弥生が入渠ドックから立ち去った後、入れ替わりで明石が入ってきた。入渠が終わったとはいえ
ついでに運とか色々測って欲しいと頼むと、明石は舌打ちしつつも承諾してくれた。身体を張ったことで弥生は態度を軟化させてくれたが、それでも認めない人が大多数だ。
色々な機材を取り付けて、一通りの検査を行った後、結果が出るまでしばらく待機となった。まだ早朝だがこれ以上時間がかかると、他の艦娘が動き出す。弥生たちと違い彼女たちは戦いがあったことさえ知らないので、卯月が造反者だと思ったまま。
厳しい目線に晒されるのはうんざりだ、早いところ戻りたかった。
反動のせいで、歩くことさえままならない。以前同様車椅子での移動だ。ただ前と違って椅子に乗るまでは体が動いた。もっとも乗ってからは指先一本も動かない、ここまでが限界だが、進歩している。
「なあ、どれぐらい入渠してたんだぴょん」
「数時間ぐらい。今は
「よし、短くはなってるぴょん」
以前
誰かと会うのはゴメンなので、満潮に車椅子を押してもらいさっさとゲストルームへ戻る。入口には見張り役として波多野曹長が立っていた。
曹長は卯月に気づくなり姿勢を正し敬礼を取る。反射的に卯月も敬礼しかけたが、激痛のせいでできなかった。
「無理は厳禁だ卯月さん」
「そ、そうみたい……ぴょん……」
「布団が敷いてある。暫くは寝ていることだ」
言う通り扉を開けると卯月と満潮二人分の布団が敷いてあった。卯月は入渠を除くと、昨日から一睡もできていない。満潮は入渠している卯月を見ていたため余計に寝ていない。お互いに大きな欠伸が出てしまった。
「卯月さん、満潮さん」
「ぴょん……眠いぴょん、なんだぴょん」
「今回の戦い、見事だった」
突然褒められたせいで、卯月は眼をパチクリさせながら固まってしまった。卯月の反応を気にせず波多野曹長は背中を見せたまま続けようとしたが、満潮がそれを止めた。
「なんで褒めてんの。護衛の艦娘は全滅したわ、最低限度の目的しかできなかった」
「そのようなこと、護衛達は皆了承している。全員沈む覚悟はできている。死の覚悟なく戦に赴く者はいない」
「知り合いだったのかぴょん?」
「私の部下だ」
卯月はその質問を後悔した。背中しか見せないのは顔を見せたくないからだ。悲しんだり憐れんだりするのはある種の侮辱だから、態度に出さないよう努めている。同じ考えを秋月の前で告げた卯月にはそれが理解できた。黙って話を聞くことに勤めた。
「皆、艤装を護り抜いた。その艤装をお主等が鎮守府まで護衛してくれた。彼女たちの任務は完遂できた。無念とはならなかったのだ」
「……任務がなによ、死なない方が優先でしょ」
「そうかもしれない。だが彼女たちは務めを全うした。それが水泡に帰さなかったのはお主たちのお蔭だ、それは確かなことだ」
曹長は振り返り、帽子を取って深々と頭を下げた。
「感謝と、敬意を」
そこまで言われてしまうと満潮はなにも言えない。間に合わなかったせいで助けられなかったのにお礼を言われてしまった。むしろ不甲斐無さを痛感してしまい、情けない自分に満潮は苛立つ。
言うだけ言って波多野曹長は扉を閉めた。部下が全滅した話なんてそうしたくはないだろう。遺体が回収できたのかさえ不明だ。卯月たちもこの話を続けたいとは思わず、無言で布団へ潜り込んだ。
*
穏やかな気分で寝ている卯月だったが、ドアをノックする音で目を覚ます。時間はお昼過ぎ頃、所属艦娘たちは食事に行っている時間だ。
卯月はお腹が空いたと思いながら、布団から這い出て扉を開けた。
「どなたぴょん?」
「金剛デース!」
「ギャア!」
金剛の大声を至近距離で聞き、塞がりかけてた鼓膜がダメージを受けた。卯月は悲鳴を上げて部屋を転げ回り泣き叫ぶ。その途中でうっかり満潮に肘が当たった。
「ぐべぁっ!?」
「う゛あ゛ーっ!」
「Oh……sorryデース」
やっちまった。そう思いながら金剛は立ち尽くす。どうにか痛みが収まった頃、二人は涙目になっていた。
「痛いぴょん」
「本当にsorry、まさか、そこまで
「気をつけてぴょん……」
本当に死ぬところだった。こんな死に方真っ平御免だ。
なんとか息を整えて、改めて金剛は話し出す。
「まず、わたし達の
「うむ、うーちゃんを褒め称えるのだぴょん!」
「比叡は?」
「
卯月は納得する。戦艦二隻が動いて騒ぎになって、また白い目で見られるのは疲れる。その気遣いは素直にありがたかった。あの目線はだいぶ堪える。
「それで、その
「誰だっけ」
「藤江華提督でしょうが忘れるなよアンタバカなの」
忘れているので言い訳できず、卯月は見るも恐ろしい形相で満潮を威嚇した。
「……それはなんでショウ?」
心に深い傷を負った卯月。彼女は車椅子に乗せられて執務室へ連行された。人目につかないルートを通ってくれた。その気遣いに感謝する。
提督、という存在に会うのはこれで二人目だ。提督によって鎮守府の雰囲気はだいぶ違うと聞く。どういう人なのか興味が沸くのは自然と言えた。
「どーゆー人なんだぴょん?」
「……アー、そうネー、悪い人じゃあないヨー」
「待って言い方がすっごい不安だぴょん」
金剛がこんな言い方をするなんてどんな人物なんだよ。会って良いのか逃げた方が良いんじゃないか。
なんとも言えない不安を感じながら、一行は執務室の前に着く。金剛はゴホンと咳ばらいをして扉をノックした。
「テートクー、卯月たちを連れてきたヨー」
『ああああッ! 待って金剛さん入らないでくださいマシ!』
『ダメ漣ちゃん! わたしはこうしなきゃ──』
向こう側から秘書艦の漣と女性の声──そっちが多分藤提督だ──が聞こえた。うるさいぐらいの物音が鳴りまくっている。向こうでなにが起きているのか。金剛だけが察したように引きつった笑みを浮かべていた。
「待っとくかぴょん」
「はぁ? 呼んだのはあっちでしょ。そんな事情知らないわよ」
「ダメ満潮! 今
制止もむなしく満潮は執務室の扉を開けた。
そこにあった光景に二人の思考は停止。
どういう光景かと言うと、『土下座』であった。
しかしただの土下座ではない。
藤提督は紅く赤熱した巨大鉄板の上に座り、おでこを押し付けながらの土下座を慣行しようとしていた。
もう一度言うと、焼けた鉄板に土下座をしようとしていた。
「止めないで漣ちゃん!」
「止めるに決まってんでしょーがっ! ナニコレこんな暴挙聞いたことがないッスよ!?」
「わたしがどれだけ卯月ちゃんたちに迷惑かけたか分かってるでしょ、ただの土下座じゃ足りないの!」
「そりゃ分かりますがこれは不味いでしょうが! この作品がR-18Gになっちゃいますって!」
「それがわたしへの罰ってことよ!」
「なーにが罰ですか! 第一こんなでっかい焼肉プレートどっから持ってきたんですか!」
「あきつ丸がくれたの、最大級の謝罪にはコレが一番って!」
「どこのあきつ丸ですかどこの! ええいこうなりゃ実力行使!」
「ギャー!」
そっと扉を閉じた。
焦げた肉の臭いがまだ鼻に残っていた。
金剛は謝罪する。誰も責めない。
あれは焼肉プレートだ。そうに違いない。
「ごめん」
満潮を責める者はいなかった。優しい世界がそこにはあった。
だがあきつ丸、お前のやらかしは波多野曹長に言っておくからな。
皆の心が一つになった瞬間だった。
改めてノックをすると、向こうから漣が返事をした。部屋へ入ると、黄色とも茶色ともつかない色合いの髪の毛をした、人間の女性が椅子に座っていた。
彼女が藤江華提督だ。
その顔は「*」マークになって潰れていた。漣がぶん殴ったせいである。
「前が見えねぇ」
知らねぇよ。全員が同じことを思った。
「
「あ、ごめんね金剛、連れてきてくれてありがとう、下がってて大丈夫だよ」
「また暴走したら大戦艦パンチを食らわせるデース」
「うう……ごめんって」
しょんぼりするその姿は、とても提督には見えなかった。
前科戦線の協力ありとはいえ戦艦水鬼を撃破しており、しかも轟沈艦もいない(秋月に殺されたのは憲兵隊の艦娘だ)。無能ではない筈だ。
「という訳で、コレが漣たちのご主人様です」
「どうも初めまして、挨拶が遅れに遅れてごめんなさい、藤江華提督です。よろしくね二人とも」
「今日帰るけどね」
容赦ない一言に藤提督は倒れ伏す。
ここまで挨拶が遅れる気はなかったのだが、初日は神補佐官との再会に気をつかい、夜は秋月の襲撃があったせいで、落ち着いて話せるタイミングがなかった。
「あのー、うーちゃんたちに、どういうご用件ですぴょん」
「謝罪したかったの。二人にはとんでもない迷惑をかけちゃったから」
心の底から申し訳なさそうにしながら、机に頭がつくぐらいに頭を下げた。
「色々あり過ぎるけど、全部引っくるめてごめん。提督として謝ります」
なんだそんなことか。
大したことじゃない──と卯月が言い掛けた時、満潮が「ドン」と大きく地面を踏み鳴らした。
満潮の顔は不満で一杯だった。
「なによ今更。殺されかけたのよ、謝って済むの?」
「うーちゃんもう気にしてないけど?」
卯月の意見は聞いていない。
頭を下げたままの藤提督に満潮は苛立つ。剃刀を仕込んだのは弥生だ、卯月の姉だ。姉妹の問題だからとあまり口を出さなかった。
しかし提督が出てくるなら文句を言う権利はある。
「済むなんて思ってません。この場で殺されても文句は言えない立場です……でもわたしは、殺される訳にはいかない」
「殺そうとしてたのに、されるのは嫌だって? ふざけてんの?」
「はい、私は提督なので」
提督だから殺されるのは嫌だって?
偉い立場だから死ねないとでも言う気なのか。
あり得ない、部下のやらかしは上官の責任だ、連帯責任は軍の基本だ、そんな言い訳認める訳にはいかない。
満潮の怒りが膨れ上がる。だが、藤提督はそれを制止する。
「部下がやらかしたら責任を取る、確かにそれは提督のお仕事です」
「だったら」
「でもそれは、それで問題が解決すればのお話です。今回はそうじゃない、私が自決したって解決しない。根本的な解決になりません。むしろ悪化しちゃうと、わたしは思っているんです」
藤提督は満潮を刺激しないように、ゆっくりと言葉を選んで、考えが伝わるように話す。
満潮の言う通り、責任は藤提督にある。
しかしその上でも尚、辞職したり自殺したりする手段はとれないのだ。納得しなくて良いが、そのことは分かって欲しかった。
「ここの子の大半は卯月ちゃんを嫌ってます。この空気のままで、わたしに何があれば、みんなは真っ先に卯月ちゃんを疑うと思います。卯月ちゃんがまた何か仕組んだんじゃないかって考えて、下手をしたら、誰かが間違った仇討ちを始めるかもしれない」
造反者の卯月が来訪し、立ち去って暫くしてから、もしも藤提督が辞職または自決したら。
必ず直前まで居座っていた卯月を怪しむ艦娘が出てくるだろう。
考えたくもないが、藤提督を慕っていた艦娘が復讐に動きだすかもしれない。
そうなったら、どう転んでも悲惨だ。
卯月たちにも、鎮守府の艦娘たちにも、碌な未来がなくなってしまう。
「皆、そこまでしないって、わたしは思ってはいるよ。でもその
流石に反省しているが、実際弥生はやらかしている。
まるで、部下を信じてないような言い方になることに、胸が締め付けられる。だが盲目になってはいけないのだ。
都合よく信じて、流血ざたになったら、本当に『首』だけでは済まされない。
「だから、わたしが責任をとったって、何の意味もないの。それじゃあダメなの、『敬意』を払ったことにならない」
「ならどうするの、何もせず終わるの?」
「根本的なところは、卯月ちゃんが嫌悪されている所にある。それがあるから、殺人未遂さえ起きてしまった」
藤提督の話を聞いて、満潮の苛立ちは多少軟化している。彼女もやらかすまでは普通の鎮守府にいたのだ。軍隊の理屈は分かっている。首になるとは思ってないし、ましてや自決しろなんて考えてもいない。
だがなにもしない選択肢は許さない。
満潮が求めているのは、ケジメのつけかた。誠意と言うべきものだった。
「提督のお仕事はみんなを護ることにある」
申し訳なさに、提督は少し震えていた。
しかし、背筋を伸ばし、真っ直ぐに満潮を見て、卯月を交互に見て、ハッキリと答えた。
満潮はその態度に怯んだ。
「優先順位はあるけど、わたしは、全部を護りたい」
「……ぜ、全部?」
「国も人も貴女たちも未来も。わたしが死んだら貴女たちの未来が死んでしまうから……その、殺しかけた癖に、ご希望に沿えませんって感じで、不満ばかりだと思うけど……ごめんなさい、責任はそれ以外の方法で、必ずとる。納得できなくて良い、貴女たちへの『敬意』は必ず払うから」
一切の淀みのない、光るような眼差しに満潮は黙り込んだ。全部を護りたいと言われて反論できなかった──からではない。
その瞳が、眩し過ぎて今の満潮には直視できなかったからだ。
目線を逸らしながら、か細い声を搾り出す。
「死ねだなんて思っちゃいない」
弱々しい様子の満潮を、隣の卯月は訝しむ。
キレ散らかして、偉そうに納得して出ていくかと思ったが、なぜこんな萎れた態度になっているのか。
その理由を知る時は、まだまだ遠い。
艦隊新聞小話
やぁぁぁぁっと、出てきましたね藤江華提督。名前の通り女性の提督さんです。
轟沈艦はまだ一隻も出しておらず、かつ戦艦水鬼の撃破も成功させているので、大本営からは中々の評価を貰っているそうです。ただ、鎮守府内の空気がああなっているので、リーダーとしてはまだまだでしょうか。
そんな藤提督ですが、中々に奇妙な髪色をしています。
黄色のような、茶色のような髪色――要するに『カレー色』ですね。
どうしてこんな奇怪な色になったかというと、比叡に料理の練習として、散々カレーを食べさせられたのが原因だとか。
つまるところ人体実験!
練習のおかげでカレーは美味しくなりましたが、何度も劇物を摂取した代償か、提督の髪の毛はカレー色に。
染めても何故か一日でカレー色に!
もうカレーは一生食べたくないと言い張り、間宮さんのカレーであろうが一口も食べていません。完全にトラウマですねコレ。
……比叡カレーを食べてこの程度で済んでるのは、マシっちゃマシですけど。