卯月の造反は表向き、なかったこととして扱われている。艦娘が人類に牙を剥いた。これがどれだけ恐ろしい事態を呼び込むのか、大本営も憲兵隊も理解していた。
艦娘は人類の守護者である。しかしその力はとても恐ろしいものだ。
人型サイズ故に隠密性も高い。どんな湾岸部からでも、砂浜からでも断崖絶壁の壁からでも。ヘリを使えば空からでも、最低駆逐艦級の兵器を投入可能な、一種のステルス兵器。それが兵器としての艦娘だ。
そうでなくとも、入渠さえすれば大概の傷は完治。老化も殆どない。つまるところ艦娘と深海棲艦の違いは一つしかない。
人類に敵対的な化け物か、友好的な化け物か。
万一、艦娘が人類にとって脅威と見なされれば、人は艦娘を絶滅させにかかる。深海棲艦を倒した後は、艦娘が倒される運命にある。
艦娘が現れた当初から、それはかなり懸念された事態だった。多くの軍人や関係者は、そんな終わり方を望まなかった。当事者である艦娘たちも同じ思いだ。護るべき人間に殺されるなんて嫌だった。
そうならないよう、長年に渡り努力が続けられてきた。
人権がどこまで有効か考え、艦娘用の軍規や罰則──前科戦線もその一環と言える──定められた。艦娘たちも鎮守府を解放し、イベントで民間人と接し、友好さをコツコツと広めてきた。世論を艦娘寄りへ傾けるためには、手段を選ばなかった。
結果今の世論がある。だいたいは艦娘に友好的だし、純粋な人類の味方だと認識している。また別の問題を生むかもしれないが、艦娘を『敵』
と見なす流れは、今はない。
「けど、卯月、貴女のやらかしで、それが台無しになったの」
大井の自室で話を聞いていた卯月は動けなかった。出されたお茶はとっくに冷めていた。
弥生を筆頭に、睦月型の姉妹たちから拒絶された後のことだ。卯月は弥生の言ったことが引っ掛かっていた。『信頼』が失われたと言うが、なんのことなのか。
『後悔するけど良いの』
大井に聞いてみたらそう返された。卯月はそれでも、言葉の意味を知ろうとした。ゲストルームより近いと、彼女の自室へ招かれた。
彼女は事の子細を説明してくれた。全く外の世界に関わったことがない卯月に、世界情勢とかその辺の段階から教えてくれた。おかげで卯月は話をちゃんと理解できた。
洗脳された自らが、どれだけ大変なことをしたのかも。
「過程がなんであれ、結果が全て。『艦娘が深海棲艦と共謀して人類を襲った』。艦娘が深海棲艦と変わらない化け物って可能性が、示されてしまった」
「うーちゃんの、せいなのかぴょん」
「まあそうね。貴女が洗脳されたせいで、長年の信頼に亀裂が入ったのは確かよ」
「でも、こいつの造反は表向き秘匿されてるんでしょ」
「鎮守府が一個完全壊滅したのよ。ある程度は隠せても、隠しきれるものじゃないわ」
秘匿されてるのも一般社会に対してだけ。軍内部(機密事項なのは変わらないが)では知れ渡っている。完璧に隠しきるには被害が大きすぎる。細かいところは知られてないが、そういった
「少し前に、鎮守府祭ってのをやったのよ」
「なにそれ」
「民間人との交流イベント、アンタやったことないの」
「……ああ、あのくだらない行事」
「ええ、でも重要な行事。そこに来ちゃったのよ、どっかから噂を聞き付けたクズが」
ため息を吐く大井は、平静を装っているが、静かに怒りを燻らせていた。
「『こいつらは化け物、深海棲艦と変わらない。あの卯月と同じだ、いつ裏切るが分からないぞ!』……って、とんでもない大演説をしたの」
「頭おかしいんじゃないのそいつ」
「憲兵隊にトッ捕まって精神鑑定受けたら、ネジが飛んでたらしいわ」
一意見としてはあり得る。けど軍隊のイベントのど真ん中でやるか普通。尚そいつは今、憲兵隊によって入念な『研修』を受けさせられているとか。
「反艦娘組織の工作員の疑いもあるけど、それは今は関係ないわね」
「弥生が言ってた『化け物』ってのは、そういう意味ね。くだらない。狂人の戯言を真に受けてんの?」
「問題はそこじゃない。そいつが叫んだ後よ。かなりの来訪者がそそくさと帰っちゃったの」
さっきまでの怒りと同時に、悲しさも混じった表情を浮かべる大井。年長者の彼女でこれなら、幼い弥生たちは。
「本当なのかぴょん」
「帰ったのは本当。でも理由は分からない。狂人のいない日に出直そうと思ったのか……内心燻ってた恐怖心が溢れたのか。ここは神補佐官の鎮守府に近い。裏切り者がいるって噂は、他所以上に広まってたのね」
「そんな、悪いのは、敵なのに」
「その敵に、『艦娘』も含まれるかもしれない。そのトリガーを貴女が引いたかもしれない。
洗脳されていた事実があっても、そこはもう揺らがない。卯月は先人たちの積み重ねた努力を壊してしまったのだ。わたしは悪くない。責任を否定し続ける彼女でもショックを隠し切れない。顔を俯かせたまま動かなくなる。
「あの子たちにとっては、初めての鎮守府祭だったの。皆の期待に応えようと任務もこなしながら必死で準備して、出店も頑張って……」
「もう、言わなくて良いぴょん。だいたい察したぴょん」
「……ごめんなさい。わたしもまだまだだった。あの子たちがどれだけ恨みを募らせてるか、推し量れなかった」
大井は、卯月と直接会わせれば少しは印象が変わるんじゃないかと期待していた。真正面からちゃんと話せば分かる。仲間を快楽目的で売り飛ばすような輩ではない。姉妹艦なら尚更通じ合える筈。自分たちがそうだから。
だから会わせた。結果は見ての通り。むしろ状況は悪化した。上官の土下座を臭わせても、弥生は決して譲らなかった。
「で、あの弥生って奴はどうなんの。まさか無罪放免で釈放?」
この空気に耐えかねて、満潮が湯呑をテーブルに叩きつけた。話題を変えて、暗い雰囲気をマシにしようとする。
「いや、さすがにそうはならない。一ヶ月ぐらい出撃・外出禁止。鎮守府の全雑用従事ってトコじゃないかしら」
「それは軽いのかぴょん、重いのかぴょん」
「殺人未遂でコレよ?」
言うまでもなく軽い。滅茶苦茶軽い。
本来なら軍事裁判行きor即強制解体でもおかしくない。そうならないのは、被害者が前科持ちだからだ。
「まあ流石に黙認にはならない辺り、マシっちゃマシね」
「……ん、待って。じゃあ普段は黙認ってことかぴょん?」
「そうだけど。忘れたの、私たちは懲罰部隊。
「く、黒過ぎないかぴょん」
差別が容認されている現実に困惑する卯月。満潮は面倒そうにしながら説明した。彼女も卯月同様、差別に伴った扱いを受けた経験がある。
わたしはもう慣れたが、慣れるまでは辛い。卯月にとっては苦しい時期になる。
ザマァ見ろと満潮は思った。言葉に出さないだけ慈悲があった。ここまで来ても罪悪感を認めない卯月の姿は、とにかく癪に障る。酷い目に遭っても、あまり哀れとは思わない……実の姉に殺されかけたのは、少し同情するが。
「これで以上。卯月が誰からも徹底的に嫌悪される理由よ」
「理解したぴょん。うーちゃんは皆が作った過去も、夢見てた未来も壊したってことだぴょん。そりゃ恨まれるぴょん」
「……憎まないでって言葉、撤回しておくわ」
ここまでされて恨みの欠片も抱かないのは無理だ。大井が同じ立場だったら誰かしら恨む。迂闊な発言を後悔した。
しかし卯月は突然、ヘラヘラしながら笑い出した。
「ははは、そんな必要はないぴょん。『納得』は得られたし、相応の罰を受けるってんなら、うーちゃん文句はないぴょん」
「そう?」
「うんうん、こんなことで憎むなんて無様過ぎるぴょん。それに」
スウッっと息を吸い込んだ。一拍置いて、卯月は──絶叫した。
「ざぁぁぁぁっけんじゃねぇぞッ!?」
軽巡寮中に響いているんじゃないか、と疑う程の怒声が吹き荒れた。
「よくも、良くもこの『卯月』を、ここまでコケにしたなッ! 許せん、ますます許せない。覚悟してろよ『敵ィ』! 地平線まで追いかけてでもテメェを見つけ出して、内蔵引き摺り出しシズメテヤルゥゥゥゥ!!」
気のせいだろうか。卯月の瞳が
そんなのは些細なこと。
大井はあっけに取られていた。
あれだけの扱いを受けていて、尚、憎むべき対象を見誤っていない。全責任は『敵』にあると考えている。
プライドが高いのも理由の一つだが、その反応は卯月自身が壊れないためのやり方だ。わたしのせいだと認めてしまえば、心が押し潰されてしまう。卯月は認めない。徹底的に認めない。卯月のせいでも、ましてや神補佐官でも誰でもない。『敵』が全部悪い。実際そうなのだから。
彼女の反応。満潮は既視感を感じていた。まだ事情を知らなかった松型姉妹に迫害されていた時も、突如としてプッツンした。
ストレスを表に出すのはカッコ悪い。しかし溜め過ぎるのもカッコ悪い。だから一定のラインを越えると、噴火する。そういうやり方で、彼女は精神を安定させていると、満潮は気づいた。
「ぜぇー、ぜぇー、ファッキューだぴょん……だから、ぜーいん、黙ってろぴょん!」
「……ん、卯月?」
「これ、発作起こしてるわね」
キレ散らかしてて気づくのが遅れた。卯月の目は真っ黒だ。光を宿していない。あらぬ方向を向きながら、いない人に向けて話している。
どんな幻を見ているのか。恐らくは恨みつらみの言葉。卯月が無視している罪悪感が形になって襲い掛かっている。
「うーちゃんは、違う……仇は、わたしが、討つから……黙っていろ……!」
だが、幻の犠牲者たちにも同じことを言い続けていた。前に言ったのと同じ言葉。もし仮に贖罪が必要なら、それは『敵』を打倒することで成すと。五感が狂い、畳に倒れ込んだ卯月を介抱しながら満潮はうわごとを聞いていた。
「これが、例の発作なのね……」
突然発狂した卯月を、大井は心配そうにのぞき込んでいる。悪いヤツじゃない。人を普通に心配できる。前科持ちでも安直に恨まない。むしろ良い人だ。それはそれとして、気になることが一つあった。
「大井さん、
「
「どうして知ってんの。金剛が漏らしたの?」
「え、北上さんから聞いてないの」
北上というのは、当然前科戦線でメカニックとして働いている、義足の北上のことである。
「事情は聞いていると思うのだけど」
「はぁ? 北上ってこっちの北上? ならなにも聞いて……」
「あった筈だけど」
そういえば、バスに乗り込む直前、言われた気がする。『宜しくね』と確かに言っていた。満潮は思い出した。あれはつまり『大井に宜しくね』という意味合いだったのだ。分かりにくいはバカと内心罵る。
「北上さんから面倒見て欲しいって連絡あったの。立場上大変になるから、少し気を使ってあげることにしたの。北上さんの頼みを断る理由なんてないし」
「北上が言ってなけりゃ、アンタも私たちを迫害した訳ね」
「まあ、前科持ちに思う所はあるけど、北上さんの仲間。真正面から侮辱しやしないわ。思う所はあるけど」
二回言いやがった。好んではいないのだ。卯月は納得する。違法賭博開いている奴とかアル重を好きになる奴はいない。
「……そもそも、知り合いなのかぴょん」
「卯月、起きたの」
発作から復旧した卯月が、疲れた声でそう聞いた。もう介抱の必要はない。満潮は卯月を膝から叩きだす。卯月はヨロヨロちゃぶ台にしがみつき、なんとか顔を上げた。涙目だし目は虚ろだが、多少は回復した様子。怒りをぶちまけたお蔭だった。
「どうなんだぴょん」
「そうよ」
「北上の出身地って、この鎮守府だったのね」
「違うわ。わたしと北上さんは別の鎮守府にいたの。新しい鎮守府が出来るっていうから、移籍してきただけよ」
「移籍って、珍しいわね」
「そーなのかぴょん?」
「常識よ知らないのバカなのアンタ?」
艦娘の移籍はあまり多くはない。今回金剛たちが前科戦線に派遣されたように、短期間の貸し借りぐらいならあるが、完全な移籍は珍しい。
何故かと言えば、下手をしたら人身売買の温床になりかねないからだ。鎮守府の間にも強弱関係はある。資材提供の見返りに優秀な秘書艦を──なんてことも黎明期にあった。この反省を踏まえた結果である。
「それ、北上の足がないのと関係あんの?」
「……あるわ、ええ、あまり言いたくないけど」
「おい、あまり聞くなぴょん」
明らかに大井は辛そうな顔をしていた。迂闊に聞くバカを卯月はどついた。傷口を抉るような趣味はない。
「構わないわ、悪いのは私なんだから……と言ってもありきたりな話よ。戦闘中ピンチに陥った私を北上さんが庇った。そのせいで両足欠損、北上さんは引退。わたしは負い目を感じて、自主的に転属ってこと」
「なるほど、確かにありきたりぴょん」
「当時の北上さんは最強に近かった。私からしたら、武蔵や雪風より強く感じた。そんなあの人を引退に追い込んじゃったの……今も後悔してる、責任も感じてる。今更どうしようもないって、割り切ってはいるけどね」
どことなく影を感じる物言いだが、引き摺っている訳ではなさそうだった。実際そうだろう。本当に引き摺ってたら、連絡を取り合ったりはしないから。傷は深いが、それでも今はこうして生きている。
大井のその姿を、羨ましく思った。何時か──何時か私も、もう少し明るく生きられるのだろうか。いいや、そうなるべきだ。以前そう誓ったのだから。過去の傷を引きずり続けるのは、カッコ悪いから。
艦隊新聞小話
現役時代の北上様は、艦娘の中では上から三番目ぐらいに強かったらしいです。夜戦カットインで無数の姫級を葬り去ったそうですよ。大井さんは相棒として活躍されていたとか。
二番目は立ってるだけで炎の雨、嵐、雷、吹雪などの天変地異が起きて、敵が滅亡する雪風。一番強いのは基地型深海凄艦を、素手オンリーで島諸共沈めた逸話を持つ武蔵と言われています。
うーん、一番と二番は、艦娘なのでしょうか?