卯月は想像を絶する程憎まれている。外出したら死ぬ危険がある。満潮も巻き添えになりかねない。ゲストルームで大人しくしていた二人を連れ出したのは、雷巡の『大井』だった。
なんの用があるのか分からない。けど暇の度が過ぎた。二人は大井についていくことに決めた。
その場合、心配されるのは卯月が殺される可能性だ。もう笑い飛ばせない。カミソリで殺されかけたのだから。
部屋から出れば、当然人とすれ違う。早朝は人がまばらだったが、今は午後下がり。人通りの数は朝の比ではない。所属人数も前科戦線より遥かに多い。他人との遭遇は不可避だ。
誰かとすれ違う。
その度に卯月は憎しみのこもった視線に晒された。怨念が突き刺さっているようだ。
神補佐官か、朝会った明石か分からないが、造反者の
こいつが、裏切り者か。
なんでのうのうと生きている。死ねば良いのに。なぜ誰も殺さない──あくまで小声だが、卯月には鮮明に聞こえていた。
「ぴょん……」
神補佐官に拒絶された時よりマシだが、とても辛い。少しでも視線を避けようと、身体が勝手に縮こまる。本当に犯罪者になったような錯覚に陥る。
なにも知らない──知る必要がないから──艦娘たちは、心ない言葉を容赦なく浴びせた。
だが、一発の舌打ちが、罵倒を止めた。
「言いたいならハッキリ言いなさいよ卑怯者」
大井を見て、卯月と満潮は戦慄した。
「この子たちは客人よ、文句があるなら、許可を出した提督に言ったらどう」
部屋に来た時とは大違い。どこか見覚えのある、鋭い目線で艦娘たちを牽制していた。
「……水鬼さま?」
それは、戦艦水鬼に酷似していた。
否、水鬼と同じそれを放っている。見間違えやしない。大井が放っているのは殺意。『完全なる殺意』だ。
大井に睨まれた艦娘たちは、殺意の圧力に怯み、卯月を睨み付けながら通りすぎて行った。
その後も艦娘とすれ違った。例外なく卯月に憎しみの目線を向けてきたが、やり過ぎている連中には、大井が殺意を突き立てた。彼女は卯月を守っていた。
「悪いわね、普段はここまでじゃないんだけど」
「……なんで、うーちゃんを庇ってるぴょん。大井さんの立場まで悪くなるんじゃ」
「余計なこと気にしないで良いわ。わたしは、この程度で揺らぐような立場じゃないの」
戦力的な意味合いか、別の意味かは、どっちでも構わないのだろう。「それよりも」と大井は話を続ける。
「彼女たちをあまり悪く思わないで。事情を教えてないのはわたしたちの方。知らないからしょうがない……とまでは言わないけど、できれば、憎まないで欲しい」
大井は複雑そうに頼んできた。こんな扱いを受けといて、『嫌いになるな』なんて、無茶なお願いだとは、大井自身が一番承知している。
「うん、憎まないぴょん。悪いのは『敵』、殺さなきゃいけないのは、ソイツだけぴょん」
しかし卯月は即答した。とても早かった。大井は呆気にとられる。
「これで艦娘を憎んで、わたしたち同士で殺し会う真似をしたら、それこそ『敵』の思う壺。うーちゃんは絶対にやらない。一つだって敵の思い通りにはならない。だから憎まないぴょん」
「敵の狙いって同士撃ちなの?」
「いや、知らんけど。勘だぴょん」
「……適当ね」
まさかの回答に大井は呆れるが、卯月は真面目だ。艦娘を洗脳するシステムなんて代物を使っている連中だ。同士撃ちを見たら手を叩いて喜ぶに違いない。勘だが、全く見当違いでもないと思う。
とは言え憎まないと回答は得れた。大井は内心、ホッとする。
「憎まないってことは、
満潮の指摘に、卯月は顔を背けた。『憎くない』ではなく、『憎まない』。少し違った言い方に、彼女は気づいていた。
「ぷっぷー」
「……まさか今のって」
「それで誤魔化しのつもりみたいよ」
「うるさいぴょん」
「もうちょっと上手い誤魔化しあるでしょ」
内心、艦娘が少し嫌いになりそうだった。しかしそれを言ったら敵の思う壺。だからと言って嘘は言えない。嘘は嫌いだ。だから下手な誤魔化しをする他ない。あんまりな下手さに、大井は再び呆れた。
「大井さん、でもコイツの思ってる通りだから。あれだけやられて、苛立たない方がおかしいわ」
「承知してる。だから
「そうね。でもカミソリで殺されかけたのは、絶対に許さないわよ」
ギロリと満潮が睨み付ける。卯月もその点は同意だ。冗談抜きで死にかけた。なにかしらのケジメが必要だと思える。勿論大井はそれを分かっている。
「落とし前を、今からつけるのよ」
「まさか、やったのって」
「わたしじゃない。でも無関係とは言えない……ついたわ」
やって来たのは、鎮守府の地下室だった。日の光は届かず、照明も薄暗い。あえて暗めにしているように思える。
奥には鍵のかかる扉がある。前にはなぜか、あきつ丸が立っていた。
あきつ丸はこちらに気づくと、ヒラヒラと手を振ってくる。あいつはなにをしているのか。そもそもここはどこなのか。
「あきつ丸が見張ってたのよ。逃げないように。信用されてないわね」
「逃げる?」
「ここは独房よ。まあ、反省室とでも言えばいいのかしら」
独房、つまりあきつ丸は独房の仲間の誰かが逃げないか監視してたのだ。鍵はかかってても、万一のことはある。まあ逃げたところで、罪が重くなるだけだが。
この中にいるのが誰なのか、察していた。やらかさなければ独房へは入らない。
「カミソリを入れたクズがいるってことね」
かなり、いや相当気まずそうに、大井は頷いた。鍵を取り出して、扉を開ける。中には四人の駆逐艦がいた。その面々を見て、卯月は心の底から絶望した。ショックを受ける卯月を見ながら、大井は呟く。
「……わたしが、あの子たちの、教導艦なのよ」
大井は責任を感じているのだと、理解した。
*
あきつ丸がキモい目付きで睨んでるから、扉が開いてても、犯人たちが逃げ出すことはない。そもそも鎮守府内で逃げる場所なんてない。前科戦線より大きいが、神躍斗の鎮守府より小さいと感じた。
「で、この状況でどうしろっての」
凄まじく険悪な空気。耐えきれなくなった満潮がぼやく。卯月も同意だ。こんな所へ連れてきて、どうしろというのだ。黙りこんだままの駆逐艦を見て、大井は舌打ち。
「なにか、言い訳は?」
問いかけに対しても、無言だった。卯月とは目線も合わせようとしない。特に強く
「そう、分かった。じゃあわたしが言うわね」
「待って! 大井さんが言うことないよぉ!?」
「貴女たちが言わないからでしょ」
彼女の訴えは無視。大井は卯月の方へ向き直ると、膝を床につき、両手を地面につけようとした。
「ダメ! そこまでしないでください!」
「や、止めてよ大井さん。あたしが悪かったよぉー」
彼女たちが止めたことで、大井はギリギリでそれを止めた。額を地面にこすりつける寸前の正体、なにをしようとしたのか、卯月にだって察しが付く。
大井は土下座をしようとしていた。
そこまでされるなんて完全に想定外、卯月は固まりながらも、何とか声を搾り出す。
「うーちゃんも要らないぴょん、そんなの、大井さんは別に」
「隊員の責任は旗艦の責任よ。わたしがしっかりしていれば、こうはならなかった。この子たちが謝罪しないのなら、尚更わたしがしなきゃいけない」
後ろの駆逐艦たちは、色々な反応をしていた。項垂れる者、慌て続ける者。プラスの反応は誰もいない。
当然だ。駆逐艦にとって、軽巡とは本来、絶対的な存在である。畏怖の対象であり、敬愛の対象。恐ろしくも勇ましく、誇るべき先輩。それが軽巡だ。普通の鎮守府での経験がほぼない卯月でも分かっている。
そんな軽巡に頭を下げさせる寸前だった。自分たちのせいで。彼女の行為は駆逐艦たちにかなりの罪悪感を与えていた。大井がわたしを独房まで連れてきたのは、これが目的だったのだろうか。
「大井さん……」
「貴女たち、話すべき相手はわたしじゃないわよね」
「およぉ……」
四人の中で、茶髪のショートヘアをした駆逐艦が、卯月の前にやって来た。複雑そうな顔をしている。続けて栗色のロングヘア―の、最後に緑髪のロングヘア―に、メガネをかけた艦娘。三人とも全員、卯月と同じ
「まず名前ぐらい名乗ったら。わたしアンタたちが誰か知らないんだけど」
空気を一切読まない満潮の発言。余計なことをと内心呟くが、そのおかげで、会話が繋がった。
「睦月型駆逐艦、一番艦の、『睦月』です」
「妹の如月よ。よろしく……で良いのかしら」
「望月ー、よろしくー」
独房に入れられていたのは、他ならぬ卯月の姉妹艦たちだった。
「…………」
「後ろのは」
「知ってる、弥生で合ってるぴょん?」
「合ってるにゃしぃ」
薄紫色の髪をした、一番知ってる艦娘だけは、背中を向けたまま動かなかった。それが弥生だ。そして彼女こそが、早朝に訪れた時、わたしが『造反』の卯月だと、確信していた駆逐艦だった。
睦月たちは名乗った後、また口を閉ざした。
口をモゴモゴさせて話そうとしてはいるが、強い戸惑いがある。堪えられなくなった卯月が、先に喋った。
「睦月お姉ちゃん、その」
「止めてよ、それは!」
「えっ」
「あっ……」
睦月は目線を合せてくれない。暗い表情で下を向いたままだ。
「ごめん卯月ちゃん。カミソリなんて入れた以上、謝るのはしょうがないと思ってる。でも、お姉ちゃんって呼ばれるのは絶対無理」
「私もよ。分かってくれるかしら」
「あたしは……どうでもいいかなー。関わってさえこなければさー」
全員が全員、彼女と必要以上に関わることを否定した。菊月以外では初めて会った姉妹艦たちさえこの態度。自分が外ではどう思われてるのか痛感する。
「でも悪かったよー、さすがにやり過ぎだ」
「……まあ、そう、そうよね」
謝ろうとはしている。しかしそれは、大井に恥をかかせたことを、申し訳なく思っているから。最大の理由はそっちだ。卯月にカミソリを食わせたことは、そこまで重要ではない。
「ごめんにゃしぃ、もう二度と絡まない」
「皆で、うーちゃんを殺そうとしたのかぴょん」
「ううん、睦月たちは連帯責任。実行犯は……弥生なの」
彼女たちは同じ駆逐隊のメンバーだ。誰かがやらかしたら、責任は全員で負う。軍隊はどこもそういうものだ。
しかし、一番謝らなければならないのは、間違いなく弥生だ。彼女がケジメをつけなければ、この話は終わらない。
弥生は背中を向けたまま微動だにしない。睦月たちが声をかけても、一切反応しない。
それだけ、卯月と関わりたくないのだ。下手に声をかけるのも戸惑われる。卯月はオロオロと立ち尽くす。
「ダメよ弥生ちゃん、気持ちは分かるけど、あんなのが妹だなんて……大井さんに迷惑がかかってる」
如月が肩を叩きながら、動かそうとする。それでも弥生は動かない。殺そうとしたことに、責任を感じている可能性は低いだろう。
「弥生は……正しい」
こんなことを言うのだから、間違いない。睦月たちは苦しそうな顔をする。気持ちが痛いほど分かるからだ。売国奴を認めなきゃいけないことが、悔しいのだ。
「弥生……そう言ったってさぁ」
「おかしいのは……大井さんの方です……なんで、そんな奴を庇うんですか……」
「前科戦線のお陰で、今回わたしたちは大規模作戦を成功させられたから。こいつらは大本営に必要な存在なの」
「だからって……こいつがなにをしたか、知らない訳じゃないのに! 神補佐官から、聞いてますよね……!」
弥生が声を荒げて訴える。睦月たちは驚いていた。弥生がこんなに大声を出すところを、初めて見たからだ。彼女自身も感情が爆発したせいか、涙目になっている。
「聞いてる、でも彼が、卯月を殺せって言ったの?貴女たちに命令したの? だったら彼も処罰対象ね、あきつ丸さん?」
「了解! 仕事に赴くでありま」
「おいバカ止めろぴょん!?」
このもののけが神補佐官になにをするのか、恐ろしいことに違いない。心底から嫌われてても、彼は卯月の提督だ。心の支えであり続けている。殺されてはならない。
卯月と同じ思いを抱いた弥生と、顔を青ざめ叫んだ。
「独断! 弥生の、独断です……補佐官は、関係ありません……」
「なんだ、残念」
「でも、でも……こんなのは、おかしい……卯月のせいで、全部メチャクチャになった……!」
「ぜ、全部? うーちゃん、弥生にはなにもしてないぴょん?」
これは本当だ。卯月は弥生たちにはなにもやっていない。
だが、卯月のその一言が、弥生の逆鱗に触れた。
「……なにも、知らないの?」
「だからなんのことだぴょん」
「……卯月のせいで、みんなが迷惑した……今まで、みんなが培ってきた『信頼』が、全部水泡に帰した……それを、分かってないなんて」
弥生がやっと顔を上げ、卯月と眼を合せた。しかし彼女の表情は憎悪に染まっていた。
少し前までの卯月のようだった。深い悲しみと怒りを抑えきれず、憎悪として発露している。弥生は卯月を憎んでいた。殺したいと心の底から思っていたのだ。
「『化け物』呼ばわりされたのは、お前のせい……!」
「ば、ばけもの……?」
「出て行って、この鎮守府から……弥生は、弥生は嫌だ。こんな奴のために……謝る必要なんてない。私たちも、大井さんも! じゃなきゃ……今度こそ……!」
その後のことは、正直細かく覚えていなかった。
姉妹艦との出会いは、下手をしたら、神補佐官との再会よりも卯月を傷つけた。実の姉妹からも、本気の殺意を抱かれている。軍規も常識も、上官の命令さえ上回る程に憎まれている。
よりにもよって、弥生が殺しにきた。
仕方ない──今すぐそう納得するのは、卯月にはできなかった。
艦隊新聞小話
・前科戦線の扱い
特効とルート調査のため重要視されている特務隊ですが、懲罰部隊としても側面も存在しています。
その役割とはズバリ、『嫌われ役』です。
罪を犯した艦娘はああなるんだぞ――と、身を挺して証明してもらうことで、他の艦娘が違反行為を起こさない為の抑止力になる、という役割があります。
なので、前科戦線に対する犯罪行為は、一部を除いてだいたいが黙認されるようになっています。今回弥生ちゃんが剃刀をぶち込むという殺人未遂をやりましたが、解体刑にならず独房送り程度で済んでるのは、これが理由です。
惨いですけど、このシステムを考えたのは、前科戦線の初代提督らしいです。なに考えて懲罰部隊なんて作ったんでしょうか。青b……わたし興味があります!
ああそれと唐突ですが、この作者、睦月型駆逐艦12隻を全員出すと唐突に決めたようです。
……ん、12隻?