しかも、卯月と大井は大破どころか轟沈寸前の大ダメージ。秋月は脚部艤装に亀裂が入ったぐらい。引き分けのように見えて、実際は
「く、くそアマがぁ……逃げやがった、ぴょん」
甲標的による雷撃と、空爆の奇襲に耐えられなかった。伏兵に気づけていなかったことにもまた腹が立つ。
だが追撃する気にもなれない。金剛たちの艤装は死守できたのだ、本当に腹立たしいが、ここで執着する理由はない。目的は達成できている。
少しばかり安堵した。そこで卯月は限界を迎えた。
「う……が、ぉげぇ……!?」
激しく何度も何度もむせ返り、まだ死んでないのか不思議な程の大量の血を吐き出す。千切れた左手からも、抉れた場所からも止めどなく血が溢れ、海面が真っ赤に染まっていく。
視界が霞んでくる、手足が痺れて感覚が消えていく、全身を苛む激痛さえ分からなくなり、ただ冷たい死の実感が、じわじわと侵食してきて、恐ろしさが止まらない。
ただでさえ深刻なダメージを受けたところに、
「卯月! 意識はあるの!?」
「……満潮、なんで、お前が……艤装、は?」
「睦月たち三十駆と一緒に持って帰った! 事情は後で説明する!」
敵は撃退できた、あとは卯月と大井を連れて撤退すれば良いだけだ、ここまできて轟沈なんて後味が悪すぎる。
大井は問題ない。ダメージはかなり大きいし、出血しているが、大量出血はしてない。外からでは分からない怪我の可能性はあるが、今すぐに死ぬことはなさそうだ。
問題なのは卯月だ。
このまま出血し続けてたら、鎮守府まで持たない。止血にだって限界がある、満潮には彼女を無事帰投させる方法が思いつかなかった。
「どうすれば、どうすれば……このままじゃ、死んじゃう……
「落ち着きなさい満潮」
「お、大井さん!?」
いきなり隣に出てきた大井に驚く。あの重傷で自力で動いてくるとは。かなり無理をしているのは確かだ、無茶をしたら大井まで死んでしまうのではないか。
途端に満潮の頭の中は真っ白になった。
「動かないで、わたしが何とかするから、お願いだから動かないで!」
「静かに、これは軽巡からの命令よ」
「駄目、聞けない、無理をしないで、だから何もしないで!」
「満潮ッ!!」
大井は満潮の顔を掴み、力ずくで目線を合わせ、その様子に内心驚く。
満潮は力なく震え、今にも泣き出しそうな様子だった。
心配してるのだろうか。しかしどうでもいい、動けないのなら邪魔なだけ、大井は満潮の頬を全力で殴り飛ばした。
なにをされたのか分からず、満潮は呆然とする。
「そんな状態でなにができるの、できないでしょう、わたしの指示に従うこと、良いわね!」
「そんな、状態じゃ」
「異論は認めない」
「ッ!?」
首筋にナイフを添えられたような、冷たい感覚に背筋が凍る。半ばパニックになっている満潮を力ずくで黙らせるために、大井は『殺意』で圧をかけていた。
本当はこんな手段使いたくないが時間がないので、乱暴な手段をとった。殺意にあてられ満潮は固まり、そのおかげで一応冷静に戻る。
落ち着いたのを確認して、大井は卯月の側に座り込む。
「大井、さ、ん……」
「聞こえているわね。わたしの指示に従いなさい、良いわね」
他に頼れる人もいない。卯月は小さく頷いた。
「まず
そもそも任意で解除できるものか知らないが、卯月の瞳の鬼火は徐々に、命の灯火のように弱まりつつある。放置してたら数秒で解除されると、大井は勘づいている。
大井の見立てでは、卯月はとっくに失血死していた。
艤装の生命維持装置で賄える範囲を、完全に越えた出血量だった。しかし、彼女はまだ生きている。
卯月を生かしているのは、
身体能力強化に伴い出血量は上がってしまったが、同時に血液の精製速度も上がっており、流れ出た分を補填してたのである。
逆に今解除されれば、反動で血液精製速度も下って卯月は死ぬ。だから解いてはならない。
卯月はよく分かってないが大井を信じた。こんなところで死ぬなんて無様な姿は晒したくない、舌を力一杯噛み、激痛で意識を繋ぎ止める。
「満潮、応急処置をするから手伝って、セットは持ってる?」
「ない、出撃なんて、想定してないもの」
「じゃあしょうがないわね」
海上ではどんな怪我をしてもおかしくないため、どの艦娘も最低限度のメディカルキットは持っている。卯月と満潮が持ってれば三人分を使えたのだが、無い物ねだりをしても意味はない。大井は自身のメディカルキットを取り出し、治療に取りかかる。
「まず左腕の止血。患部を圧迫しながら冷却すれば、だいぶマシになる。速度勝負よ急いで」
時間がかかる程卯月は死へと近づく。満潮は両手が震えそうになりながら、必死で作業を行う。
包帯と冷却シートを取り出し、患部周辺へ巻き付け切断面ごと覆い尽くす。触れるだけでも相当な痛み、苦しそうに卯月は呻いている。
「締め付けるわ。痛みで気絶しないで、体力を消耗するから叫ばないで。行くわよ」
耐えることは卯月自身が自力で頑張る他ない。合図と同時に二人がかりで包帯を引っ張り、患部を締め付けて止血を行う。それぐらいしないと、出血を抑えられない。
ここまでやると壊死の可能性があるが、その前に失血死したら元も子もない。
「ぎぃっ!?」
「叫ばない」
「が、ぐがっ、あ゛あ゛……う゛う゛……!?」
大井は凄まじい無茶を要求していた。卯月は涙目になりながらも、呻き声を上げて耐える。
剥き出しの筋肉を力ずくで圧迫されている、激痛どころの話ではない。一瞬で意識が飛びそうになり、出血も相まって顔色は真っ青だ。
満潮は卯月が嫌いである。しかし、ざまぁみろだなんて思えない、凄惨過ぎる。
「満潮、わたしの制服千切って噛ませて。衝動的に舌を噛み千切ったら死ぬ。ナイフは医療キットの中にある」
「包帯あるじゃない」
「勿体ない」
「……わたしの切るわ」
大井の現状はヘソ出し&ミニスカ&大破と、どこを切っても恥ずかしい感じ――と言いたいがそこら中血塗れだ。傷口を風に当てるのが良いとは思えない。満潮は自分の上着をナイフで切断し、丸めたものを猿轡のように卯月へ噛ませる。卯月も悲鳴を堪えるように、それを強く噛み締めた。
これで舌を噛みきったり、歯が砕けるリスクはなくせたが、何度も吐血してるため、口を塞ぐとそれが気道に入り窒息する危険が出てくる、油断はできない。
「次、抉られた場所の縫合をする。麻酔はないからこれも耐えて。満潮は左腕の圧迫を続けてて」
「……ッ!!」
宣言通り麻酔なしで針と糸が、抉られた場所へ突き刺さる。卯月は一瞬白眼を向いたが、満潮が力を強めた時の痛みで踏み留まる。二人が必死で助けてくれようとしてるのに、呑気に気絶なんて許されない。体力も気力もない、死力を振り絞り、猿轡が千切れそうな程食らいつく。
「……大井さん、顔色が」
「気にしないで、すぐ死ぬ訳じゃないから」
「……そう」
死力を振り絞っているのは大井もだった。
卯月よりマシだが彼女も重傷だ、常に痛みが走り、力を入れたら悲鳴が出そうになる。顔色は青く、脂汗が常に流れ続けている。
だが態度には出さない。
軽巡の彼女が心配されたら、卯月たちまで不安になる。この状況では許されないのだ。
「大丈夫、血は流れてるけど卯月より身体は大きい、帰投するまで持つから」
「……おお、確かに……大きいぴょん……」
「ちょっと黙ってなさい」
「ぐぎぃっ!?」
どこを見て言ったのか。傷口に縫合針が食い込んだ。喘ぐ卯月を無視して治療が続く。
抉れた箇所全ての縫合が終わった時、疲労しきった大井は転倒しかけた。重傷を負いながらの慎重な作業に、心身ともに磨り減っていた。
しかし、まだ終わりではない。まだ卯月の命を紡げていない。ここから鎮守府への帰投まで持たせなければならない。
卯月の様子を見た満潮は、『持たない』と思った。
「卯月、しっかり、意識を保って!」
呼び掛けても反応がほとんど帰ってこない、出血し過ぎたのだ。意識が混濁しきっている。かなり急いで応急処置を施したがそれでも限界だ、これで鎮守府まで持つとは到底思えない。
せめて、どうにかして、失った血を賄いたい。けどどうすれば良いのかパニックを起こしている満潮には思いつかない。
そんな彼女を置いて、大井は輸血用器具の準備を黙々と始めている。大井はそれを一瞥すると、冷徹に指示を飛ばした。
「そこで気絶してる弥生を叩き起こして。わたしはこれ用意してるから」
と、言った時、弥生がムクリと起き上がった。
「……起きてます」
「あ、アンタ何時から起きて」
「満潮静かに、なら弥生はこっち来て」
満潮は大井がなにをしようとしてるのか気づく。同時に不安に襲われる。
彼女は弥生の血液を卯月に輸血しようとしてるのだ。しかし弥生はカミソリを使って殺そうとした前科があるし、今も卯月が死にそうなのに寝たフリをしてた疑惑がある。
そんな奴が輸血を了承するのか、したとしても、血液になにか仕込んであるんじゃないかと不安になった。
「……分かりました」
予想に反して、弥生は卯月へ近づき腕を差し出した。大井は迷いなく機械を突き刺し、二人を輸血用チューブで繋いだ。チューブの中を弥生の血液が流れていき、血が補充されていく。
「ぐっ……」
輸血もまた負担がかかる。出血の苦痛に顔を歪ませていたが、特に文句もなく、ただ黙って血液を卯月へ提供している。突っ込む余力もないので何も言わないが、満潮には不気味で不自然な光景に見えた。
「これで卯月を運ぶから、満潮が背負ってちょうだい」
「大井さんは」
「わたしは自力航行できるから」
嘘を言ってはいない、大破しながらも真っ直ぐ航行できている。気合か熟練によるものか、いずれにせよ感服する。
指示通り卯月を背負う。揺らし過ぎると負担が増大するが、ゆっくりしてる暇はない。卯月には痛みに堪えてもらいながら、最大船速で鎮守府へ向かった。
満潮は背負いながら左腕を締め付けている。輸血を継続しなければならないから、弥生は卯月の近くをピッタリ並走している。傍から見ると不自然な光景だ、満潮も弥生も動きにくさを感じる。
「卯月は……どうですか」
「顔色は、マシになってきてるみたいだけど」
「そう……」
蒼ざめて死人みたいだった肌色が、血の気を取り戻しつつある。朦朧としていて悲鳴さえ出せなかった意識も、ハッキリとしてきている。
同時に痛覚といった感覚も戻り、卯月はまた苦痛にあえぎ出す。
「あがぁッ……ぎい……!」
激しく揺れているせいで痛みが増し、辛そうに猿ぐつわを噛み締めているが、その痛みが卯月の意識を繋ぎ止めていた。
これ以上は応急処置のしようがない、どれだけ早く帰れるかが重要だ。
しかし、満潮の速度は低下していた。
人一人を背負って航行している以上、それは免れない事態だ。そんなことは分かっているので大井は一々文句を飛ばしたりはしない。
だが満潮本人からしたら関係ない。少しだけ安定してきた心がパニックに近づいていく。満潮が早く運べなかったばかりに、卯月が死んでしまったら。
「焦らないで、痛みが増すだけ」
「は、はい」
「……満潮さんだけの……責任じゃ、ないですから」
大井と弥生は、満潮が責任感で潰れないよう各々のやり方で励ましてくれる。大井はまだしも、艦娘歴がそう長くない弥生まで、満潮の不安に気づいていた。それだけ顔にも雰囲気にも不安がにじみ出ていた。
その光景を卯月は不思議そうに眺めていた。
「……弥生、お前、うー……ちゃんには、死んで、欲しいんじゃ」
カミソリを放り込んで殺されかけた。再会しても罵詈雑言をこれでもかと浴びせられた。
危機に陥っても助けてくれない、ざまぁみろと捨て置かれるのがオチだと思っていた。
なのに弥生は、輸血をしてくれている。なぜなのか全く分からない。
無駄に喋ると体力を消耗する。会話は控えて欲しいが大井は止めない。弥生と話し続けることが、意識を繋ぎ止めるのに重要なことだから。
「……死んで欲しかったです……けど、分からなくなったんです」
「ど、どーゆー……ことぴょん?」
「色々です……大井さんを撃ったのに大井さんは卯月を恨んでない……満潮さんは卯月を心配してる。艦娘が深海棲艦みたいなのも、卯月が急にそうなったのも……分からないことばかりに、なってしまったから……」
知らない人からしたら意味不明な状況だ。深海棲艦みたいな艦娘が艦娘を襲い、襲われていた艦娘が突然深海棲艦みたいな艦娘に変貌。弥生の混乱は仕方ないことだ。
「だから……一度、保留にしようかと……」
「ぬぅ、許しては……くれないぴょん……?」
「首へのチョップ……あれ、少し間違えてたら……弥生死んでいたんですが……」
首チョップで気絶なんてのはフィクションのアクションである。現実でやったら危険な行為だ。
ごもっともな指摘に、卯月は目を逸らした。
「死んだら……保留もなにもないので……今は助けます」
「……ありがとぴょん」
「お礼は……言わないでください。信用なんてしてないので……」
言葉通り一時保留ということだ。卯月にはそれで十分だった。荒んだ心が少しだけ癒された。
その時、卯月の身体がビクンと震えた。
「卯月?」
満潮が振り返った時眼にしたのは、瞳の鬼火が消えて、呆気に取られている卯月だった。
意識を保っていたのに、システムが解除されたのである。
「助け――」
そう呟いて、卯月は口から、耳から、目玉からも激しく血を流して、意識を失った。
「反動が、解除の反動がくる!」
「急ぐわよ!」
「う、卯月……死んじゃ、まだ、ダメ……!」
白眼を剥き、血と涎の混合物を撒き散らしながら、激しく痙攣し続ける。背負う満潮には心音が弱まるのが聞こえている。
なぜ解除された、その疑問を突き詰めている暇はない。
弥生の呼び掛けは、卯月にはもう聞こえていなかった。