僕、ドラコマルフォイは湖の南側で逃げ惑っていた。
「クソッ、もう僕の足だってヘトヘトだぞ……」
ハリーが言っていた通り、後ろの追っかけてくる連中のほうが足が止まるのは早かった。ただ、それは必ずしも逃げ切れるという意味ではない。
土地勘もこんな自然環境を走り回った経験もない僕は非効率的なルートを選択してしまう。一方で向こうはバテてきているとはいえ情報を共有しながら追跡してくるチームだ。僕は徐々に追い詰められつつあるのを感じていた。
その割には相変わらず一定の距離はあるが……
そんな僕の前に現れたのは分岐路。一つは湖から離れ南に進む砂利道。もう一つは湖の南端に沿って西に進む茂みだらけの道だ。整備されているとはいいがたく、まるで獣道だ。
「どっちだ……?」
ハリーならおそらく適切な判断ができたのだろう。だが、僕にはどちらに逃げるべきかわからない。
迷う暇も惜しい。僕は西に向かって進む茂みの道を選んだ。
「正しいルートはわからないけど……茂みならこれが使えるかもしれない!」
僕はマルフォイ家で古くから伝わる(別に秘伝とかそんなものではないけど)呪文を唱えた。
「
呼び出した蛇を、茂みの中這わせて追手にぶつける。僕が茂みがある道を選んだ理由はこれだ。
まあ、僕が呼び出せる程度の蛇なんかに噛ませたところでどうにかなるとは思わないけど……紛れは産まれるかもしれない。
「痛!?」
「あのガキ! 何か仕掛けやがったぞ!」
罠に塗られた一番強い毒は恐怖だ。
一人でも引っかかれば、全員の手を止めることができる……ってポッター教授が言っていた。
茂みで視界を切りながら、少しでも距離を稼ぐためにまっすぐに僕は走り抜けようとして――
「ぐああ!」
僕の踵を呪いによって、撃ち抜かれた。足が固まり倒れ込む。
背後からの呪いの同時射撃。そのうち一つが僕にしっかりと命中したようだ。
「惜しかったなあ? 確かに足は止められたが、まっすぐ逃げようとしたのはまずかったな。いい的だったぜ。しかし、ここで俺らに捕まっちまうほうが、まだマシってもんだ」
「なんだと? どういうことだ」
「お前は南に追い込まれてたんだよ。
だが、南に逃げる僕を捕まえられる確信があったということはよほど広い範囲、多くの数を配置したのだろう。なんでもやる連中だと思っていたけど、まさかあの怪物をそんな大規模に使うなんて……
「さて、どうする? こいつは」
「そうだな。このまま全身金縛りにして……ちょうど横にお誂え向きのがあるじゃねえか」
「ああ。ネイ湖だな」
「一番深いところで80フィートはあるらしい。杖に違法な呪文の痕跡は残すほどのリスクに見合うほどの給料はもらっちゃいねえし……自然に任せたほうが賢明だろうな」
「や、やめろ! 僕はマルフォイ家の一人息子だぞ、手を出せばひどい目に……」
「知ってるよ。だから追っかけ回してたんだ……ペトリフィカス・トタルス」
そいつが僕に当てた呪文によって、体も口も動かなくなる。
いっそこれなら思考すら停止してくれたほうが助かる、と思えるぐらいだ。悲鳴を上げることすら禁じられた僕の体は、大柄な男によって担がれ……
春先の冷たい湖に投げ込まれた。
もがくこともできない。パニックによって大きく肺の中の空気を吐くことすらできないのは救いだろうか? むしろ苦しみが長く続くともいえる。
「おら、このまま沖合まで魔法で飛ばして――」
「
「う、うああ!」
「君はドラコを!」
「ええ!」
突然、連中がなにかわめき始めたのが聞こえる。もっとも水中なので音はくぐもっていて、何を言っているかうまく聞き取れない。
だが、どことなく耳に覚えのある声が2つ聞こえたような。
僕の両足が何者かによって掴まれる。このまま沖合に投げ飛ばされるのだろうか?
その予想に反して、僕は地上に引き上げられた。
「フィニート」
金縛りの呪いがとけ、視界がはっきりしはじめる。
目の前には……ここにいるはずのない人間と、ここに来るはずがない人間。父上とビンセントだ。
「ち、父上ですか? それにビンセントも」
「ドラコ……無事か?」
「は、はい!」
「良かった……お前になにかあれば、私は……」
そう言って、父上に僕は抱きしめられる。
そんなバカな。いや、服従の呪文が解けて以来、父上の愛を疑ったことはない……ほとんどないけれど、それでもこの場に自ら足を運ぶような人間ではないはずだ。
「な、なぜここに? 別の人間をよこせばよかったのではないでしょうか?」
「ふむ。ビンセント君からも少し聞いたが、ドラコは私の言葉を少し、思惑と異なっていた解釈をしているようだ。もっとも、将来当主になることが期待されているお前は言葉をどう受け取るかも含めて選択するわけで……」
「言い方があまりにも迂遠では? マルフォイ卿。誤解の原因が見つかったみたいですね」
「彼はいつもこうなのかね?」
「まあ学年一の毒舌で、皮肉屋としてもノット家のテオに次ぐと思います」
とはいえ、ホグワーツに入ってから聞くようになった(あるいは、本性を表すようになったというか)彼の毒舌を聞くのはずいぶんと懐かしくも感じる。
相手が僕の父上というのはいただけないが……
「ではまあ、言い直そう。自らにない技能を活かすため、人を適切に使うのは貴族としての義務だ。その上で、お前を助けるのに私以上の適任はいなかった」
「父上!」
「まあアーサーが向かうというから張り合ったという部分もないではないが……ゴホン。いけ好かないやつだが、そのあたりに転がって私に助けを求めているはずだ。ドラコ、疲れているとは思うがもうしばらく動けるかね?」
「はい。大丈夫です、父上」
「感動の再会だな……だが、お前ら。覚えておけよ、とくに俺たちを裏切ったクラッブ家のガキ。分からないとでも思……」
「
呪いによって空中に逆さ吊りされていた奴が少しばかり口を開いたが……父上はそれに耳を傾けることもなく忘却呪文を当てて黙らせた。
さすが父上! かっこいい!
「さてどうする、ビンセント君? 不安があるなら全員沈めておくが……」
「さすが父上……なんて無慈悲なんだ」
「しっ、沈め!? い、いえ。流石にそこまでは。今と同じように忘却呪文を当ててもらえるだけで十分すぎるほどです。それにしても、そんなに気を遣ってくださることは。どうせすぐに露見するでしょうし」
「『すぐ』が『少し後』になるだけで何か隙が生まれるかもしれん。君の父上を連れて逃げる時間ぐらいはな」
「さすが父上……なんて的確な判断なんだ」
「ドラコ? お前、お父君の前だといつも以上におかしくないか?」
ビンセントが僕に疑問を呈すが、はて、どこがおかしいのだろうか?
僕は父上の(なぜかいつもより一回り太い気がする)腕に抱きしめられながら、首をかしげた。
「父上、僕は教えていただいた言葉を誤解していたみたいです。その……こんな時に言うべきことではないかもしれないんですけど……父上、クィディッチのユースチームからスカウトされました。これを受けるのは当主として、あるいは貴族として間違っているのでしょうか?」
「ふふ……そうだ。間違っている」
「そ、そうなんですね。断ったのがやはり正しかったのですね」
「……と言われたぐらいで、考えを変えないのが『当主』というものだ」
「……!」
父上はニヤリと笑いながらそう答えた。
「お前はなかなかにワガママなイタズラっ子だ。そうだな?」
「ええと、自分で認めるのはちょっと難しいですが……」
「ああ、ドラコ。自ら認めるのが難しいなら自分が太鼓判を押してやる。お前はとんでもない我儘野郎だ」
ビンセントの言葉を聞き流しつつも、父上の言葉にうなずく。
「貴族というのはある種……自分の我儘を押し通す存在だ。ああ、確かにお前が危惧したように、高貴な家の当主を務めながら、クィディッチの選手を兼任した前例はない。だが、前例などに縛られず人間に仕事を投げ、財を使うのがお前の仕事だ。わかるかね?」
「は、はい」
「つまり……お前の好きにするがいい。私はお前の判断を尊重しよう」
「は……はい! わかりました! 僕がクィディッチのプロプレイヤーになった暁には、当主としての雑事は全部人に投げつけてしまえばいいんですね!」
「そうとも!」
「そうともでいいのか……?」
「はっはっは、ビンセント君。なに他人事のように考えているのかね? 君は今日、ずいぶんな量の弱みをマルフォイ家に握られたと認識しているが」
「ぐっ……」
なるほど……スネイプ教授にやっていたように、このように友人はコントロールするのか。
父上から実践的な教えを学び取っていると、遠くからたくさんの足音が聞こえてきた。これは……第二陣だ。
「ああん? こいつら……全員やられちまったのか?」
「二人とも、私の後ろ、茂みの中にいたまえ……彼らは私が相手する。特に君は顔が見えぬように」
「はっ。誰だか知らないが多勢にぶぜ……」
軽口を叩こうとした先頭の男に、父上が素早く飛ばした無言の呪いがヒットし、気絶する。
それが口火となり、呪いの撃ち合いが始まるが……父は飛んでくる呪いを的確にかわしている。なんてことだ……父上は前から最高にかっこいいと思っていたが、僕の想像を遥かにこえてかっこいいとは!
父上は華麗に呪文を当て、かわしての八面六臂の活躍をして僕が内心喝采を連続で上げていたところで……突然、父上の動きが止まった。
先ほどまで僕を抱きとめていた父上の腕がすっと細くなる。
「マズい」
「なにがマズいのですか、父上?」
「薬が切れた」
「薬……?」
「ああ……
ビンセントが呪詛を呟くと同時に……先ほどまで華麗に呪いをかわしながら戦っていたはずの父上の姿勢が、まあ、俗に言うへっぴり腰のような感じになり……なんの変化もない、まっすぐ飛んできた呪いをかわすこともできず、体に受けてしまった。
「父上!」
「ああ、ずいぶん手こずらせてくれたがこれでおしまいだ。大人しくして……ん? 後ろにいるのは、クラッブ家のガキじゃあねえか! てめえ! 裏切……」
そいつは口を開いたまま、前のめりに倒れ込んだ。
呪いを放ったのは父上でも、僕でも、ビンセントでもない。奴の背後にいた誰かだ。
「ビンセント……あれほどあそこに留まっていろと言ったというのに!」
「父上!」
「クソ、父上のほうもかよ! 囲んで仕留めるぞ!」
「こいつらは、私が引き付ける、逃げろ、逃げろビンセント!」
ビンセントのお父君はそう言って辺りの茂みに火をつけた。
湖のそばだ、水分を多く含んだ草によって焚かれる白い煙は、もくもくとあがりあっという間に僕らの視界を塞いでしまった。これに乗じて逃げろということなのだろう。
「ドラコ、お前は逃げ……」
「皆まで言う必要はない。君には助けられた、君が残るというなら僕も残るぞ」
「ふん。グリフィンドールに染まったか? 大馬鹿者の決断だぞ、それは」
「勝ち目のない戦いのときでも一人で残るのがグリフィンドールだ。仲間のために二人で残るのはスリザリンさ」
そう言って僕ら二人は杖を構え、覚悟を決めたとき――
「おっと? 今我が愛すべき寮がバカにされたように聞こえたが」
「手を貸すべきじゃなかったかもしれないぞ」
「ふたりとも、喋ってないでちゃんと支えろ!」
「大丈夫だパース、ちゃんと手だけ添えている」
「そしてここがゴールだ、それ!」
連中の頭上に……なにか、巨大な黒い一枚のシートのようなものが降り注いだ。
シートの中にはなにか泥のようなものが詰まっている……これは、沼地?
僕たちを攻撃していた連中は沼の中に強制的に入れられ、中でもがいている。構えていた杖も沼の中に飲み込まれてしまったようで、戦闘どころではなさそうだ。
「はっはっは、ルシウス! 絶体絶命だったようだな! さあ、誰に助けられたか言ってみろ、はい、加えて復唱3回!」
「親父がノリノリだな」
「まあ、俺たちが持っていた
「しかし6人で持って運ばないといけないというのは、ちょっと
「
「悪くないな」
やかましい赤毛の連中の群れ……
ウィーズリー家だ。遺憾ながら、万事休すという場面で助けられたようだ。
パーシー・ウィーズリーの貸した手に捕まって起き上がった父上の顔は一瞬、極めて複雑そうな表情をしていたが……すぐに外向き、対ウィーズリー家用の嘲笑スタイルに変わった。
「ああ、実に見事に助けたものだ、アーサー。私がこの戦局をコントロールし、お前たちがここに居合わせるように操作したのだからな……」
「な、なんだと! よくもそんな企みを! ルシウス!」
「そ、そうだったのですか、父上!」
父上はここまで仕組んでいたようだ。なんという陰謀の権化、父上がやる策謀はすべてうまくいくのは、この人間離れした読みの力が備わっているからに違いない。
「……んなわけがなかろう! なぜ一言礼がいえんのだ、『わたくしルシウス・マルフォイは学生時代から負け続きのアーサー様に今度も助けられました』の一言でいいのだぞ!」
「父さん、それはどう考えても一言ではないのでは?」
伝統あるマルフォイ家に対してあまりにも過大な要求を突きつけるウィーズリー家の父。それを横にいたパーシー・ウィーズリーがたしなめる。
「ちっ。いいだろう。感謝する、アーサー」
「……お前たち! 杖を構えろ、
「なんてことだ。我がお父君は錯乱している」
「支離滅裂だな」
軽く頭を下げた父上に対して、ウィーズリー家の父は逆に狼狽し始めた。
僕の父上に礼を要求しておきながらこの態度。ロナルド・ウィーズリーの失礼さは遺伝の賜だったらしい。
「ほ、本物のルシウスか? 本物のルシウスが、素直に礼だと……?」
「息子を助けられたからな。礼の一つぐらい言う」
「や、やめろ! そんな正論を言われたら……どう見ても私のほうが見苦しくなるではないか!」
「だいぶ前から見苦しいですよ、父さん」
「それよりだ。沼地の中に彼の父親がいる。引き上げてやってくれ」
そう言って沼地の真ん中のほうにいるビンセントのお父君を父上が指差すと、ウィリアムと言っていたか。兄弟の一番上である長身の男が杖を振って宙に浮かせて引き上げる。
ビンセントが駆け寄って容態を確認する。連中に囲まれて集中攻撃を受けたせいか、気を失ってはいるもののしっかりと呼吸はしている。どうやら無事のようだ。
「まあ、お前が無事なのは心配していなかったが。スネイプ氏は?」
「わからん。ただ、車からの落ち方を考えると私より南にいる可能性が高い」
「おいマルフォイ、ハリーはどこなんだよ!」
僕とウィーズリー家の父同士で話し合っている間に、同い年のウィーズリーがこちらに寄ってくる。
相変わらず喋りが無礼だ。別にお前に助けてもらったわけじゃないんだぞ。
だがその言葉にハッとする。
「そうだ! ハリーとははぐれたんだが、あいつは南に行ったかもしれない。向こうには吸魂鬼《ディメンター》の群れがいる、と連中が話していた」
「
「連中の話が真実ならな。ハリーは守護霊の呪文が不完全ながら使えていたから、一時的には身を守れるだろうが……」
このあたりの追っ手は一掃した。となると、ある程度分かれてハリーとスネイプ教授を探すのも手ではあったと思う。
しかし
「守護霊の呪文なら私とビルが使える。本来ならお前たちは安全なところに避難させたいところだが……」
「この状況だと、分割して移動する自体がリスキーだろうな」
「癪だが、ルシウスの言うとおりだ。今、離れ離れになるのは命取りだ。だが、魔法の湖と森のそばだ。迷う要因はいくらでもある……どうしたものか」
「それならばいい
僕の父上がここにいる人間にふわっと振りかけるように魔法をかけると、僕たちを結びつける影の鎖のようなものが足首に嵌った。それほど重いものでもないけど、隣にいるロナルド・ウィーズリーの鎖の重みも僕の脚に伝わってくる。なるほど、これでお互いがいる感覚を維持するわけか。
「古い魔法だな……お前がこんな
「ああ、実に的はずれな偏見を抱いておられるようだ、アーサー。とはいえまあ……この魔法の用途は奴隷の管理のためのものだったが」
「クソ、聞かないほうがよかった」
こうして、僕たちは(隣がロナルド・ウィーズリーというのは大いに不満があるが)ゆっくりと歩きはじめた。
ハリーとスネイプ教授を探すため。