内通者の情報と、護送計画の話し合いのためにやってきたあきつ丸と彼女の上官、波多野曹長。卯月は彼から内通者についての情報を貰う。千夜千恵子という人間が、鎮守府で極秘裏に働いていたことを知った。
しかし、それを思い出す過程で卯月はかなり消耗していた。午前中の満潮の鬼訓練が響いたせいでもある。肉体的疲労に精神的疲労も加わり、ほとんど身動きが取れなくなっていた。
そのダメージは容赦なく幻になって現れる。
四肢を捥がれた幻覚のせいで、立っていられなくなり、その場で転倒しかけたが、満潮がとっさに支えくれたので、怪我をせずに済んだ。
「…………」
虚ろな瞳に移っているのは、血塗れの犠牲者たちだ。五感が狂い、正気をなくした卯月は廊下に蹲りながら震える。悲鳴も慟哭も、歯を食いしばり耐え忍ぶ。満潮はその傍で、発作が収まるのを待っている。
「……あ、お、おわ、った」
「やっと?」
「うる、せぇ……ぴょん」
悪態を吐いているがフラフラだ。前を見てるようで前が見えていない。まだ正気に戻り切れていない。
何度も何度も発作を起こしている。対応には慣れても、ダメージには慣れない。吐き気を堪える彼女を顔を、満潮は直視できなかった。
「……訓練は、どーするぴょん」
「もう今日は良いわ。結構良い時間になっちゃったし」
「ああ、もう夕方かぴょん」
砲撃訓練を始めたのが午後。その後波多野曹長たちがやって来て情報交換をした。太陽はもう地平線に沈みかけている。窓から吹く風も肌寒い。こんな時間から、本格的な訓練をする気はない。
「軽い走り込みぐらいはするけど、それぐらい。どうせ明日には護送始まるんだろうし、休んどかないと」
「へー、お前護送役に任命される自信があるのかぴょん。大した奴だぴょん」
前科戦線が護衛につくのかも未定だ。卯月個人としては護衛につきたい。藤鎮守府へ行って神提督に会いたいからだ。しかし護衛はあきつ丸や曹長だけで十分かもしれない。
なのに、任命される前提で満潮は話している。ここぞとばかりに彼女をおちょくった。
「念の為よ」
意外だった。満潮は特に言い返さなかった。予想外の反応に卯月は眼をパチクリさせる。彼女は顔を逸らして話題を変えた。
「とにかく訓練は終わり、自由行動」
「つったってうーちゃんお前と一緒にいざるを得ないんだど」
「……軽く走るわよ」
舌打ちを一発。ジャージのままなので着替える必要なし。朝走った砂浜へ行き、またランニングに勤しむ。言っていた通り朝程過激ではない。それでも鈍りきった身体にはかなりの負担。文字通り血反吐を何回は吐きながら、卯月は走り回るのだった。
ランニングを終え、疲弊しきった身体をお風呂で癒す。今回は怪我をしなかったので入渠の必要はない。満潮と一緒なのが気に喰わないが、仕方がないと割り切った。それが終われば、夕食まで本当に暇になる。
「どうするぴょん」
「勝手にすれば」
「いやだから一緒にいざるを得ないって」
どこかへ向かって歩く満潮を追う。その先にあったのは資料室だ。中には戦術教本や武装の使い方とか、色々な資料が纏まっている。ちなみに卯月は利用したことがない。文字列を見てると眠くなるのだ。
利用者一覧に名前を書き、慣れた足取りで資料を探す。目当ての本を見つけて取り出し、一人用の机に腰かけて読みだす。卯月もそれを真似、同じ場所にあった資料を引っ張り出そうとする。しかし身長が足りない。
「うぴょー!」
とか叫んでも身長は伸びない。そう思ったら、急に身長が伸びた。
「ぴょ?」
「これで良いクマ?」
のではなく、球磨が持ち上げてくれていたのだ。
「ありがとぴょん」
「どうもだクマ」
お礼を言って、とった本を見る。背表紙には難しい漢字の羅列。文字から見て、護衛に関する本なのは分かった。
「護衛……?」
「内容を見ないで取ったのかクマ……?」
「いやぁ、そこのソレがなに見てんのかと思って」
満潮が読んでいるのも、護衛に関する教本だろう。ただ内容は輸送船や戦艦、空母の護衛ではない。一人の人間を護衛する方法。つまるところボディーガードについての内容だった。
金剛たちを護衛する可能性があるから、これを読もうとしたのだ。真面目な性格だと卯月は感心する。
「いや卯月も見ろクマ」
「挿絵がない本は眠くなるぴょん」
「仇討ちを遂げる気があんのかクマ……」
それはそれ、これはこれ。どう言いつくろっても面倒なことは面倒なのだ。必要に迫られたらやるけどさ。能天気極まった卯月の態度に、球磨は溜息を吐く。
「無理は禁物だけど、もうちょっと真面目になれクマ」
「失敬な、うーちゃんはいつでも本気ぴょん! 見てろぴょん!」
球磨の言いがかりに卯月は憤慨。手に取った本を開く。
「スヤァ」
そして寝た。わずか数秒で熟睡であった。満潮も球磨も形容し難い表情を浮かべる。そして二人はアホを放置して、本を読み始めた。
「寝るの早いクマ、一日中訓練してたせいかクマ」
「見てたの?」
「卯月が常にギャーギャー喚いてた、普通気づくクマ」
建物の中にいてもうっすらと聞こえる程、卯月の悲鳴は強烈だった。前科戦線メンバーも金剛たちも気づいていた。余程壮絶な訓練をしてたのだろう。球磨はそう思った。
「あまり無理させるなクマ、訓練で死んだら笑い話にもならんクマ」
真面目な表情で忠告する。満潮は目を合わせず舌打ちする。
「だったらアンタが見てよ、嚮導艦やったことあんじゃないの?」
駆逐隊には、彼女たちを指導するリーダーがいる。一般的には軽巡クラスの艦が勤める。駆逐隊を指揮して、水雷戦隊を組むことが多いからだ。球磨も軽巡クラスの艦娘。やらかす前に経験があるのは自然だった。
「どこで聞いた」
しかし球磨は、顔を強張らせた。
「別に、予想しただけ」
軽巡だから経験がありそうだ。そう思っただけだ。満潮の返答を聞き、球磨は首を降る。
「だったら球磨は不向きクマ、経験はあるけど、やらない方がマシだクマ」
「アホの相手を嫌がってるんじゃないでしょうね」
「お前が言うかクマ」
ぐうの音も出ない。面倒を見てるのは中佐から命令されたのと、同室故の連帯責任。別室だったら絶対に放置していた。
だが、駆逐艦のことは駆逐艦で解決する。その不問律は鎮守府でも懲罰部隊でも変わらない。
「時間がないのよ……詰め込めるだけ、詰め込まないと……」
「確か、前の鎮守府で訓練したのは……」
「一ヶ月、基礎訓練だけ、実戦経験なし」
「むしろそれで良く此処で生き残れてるクマ……」
「中佐の贔屓のお陰でしょ」
「球磨さんはなに見てんのよ」
「戦略教本、読んでると落ち着くクマ」
「そう」
グーグー寝てるバカたれを放置して、二人は本に向き合う。たまに隣をチラ見すると、球磨は真剣な顔で教本を読み込んでいる。
その真剣さで、嚮導が苦手なんてこと、あるんだろうか。
仮にあったとしても、わたしのような素人に劣るなんて、あり得るんだろうか。
満潮は本へ集中する。過去を聞かないこと。それが前科戦線の絶対的なルールだ。
*
夕食の時間、まだ寝てた卯月は満潮に殴り起こされた。半泣きになりながも食堂へ行き、飛鷹の料理を腹一杯に詰め込む。明日は出撃の可能性がかなり高い。それに備えるのだ。
護衛に誰がつくかは分からない。ギリギリまで教える気がない。内通者の影が色濃い今、高宮中佐たちは情報漏洩を警戒している。漏洩を防ぐ一番簡単な方法は、知る人を少なくすることだ。
なので食事中も、護衛メンバーは説明されなかった。もしかしたら選ばれるかもしれない。全員軽く緊張している。あの畜生以下の脳ミソアルコール女──もといポーラでさえ、酒を控えていた。
「酔いを調整してまぁ~す」
「あ、うん、そっすか」
駆逐棲姫遭遇時もそうだったのを思い出す。卯月はポーラから速やかに離れた。君子危うきに近寄らずと言うし。
夕食の後は入浴。疲労困憊の極地と化した身体が癒される。癒され過ぎて力が入らず、うっかり溺死しそうになったが、まあ些細なことだ。
余りにも疲れ過ぎてるおかげか、発作が起きる気配もない。心から安心した状態で、卯月は床についた。
「……ねえちょっと」
「なんだぴょん」
「まだ一緒のベッドなの?」
「いや、発作に即応できるように、必要だからだぴょん」
満潮と同じ毛布に包まって寝る。少しばかし吐き気がするがしょうがない。彼女の心底嫌そうな顔をしたが、無理矢理追い出しはしなかった。
体格的には卯月の方が小さい。自然と満潮に抱きしめられるような形になる。気持ち悪いと思ったものの、疲労のせいか、二人ともすんなり眠りに落ちた。
心地よく眠る卯月と満潮。しかし、部屋の扉が開かれた。音をたてないようゆっくりと、慎重に開ける。ギギ……と軋む音がするが、ごく僅か。
「……ん……?」
だが、卯月は極小の音を聞き取った。物音のせいで眠りから覚める。ベッドの中で動いたせいで、一緒に寝ていた満潮まで起きてしまった。
「なによ……」
「音が、した気が……」
身体を起こし室内を見渡す。
部屋の端に
あとはなにもない。今の物音はなんだったのか。
「ッッッ!?」
思わず二度見する。やはり部屋の端にあきつ丸がいた。醜悪な微笑みを張り付けて立ち尽くしている。
卯月は言葉もでなかった。満潮に至っては白目を剥いて気絶しかけている。彼女特有の色白な肌はホラー展開にベストマッチ。恐怖のあまり小便が出かけた。
「静かに、これはおふざけではありません」
「じゃあ、なんだってんだぴょん」
「これより護送を行うであります、お二方、お着替えください」
どこから取ってきたのか、洗濯済みの制服が二人分渡される。しばしポカンとしたが、すぐに状況を飲み込んだ。気絶している満潮を叩き起こして着替えを促す。
「ではこれより工廠へ、艤装の用意はできてあります。他の方々に気づかれぬように」
「……なら悲鳴を上げるような現れ方しないでよ」
「失礼、趣味なもので」
最悪である。任務に趣味を持ち込むな。
しかし言ったとて無駄。言うだけ疲れる。卯月は賢い選択を行った。寝ぼけ眼を擦って工廠へ向かう。言われた通り、他のメンバーに気づかれないようゆっくり歩いた。
工廠へつくと、北上が艤装を用意して待っていた。指示に従い艤装を装備。自爆装置──卯月のは気絶装置だ──入りの首輪をつける。
これも忘れちゃいけない。卯月は形見のハチマキを使い髪の毛を纏める。満潮も似たような、かなり長いマフラーを巻き付けた。
「藤提督のトコに行くんだね」
「ん、そうみたいだぴょん」
「じゃ、機会があれば、宜しくね」
「……それ、どういう意味?」
『宜しく』とは誰に対してだ。
満潮が聞いたが北上は笑ったまま答えない。追及する前に、不知火に呼ばれてしまった。彼女たちは首を傾げたまま、基地の入り口に誘導される。そこには一台の装甲車両が鎮座していた。
「あ、卯月」
「いよう、うーちゃんだぴょん」
「お前と、満潮か」
車両の中には松と竹がいた。それに桃や金剛姉妹、藤鎮守府からの援軍が全員。
「お前が護衛なのか?」
「らしいぴょん、うーちゃんたち何も聞いてないぴょん」
機密保持のためだから仕方がない。けど分からないとモヤモヤする。まあ構わない。必要なら説明がある。卯月はそう判断して割りきった。
卯月と満潮を確認した不知火が、二人に向けて話し出す。
「中で説明します。乗ってください」
言われるがままコンテナに入る。すると不知火が扉を即座に閉めた。ロックも掛かり内側から出られなくなった。そしてエンジン音が鳴り、車が走り出す。
「……動いてるわね」
「動いてるぴょん」
「今から、護衛開始ってことかしら」
「そうだ」
男性の声にビックリして振り向く。金剛たちの後ろに波多野曹長が座っていた。彼が椅子に座るようなジェスチャーする。二人はおずおずと空いてる席に座った。広めの護送車だがこれで八人、内二人は艤装装備。結構圧迫感がある。
「突然で済まぬが、内通者を出し抜くための措置故、理解して欲しい」
「別にそれは構わないぴょん」
「ここじゃ何時のもことよ」
内通者に気づかれないために、中佐たちはギリギリまで、情報を出さないことにした。だから誰が護衛するのか、いつ出発するのかも、事前に一切教えなかったのだ。金剛たちも眠たそうにしている。卯月たちと同じく夜中突然起こされたからだ。
できる限りの準備はできている。不安はあるが、大したことはない。
卯月にとってより不安なのは、鎮守府についた後だ。神提督になんと言われるのか。間宮さんにどう見られるのか。
考えても意味がないと分かっていながら、不安を感じずにはいられなかった。
第2部、ようやくスタート。つまりうーちゃんには地獄の始まり。