ヴォルデモートなんていない   作:taku1531

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128.星たちの血の喜悦(1)

 

 僕たちは南に走る。走る。走り続ける。

 後ろから迫り来る追手の気配を感じながら、僕はハリーの背中と、目立たないように下向きに掲げた杖の灯り(ルーモス)を追って走っていた。

 もうどれぐらい逃げ続けているだろうか? ずっと走りっぱなしというわけではなく、時折足を止めて周囲の様子を伺って動いているわけだけど……正直いって止まったり走ったりを繰り返すのはずっと走っているよりもキツい気がする。

 それを主導するハリーにも確かに疲れの色は見えてきているけど……それでも足を止めるたびにぜえぜえと喘ぐはめになる僕とは疲れのレベルが違う。くそ、僕だって長時間の飛行に備えそれなりに体力はつけてきたはずだぞ!

 

 目の前のハリーが足を止めた。

 ちょうど水辺に身を隠せそうな岩陰がある。小休止しながら追ってくる連中の様子を見るのだろう。

 

「くそ、いつまで追ってくるんだ? いい加減諦めればいいのに」

「まあ、でもこれぐらいの距離間隔を維持できてるのは良い傾向だよ」

良い傾向だと! おいポッター、僕の耳がおかしくなったのか? こんなずっと走り続けて持つわけがない」

「大人の魔法使いに体格、あるいは魔法の力や知識で敵うと思うべきじゃないけど、持久力だけは例外だってパパが言ってた。*1こっちが苦しいとき、あいつらはもっと苦しいはず……それに、僕たちが引き付ければ引き付けるほどロンたちは安全になるだろうし」

 

 この期に及んで他人のことを考えるハリーの能天気さに悪態を山ほどついてやりたいが、あいにく今はそんな元気すら温存しておきたいぐらいだ。

 

「あとは助けが来るまでの時間稼ぎだね」

「……どれだけかかりそうなんだ、それは」

「うーん……ヘドウィグが超特急でホグワーツまで向かって、それでパパたちが準備をすぐに済ませてこっちに超スピードで向かってくるって予測しても……まあ4時間はかかると思ったほうがいいかな」

 

 4時間! ハリーが手紙をふくろうに託したのが一時間前と仮定しても、永遠のような長さの時間に思える。

 ハリーの父親が、あるいはホグワーツのスタッフが来るまでの辛抱だとしても僕たち二人だけで逃げ続けられるかというと……しかも、その救援が僕たちを到着次第すぐに見つけられる保証はないのだ。

 思わず悲観的になってしまいそうになる。だが、くよくよしても仕方がない。

 

「起伏もなにもない水辺というのはあまりにも見晴らしがよすぎて逃げづらいね……ほんとなら森のほうに逃げ込みたいところだけど」

 

 ハリーが、遠くに見える深い森を指差したので、大きく首を振る。このやり取りはすでに早い段階でやったところではある。だが、僕がそれを断固拒否している。

 浅めの人里に近い木立程度ならともかく、アイルランドの魔の森だ。身一つで入るなんて自殺行為だろう。

 

「ダメだ! ただの森ならともかく、この辺は魔法族の領域だぞ! 悪意ある魔法使いなんかよりも恐ろしい生き物がわんさかいるに決まってる」

「そんなもん? 実際のところパパから悪いやつから身を守る術はいろいろ教わったけど、この手の森の怖さってのはピンと来ないんだよね、周りにこんな深い森なかったし」

「まあ、一か八かで逃げ込むしかないときがくれば、行くしかないだろう。だが、そうならないことを祈りたいところだ」

「……しかし、追手の人ずいぶん慎重な距離の詰め方をしてくるなあ。単なる子供と侮ってる感じではないね」

「それに関しては……心当たりがある。僕らの素性はバレてると思った方がいい」

「なんで?」

 

 コテージから離れる前の一瞬に見た顔が頭をよぎる。

 ホグワーツに入る前からの友人であるビンセント・クラッブだ。ハリーに、それを説明する。

 

「間違いないの?」

「なんだと!? 僕があの顔を何度見たと思うんだ、見間違うはずがない!」

「わ、わかったよ。ごめん、ドラコ。しかし相手がこっちの手の内を知ってると思うとちょっとやっか……」

 

 ハリーが口をつぐむ。遠方から人が寄ってくる物音……隠す気のない複数人の足音だ、追手だろう。

 さっきは「持久力だけは僕らのほうが優位」とハリーはいったものの、その理屈には最大のウィークポイントがある。

 向こうは数で圧倒的に勝ることだ。

 声を落としてハリーに今後の動きを相談する。

 

「どうする? このままやり過ごすのを狙うか?」

「小屋とかに隠れられたらそれもアリだと思うけど……ここは単なる岩陰だからね。囲まれたらにっちもさっちもいかなくなっちゃう。周りが敵だらけになる前にこの場を離れようか。霧も出てきたことだしね」

 

 確かに、湖上を中心に少しずつ霧が深まってきた。見晴らしのいい湖沿いではあるが、少しは紛れるための助けになるか。

 ハリーは再び下向きにした、遠くからは見えづらい小さな灯り《ルーモス》を杖先に点け、動き始めた。

 僕もそれに追従する。

 

「後ろは……どうやら、なにか動きには気付いたみたいだね」

「ああ。だがあの場の人間全員が全速力で追いかけてくる、という感じではない。おおかた何かが動いたのは見えたが、何かは確信が持てないといったところだろう」

「うん。襲撃を受けたコテージから南下してできるだけ離れていこうか。右手に湖が見える限りは大きく道に迷うことはないはず」

 

 全員ではなく、様子を伺うための少人数の集団だけがこちらに小走りで向かってくる。油断しているうちにこの場を離脱しよう。

 そうやって僕が後ろの状況を確認しているうちに、夜は更け、霧は深まっていく。

 道標はほのかに見えるハリーの杖先の灯りだけ。僕はそれを頼りに進んでいく。

 湖沿いということもあって、このあたりの足元はかなりぬかるんでいるようだ。魔法界においては深い森も危ないけど、深い湖も同じかそれ以上に危ない。

 濃い霧の中で道を違えないようにハリーの杖先の灯りをしっかりと見る。その先に映るは満天の星空。地平線で赤みがかった冬の大三角の一角、ベテルギウスが輝いており――

 

 ベテルギウス!?

 

 僕は慌てて足を止めた。

 春先にベテルギウスが見えるのは……湖に突っ込む方向、西のはずだ。魔法が濃い地域では距離や方位の感覚、あるいは方角呪文(ポイントミー)ですらしばしば役に立たなくなる。

 だからこそ私達魔法使いは天文学を学び修めているのです、と母上が話していた記憶がある。今がまさにその天文学の知識が活きる状況なのだろう。

 ……まあ、それはいい。ではさっきまでハリーの杖先の灯りだと思っていた目の前の灯りはいったい?

 

 その灯りはそのままゆらゆらと動きながら湖がある方向へと進んでいく。あれは、もしや……

 多少リスクはあるが仕方ない。

 

「ルーモス!」

 

 杖を掲げて灯りを点けると、目の前のほのかな灯りの正体があらわになった。

 旅人を迷わせるおいでおいで妖精(ヒンキーパンク)だ。僕を湖に誘い込もうとしたのだろう――危ないところだった。

 ……いや。

 

「なにを安堵しているんだ、僕は。ハリーと完全にはぐれてしまったじゃないか」

 

 杖を掲げて霧の中を探ってみたが人影は見えない。

 どうやらハリーも完全に僕を見失ったままこの場を離れてしまったようだ。

 

「おい! 今あっちのほうで灯りが見えなかったか!」

 

 くそっ。

 霧は相変わらず濃く、向こうも直接僕を視認したわけじゃなさそうなのは救いだが……それでもさっきの岩陰のときよりもだいぶ距離が近い。おいでおいで妖精(ヒンキーパンク)に迷わされていた間に距離を詰められたのだろう。

 今はハリーがいた先ほどまでと違って逃げる当てもなにもない。

 不安なまま少しでも敵から離れるべく、南に移動しようとしたが……

 

「向こうかもしれん、追え!」

「あれは人影じゃないか!?」

 

 ハリーよりも灯りをつけた杖の位置が高かったか、あるいは光が強すぎたか。

 そのあたりの作法を親に仕込まれていない僕のやり方はなにか拙かったらしい。霧に映った影を見られた僕は追手に感づかれてしまった。

 

 思わず舌打ちしそうになるが、ぐっとこらえてその場から走り出す。

 なぜこうもうまくいかないのだろうか。

 僕だって護身の心得は学んだはずだった。

 

 父上は幼い僕に対して、英才教育を授けた。父上によって雇われた家庭教師が教えるカリキュラムの中には護身のための身構えや緊急時の呪文や杖の扱いなどもあったはずだ。

 しかし、それは到底身についたとはいえない。試験もないホームスクーリングでの家庭教師など、所詮はタスクをこなすだけの仕事だ。それも「教えて理解させる」というタスクではない。「金を出してくれる親に満足感を与える」というタスクだ。

 幼い頃の僕もそれをおぼろげながらに察して、上っ面を覚えてその場でだけ理解したかのように振る舞えば皆が満足することを知っていた。

 結局のところ、教える側も教えられる側にもインセンティブがなければ、教育というものは効果がない。真面目さを一番の美徳にする寮がホグワーツにあるだけはある。 

 一方で、定着したものもある。

 いま身を護ることに繋がっている天文学や魔法の水場についての姿勢や知識だ。これらは母上が手ずから教えてくださったもの。やはりそうやって親身になって教えられれば、まあ自分で言うのもなんだが著しく不真面目な生徒である僕にもうまく定着するようではある。

 

 そうやって、母からはいくつかのことを学んだ。一方で……

 父上から直接学んだことは、ほとんどない。

 

 

 

 ――――

 

 

 幼い僕が父上に手招きされて客間に足を運ぶと、そこには見慣れない、険しい表情の男も同席していた。

 呼ばれた理由についても察してはいたし、内心怖がってはいたものの……父上の前で取り乱すわけにはいかない、と幼いなりに思っていたらしく、当時の僕が思う限りの毅然とした態度で歩み寄っていった。

 

「客人だ。挨拶してみなさい、ドラコ」

「は、はい、ちちうえ! お会いできてこうえいです、マルフォイ家のドラコです!」

 

 ここのところ、社交界へのデビューに向けて身内以外への応接について母上から手取り足取り学んでいた。それを父上に見せる機会と感じた僕は、学習の成果を精一杯披露してみせた。

 父上は何も言わなかった。なんの指摘もなかったから成功していたと言えるのだろうか?

 一方で同席した「セブルス」と呼ばれていた大人は一切ニコリともせず、たどたどしく喋る僕に対してなにか難しげな台詞を吐いたのをうっすらと覚えている。

 

「実のところ、初めましてではないのだがね」

「そうなのですか?」

「君が生まれたてからしばらくは、随分な頻度でこの屋敷に呼び出され、君の顔を拝んでいた。君が食べた離乳食の半分は、我輩が調合した栄養剤が入っていた」

「事実は違うな、セブルス。君の栄養剤の味をドラコはずいぶんと嫌っていた。半分どころか、口にまで入ったのは八分の一、胃まで届いたのは十六分の一といったところだろう」

「文句を言うならあなたが調合すればよろしかったのです、ルシウス」

「何を言う。貴族というのは人を使う立場であって、自ら動く存在ではない。ドラコ、覚えておくがいい」

「はい! ちちうえ!」

 

 教育熱心な母上はともかく、父が直接僕になにかを教えてくれる機会は非常に珍しかった。

 このとき僕の「挨拶」についてなにも言わなかったのも、指摘する箇所がなかったのではなく、その一環だったのだろう。なので、珍しく父が僕に直接教えを授けたこの出来事を僕は今でも鮮明に記憶している。

 そのときマルフォイ家が貴族をどう規定するか、僕は心の奥にしっかりと刻み込んだ。貴族は人を使う立場である、と。

 

 問題はここからだ。

 

「さて、ドラコ。今日、彼がこの客間に入り、杖収容箱を開けた際……中からなにが出てきたと思うかね?」

「……わかりません、ちちうえ」

「十インチワームだ。ここの庭にいたものだろう……なぜかわかるかね?」

「……そとにいっぱいいます。たぶん、かってに入ってきたんでしょう」

 

 明らかに稚拙な言い訳だ。事実は庭でつかまえ、いたずらの一環として僕が入れた。間違いなく、父上もスネイプ教授もそれを見透かしていただろう。

 

「そうか。なるほど、それがドラコの見解か。失礼したな、セブルス」

「いえ」

 

 だが、僕は咎められることなく保免された。父上がこれについて何かを言うことは、二度となかった。

 

 こうした僕の悪事への対応は父上と母上で大きく異なっていた。母上は声を荒らげて怒ることはなかったけれど、感情の発露に関しては父上と違ってむしろオープンなほうで、さすがに僕の悪事で涙を流されたら幼い僕としても思うところはあった。

 

 父上は違う。僕を教えるのも、咎めるのもほぼ全てが人を通してだった。

 

 

「ドラコ、貴族というものはなにか理解しているか?」

「はい、人を使う立場です」

「よろしい。しかし人を使う立場を理解するためには、使われる立場も理解しなければならない。友人、手下、労働者、奴隷……」

 

 少し大きくなり、他の家との会合に顔を出す機会も増えた僕は、同世代の人間と顔を合わせる機会をもった。

 その顔合わせの前に、父上は珍しく僕に一つ言いつけを行った。

 

「お前にとってはまだかなり先の話だが、彼らと同じタイミングでホグワーツに入学することになる。お前がどう振る舞うかはお前に任せるが……長い付き合いになる可能性があることは認識しておくように」

「はい。彼らを味方にし、使う立場になれということですね? 父上にとってのスネイプ氏のように」

「どうするかは、お前次第だ」

 

 もっとも、父上の数少ない言葉を……当時の僕は、いやもう少し年を経た僕でさえもまともに理解できていなかった。

 ゆえに、このあとの大事な同世代との顔合わせでこのような言動を取ることになる。

 

「やあ! 僕はマルフォイ家のドラコだ。君は?」

「あ、えーと。はじめまして。し、自分はクラッブ家の、えーと。クラッブ……じゃなかった、ビンセントです!」

「ああ。父上から聞いてるよ。今日から君は僕の手下だ。よろしく」

「……え?」

 

 言い訳をするならば父上とスネイプ教授の関係性はまだ小さい子供にとってはなかなか理解が難しいもので……正直に言って、当時の僕からは御用聞きかなにかのように解釈していた。

 ゆえに、勘違いをした。味方とは自らの家の持つ権力を利用して作る手下のことだと。

 

 その後、父上が服従の呪文を受けた結果僕への興味を失う……などの出来事を経て、僕も友人というものがなにか理解するようにはなったと思う。

 そうなってから父上とスネイプ教授のやり取りを思い返すと、父上も無理難題を押し付けるだけでなく、スネイプ教授が持たないものを与えていたように思える。それは取引ではない。ギブアンドテイクだった。

 

 ただ、それですらも間接的な、迂遠なものばかりだった。

 スネイプ教授相手であっても、直接なにかを指示したり授けることはなかった。つまり、マルフォイ家の家名をもとにそれとなく省の高官に対してスネイプ教授と親しいことをほのめかしたり、スネイプ教授が求めていたコネクションを繋いだり。父上が与えたのはそういうものだった。

 まさに父上の言う通り、人を使う立場から動くことはなかった。

 

 そして、その対象は僕も例外ではなかった。

 父上は直接、僕の行動に何かを言うことはほとんどない。僕のために直接何かをすることはない。

 服従の呪文の前も、後も。

 

 僕だって子供じゃない。

 父上の態度が豹変したのは服従の呪文によるものだったと今は知っており、それ以前も僕のことをマルフォイ家を継がせる後継者としてしっかりと教育を授けてくれていた。

 僕にとって父上は良き当主、そして良き父親だと思っている。

 

 だが子供の危機となれば、ハリーの父親は駆けつけてくれるであろう。ハリーの父親だけではない。あのウィーズリーですらも、いざとなれば兄弟家族が助けに来るに違いない。

 僕の場合は違う。

 彼らの父親と異なり、父上が自ら助けに来てくれることはない。

 

 数少ない、父上から直接学んだこと。

 貴族というのは、そういうもの――人を使う立場であって、自ら動く存在ではないということだ。

 

 

 

 

*1
参考文献:スポーツ庁平成21年度体力・運動能力調査結果の概要及び報告書より「年齢と体力・運動能力 テスト項目別に見た一般的傾向」

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