藤鎮守府にやって来た卯月は、ようやく念願の、神補佐官との再会を果たした。しかしその出会いは、最悪の形で終わりを告げた。
言い訳、謝罪、一切の発言を認めない完全な拒絶。絶対に許さないと言い放ち、再会は終わった。
精神崩壊を起こしていないか、心配してやって来た満潮に卯月は泣きついた。心底嫌いな相手にさえ泣き喚く程、卯月は大きな傷を負ったのだ。
ゲストルームに戻った後、泣き疲れた卯月は気絶するように眠った。しかし安眠できる筈もない。最近余り見なかった悪夢に襲われた。
泊地棲鬼に忠誠を誓い、裏切りの快楽に恍惚としながら、誰も彼も殺していく。最後に間宮ごと神補佐官を撃ち抜く。
直後、場面が変わる。
血塗れで、両足を無くした彼がいる。傍らには細切れになった艦娘がいる。皆一様に睨んでいた。
口を開く。全て拒絶の言葉。憎しみと怒りと、悲しみにまみれた呪詛が浴びせられる。
限界を迎えた。抑えていた罪悪感が爆発する。
「ああああ!?」
気づけば、ゲストルームの天井が写っていた。夢から覚めた。悪夢が終わったのだ。
「夢……う、うっ!?」
途端に凄まじい吐き気が押し寄せる。ヨロヨロ這いずりながら、どうにか洗面所まで辿り着く。
流し台に顔を突っ込み、咳き込みながら嘔吐を繰り返す。途中食べた携帯食料は全部吐き出した。
「おぇ……」
気持ち悪い、涙まで出てくる。最悪の気分。吐瀉物で喉が焼けて痛い。卯月は項垂れるように、流し台にもたれ掛かる。動きたくない。なにもしたくない。
「邪魔なんだけど」
だから後ろに満潮がいてもどうでもいい。退く気分ではない。
「退いて」
イラっとした彼女は、卯月の首根っこを掴む。
「痛いぴょん」
「ならさっさと退いて」
「やだ」
「そう」
首根っこを掴んだまま、卯月は横へ力ずくで退かされる。痛みにリアクションを取るのさえ億劫だった。力なく壁際にもたれ掛かる。
卯月の様子を見て、満潮は深く溜め息を吐いた。しかしそれだけ。なにも言わない。
凄まじいダメージを心に負った。こうなっても仕方がない。掛けるべき言葉も思い付かないし、掛ける気もないから、黙ったまま放置しておいた。
「……辛い」
「でしょうね」
「凄い辛い」
「あっそう」
「なんで……こんなことに……」
「それが現実ってことでしょ」
思いやりゼロ。無情な言葉に更に落ち込む。
結局、わたしだけ無関係なんて理屈が無茶だったのだ。
神補佐官の憎悪は、彼一人だけのものではない。殺された仲間たち全員分の怨念だ。
部下思いな彼だからこそ、余計に怒りが汲み上げるのだろう。全てを拒絶されて、当たり前だったのだ。
「でも辛いよぉ……」
「だったら心構えでも変えたらどう?」
「それは、嫌だぴょん」
「……ま、マジで言ってんのアンタ?」
満潮は心の底から驚愕した。
ここまで、ここまで辛い思いをして、まだスタンスを変えないのか。信じがたい事態である。
「前言った通り。うーちゃんは悪くない。悪いのは敵……千夜って奴。なのにうーちゃんが悪いなんて、認められる筈ないぴょん。これ以上『卯月』を貶めることなんて、できないぴょん」
虚ろかつ死にそうな眼なのに、そこだけは絶対にぶれない。性根が腐っているのか、頑固なのか、プライドが高いのか。なんにせよ呆れる。いっそ感服する。満潮は諦めたように首を振る。
「好きにして」
「そうする……」
卯月の面倒を見てたせいで疲れた。満潮も横になり目を閉じる。静かな時間が流れる。しばらくすると遠くから一人分の足音がしてきた。
「お邪魔するでありまーす」
「帰って」
「いや昼食をお持ちしたでありますが?」
心外! といった顔で震えるあきつ丸。食事とあれば逃せない。ボロボロの身体を突き動かして、なんとか立ち上がる。持ってきてくれた三人分のプレートの内、一皿を貰う。
「……毒とか入ってないわよね?」
訝しむ満潮を、あきつ丸が笑う。
「はははご冗談を、いくら皆様方が前科持ち、嫌われ者の最低部隊だとしても味方は味方! そんな行為をすれば軍法に関わる大問題、そこまでの愚か者はいな──」
「ぴゃぁ!?」
突如、シチューを食べていた卯月が悲鳴を上げた。何事かと二人が振り向く。
「う、う、うっそぴょーん……」
指先で持ったスプーンの先端、そこに掬われていたシチュー。白いスープの中に異物が浮かんでいた。
カミソリの刃だった。
口に入れてたら口内が血塗れ。下手したら舌がザックリ。万が一にも飲み込んでいたら、死ぬ危険さえある。そんな危険物が卯月の食事に混在していた。
「……毒の方がマシだったかしら」
「ううむ、証拠を見つけるのが少し面倒なので、カミソリの方がマシで」
「どっちでも良いぴょん! なんだよコレェ!?」
「カミソリでありますが?」
「妖怪は黙ってろぴょんっ!」
卯月は食事のプレートを端に寄せた。とてもじゃないが食欲が湧かない。
「あきつ丸は、こんなことをした愚か者を苛めてくるであります」
「苛めって、アンタ……」
「いやぁ、久々に腕がなるであります」
物騒な言葉を残してあきつ丸は立ち去った。彼女のプレートの端には刃物の破片があった。満潮のプレートも同じだ。卯月がどれを取っても死ぬようになっていた。卯月だけじゃなく、全員纏めて死ぬようになっていた。
「わたしたちも、売国奴の仲間って訳ね。バカな連中が」
無差別かつ悪質なやり方。ここまでするのか。こんなバカげたことを実行に移す程、わたしは憎まれているのか。真実がなんであれ、世間からは仲間も鎮守府も売った売国奴。裏切り者に対しては、どこまでも非情になれるということか。
二人揃って不快感を味わう。その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「卯月殿! 無事か!?」
何処へ行っていたのか、波多野曹長だ。帽子とやたら高い襟で表情は見えないが、それでも焦っているのが分かった。
「大丈夫だぴょん……テンションは地の底だけど」
「申し訳ない、まさか、駆逐艦どもがここまで過激な行為に出るとは思わなかった」
「本当よこっちも迷惑よ勘弁してよ」
「本当に申し訳ない。私がいながら、不甲斐ない」
心底後悔した雰囲気だ。下剤とか腐った牛乳とかのレベルを越えてる。殺す気満々の行為だ。仮にも国防に関わる存在が、そこまでの暴挙に出るなんて予想できなかった。曹長だけではない。卯月も満潮も油断していた。
「気にしないでぴょん……うーちゃんが、どう見られてるのか、よーく分かったぴょん」
波多野曹長は顔をしかめた。絶望している。想像以上に酷い現実に、心が擂り潰されている。これで気にしない訳がない。しかし、癒す方法もない。
「二人とも腹が空いていると思い、軽食を貰ってきた」
「またカミソリ? それとも爆雷? まさか魚雷を直接齧れと言うのかぴょん」
「疑い過ぎよ。北上じゃあるまいし」
「……待って北上さん魚雷噛ったのかぴょん」
満潮はなにも答えない。曹長も目線を反らしたまま軽食を出してきた。
戦闘糧食……もとい大きめのおにぎりが二つ。あと沢庵。極めて典型的な軽食だ。まだ温かい。曹長の依頼を受けて、誰かがすぐに握ったのだ。
「調理過程は見ていた。毒味もした。それは安全に食べることができる。どうか安心してくれ」
安心できるのは確かだ。しかし卯月は手に取れなかった。カミソリがかなりショックだったのだ。どうしても疑ってしまう。信じられない。曹長もグルなんじゃないか。そう考えてしまう。
疑ってばかり。自分が嫌になる。かなりカッコ悪いと自覚していても、殺されかけた恐怖が拭えない。
卯月は、それが罰だと思い始めた。
仲間と思っていた奴に、殺されかけた恐怖。同じ恐怖を神補佐官と間宮さんは味わったのだ。こんな、カミソリ一つとじゃ比較にならない苦しみを。
「ふん、まあまあ旨いじゃない」
満潮の一言に顔を上げる。出された軽食を、彼女は食べきっていたのだ。
「誰が作ったのコレ」
「間宮だ」
「ま、間宮さん……っ!?」
あり得ない。心の中で否定する。神補佐官と同じように、間宮さんだってわたしを憎んでいる。わたしを殺せるなにかが入ってるに違いない。
しかし、満潮は平然としている。どっちがどちらを取るかは分からない。ピンポイントで狙うことはできない。片方が無事なら、もう片方の軽食も『無事』だ。
「なんで、どうして……?」
「さっさと食べたら、冷めるわよ」
「……じゃあ」
ハムっと、恐る恐る一口頬張った。
塩加減が丁度良く、巻かれたパリパリの海苔が心地よい、定番の味だった。
とても、懐かしい味だった。みんなを裏切るまでの一か月間で、何度も何度も食べた、思い出の味がした。
「グスッ、美味しいぴょん……」
「泣きながら食べないでよ、気持ち悪い」
「黙ってろぴょん!」
満潮なんぞどうでもよい。毒も異物も入っていない。純粋に美味しさを味わえた。嬉しいのになぜだか涙が出てくる。裾で拭いながら、一心不乱に頬張っていく。
言っても、大丈夫そうだ。少し落ち着いた様子の卯月を見て、曹長は口を開く。
「間宮さんは、お主には会わない」
おにぎりを食べる手が止まった。
「なんで?」
「会ったら、殺しかねないそうだ。お主のことを話しているだけでも、気が狂いそうな程苦しんでいた」
「……やっぱり、そっかぁ」
思った通りだ。心の底から落ち込む。神補佐官が憎んでて、間宮さんは憎んでない。なんて上手い話、ある訳ない。要するに顔も会わせたくない。ということだ。神補佐官と同じ拒絶。関わりその物への拒絶だ。
「だが、お主が『元凶』でないことは察していたようだ」
「……ん? アンタ、
「いや、間宮さんには話していない」
神補佐官に話したのは、かなり例外的な対応だ。最大の被害者だから、精神的事情を考慮したまで。間宮はそこまでいかない。彼女に話すことは認めなかった。
卯月は首を傾げた。ならなぜ、食事を作ってくれたのか。嬉しいが理解できない。
「彼女はお主を憎んでいる。だが、同時に違うとも考えている。『卯月はそんな子じゃない』と信じているのだ。しかし顔を会わせれば、受けた苦痛に耐えきれない」
「頭では、分かってるってことかぴょん」
「そこまでは知らぬ。わたしは間宮さんではない。その戦闘糧食が彼女の返答だ」
食べきったおにぎりは、本当に美味しいものだった。それが全てだ。どんな意味が込められているのか、卯月には知るよしもない。卯月は間宮ではない。
だから勝手に信じることに決めた。意味なんてないかもしれない。仕事の一環として、事務的に作っただけ。曹長に見せた態度は単なる社交辞令、かもしれない。
けど、卯月はより良い方にすがった。心が持つなら、そっちの方が良いに決まってる。壊れたら元も子もない。それはとてもカッコ悪いことだ。
*
間宮の差し入れを食べた後、卯月たちは暇だった。やることがない。最大の目的だった神補佐官との再会は(最悪の形だが)済んだ。もうここに滞在する理由は、ないように思える。
正確に言えば、やれることはある。
訓練だ。彼女たちは軍人。身体が鈍って良いことはない。ずっと戦い続けて疲弊してる訳でもない。護送の疲れは取れている。自主訓練をすべき状況。
面倒がる卯月はともかく、満潮は訓練がしたかった。やる気もある。実際食事後はトレーニングをする気だった。
ここが、他所の鎮守府でなければ。
前科戦線はとにかく嫌われている。懲罰部隊なのだから嫌われて当然。満潮は何度か外の鎮守府へ滞在したことがあったが、目線はいつも厳しかった。
しかし、そんな目線には慣れてしまった。今更気にならない。満潮はいつも素知らぬ顔でハードなトレーニングを行ってきた。
だが、ここはダメだ。
この鎮守府では、殺される危険がある。
卯月への態度が凄まじく厳しくなるのは予想していた。覚悟もしていた。けど、本当に殺しにかかってくると。まさか食事にカミソリを仕込むなんて。
艦娘というか、軍人というか、人として完全にアウトな行為。いくら卯月が憎いからって、そんな艦娘の誇りを貶める行為をするとまでは思わなかった。
「前代未聞よ……まったく」
一人愚痴る。神補佐官はどれだけ卯月の悪評を広めたのか。そりゃ裏切り者の売国奴は好まれない。それにしたって、殺しにかかるのは完全にやりすぎだ。何度か外の鎮守府に行ったことはあるが、殺害未遂は初めてだった。
下手したら、満潮まで巻き添えで殺される。いやされかけた。満潮がカミソリを呑み込んでいてもおかしくない。
今だって、部屋の真正面に波多野曹長が立って護衛してなきゃいけない。
そんな緊迫し切った空気の中、訓練できる程満潮は図太くなかった。腹立たしいが卯月と同じく、暇を持て余すしかない。
と、不意に扉が開いた。波多野曹長が顔を出す。
「卯月さん、満潮さん。良いか」
「……どーしたぴょん?」
「お主たちに、客人だ」
「殺しにきたっていうのかしら。返り討ちにしてやるって伝えて」
「違う。客人で間違いない。通すぞ」
身体チェックは終わっている。曹長の監視の元、知らない艦娘が部屋の中に入ってきた。茶色のセミロング。クリーム色の服を来た女性。体格から見て、軽巡だろうか。彼女は卯月と満潮を一瞥する。
「卯月と、満潮ね」
「そうだけど、アンタ誰」
「重雷装巡洋艦の『大井』よ」
「大井……って、北上さんの妹の?」
「そうよ、ちょっと貴女たちに来て貰いたいの」
球磨型四番艦。北上は球磨型の三番艦だ。そんな奴が何の用か。とはいえ暇で死にそうだったのも確か。周りの目線に怯えながらも、卯月はそれを了承した。
ハイパーズは前作から引き続き登場。わたしのお気に入りなのでしょうか……ちなみに大井の登場は48話で示唆してたり。