前科戦線ウヅキ   作:鹿狼

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第72話 日課

 熊野に旨いご飯を食べさせてもらったその日、卯月はとても良く眠れる──訳がなかった。

 モゾモゾと気だるそうにベッドから起きる。卯月の目には軽く隈が刻まれていた。

 

「眠い」

 

 旨いものを食べようが、リラックスしようが、悪夢は関係ない。鎮守府を破壊し、虐殺を繰り返す悪夢を見て、夜中飛び起きてしまった。

 

 寝直すことはできたが、熟睡とは程遠い。以前のように、水鬼が助けに来てくれることもない。独りで悪夢に耐えなければならない。

 

「う……」

 

 悪夢を思いだして気持ち悪くなる。軽い吐き気が込み上げてくる。心が不安定になり、発作が起きる。

 さっき悪夢で殺した仲間が卯月を取り囲んでた。話したりしない。立っているだけ。幻覚だけだ。それでも、心が軋んでいく。

 

「……ん、卯月?」

 

 卯月が起きたことで、満潮も目覚めた。異様な雰囲気だとすぐに気づく。発作を起こしていると理解した。顔色が悪く、虚ろな目で震えている。

 

「ちょっと、聞こえてんの」

「幻覚だけ、だ、ぴょん」

「そう、悪夢のせいね」

 

 昨晩、悪夢で飛び起きたのは知っている。その時発作は起きなかったが、後からやってきた訳だ。

 

 幻聴とかがないだけ、マシといえばマシ。だが苦しんでいるのは変わらない。満潮は慣れた動きで卯月を抱き、自分の体温を感じさせながら背中を撫でる。

 

「止んだら言って」

「……ぴょん」

 

 一週間ずっとつきっきりだったせいで、すっかり慣れていた。最初は嫌悪感があったが慣れた。

 抱きしめるのは、体温を感じさせた方が、落ち着きやすいからだ。同じベッドで寝てるのも、対応しやすいからだ。

 特別な感情はない。上官から命じられた任務として、卯月を慰めていた。

 

「……ん、消えた、ぴょん」

「あっそ」

「ありがとぴょん」

 

 幻覚が終わると同時に満潮は離れた。卯月は頭を下げる。満潮は嫌いだ。だが、慰めてもらっておいて、感謝しないのは単なるクソだ。

 彼女の感謝になにも言わず、満潮は身支度を整えていく。卯月はその様子をぼんやり見つめる。発作が収まった直後で、意識がハッキリしない。

 

「ちょっと、なにボサッとしてんの」

「……なにか問題が?」

「アンタも出なきゃ朝練できないでしょ」

 

 そういえばそうだった。昨日満潮に暴力を振るわれて、自主練への参加を強要されたんだった。

 だが、この時間から行くのか。卯月は絶句する。ぶっちゃけ嫌だ。凄い嫌だ。二度寝したいのが本音だ。

 

「あー、そっか、じゃあ準備するぴょん」

 

 卯月は面倒そうにしながらも、ベットから降りて支度を始める。満潮は固まった。

 

「やけに、素直ね」

「いつもヘソ曲がりのミなんとかとは違うのだぴょん」

「やかましい」

「え、うーちゃん満潮のことだなんて一言も言ってないぴょん」

「じゃあ誰のことよ」

「満潮に決まってるぴょんバカかぴょん」

 

 机に置いてあった本が投げつけられた。しかも背中の硬い所から飛んできた。卯月は慌てて回避した。

 が、死角から飛んできた二発目が鼻先に命中した。

 

「酷い! 暴力反対!」

「やかましいっ! さっさと着替えなさいっ!」

「ぷぅー!」

 

 なんて野蛮な同居人だ。信じられない。卯月は憤慨する。自分の行動が原因だとは少しも思わなかった。

 

 

 *

 

 

 基地の外へ出るとまだ真っ暗だった。わずかな明かりもない。敵に見つかるのを避けるために、無駄な明かりは全て消されていた。機雷の防衛ラインを敷いても、空襲されたら意味がないのだ。

 しかし、ここまで暗いと歩くのも難儀する。

 

「うぉっとっと!」

 

 卯月はちょっとした段差につまずき、転びそうになる。すんでのところでバランスを取り直す。危なかったと胸をなでおろす。

 

「なー満潮、ホントこんな時間にやるのかぴょーん?」

「夜目が鍛えられるんだから良いじゃない」

「レーダー積めば良いぴょん、いつの時代の話だぴょん」

 

 見張り員の時代は終わった。時代はレーダーだ。しかし卯月の主張は、訓練を楽にしたいが為の言い訳でしかない。

 

「やっとくに越したことないのよ」

「むー、めんどいぴょん……いや、やるけど」

「一々うるさい奴ね」

 

 どうせ訓練するのだから、文句なんて言わなければ良いのに。卯月の行動はどれも苛立つことばかりだ。しかし一緒にいろと命じられているから、離れることもできない。満潮は文句の代わりに、深い溜め息を吐いた。

 

「で、なにからするんだぴょん」

「走り込み」

「ふーん、普通だぴょん」

「を、一時間」

「長いぴょん」

 

 まあ、走り込みならまあ良いか。一時間は長いができない程じゃない。埠頭の階段を下りて砂浜に移動する。

 

「距離が離れた時発作起こされても面倒だから、ついてきて」

「りょーかいぴょん」

 

 満潮が走り出すと同時に卯月も後を追いかける。

 しかし、開幕転びそうになった。なんとか姿勢を戻して走り出す。普通の地面よりも砂浜は走り辛い。足元が不安定なせいで、力を入れても滑ってしまう。普段よりも力を入れて踏み込まないといけない。それだけトレーニング効果は高い。

 

 卯月もこれぐらいは神鎮守府でやってきた。砂浜での走り込みは基礎訓練だ。卯月は結構呑気していたが、すぐに後悔することになる。

 

「うぉっっと!」

 

 また転びそうになった。今度は耐え切れず地面に顔から突っ込む。口の中に砂が入って気持ち悪い。

 

「うへぇ……って、満潮?」

 

 顔を上げる。満潮がいない。いや、いるにはいるが、暗闇のせいで、見えなくなるかどうかの距離まで離れている。

 

「あいつ、待たないつもりかぴょん!」

 

 酷い奴だ。いつ発作を起こすか分からないというのに。てっきりわたしにペースを合せてくれるかと思ってた。満潮は慈悲の欠片もない鬼畜だった。

 卯月は飛び起きて満潮を追い駆ける。満潮に置いていかれるのは嫌だった。敗北感を感じてしまう。許されることではない。

 

「う゛びょっ!?」

 

 と思ったらまた転んだ。今度は顔から血が出ていた。砂で皮膚が擦り剥けた。

 転び過ぎだ。どうなっている。なにかがおかしい。

 それは暗闇のせいだった。足元が見えないせいで、普段ならまず引っ掛からない砂に何度も足を取られてた。一週間ベッド暮らしで、身体が鈍っているのも原因だ。

 

 そうこうしている間に、満潮とどんどん距離が離れていく。卯月は憎悪を募らせる。だがすぐどうにかなるものでもない。

 

「クソがっ!」

 

 悪態をつきながら、卯月は再び走り出した。しかし、これだけ転んでいて、まともに走れる筈がない。

 

 満潮の背中が少し見えたところで、もう息が上がっていた。わき腹が猛烈に痛い。膝もふくらはぎも、足全部が悲鳴を上げている。着替えたてのジャージは汗まみれだ。

 同じ距離を走っている満潮は、安定したペースで走っている。姿は見えないが安定した呼吸音が聞こえていた。

 

 毎日真面目に訓練している満潮と、さぼりたい卯月。日々の積み重ねの差がそびえ立つ。今まで戦えていたのは、ほとんど艤装のパワーアシストがあったから。生身ではこのザマ。ふと時計を見てみたら、たった五分しか経っていなかった。

 

「がっ……あ、あと55分……!?」

 

 実のところ、満潮を追い駆けるのに必死なせいで、ペース配分を一切考えてないせいだった。満潮を打ち負かすことに全神経を費やしたせいである。嘆いても満潮は止まらない。というか距離が離れ過ぎて聞こえてない。

 

 トレーニングとして考えるなら、ここらで中断するのが普通だ。また次の日頑張ろうと、引き返しても問題ない。トレーニングで重要なのは日々の継続だ。

 

 しかし、それでは間に合わないことは、卯月本人が一番理解していた。

 秋月と相対するまで、後何日あるのか。

 もしかしたら、基地の場所が露見して、今日激突するかもしれない。その時D-ABYSS(ディー・アビス)を使いこなせなければ意味がない。荒業だろうがなんだろうが、さっさと負荷に耐えられる身体を作らなければならない。

 

「もうやだぁ、死ぬ!」

 

 だけど嫌なものは嫌なので文句は言う。転び過ぎて全身痛い。心臓も肺も痛くて仕方がない。足に至っては生まれたての小鹿のようにプルプル震えている。

 

「うるさい奴ね」

「み、満潮、今更戻ってきたのかぴょん!」

「折り返しよ」

 

 そう言って満潮は反対方向へ走り去っていった。卯月にはもう文句を言う元気も残っていない。グロッキーになりながら砂浜をフラフラと走り続ける。

 そして一時間経った瞬間、卯月は過呼吸で気絶するのであった。

 

 

 *

 

 

 無数の擦り傷に打撲、酸欠アンド極度の疲労。中破判定を受けた卯月は速やかに入渠ドッグへ叩き込まれる。最弱の駆逐艦故に治るのは早い。それでも終わったころには、朝食の時間を逃していた。

 

「あ゛ー!」

「な、なに!?」

「ごはんがー!?」

 

 出てきていきなり叫んだので、傍で待ってた満潮は驚く。てっきり発作が起きたのかと思った。

 卯月は絶望していた。

 ご飯が食べられないなんて。死ぬしかない。頭を掻きむしりながら絶叫する彼女へ、満潮がおにぎりを差し伸べる。

 

「貰ってきといたわよ」

「……毒とか入ってないぴょん?」

「一字一句違わず飛鷹さんに伝えといてあげるわ」

「やめて、本当にやめて」

 

 そんなことをされたら本当にご飯抜きになる。前科戦線でも数少ない快楽がなくなってしまう。発狂死する気がする。

 替えのジャージに素早く着替える。普段の制服だけじゃ流石に支障をきたすので、普段着や寝間着用に何着かジャージが用意されていた。

 

 おしゃれな服はない。それは交換券で買わないといけない。なお前科戦線設立以降、カタログで服を買った者はいない。着たところでお出かけできる訳でもないので当然だった。一日外出券でも買えば話は別だが。

 

「しかし、なんで持ってきてくれたぴょん。貸しでも作る気かぴょん」

「食べなきゃ持たないからよ、また倒れられたら面倒なのはこっち」

「ま、まだ訓練すんのかぴょん……」

「当たり前でしょ、私たち軍人なのよ」

 

 軍人は毎日訓練するものである。今の今までサボっていた卯月がおかしいのだ。ましてや卯月は素人。一番訓練しなければならない立場である。

 むしろなんで誰も面倒見ないんだ。満潮は内心憤慨していた。球磨とか那珂が見てやればいいのに。愚痴っても始まらないから仕方ないが。

 

「はぁー、で、次はなにすんだぴょん」

 

 おにぎりをもっちゃもっちゃ食べながら尋ねる。

 

「筋トレ」

「また武骨な、てか艤装のパワーアシストがあるのに要るのかぴょん」

「要るわよ、基礎値を上げればその分強くなる」

 

 主砲の反動に耐えるのにも、武装を振り回して疲労しにくくなるためにも筋力は重要だ。体力が上がれば長時間の訓練にも耐えれるようになる。そういった意味でも優先的に鍛えるべきだ。

 

「りょーかいだっぴょーん……頑張るぴょーん」

「嫌なら、私の傍で見てるだけで良いんだけど? そんなに文句言われていると凄い不快だから」

「嫌だけどやるぴょん」

 

 即答だった。彼女の言葉に目を丸くする。

 

「やらなきゃ秋月には勝てない、敵を殺せない。だからやる。それだけだぴょん」

「なら文句言わないでよ……」

「それは無理ぴょん」

 

 やはり、理解し難い。この口を縫い付けることはできないのだろうか。満潮は割と真剣に思った。

 食事を手早く終わらせた卯月を連れて、筋トレに励む。腕立て伏せとかスクワットとか、内容自体は基本的なものばかりだ。

 

 それでもサボっていた卯月にとってはかなり過酷な内容になる。奥底に秘めた殺意を原動力に耐えきるも、終わったころには疲労困憊だ。やっている最中に腕とか足からブチブチと嫌な音まで聞こえてた。

 

 それが終われば今度はストレッチ。入渠ドッグがあるとは言え筋肉痛は残ってしまう。使い込んだ筋肉をゆっくりと伸ばすと、心地良い感じがする。

 心配になるぐらい全身バキバキ言っているが、大丈夫だろう。多分。

 

「ちょっと卯月、伸ばし方足りないわよ」

「へ?」

「はい力抜いて」

 

 満潮が背中を押し込んだ。

 瞬間卯月の背骨が悲鳴を上げた。今まで曲げたことがない角度まで力任せにやられる。もはや折り畳まれているような感覚だ。

 

「身体柔らかくしないとダメだから」

 

 見た目通りの荒療治だった。本来ならこんな無茶はしない。しかし秋月との戦いが何時になるか分からない以上、卯月の能力向上は急がないといけない。幸い入渠ドックがある。やり過ぎで怪我を負ってもなんとかなる。

 

「痛いなら悲鳴上げて良いわよ」

 

 卯月は黙ったままだった。悲鳴を上げることもできなかった。それぐらい痛かった。

 

 全て必要なことは理解している。これぐらいしなければ秋月には絶対勝てないと分かっている。

 

 しかしこれは全て基礎訓練でしかない。砲撃訓練とか雷撃訓練は一切していない。なのにこの過酷さ。それを毎日継続しなければならない。嫌いな満潮と一緒に。

 

「ふ、不幸だぴょん……」

「なに山城みたいなこと言ってんの……」

 

 卯月はまだ知らない。この基礎訓練が今後更に過酷になることを。卯月の苦しみはまだこれからも続くのである。




まともに訓練していなかったツケが全部回ってくる。これぞインガオーホーなり!
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