結果それに伴い、卯月の『造反』は真実として広まっていた。洗脳とか人質を取られたとかではない。自らの意志で仲間を売った外道。艦娘史始まって以来の大事件。
自分が世間からどう思われているのか、前科戦線の外へ出て卯月は始めて痛感した。半ば覚悟していたことだった。それでも外へ出たのは、始めての提督である神躍斗に会いたかったから。
「よくも僕の前に出てこれたな、売国奴め」
ほんの少しだけ期待していた。ちゃんと事情を説明すれば理解してくれると。卯月の淡い期待は、たった一言で砕かれた。
「え……あの、て、提督」
「僕を提督と呼ぶな! 提督業ができなくなる程の怪我を負わせといて、何様のつもりだっ!」
「な、なら神補佐官、な、なんで……」
誰が見ても分かる。彼は怒り狂っていた。嫌悪感も怒りも憎悪も、擦れ違った艦娘たちの比ではない。それでも問いかけることを止めない。そう簡単に諦められない。その為にわざわざ来たのだから。
「なんで? なんのことかな」
「波多野曹長に、説明、受けたって聞いたぴょん……
「ああ、聞いたよ……で?」
「で……って?」
「だから? 洗脳されていたからなんなのかな?」
質問の意図が理解できない──否、心が理解を拒んでいる。言いたいことは分かっている。
造反したのは洗脳されていたから。そんなことは全く関係ない。彼にとっては、裏切ったことが全てだ。
「幻肢痛って、知ってるかな?」
「え、し、知ってるけど」
「そう、失った筈の腕や足が痛むこと。今僕が味わっている感覚のことだ!」
神躍斗は突然顔の包帯を剥ぎ取る。卯月は包帯の下にあったものに驚愕し、同時に深い後悔に襲われた。
「君だ、君にやられた傷跡だ」
包帯の下、顔の半分は筋繊維が半ば剥き出しなっていた。残った皮膚も焼かれたせいでケロイド状になり、不気味に盛り上がっている。治療の過程でそうしなければいけなかったのか、眼球は抉られなくなっていた。
その大怪我の直接的な原因は、泊地棲鬼の砲撃によるものだ。直前に間宮が庇ったが、それでもここまでダメージが残ってしまった。同時に砲撃した卯月も同罪だ。しかしそれは洗脳によるもの。
「違う、卯月じゃ」
「ここだけじゃない、全身火傷塗れで痛み止めを呑まなきゃ激痛でショック死しそうになる。両足もなくなった。首にダメージが残ったせいで、身体が麻痺することもある!」
「違う! 私じゃ」
「黙れうるさい口を開くな……ゲホッゲホッ!?」
大声を出し過ぎたせいか、神躍斗は激しくむせこんだ。心配した卯月は慌てて傍へ駆け寄る──が、その足を止めた。
卯月へ拳銃の銃口が向けられていたからだ。
「じ、神補佐官……?」
「来るな、僕を殺すつもりだろう、分かっているぞ!」
卯月は泣いていた。涙が流れるのを止められない。僅かな気遣いさえ、惨たらしい形で拒絶されてしまった。その場から動けなくなり、上唇を噛み締めて震える。
「喉も火傷でやられた、呼吸さえ難しい時の苦しみが君に分かるか! 失った目が、足が痛む幻肢痛が分かるか!? 分からないだろうね、君の様な売国奴には!」
「……だ、だって」
「洗脳って言い訳する気か? どうかな、
「僕はそう思わない。君は少し快楽を与えられれば、簡単に深海戦艦に靡くような奴だったってことだ。もしくは最初から、裏切るつもりだったか……どっちにしたって同じだね。君は自分の意志で僕を裏切った。違うかっ!?」
違う。そう叫びたいのに声が出ない。
裏切ったのは私の意志なんじゃないか。システムが呼び起こしただけで、本来の私は、仲間を殺すことに悦楽を覚える下衆なんじゃないか。
神補佐官に言われると、そう思えてくる。
「前科戦線に何年いるのかは知らないけど、それで許されると思わないことだ。僕は君を許さない。正式な軍属なんだから殺しはしない。だけども許さない認めない! どんな手段を使ってでも、地獄へ叩き落としてやるっ! あの世で『卯月』の英霊に殺されろ!」
吐き捨てながら彼は部屋から出ていった。反論する暇もない。卯月は一人残される。
追い縋ることもなく、なにかすることもなく。ただ立ち尽くしていた。
彼の言うことが事実だった。洗脳もシステムも、被害者からしたら全く関係ない。理由がなんだろうと、やったのは卯月だ。
部下の艦娘たちを殺し、人を殺し、彼に凄惨な後遺症を残したのは彼女だ。
卯月は許されないことをした。永久に許されることはない。永遠に憎まれ続ける。
それが現実だった。
目を背けることはできない。目の前の現実に、卯月は打ちのめされていた。
時間が止まったような感覚に陥る。なにも分からない、なにも感じられない。発作も起こらない。壊れてしまったのだろうか。それならそれで構わない気がする。
「……ダメ、だ」
壊れるなんて許されない。簡単だ。壊れたら復讐できなくなる。だから壊れる訳にはいかない。
だけど、どうすれば良いのか。どうすれば壊れないのかも分からない。呆然とすること以外に、なにもできなくなった。
*
卯月と神補佐官が話している間、満潮はゲストルームでぼんやり過ごしていた。普段なら自主訓練に勤しむところだが、さすがに疲れている。人目もあるからやりにくい。前科持ちに浴びせられる視線はどうしても厳しい物になる。全く無視できる程図太くない。
「暇ね」
「で、あれば、卯月殿の様子でも見てくるのはいかがですかな?」
「嫌よ、なんでわたしがそんなこと」
「感動の再会を台無しにしたいとは思わないのですか?」
「アンタと一緒にしないで」
なんでこいつが同じ部屋にいるのか。憲兵隊は向こうの部屋が割り当てられている。あきつ丸は勝手に押し掛けてきたのだ。うっとうしさにげんなりする。卯月と同じぐらい苛立たせる存在だ。
なるべく会話をしないに限る。話すことは徹底的に無視。壁の方を向いて横になり、寝て体力を温存することにする。あきつ丸も途中で諦めたらしく話さなくなる。これで休みやすくなった。やかましい奴はいない。静かで快適だ。
何回かうつらうつらし、惰眠と覚醒を繰り返す。時計を見るとそこそこ時間が経っていた。周囲は静かなままだ。卯月はまだ帰ってきていない。アイツがいたら数倍喧しい。静かなのは良いことだ。満潮はもう一度寝ようとした。
「……ん?」
気のせいか。しかし静かな分鮮明に聞こえた──気がした。
「怒声でありますな。男性の。大分苦しそうで、喉に怪我でも負っているのですかな?」
「解説ありがとう、お礼をあげる」
「おお! なんでありまボヘェアッ!?」
あきつ丸の顔面に
丁度その時、男性が部屋の前を通り過ぎていった。車椅子に乗っている。顔には酷い火傷、両足は義足だろうか。さっきの怒声はこの男だ。顔つきからして怒っているのが分かる。表情筋を動かすのも辛いのか、時折痛そうにしている。
「まさか、あいつ?」
怪我の度合いから判断。彼が卯月の元提督、神躍斗補佐官なのだろうか。彼はドアの隙間から覗いている満潮に気づかず、どこかへ行ってしまった。部屋から出て彼の背中を眺める。
「……ま、どうせ怒らせたんでしょうね」
再会の対話は決別に終わった。そう考えるのが自然だ。部下も仲間も殺されて、『洗脳だから私は無罪』なんて暴論、通る筈がない。仮に通ったとしても『納得』は得られない。
大方、前のように無罪を主張し、一切謝ろうとしなかったのだろう。申し訳なさそうな態度さえ見せなかったのだろう。結果余計に怒らせた。
だがそれが普通だ。普通の人間の反応だ。金剛たちが優し過ぎるだけ。神補佐官の反応は至って一般的。
彼女たちの優しさに甘えたツケ。卯月の自業自得。良い気味だと満潮はせせら嗤う。今頃呆然と立ち尽くしているのだろう。勝手にすれば良い。反省して謝罪するも、敵の思惑を嫌って謝らないのもアイツの自由だ。
「ううむ、心配であります」
隣にいきなり顔を出してくる妖怪。もう復活しやがったとげんなりした。
「なにが」
「卯月殿が壊れてないかでありますよ」
「だったらざまぁないわ」
「しかし、そうなると、満潮殿が更に大変になるのでは?」
万一壊れていたらどうなるか。発作の頻度はこれまで以上になる。日常動作まで介護が必要になる。メンタルケアの仕事まで増えるだろう。
無理だ、こなせる訳がない、絶対にやりたくない。
これ以上プライベートを侵されたら発狂する。想像しただけでも鳥肌が立つ。壊れるのは勝手だが被害が及ぶのは嫌だ。
「……様子見て来るわ」
「お優しいルームメイトでありますな」
「絶望してる顔を嘲笑うだけよ」
「御謙遜を! このあきつ丸感動で涙が! うぅ……うひっ、うひゃひゃ……満潮殿?」
彼女は既にいなかった。独り廊下で気持ち悪く笑う不審者Aでしかない。無視された悲しみにあきつ丸は打ちのめされていた。
茶番を演じる妖怪は無視。満潮は小走りで卯月の元へ向かう。心配は一切していない。だが焦らずにはいられなかった。
神補佐官が歩いてきた廊下を逆走する。それらしき部屋があった。乱雑だったせいで閉まり切ってない扉があった。多分ここだ。満潮は隙間から覗き見る。癖毛の多い赤毛の長髪の女。卯月だ。確信して部屋へ入る。
「ちょっと、生きてんの」
声をかけても反応はなかった。ピクリとも動かず立ったまま。まさかショック死してるのか。それならそれで面倒が減る。確かめようと正面へ回りこむ。
「なんか言ったら、どうな……の……」
満潮はこの時、『壊れている』者を始めて見た。
一目見て分かる。卯月は壊れていた。まるで初めて発作を起こした時のよう。いやそれ以上に酷い。瞳の光は失われている。虚ろな瞳はどこも見ていない。口の端から涎を垂らしている。顔から血の気は失われ、死体のように真っ青だった。眼前の満潮も見えていない。
「……って、なにやってんの!? 卯月、起きなさい!」
「どうしたのか」なんてバカなことは聞かない。神補佐官に拒絶されたのだ。しかしそのショックが今までの比ではない。
発作も悪夢も、所詮は幻だ。死人はなにも言わない。どれだけ罵倒してきても、殴ってきても、現実ではない。自分で「違う」と思えばそれまでだ。
今回は違う。『現実』だ。都合よく自己解釈できやしない。
卯月の精神は元からギリギリだった。謝らないのではない。謝ったら──自分が悪いと認めたら、心が持たない。そのことを本能的に理解していたから、あんな態度だった。
だが、生き残りに。寄りにもよって一番慕っていた人間に、現実を突きつけられた。それが彼女に止めを刺してしまった。
「起きろ! 復讐できなくなって良いの!?」
懸念していた通りになってしまった。このまま壊れたら私の負担が激増する。満潮は卯月を何度も揺さぶり、声をかける。それでもダメなら叩いて殴って頬をつねって暴力を振るう。目覚めればなんでも良い。
「……あ、満潮」
その甲斐あってか、ようやく満潮を認識した。
「遅いわよ」
まだ警戒は解かない。正気なのか判断がつかなかった。子供の様に無邪気な笑顔を浮かべている。正直まともな精神状態とは考えにくい。
「アハハ、ダメだったぴょん」
「でしょうね」
「うん、分かってたぴょん。まあ仕方がない、簡単に許してくれるとは思ってなかったし」
会話も問題なくできる。それが返って不気味だ。満潮の不安は大きくなるばかりだ。
「その、大丈夫なの、アンタ」
「ダメかもしれないぴょん。なんか、なにも感じないんだぴょん」
「……ヤバイ状態じゃないの」
どんな精神状態なのか、いよいよ分からない。即自我崩壊とかはなさそうだが、かなり危険な状態なのは間違いない。しかし、どう対処すれば良いかなんて知らない。メンタルケアなんて艦娘──ましてや
「……ダメ、だったぴょん」
「それはさっき聞いた」
「いや、違う。ダメだった、言い訳も……ごめんなさいって、謝る暇も……なかったぴょん」
予想と違っていた。糞みたいな言い訳をして激昂させたのではなかった。
卯月が目の前に、生きて立っている。
あらゆる拒絶をするには、それだけで十分だったのだ。会話すら許さない。卯月が受けたのは完全なる拒絶だった。
「ずっと、許さないって……わ、分かってた。こうなったって、おかしくない……覚悟、してた、つもりだった……」
話している内に、限界を超えたのか。語尾から「ぴょん」が消える。ヘラヘラした笑みが消えて、鼻水混じりの泣声になる。たどたどしく語りながら、身体を震わせていた。
「許して、貰えなかった。提督なら、優しいから、生きてたこと、よ、喜んでくれるんじゃないかって。悪口言ってたのも、仕方ない理由だから、だって、そうだったら……」
神補佐官が卯月を憎んでいることは、予め知っていた。しかしそれは演技かもしれない。冤罪だと気づいていながら、政治的な理由があることを察して、そう振る舞っていたのかもしれない──余りに都合の良い可能性に賭けた。そして賭けに敗れた。
「……卯月が、甘かった」
卯月は、目の前の満潮に倒れ込んだ。胸元に顔を埋めて動かなくなった。呻き声を漏らしながら、度々鼻水を啜る。
「うっ……うっ……」
泣いているのだ。
けど泣き声を聞かれるのは嫌。だから顔を押し付けて声を押し殺している。彼女を押しのける程の非情さは、満潮にはなかった。
艦隊新聞小話
神躍斗補佐官(現在)
元鎮守府提督。
その後、新人提督の藤江華の鎮守府で、補佐官として働くことに。間宮も同鎮守府に着任。
しかし卯月への恨みは到底消えず、彼女のヘイトスピーチを繰り返していた。卯月以外への性格は以前と変わらず、松姉妹のように慕っている艦娘も多いので、彼女たちもまた卯月を憎んでいる。
大本営的にも(表向き)は卯月は売国奴なので、ヘイトスピーチを止めようとはしていない。
尚怪我としては、顔半分の皮膚が全焼、残り数割が火傷、全身にも火傷、砲撃時に折れた骨で内蔵のいくつかにもダメージ、眼球は片方切除、腕や脚部に欠損等である。間宮が庇ってコレ。直撃していたら間違いなく即死であった。