地上からの攻撃を受け、空飛ぶ自動車の運転席から勢いよく放り出された私は……約1000フィートの高さから身一つで降下していた。
「せ、セブルス!」
上空、火を吹いた自動車の上からルシウスの声が聞こえたが……どんどん遠ざかり、なにも聞こえなくなった。
いくら魔法族の肉体が比較的頑健と言えど、この速度のまま地面に衝突すれば即死の可能性が高い。
この状況で最も危惧すべきは……パニックになることだ。
私は魔法使いだ。こんな状況は絶体絶命でもなんでもない。
減速のために懐から、予め調合した魔法薬を詰めてきたアンプルのうち一つをなんとか取り出す。本来であればこれ一本で何度も使える量を注入してきたが、この状況で惜しんでも仕方がない。
私はアンプルを風圧ではためいているマントの下に持っていき、左手で砕く。
人によってマントの材質は異なる。メジャーなところではカシミヤやワイバーン、珍しいところでは鬼蜘蛛の糸を使ったものを着てきた生徒もいた(ごくごく一部ではあるが、合成繊維のマントをつけてきた者もいる。世も末だ)。
私のマントには毒液を扱うアフリカのサイ、エルンペントの皮膚を使っている。
これらには一部の例外を除いて、共通点がある――動物繊維だということだ。
ゆえに、私が調合した「ふくれ薬」がマントの繊維に広がり、吸着されると……私のマントは、勢いよくふくれ上がった。
パラシュートの要領でふくれたマントを広げ、落下スピードを緩める。
もちろん、こんな間に合わせのものでスピードを殺しきれるわけではない。しかし、魔法使いが生き残るには十分だ。
勢いが弱まったことで、ホルダーに収めていた杖が扱えるようになった。私が右手で抜き、アンプルを砕いた際に多少ふくれてしまった左手を
「ぐっ……」
そして、そのまま着地。無傷とはいえないが、うまく受け身も取れた。
保護呪文がかかっているローブの下にしまいこんだ各種魔法薬の無事を確認し、「ぺしゃんこ薬」を取り出してマントと左手に滴下する。これで元通りだろう。
さて、問題は……完全に左右もわからない木立の中に放り込まれたことだ。しかも、敵が周囲にうようよしている可能性も高い。マントを広げて降下したのは、決して地味な行動だったとは言えない。
すぐさま接敵する可能性も考え、周囲の様子を伺いながら「脳活性秘薬」と「強化薬」を服用しておく。このあたりを予めルシウスに渡しておいたのは正解だった。これらは非常に有用な魔法薬で、事前に服用しておくだけで相当のアドバンテージを得ることができる。もっとも、その分「脳活性秘薬」は調合時間も長く、難易度は高い。「強化薬」もやや癖があり、間違った服用の仕方をしてしまうと体の一部だけが強化されてしまうのだが……ルシウスも魔法薬について無知ではない。説明せずとも大丈夫なはずだ。
「強化薬」は身体能力を全体的に向上させる。それには視覚や聴覚も含む。
服用した途端……少し遠方で悲鳴のようなものが聞こえたのを感じた。
私は、慎重に様子をうかがいながらその悲鳴の方へと近づいていく。
「……ひ、ひぃいい! 頼む、見逃してくれえ! 俺はもともと無関係なんだよ!」
「誰かと思えば……」
その声は……ずいぶんと昔ではあるが、聞いたことのある声色であった。
マンダンガス・フレッチャー。魔法省時代、魔法警察局に配属されたときに……まあ、ひと悶着があったこそ泥だ。
「だ、誰だ!? 新手か!?」
「
一応はホグワーツの関係者でもあった男だ。敵の可能性は低いが……いや、低いだろうか?
ともあれまず吊るしておく。
「ぎゃああああ! な、なんだあ、こりゃ!?」
「妙なところで会ったものだ、フレッチャー」
森の至るところに人の気配がある。どうやらこいつが何かに追われているのは事実のようだが……こいつの場合、アイルランドで盗みを働いてただ追われているだけ、という可能性も十二分にある。
「こ、こりゃ……スネイプの旦那か!? トム・リドルの手先に追われてるんだ、だってのになんで俺を吊るす!?」
「状況がわからん今、信用しきれないからだ」
「ひ、ひでえ……と、ともかく! 向こうから追手が……」
「
その追手とやらを武装解除呪文で吹き飛ばす。
「た、助かった……それで、降ろしてはくれないんです、旦那?」
「血走った目で杖を握っているチンピラよりは相対的にお前のほうを一旦生かしておこうと判断しただけで、お前を信用したわけではない。現状を話せ」
「スネイプの旦那はこれだから……もっとロングボトムの旦那の柔和さを受け入れたほうが……」
「早く話せ」
「はい」
いつまでも言い訳に終始しそうだったので、杖を突きつけて話を促すと、ようやく話の核心を喋り始めた。
「ええとですね、俺とグリーングラスのご家族、それにスラッギーの爺さん……ロンドンにトム・リドルが建てて、自分で自分を名誉第一号生徒にしたあのナショナルスクールの学長やってたホラス・スラグホーン氏です」
「知っている。我輩は彼の生徒だった」
「ああ、セブルスの旦那はその辺りの世代でしたね……とにかく、その面子でロンドンを抜け出してきたわけですよ。洋上でトレーシーさんとこの船に乗り換えてね。ところがその船がアントニン・ドロホフって追手に狙われちまって。連中を撒くために二手に分かれることにして、俺らはこっそり陸伝いに逃げることになったわけですよ」
なるほど、いくらかのやり取りがあったのは知っているが……このタイミングでグリーングラス家とスラグホーン教授はロンドンの脱出を選んだわけか。
「そうか……では、貴様の言う残りの連中はどこに?」
「無事に逃げ切ってりゃトレーシーさんとこの船はベルファストらへんまで行ってるはずです。陸伝い、つまり俺と一緒の連中は……みんな散り散りです」
「なんだと?」
「先ほど、そのアントニン・ドロホフって奴の待ち伏せを食らっちまって。グリーングラスの旦那と奥方、それにスラッギーの爺さんは自分を囮にして娘さん二人を逃したみたいです。俺とその娘さんたち以外はとっ捕まってるでしょうな。あるいはもう殺されてるかもしんねえ」
「なるほど。お前は彼らを見捨ててきた、というわけだな」
「そんな意地悪言わんでくださいよ。まあ、そのときの隙を使ってとんずらさせてもらったのは事実ですが、心中しろとまで契約になかったもんで」
逆さに吊られたままのマンダンガス・フレッチャーはしれっと言ってのける。
さて、問題はこの状況でどう振る舞うかだ。
もともと、ここに来たのはドラコ、ついでにグリフィンドールの餓鬼どもの救出に来たわけだが……降りる予定の場所からかなり流され、離れてしまった。
となると、当初の目的とは離れてしまうが……少なくとも居場所のわかっているスラグホーン氏、及び同行していると見られるグリーングラス家を救出にあたるのが正解だろう。
ウィーズリー氏もルシウスも(彼らの子供じみた諍いを見た直後にあまり認めたくはないが)、一流の魔法使いだ。あの程度のトラブル、対処できると信じよう。
なにより、バチルダ・バグショット氏から話を通されている……今後の計画のためには、ホラス・スラグホーンをホグワーツに連れてくるのは必須だと。その機会が今回ってきたということだ。
「よろしい。そのドロホフとやらが陣取っている場所に案内しろ」
「ええー、そりゃ火中にわざわざ飛び込むようなもので……ああいえ、案内させていただきます、ぜひにとも!」
口答えしようとしたフレッチャーに杖を向け、逆さ吊りの高度を上げてやると大人しく従った。
「まず気になったのは、捕まえたという点だ。なぜその場で殺さなかった?」
「ひゃー、おっかないこと言いますねえ、スネイプの旦那も。まあ、俺も思わないでもなかったですが……どうも、スラッギーの爺さんとなにか話したいとこがあったみたいです。グリーングラスの旦那の方は取引でも狙ってるんですかね?」
「スネイプの旦那の腕が立つのは知っちゃあいますが、気をつけてくださいよ? あのアントニン・ドロホフとかいう奴、なかなかに油断がならねえ」
「何者だ?」
「もともと裏の稼業では名の通った用心棒でした。それがまさか、トム・リドルの治世とはいえ省の高官なんてポストに付くとは……」
「裏の用心棒だと?」
「ええ、とんでもなく鉄火場に慣れてるようで。呪いの撃ち合いに滅法強かった。待ち伏せによる奇襲で真っ先にグリーングラスの旦那が重傷を負っちまって。俺らも抵抗したんですが……瞬く間にやられちまいました。くそっ、最強の決闘術師なんて名乗ってたのはフカシじゃあなかったか」
「最強の決闘術師だと?」
「ええ。表でやってるスポーツ決闘などまがいもの、なんでもありならイギリスで最強の決闘術師は俺だ……と公言してるのは昔から耳には挟んでいました」
思わず鼻で笑ってしまい、フレッチャーに怪訝な目で見られる。
「なにかおかしいことでも?」
「いや……今頃スラグホーン教授も同じような気持ちだろうな」
「というと?」
「なんでもありの真の意味を知っている魔法使いとは、
「はあ……そりゃほんとですかい?」
胡散臭げな目で見てくるフレッチャーを無視して、周囲を探る。
さて、敵が待ち受けているところに突っ込むのであればなんらかの準備が欲しいところだが……
何か使えるものはないかと考えていたところ……森の奥に不法投棄だろうか、遺棄された自動車が目に入った。
「フレッチャー、車泥棒の経験は?」
――――
「ぐっ……いい気になるなよ、ドロホフ」
「いい気にもなるさ。まあ、不満はないわけではないがね」
アイルランドの森の奥、なんの変哲もない寂れた倉庫の下を掘って中を魔法で広げた地下室。呼び名は
不満はもちろん、このグリーングラスの仲睦まじいご夫婦を今すぐに焼き殺せないことだ。我らがボス、トム・リドル様がどう使うつもりなのかは……知らない方がいいだろう。
「おっ、いいハンカチ持ってるじゃねえか。流石グリーングラス家、名門だな」
懐に入っていたハンカチをさっと抜き取る。毒、自然物、死を操るグリーングラス家らしい品だな、気化した魔法薬も防げる繊維でできているようだ。
俺だってこの手のものはもちろん仕事柄備えちゃいるが、これほどの品質のものはそうお目にかかれるもんじゃねえ。ありがたく貰っておこう。
そのついでに拘束が完全なのを確認する。
まあ、魔法使い相手に拘束なんていくらやっても完全に信頼はできねえけどな。なんせ杖が不要な変身術で抜ける手がある。杖は魔力の伝導体だ、目の前のコップをひよこに変えようとするなら、杖を通じてコップに魔力を当てる必要があるが、対象が自分の体ならばそれは別だからな。
だからこそ、魔法使いを拘束するときは二重、三重の備えがいる。例えば――強固に閉塞された出入り口。施錠はどこまでいっても信用できねえ、魔法生物や魔法具を
もちろん、こっちだって拘束がアテにならないのは変わらない。部下数人にしっかりと監視させている。
「おいおい、俺が素敵な笑顔を向けてるのに、そんな仏頂面してたら教職は務まらんだろ」
「黙れ、貴様と話すことなどない」
「おっとお? そんなこと言っていいのか? 確かにグリーングラス家の素敵な家族の生死に関しては保留中だが……あんただけが地上にいる理由を知ってるか? 地下で焼くと臭いがこもっちまうからだよ……焦げた臭いがな」
ホラス・スラグホーンに関しては、そもそも指示を受けていない。
まあ、そもそもこの爺さんが学校を抜け出して俺が捕らえる、なんてのは想定してなかったわけで(仮に処遇を決める担当がいるとすれば、イングランドを治めている"ジュニア"だ)、現状では宙に浮いた存在ではある。
もちろん、宙に浮いてるっていうのは……この場で殺しても後でいくらでも言い訳が利くという意味だ。
「せっかくスリザリンの面倒見てくれた恩師に報告したいってのによ。ああ、あんたに一切かわいがられることもかばわれることもなく、ホグワーツを辞めた俺は立派に政府高官まで上り詰めました、ってよ」
「立派な政府高官? 誰がだ?」
「おうおう、言ってくれるじゃねえか……まあでも、痛いところは突かれたかな。確かに俺自身も立派に務めてるとは思ってねえし、この立場なんて単なる道具で、誇りに思ってるわけでもねえしな。俺が言いたいのは……」
無言の呪文で杖先に熱を生み、スラグホーンの眉を焼いてやる。悲鳴の一つぐらいは上げるかと思ったが、意外にもスラグホーンは黙ってそれを耐えた。
「あの時の俺は、なんにも間違ってなかったってな。ルールに縛られた決闘なんて生ぬるい。そう思って俺はフリットウィックのかわいがってた生徒を病院送りにした。フリットウィックは俺の考えを変えようとしたようだが、現実の俺はしっかりとその分野で頂点に……おい、スラグホーン。あんまりふざけた態度を取ってるとマジでぶっ殺しちまうぞ?」
突然、俺の話を聞いていたスラグホーンは……肩を震わせて鼻を鳴らし始めた。
俺を、嘲笑っているのか?
「いや……残念でならない。もし君がフィリウスではなく、私に聞いていてくれたら、違う答えを返せたというのに」
「なんだ? なにが違うってんだ?」
「ああもちろん、我が旧友であるフィリウス・フリットウィックが類稀に見る決闘術の使い手というのは間違いない。しかし君のいう通り、なんでもありという条件ならば彼は決して最強とはいえないだろう」
「なんだと? では誰が最強だというのか」
「最強はさておいて……寮長の仕事を終えたあと、1時間後にホグワーツの大ホールで彼と決闘する……という条件で私が出向いたら、しっかりと勝つ自信がある」
「……おいおい、スラグホーン爺さん! 俺が見ない間にずいぶんとボケちまったようだな! 俺がホグワーツにいた頃だってあんたのぽっちゃりした体は決して決闘向きじゃなかったぜ!」
「ああそうとも。体も、機敏さも、知っている呪文の数も、杖の振りもみな彼に劣る。しかし……私には
「ご報告です、ドロホフ様!」
外から、息を切らした様子の部下が駆け込んでくる。
スラグホーンが妙なことをしないように警戒しながらも、顎をしゃくって報告を促す。
「この倉庫を囲うフェンスが破られました! 侵入者は少なくとも二人、一人は先ほど逃げたマンダンガス・フレッチャー。もう一人は……手配されていたホグワーツの関係者、セブルス・スネイプです!」
「馬鹿が! フェンスが破られただと、お前らはそれをなぜ黙って見ていた!?」
「黙って見ていたわけではありません、その……マグルの乗り物、自動車を使っています! 奴らは自動車で突っ込んでフェンスを突き破りました!」
「連中がなにを使っているかなどどうでもいい、たかがマグルの機械だろう。お前らは魔法使いだ、違うか!?」
「ご、ごもっともなのですが……奴らが前のガラスを洗うためのウォッシャー液を撒き散らすたびに、近くにいる連中がみな眠りについてしまって……」
どういうことだ。単なるマグルの機械ではないのか?
ウォッシャー液というものが何かすらわからない俺は、どのような対処を指示するかさえわからない。
戸惑う俺たちの様子を見てか、スラグホーンは俺たちを見据えてニヤリと笑いながら呟いた。
「ほっほう! 我が教え子が来たようだな。私の言葉が正しかったか、それとも時間稼ぎの戯言だったかは……私に代わって彼が証明してくれることだろう」
アイルランド島には基本的にヘビがいないことに気付いたので、129話をわずかに書き換えています。
どう考えても聖パトリックの有名なエピソードは拾ってプロットに組み込んだほうがよかったですね。