告げる。
「戦争が終わった時、私たちが生きられる確証が、どこに?」
言葉に詰まった。答えがすぐに見つけられなかったから。いや、答えが出せないことは分かっていた。
「……って、意味深くすんなぴょん! 違法は違法だぴょん!」
「バレなければ違法ではありませんの」
「うぴょぉぉっ!」
納得できない、してたまるか。熊野が言ったことは事実だが、だからって許されはしない。前科戦線に集まっているのがどういう連中なのか、久し振りに思い知る。
「常識人は、うーちゃんだけかぴょん!」
「え?」
「ぴょーん!」
深海戦艦に心酔して殺意に目覚めた艦娘が常識人なのか。その答えは言わずもがな。自覚のない嘆き声が食堂に響いた。