藤鎮守府の入渠ドックは、機能性だけを突き詰めたせいで殺風景な前科戦線よりも明るく、広々としている。入渠待ちの艦娘や、仲間が出てくるのを待っている人の為のスペースまで用意されている。
以前はここまで広くなかったが、戦艦水鬼撃破の報酬として、大幅な改築をしたのである。
そんなドックだが、今は空いていた。大規模作戦直後なので、資材の備蓄が心もとなくなっている。その為出撃が控えめになり、怪我人も減ったので、利用機会が少なくなったからだ。
規則的に並べられたドックの内、一つだけが光りながら稼働していた。中に浸かっているのは、今も尚血を流し続けている卯月だ。
入渠時間は駆逐艦としてはあり得ない時間を表示している。身体の内外で大きなダメージを負った代償だ。
「……長いですね」
「そうね」
弥生と満潮は、入渠し続ける卯月の側に居座り、修復が終わるのを待っていた。
あの後、応急処置を施した卯月を運んでいた時、突然
血液精製ができなくなったのと、システムの反動で卯月は死ぬかどうかの一歩手前に陥った。
しかし艤装を置いた後、すぐさまUターンして来た睦月と如月に合流できたのが幸いだった。
二人が持ってきた大発の上で治療を続け、睦月と如月二人がかりで大発を牽引したことで、早く帰還することができ、入渠が間に合ったのだ。
とはいえ相当な重傷に変わりはなく、今もまだ入渠は終わっていない。ドリンクサーバーとか雑誌とか、暇を潰せる物は色々置かれているが、それでも長い。
「……なんで、こんなに時間がかかるんですか」
「さぁね」
「大井さんは……もう、入渠を終えたのに……」
大井も大破していたが、既に入渠を終えている。
卯月は大破した軽巡よりも治療に時間がかかっているのだ。
「……これも、その、システムの……影響なんでしょうか」
「そうかもね、
「あの
肯定するように首を縦に振る。秋月は何度も
しかし秋月は卯月と違い、システムの反動を受けているようには見えなかった。
「システムの性能が違うのか、秋月が違うのか……どう見ても卯月の上位互換には違いないわね」
「……そんなに戦ってはいませんが、同じ艦娘とは思えなかったです」
「それについては同感」
何から何まで規格外極まっている、化け物と呼ぶ他ないと満潮は感じる。本気になった状態は大井から聞いただけだが、それでも十分異常だと感じられた。発射と着弾が同時とか深海棲艦でも聞いたことがない。
そう話していても、中々入渠は終わらない。満潮と弥生では話す話題もない。それどころか剃刀で殺されかけている、良い空気になる筈もなく、気まずい空気が立ち込めていた。
満潮からはなにも話さない。
弥生が暗い顔つきでやって来た理由は察しているが、こういう気まずい空気に慣れているので、彼女から動くことはない。
睦月や如月、望月たちも来たがってたのだが、あまり騒ぐと戦闘があったことが他の艦娘に気づかれる恐れがあったので、自室で我慢してもらうことになっている。
弥生は黙りこんだまま、傷だらけの卯月を見つめて、度々泣きそうになっては顔を俯かせ、小刻みに震えている。
それでも卯月が起きるまで離れる気はない。満潮は発作が出たときに備えて居座っている。
「……何を」
「なに?」
「いえ……起きたら、なにを言えば」
不安そうだが、怒っているようにも見える。弥生という艦娘はかなり無表情だ。満潮には彼女がどういう感情で、なにに悩んでいるのか分からない。満潮は適当なことを言える性格ではない、感じたままに伝える。
「さあ、知らない」
「……う、うん、そうですよね」
「さっき、私に言った感じで、言いたいこと全部言えば良いんじゃないの。姉妹艦だからって仲良しする必要はないんだし。仲直りしたいんなら話は別だけど」
カミソリを入れた件について、弥生は既に謝罪している。半日以上懲罰房に入れられて、冷えた頭で考えてみれば、あれはやり過ぎだ。いくら懲罰部隊に配属されるような、まっとうでない艦娘だとしても、殺して良い理由にはならない。
しかし、相手が卯月だと話が違う。
間接的だが、弥生は──藤鎮守府の艦娘全員がそうなのだが──卯月の造反による、信用失墜の被害を受けている。
更に、実際に殺されかけ、部下を皆殺しにされた
卯月だけは死んでも良い。懲罰如きで許されて良い筈がない。
この場にいない睦月たちも概ね同じ意見だった。秋月の襲撃を受け、艤装を守って重傷を負った卯月を見るまでは。
気持ちがまだ整理しきれていないから、何と言ったら良いのか分からなくなっていたのだ。
「ん、終わったみたいよ」
入渠終了のタイマーが鳴った。待っていた満潮も俯いていた弥生も、ドックの中を覗き込む。
パッと見た感じ怪我はない、左腕も再生している。体内にダメージが残ってることもあるから安心するのは早いが、無事な様子に二人は胸を撫で下ろす。
「卯月……起きてください……」
肩を叩きながら呼び掛けると、卯月は呻き声を上げながらゆっくり目を開けた。
「助かって……良かったです、本当に」
「そうね、さっさと起きなさいよ」
「……卯月?」
話を聞いてるような感覚がない。
弥生は違和感を覚え、また名前を呼んで肩を揺らす。しかし卯月の瞳の焦点は、あらぬ方向を向いたままだ。それどころか顔が青ざめ、震え出している。
「あ……あ、なんで、なんで……卯月は……!?」
涙眼になりながら、ガタガタ激しく震え出す。卯月は『発作』の幻に襲われていた。
そのことに気がついた満潮は、卯月をドックから引っ張り出し、身体が冷えないようバスタオルを巻き付けた上で、彼女を抱き締めた。
「ちょっと退いて」
「は、はい……」
「面倒な奴ね、本当に面倒だわ」
満潮にしか聞こえないような小声で、卯月は悲鳴を溢す。幻の犠牲者たちが、彼女を痛めつけているのだ。
その推測は正しく、入渠している間卯月は悪夢に苛まれていた。起きがけに発作に見舞われたせいで、現実と幻の区別がつかなくなり、パニックに陥ったのだ。
満潮が抱き締めてなければ、幻と罪悪感に狂わされ、ボロボロの身体を自傷行為で更に痛めつけていた。
打てる対策は多くない。抱き締めて自傷行為を押さえながら、人肌の体温で落ち着かせていくしかない。
発作を初めて見た弥生は、妹の悲惨な有り様に言葉を失い、立ち尽くす。
「……それは」
「知らないわよ。コイツが殺した仲間の幻が襲ってきてるみたい」
「……どうして」
「トラウマらしいけど、細かい所は知らない」
トラウマでここまでなるものなのか。
パニックになるどころか、幻が見えて聞こえて襲われる幻痛まで味わうものなのか。弥生には信じられない。
しかし、卯月は現にそうなっている。そこまで行ってしまう程、卯月の心は傷ついている。
弥生にできることは、卯月の発作が落ち着くまで、凄惨な姿を瞳に残すことしかなかった。
*
「いやー、見苦しいところを見せちゃったぴょん」
数分後、発作が収まり落ち着いた卯月はあっけらかんとしていた。
「……気にしてないです」
「そうよ弥生、この狂人の言うことは九割聞き流さないと」
「やかましいぞビッチ」
流れるような罵倒、どう反応すれば良いのか弥生は困惑する。
と、元気そうな態度をしているが、実際のところ卯月は全身の痛みに苦しんでいる。喋ったり息をしても痛い、動いたら更に激痛が走る。
前
それでも明るく振る舞っているのは、これ以上暗い空気が嫌いだからだ。
「……卯月」
「どーかしたのかぴょん」
「卯月は……後悔しているの。仲間を殺したことを……」
しかし、明るい空気でやっていける仲でもない。
卯月が入渠している間、満潮から
「ミッチーが説明したのかぴょん」
「そうよ、関わってしまった以上は、説明した方がマシって。中佐からの許可はあるわ」
「余計なことを、死ねぇ!」
核心を突く弥生の質問に、卯月は気まずそうに頭を掻きながら答えた。
「うーちゃん嘘が嫌いだから正直に話すけど、後悔は
ここまで来ても、姉に殺されかけても、そこは変えない。意固地な卯月に、弥生は顔を顰めた。
だが、神補佐官との再会や、弥生との接触で、学んだことはあった。
弥生の威圧に臆することなく、粛々と気持ちを伝えようと、誤魔化さず真っ直ぐ目を見て話す。
「けど、うーちゃんが絶対に許されないってのは分かったぴょん。金剛さんや松たちがとびきり優しかっただけって、痛感したぴょん。だから……うーちゃんは、受け入れるぴょん。罵倒されても殺されかけても、文句言ったりしないぴょん」
いつもより小さな声で、しかし一言を強く言い切りながら、卯月は心境を話す。
非を認めて謝らないなんて、実際に被害を受けた人たちからしたら、独りよがりの理屈でしかない。
卯月なりに考え、出した結論がコレだった。自分を否定しないが、他人の感情も否定しない。否定するのはあくまで元凶である『敵』だけだ。
「だから、別にうーちゃん怒ってないし、弥生もそんな気まずそーにする必要もないぴょん。弥生や皆の反応は当然のそれだぴょん。洗脳されてたとか言い訳にしかならない、同じ立場だったうーちゃんだってそーする、誰だってそーする筈ぴょん」
関係ないのを憎んでいるのは卯月も同じだ。敵だけじゃなく、深海棲艦全てを憎んでいる。なのに自分がされるのは嫌だなんて身勝手過ぎる。余りにもカッコ悪い。
自分の行いに対するケジメの付け方は、それしかないと卯月は思っていた。
「でもうーちゃん以外を巻き込んだら怒るから。それは許さんぴょん」
「カミソリの件なら、謝って貰ってるわ」
「満潮は例外ぴょん。むしろ殺れ」
満潮が睨みつけてくるが何時ものこととスルー。こいつについては死んでも特に問題ではない。お互いそう思ってるだろうし。
「と、まあ、うーちゃんはそんな感じだぴょん。弥生がどう感じてもそれを受け入れる。殴っても良いし、罵倒しても構わないから。それだけのことをしでかしてるぴょん」
拳を強く握りしめながら、静かに卯月は言いきった。罪を半ば認めるような物言いになってしまい、悔しい気持ちが沸き上がるが、これは言わなければならないことだ。
怒りを表に出さないよう堪えながら、弥生に向けて気持ちを吐き出した。
「……そうですか」
弥生は一言呟くと、俯いて黙りこんでしまう。
しかし、今までのような関わることを拒否するような沈黙ではない。なにを言うべきか考えているような感じ、話し出すのをゆっくりと待つ。
どれぐらいだろうか、感覚では計りかねる時間が経った後、弥生が顔を上げた。
「……ごめん、弥生は……許せない」
複雑な表情だった。
そんな自分が情けないが、嘘をつくのはダメだからと、弥生も本心を吐露する。
卯月は宣言通り、怒らずに耳を傾ける。
「卯月を信用しきれないの……本当に裏切って、今度は藤提督を、殺すんじゃないかって……思ってしまう。頭では分かったけど……気持ちが全然、追いつかない。神補佐官と一緒……事情を知っても、感情が、どうにもならない……卯月が嫌いでしょうがない」
嫌いと面と向かって言われるとやはりショックだが、それも受け入れるものとして、卯月は黙って堪える。仕方ないことだ。そんなシステムがあり、被害者だといきなり言われて、全て納得できる人はそう多くない。神補佐官だってそうだった。
「神補佐官も、卯月を許してない。あの人は昔のことを話す時……とても辛そうな顔をする。そんな顔をさせる卯月を許せない……本当に悪いのが、卯月じゃないって、分かっていても……」
「そっか、神補佐官が、かぁ」
「うん……」
神補佐官は、弥生たちから慕われているのだろう。
艦娘から好かれる良い人だったと思い出す。
敬愛する人が痛めつけられて、怒らない人なんていない。だから一層私が許せないのだ。
裏切りの記憶を思い出し、暗い顔つきになる卯月を見て、弥生は決意を固めた。言おうと思っていたことを、言うと決めた。
「……その顔です」
「え、顔になんかついてるぴょん?」
「違います……本当に裏切りを愉しむ外道が、そんな顔をするとは思えない。秋月さんとの戦いも……弥生が侮辱された時怒ってくれた。もしかしたら全部演技かもしれませんが……艤装を命懸けで護ってくれたのは、その傷が証明してくれてます」
輸血しながら運んでいる時、近くにいたからこそ、卯月の命が消えていくのが感じられた。こちらを騙そうとしている者が、そこまで身体を張るのだろうか。これでもし演技なら相当なものだ。
「……今は信じられないけど、弥生は卯月を信じたい。今は、それが限界です」
嫌悪感と信じたい思いがせめぎ合い、心との折り合いがつかない中で、拳を握りしめながら声を絞り出す。辛すぎる事情を理解した上で、何とかして関係を前へ進めるために、弥生も溢れそうな嫌悪感を押し殺していた。
拒絶する理由はどこにもない。卯月は少し涙目になりながら、「ありがとう」と呟いた。
ただ卯月は思った。
あそこまで身体張ったんならもうちょっと良い思いしても良いのでは?
「頑張ったから許して欲しいぴょん!」
「首に手刀を叩き込んだ件があるので、許しません」
「あ」
邪魔になりそうだからと、手刀で気絶させた一件である。
「首が折れて死んでたらどうするんですか……」
「え、神鎮守府の漫画で読んだんだけど」
「あれは創作です……」
あの動きはフィクションのものだ。現実で素人がやったら大事故必須の愚行。
「だから……許すのは、また今度で」
「嘘だぴょーん!」
「ホント馬鹿ねアンタ……」
殺意に駆られ、余計な真似をしたせいで、最後の最後で許されなくなった現実に崩れ落ちた。
結局、卯月が受け入れる決意を固めたぐらいで、二人の関係は然程進歩してないように見える。しかし絶句する卯月を見て、苦笑する弥生の顔つきは柔らかい物になっている。懲罰房で会った時の様な、拒絶しかない関係性ではなくなっていた。
やっとこさ姉妹との和解成立。
許した訳じゃないですけど、十分大きな進歩でしょう。神補佐官や間宮さんとも和解させたいけど、流石に困難か。
何故弥生が戦場に現れたのかについては、次回説明いたします。