ヴォルデモートなんていない   作:taku1531

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120.Paint it Black

 人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。

 私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様の──この世界の中心におられる偉大な紳士淑女の──手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。

 

カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳『日の名残り』(ハヤカワepi文庫)

 


 

 魔法使いってのは生まれ持って決まってる"分"ってのがある。

 それは私も一緒だ――ああ、羨んで当然さ。分家とはいえ名家ブラック一族の一員。純血であり、圧倒的な魔法の力を持った私は強者だ。

 しかしそれでも、野放図に振る舞えるというわけではなかった。

 本家の人間は私らよりも随分と勝手に振る舞っており(息子に一人跳ねっ返りがいたのも理由かもしれないが)、それに比べると分家である私たちの選択肢はかなり狭かった。生まれた瞬間にイギリス魔法界に奉仕することが決まっていたようなものだったから。

 でも、それを不幸だと思ったことは一度もない。塵芥のような家の連中……つまり5代、10代さえ遡れないちっぽけな家の連中には到底許されない権利であり義務だった。けれど彼らは自由だった。アンドロメダはそちらを選んだ。

 

「ベラ! 何を読んでいるの、そんなもの捨てなさい!」

「お母様……?」

 

 家の中に転がっていたのをみつけた「不思議の国のアリス」という本は、図書室にある本に比べるとずいぶんと読みやすく、挿絵も可愛らしいものだったから私はそれを多少の違和感を感じながらも夢中になって読みふけっていた。

 だが、それを母は決して快く思いはしなかった。

 

「まったく、アンドロメダが紛れ込ませたに違いないわね。あの子と来たら……あなたもです、ベラ」

「ひっ」

「ブラック家はすばらしい血が流れる名家なのです。あなたは今、その一員であることを忘れていましたね?」

「そんな……そんなことは!」

甘美な苦痛(ビューティフル・ペイン)の呪詛!」

 

 私の両手両足の爪が剥がれていく。母上が私を叱るときによく使った爪剥ぎの呪いだ。

 

「いい? ベラ。あなたはアンドロメダなんて不出来な子とは違うの」

「はい! はい!」

「誇らしいでしょう? 今の痛みをよく覚えておくように」

「わかりました!」

 

 そりゃあ、苦しいこともあったさ。例えばお母様はとても熱心で、幼い頃からいろんなことを母自ら教えてくれた。所作、文化、歴史、呪文、魔法薬。

 特に呪文と魔法薬は私の得意分野だった。もっとも、すぐに必要な分は覚えてしまった私は早々に教わることはなくなってしまったけれど義務として教える以上のことにお母様は興味がなかった、私は隠れてこっそりと実践したりしたものだ。

 他の分野は慣れないものもあり、たまに爪剥ぎの呪い叱られることもあったけど、私は我慢できた。なぜなら私達がお母様の教えに頷くたびに褒めてくれたから。疑問に思うことは許されなかった。

 

「ベラトリックス。あなたはあの家に嫁ぐのです。魔法界のためにね」

「はい、お母様。偉大なるレストレンジ家に嫁ぎ、素晴らしい力を持った魔法使いをいっぱい産みます」

「そう。それでこそ私の娘よ。あなたはそのために生まれてきたの。あなたの魔法の力は強いから、きっとあなたはいい魔法使いをいっぱい産むはずだわ」

 

 私も次女も三女(ナルシッサ)も嫁ぐのが決まり、あれほど誇っていたはずの家の姓はあっさりと手放された。

 けれど、私は我慢できた。なぜならN.E.W.T(イモリ)でいくつ()をとっても眉一つ動かさなかったお母様が褒めてくれたから。

 私は微笑んで、長年暮らしてきた実家に別れを告げた。お母様は手を振ってくれることもなかった。あの人は私を嫁がせるのに熱心だったにも関わらず、結婚というものを憎悪していたから。

 

「ベラ、随分うちの蔵書を漁ることに熱心だね。レイブンクロー生を産むつもりかい?」

「少しでもレストレンジ家の一員として、この家の歴史を学びたくて」

「熱心で嬉しいよ、でもそんな気負うことはないさ。どうせ、誰も歴史や古い呪文なんて興味がない。ホグワーツでもそうだっただろう? ……ああ、しかし邪魔するつもりはなかったんだ。今晩はドイツ大使からお誘いを受けたから戻ってくるのは遅くなる、と伝えたかっただけでね」

「ええ、わかりました。お気をつけて」

 

 私がお母様や本から学んだ通り、レストレンジ家はとても素晴らしい家だった。

 分家とはいえ実家の図書室は素晴らしいものだったけれども、それとは比較にならないほどの規模であり、価値があった。古い呪いがいくつも書かれた稀覯本が大量に埃をかぶっていた保管されていた。

 私の夫となったロドルファス・レストレンジはとても無関心。愛人の存在が露見していると思っていない愚か者優しいお方で、私がレストレンジ家の一番の宝である蔵書を漁ったり、趣味で安らぎの水薬、鎮静水薬、夢を見ない薬、陶酔薬、生ける屍の水薬実家にいたときから服用を続けていた無害な魔法薬を調合することをお互いに無干渉温かい目で見守ってくれた。

 没落した名家であるレストレンジ家に伴う家財とごく僅かに残っている権威は周囲からも大いに敬意を払われており、私が持つ純血の誇りというものを再確認することができた。

 

 そんなレストレンジ家の当主であるロドルファスは、魔法界の政治関係者と会う機会金をバラ撒いて僅かなコネにすがりついているも多い。その日、レストレンジ家が主催したパーティには省の人間が多く出席しており、レストレンジ家の一員である私はもちろん夫と同伴していた。

 

「レストレンジ家といえば素晴らしい名家です。お目通り叶えて光栄です」

「マルフォイ家と手を組んで飛ぶ鳥を落とす勢いを保ち続けているあなたにお世辞でも言われるのは実に嬉しい。ああ、あそこにいるのは私の家内です。ベラ、彼は省の重鎮であり、未来の大臣と目されるトム・リドル氏だ」

 

 私は、紹介されたお客様に対してニコリと笑って応対した。パーティのホストである夫は媚びを売る相手お客様の対応で忙しいようで、彼を私に紹介してすぐにその場を離れてしまった。共通の話題もない初対面の相手であるから、気まずい沈黙に陥るかと思ったが……目の前の客人はずいぶんと喋りが達者で、今省でしている仕事をユーモアも交えながら紹介し、私の興味関心が様々な呪いにあることを見抜いて話題を広げてくれた。

 

「ああ、実にあなたは才知のある女性のようだ。あなたほど古く、歴史の表舞台に立つ機会のなかったある種の呪文群に詳しい女性を私は見たことがない」

「ブラック家の出身であり、今はレストレンジ家の一員です。これぐらいの知識を持ち合わせているのは当然です。しかし、リドルとは耳にしたことのない家ではありましたが……あなたもなかなかに過去に敬意を払っているのは伝わりました」

「あなたほどの純粋に透き通った瞳の女性を見たことがありません。そのようなかたにそこまで言っていただけて実に光栄で――」

 

 彼は私に興味が持ったようで、私の片手を掴みながら正面に立ち……

 私の心に侵入しようとした。

 

「……っ!」

「驚いた。僕の開心術をいくらかでも防げるとは」

 

 目の前の男は平然とそう言い放った。その所作はあまりにも自然で……突然目の前の人間に開心術をかけるという暴挙が彼の習慣であることを伺わせた。

 私は杖を抜こうとした。だが……できなかった。どのタイミングで、なにをやられたかさえもわからない。しかし、私の右手の指は摩擦力を失っており、杖を掴むことはできなかった。

 いつのまにか周囲にも結界のようなものがかけられている――他人の関心を失わせる、古い魔法だ。今、私が悲鳴をあげても結界の外の人間の耳には届かないだろう。

 

「よくも……こんなことを私にできたものだねえ? どこの家の血が流れてるかも知れない三下が。殺してやる」

「落ち着いてくれたまえ、お怒りはもっともだと思う……しかし、君が望んでいるのはあの凡庸な男のお飾りの奥方という立場なのかな? 僕にはそう思えない」

「はっ、今読んだ私の記憶で篭絡しようとでもしてるのかい? 馬鹿にするんじゃないよ」

 

 杖も握れない状態で凄むのは迫力が足りないかもしれない。私の殺意をトム・リドルとかいう男はあっさりと受け流してしまった。

 

「言わせてもらえば、怒っている君のほうが先ほどまでの無表情だった君よりもよほど魅力的だ。それに、君を誘い入れたいというのは本気なんだ。僕の理想に対して壁はあまりにも厚すぎる。その壁を超えるために、僕は省の内外で開心術を使って相手の情報を得ることでのし上がってきた。もちろん、このパーティでも。先ほど君の旦那様にも仕掛けてきたが、彼が気取ることは一切なかった。レストレンジ氏だけではない。省にいるお偉方も一人残らず僕の開心術に抵抗することはできなかった……例外はたったひとり、君だけだ」

「……」

「君ほどの才能と意欲を秘めた魔女なら、僕の魔法の力がどれだけ高いかもうわかっているだろう。一方で、僕も君が稀有な能力の魔女であることを理解している」

 

 彼のいう言葉はハッタリではなさそうだ。いつでも私など消せるだろう。

 しかし、彼は対話を選んだ。どうやら、私に興味が湧いたというのは決して嘘ではないらしい。

 

「なにを話せば君の興味を惹けるだろうか? 僕が本心から話していることをサラザール・スリザリンの末裔であることに、ゴーント家の血に誓ってもいい」

「サラザール・スリザリンの末裔? よくもまあそんな嘘が私に通じると思ったね?」

嘘デハ ナイ。ああ、しかし君は蛇ではないからこの場での証明にはならないか」

「……今のは、少し驚いた。蛇語かい?」

「お望みなら後で証明してもいいけどね。僕が目をつけた人はだいたい今ので満足してくれる。僕が持ってる中でもとびきりの鉄板ネタだね」

 

 シューシューというかすれ音の意味は理解できなかったものの、それが蛇語であるという説得力はあった。

 ひとまずは信じてみよう。こいつが単なるペテン師であれば、それがわかった段階で今日の行いを社会的に告発し、殺せばいい。

 

「いいだろう……偉大なるスリザリンの血に免じて、あんたの無礼を許してやる。あんたの理想とやらがなにか言ってみな」

「強大な魔法使いによる、永遠の王朝」

 

 思わず、噴き出しそうになった。まるで子供の願望のようだ。

 しかし、目の前の男は真剣のようで真顔のままだった。

 

「なんだそりゃ。永遠? そんなことができるわけがない」

「何を言う。先ほど話しただけで君が深い闇の儀式の造詣が深いのはわかっている。不死の可能性など、君なら片手じゃ足りないほど挙げられるに違いない」

「ああ。そして不死に挑戦した魔法使いが全員失敗したことも知ってるよ」

「それは、彼らが不死しか望まなかったからだ。単に長く生きながらえただけの()()()魔法使いなど、あまりにも脆い存在だ。僕が望むのは強大さの維持であり、王朝なんだ」

「さっぱり何を言ってるかわからないね」

「今はいいさ。いつか君も教えよう。今すぐに賛同だってしなくていい。ただ、心に留めておいてくれればいいんだ」

「……」

「そして、君を口説くとするなら、そうだね。なにせ僕はいま法執行部の重鎮で、裏にいくらでも顔が利く。意味に呪文を試す場をいくらでも用意できるだろう。どんな呪いであってもね」

 

 彼が一方的に話し終えると……いつのまにか、パーティの喧騒が私の耳にも戻っていた。右手の感覚も。

 私と周囲にかけていた魔法を解いたのだろう。ニコリと笑って、トム・リドルは私の目の前から姿を消した。

 その瞬間に叫び、あの男にされた所業を告発すれば私の運命は今まで通りだったのかもしれない。

 

 運命を変えるなどと耳心地のいい言葉で飾っても、今のレールから別のレールに移るだけ。それはわかっていた。

 ああ、でも。結局誰かが敷いたレールに道が委ねられているなら、少しでも面白い人間に任せるべきではないだろうか? 産まれたときから私は誰かの思想の下で生きてきた。他人に委ねているなど今更だ。問題は、誰に委ねるかだけなのだ。

 その日、私は……運命を変わるがままに任せることにした。

 

 

 パーティは終わり、客人たちは引き揚げた。レストレンジ家の屋敷しもべ妖精たちが、ボールルームや中庭の後片付けに奔走するのを眺めながら私と夫はティーカップを傾けていた。

 

「いやあ、実に疲れた。レストレンジ家に真摯に尽くそうとする人間を探すにはまたとない機会ではあったが、毎度のことながら徒労のほうが多いな」

「……ええ、お疲れ様です。あなた」

 

 衰退が見えているレストレンジ家に真摯に尽くす? そんな魔法使いはイギリスに存在しない。

 レストレンジ家の発展のために奔走していた夫に労いの声をかける。いつもならこんな心にもない言葉、いくらでも紡ぎ出せたというのに……今日は、なぜか一瞬躊躇し。奥から絞り出すようになってしまった。なぜだろうか。

 

「しかし君はずいぶんと長いこと話し込んでいたね? そんなに彼が気に入ったのかい?」

「……ああ、リドル様でしょうか? そうですね、実に話が上手い御方でした」

「私からするとつまらない男にしか見えないがね。イギリス魔法界の古い家と家によって張り巡らされた思惑を理解せず、省で仕事に打ち込むだけの男だ。今日のパーティの間も様々な(はかりごと)があったというのに、彼はなにも知らぬままここをあとにした。ある意味では幸せだと思うがね」

「滑稽ですね」

「ああ、そうだな」

 

 開心術によってすべて見透かされている陰謀ごっこを高度な謀だと思ってるお前がね。

 彼が何をしようとしているか、私は何も知らされていない。無知で純粋なままでいて欲しいと思っているのだろう。そのほうが都合がいいからね。

 

「しかし、魔法の腕はなかなか優れていたようでした。彼はどこの家の人間なのでしょうか? ゴーント家の血を継いでいる、と話していましたが」

「ああ……確かに、彼はそう主張しているし一般的には純血で通っている。だが、私のような事情通にとっては彼が純血と名乗っているのは嘘で実際は半純血、それも父親はマグルだというのはよく知られた話だ」

 

 私はそれを聞いて、思わずカップを落としてそうになった。

 あれほどの力を持つ魔法使いが、半純血だと?

 蛇語を操り、サラザール・スリザリンの偉大なる継承者の、父親がマグルだと?

 

「それは……確かなのですか?」

「あの男は外面は大したものだからな。君が騙されるのも仕方はない。しかし、ホグワーツの時代から同じ名前を使ってるんだ、隠し通すことはできない。人の口に戸は立てられても、その戸の奥を覗き込むことはできる――私のような力のある家の人間はね」

 

 大真面目にそういう彼は、私に嫉妬して嘘で気を惹こうといった幼稚な考えさえなさそうで、心の底からそう言っているように思えた。

 今、思い返せばあの男も……スリザリンの末裔であること、ゴーント家の血を引くことを話はしたものの、自分が純血だとは言わなかった。

 あれほどの、私が見たこともないほどの力量の魔法使いが半泥血(Half-M******d)

 

「そんな、そんな馬鹿な」

「ベラ? どうしたんだい、そんな狼狽して」

 

 教わってきたものは全部嘘だった。

 純血なんて何の意味もなかった。

 5歳のときから私の背中にある火掻き棒で抉られた痕も何度も折られた左足の小指も苦痛から逃れるために私の脳みそが作り出した幻聴も全て無意味だった。全て無駄だった。

 

 私は、思わず笑ってしまった。

 今までこうやって自分勝手に笑うのを散々我慢してきた。笑うのだけじゃない。なにもかも、何もかも我慢してきた。

 だから、もういいんじゃないか? 私はそう思った。あの男もこう言っていたじゃないか、怒っている私のほうが魅力的だと。私はそのまま笑いの勢いを強め、甲高い高笑いをする。

 豹変した私を見て、夫が怖れているのが表情だけでも伝わってくるが構いやしない。こんな小者にどう思われても、なにも感じない。

 ついでに言えば、耳障りだ。

 

「ベ、ベラ。どうしたんだ? なにか変な魔法薬でも……」

「五月蝿いね、黙っていな……甘美な苦痛(ビューティフル・ペイン)の呪詛!」

 

 幼い頃の私が母に何度も使われた爪剥ぎの呪いを夫に放つとかわいらしい悲鳴をあげた。何をこんなに痛がってるんだか。子供を叱りつけるレベルだろう、こんな呪いは。

 それにしてもなんて楽しいのだろう。実践するということは実に性にあっている。試したい呪いはいくらでもある。焼き肌の呪い? 膝釘の呪詛? 眼球塩酸の祟り? どれから試してみようか。きっとどれも楽しめるに違いない。

 しかし、こんな子供向けの呪いならともかく、さすがにブラック家とレストレンジ家で学んだいくつかの古く暗い呪いを夫に撃ち込むのは少し心が痛む。でも、あの人……あの御方は、私のためにその機会を用意してくれるとおっしゃっていた。

 

 あの御方が掲げる願望、それが正しいか間違っているか、そんなのはわからない。

 それが成立するか失敗するか、それもわからない。

 でも、別にそれは何の関係もない。だって今までだってそうじゃないか。大きく漠然とした純血の大義とやらに私の運命は決められてきた。そこに正しさも合理性も関係なかった。

 読むことを許されない本、押し隠した私心、黒く塗りつぶした(Paint it Black)家系図。私の人生はそんなものに囲まれていた。

 

 だが少なくとも、あの御方の思惑に乗る限りは……私は自分の好きなように()()自由がある。

 いいじゃないか。今まで散々影で言われてきたんだ。純血の大義に狂ったブラック家だのなんだの。いまさら大して変わらない。

 それに、私が狂うことであの御方の理想に近づくなら、実に素晴らしいことじゃないか。あの御方のために、私はいくらでも狂ってみせよう。

 

 そうしたら、きっと褒めてもらえるから。

 

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