真夜中のホグワーツはいつもは静かだ。
騒がしいピーブズも今はおらず、こっそりと校則違反をする悪戯者と、ホグワーツのスタッフだけが息を潜めるかのようにして歩いている。
ただ、その日は違うようだった。
「これが空港で買ったお土産の『I
「あー、スネイプじゃないが……さすがに今日は俺も悪態か皮肉で返したいところなんだが」
「なるほど。我々が死にかけていた間、校長はロンドン観光をしていたと」
今日の医務室は騒がしい。私の隣のベッドには(大変遺憾ながら)阿呆のほうのポッターが寝かされている。
その向こうにはケトルバーン教授と未だ意識不明(ながら生命に別状はないそうだ)のクィレル教授も同様に寝かされている。
あとはセプティマも更なる襲撃が合ったときの予備要員として呼び出した。ブツクサ言いながらも来たことには感謝しているが、「お見舞いと言えばこれよね!」と言いながらリンゴ1個を(切ることも剥くこともせず)そのまま配っていた光景は間抜けの極みだった。
逆側に寝かされているのは生徒たち。スリザリン生のドラコ、それにミスター・ゴイルとミスター・クラッブ。グリフィンドール生の(マシな方の)ポッター、ウィーズリー、グレンジャーが寝かされている。
1年生の生徒を複数人同じ部屋に入れるとどうなるかというのは実験するまでもなく明白で、ひたすらおしゃべりに興じておりやかましい。これだけ元気そうなら医務室に泊まる必要もなさそうだとは思うのだが……それを言い出すとマダム・ポンフリーが激怒しそうなので、口に出すのは控えている。
デカいだけのほうのポッターが迂闊に口に出してくれるのが一番いいのだが。
「あ、チョコレート! もらっていいか!」
「おい、グレゴリー。意地汚いぞ」
「いやいや、もちろん自由にどうぞ。レモンキャンディもどうかの?」
ゴイルを諌めつつもドラコはチョコレートやレモンキャンディに興味津々な様子を隠せていない。まあ、高級なチョコレートならともかくマルフォイ家ではこの手のチープな代物を目にする機会はほとんどないだろう。無理はない。
「しかし、ここまで埋まっている医務室を見るのは初めてじゃのう」
「まあ大丈夫じゃないかしら。仮に新たに誰かが運ばれてきても、空きはすぐに作れるようになってるはずね」
「ほう。セプティマ、どういうことかの?」
「今ベッドの上にいる人間を、n番からn+1番のベッドに移せばいいのよ!!」
「なるほど。ホグワーツの医務室のベッドは可算無限というわけじゃな」
「なるほどね。よくわかった」
「ジェームズが理解してくれたようなので、来期の数占いの講師を任せてもいいかも知れぬな」
「いやすんません! 何もわかってないです!」
適当なことを言ったポッターがうろたえながら慌てて取り消している。よく生徒の前でそんなアホを晒せるな。
校長はそのまま、私とポッターの近くへと寄ってくる。私のベッドの脇の長椅子に座り、テーブルに頬杖をついてボーッとしていたセプティマがはっ、とした様子で立ち上がる。どうしたのだろうか、校長にそんな敬意をわかりやすく示すタイプではないはずだが。
「あー……校長、私も席を外したほうが?」
「さすがじゃの。そうしてくれると助かる」
そう言ってセプティマは離れて、生徒たちのほうへ歩いていった。
「ジェームズ、セブルス、今日はよく働いてくれた。その間わしがなにしておったのかと怒るのも無理はあるまい」
「いや、俺は怒ってないですけどね。足止め食らってたのは理解してますし。できるだけ速やかに戻ろうとしてはくれたんですよね?」
「……いや。おぬしらならなんとかするじゃろうと思ってゆっくり帰ることにしての。野暮用を済ませた後、一番楽そうな手段としてヒースローからエディンバラの直行便に乗っかってきたところじゃ」
「今、ちょっと怒りたくなってきました」
「そう怒らんで欲しいのう。セブルスとの約束もあったのでな」
「私ですか?」
私との約束? 校長になにか直近で頼んだ覚えはないが……
「言ったじゃろ? トムに対して『仕掛ける準備が整いつつある』、と」
「……ああ。それはまあ、確かに聞きましたが」
「というわけで、ちょっとばかしトムの屋敷にお邪魔しての。取ってきた」
そう言ってダンブルドア校長はポケットに手を突っ込んで、無造作にごとりと音を立てながらテーブルに石を置いた。
これは……
「賢者の石……」
「……おいおい! こんなとこで広げていいもんじゃねえだろ!」
「大丈夫じゃ。人払いの
「いつの間に……」
「セプティマは気付いたようじゃがの。さすが
「密談は密談をしていることすら気付かれないのが最上、ってわけだな。局長がよく言ってた」
髭を撫でながらダンブルドア校長は頷いた。
「省に足を運んだところ、わしが確実に足止めを食っておることの確認と、自らのアリバイの確保のためにトムが顔を出して……親切にも今日は一日中、省にいることを教えてくれた」
「ふむ、それで?」
「つまりまあ『今日は後ろ暗いことをするし、それに関わる怪しい人間は遠ざけているし、屋敷は留守』と教えてくれたわけじゃな」
「……お言葉ですが、あの屋敷はリドル本人がおらずとも堅牢に守られていたはずです。いくら校長と言えども」
「確かに。家に詰めておる屋敷しもべ妖精に杖を振って気絶はさせたりはしたの。まあしかし、前にセブルスに話した通り……"ジェームズからはいくつか便利なものを借りうけて"おった。用も済んだのでお返ししよう」
賢者の石の入っていたポケットから、ダンブルドア校長は何かをつまみだした。
が、それそのものは見えない。
「このために借りてたんですか、透明マント。これなら……いや、ちょっと待ってください。屋敷しもべ妖精を気絶させたのはまずい。使った杖はいつものですよね?」
「無論じゃ」
「ポッター。貴様の言いたいことはわかるが……屋敷しもべ妖精の証言は、現状意味をなさない」
「トム・リドルが自身の野望のためにつくった法律での」
ポッターが言いたいのは杖に残された呪文と、呪文そのものに残る跡から犯人をたどるのは不可能ではない、という話だろう。
特に、家を守る役割の屋敷しもべ妖精はそうした古い追跡呪文に長けている。ダンブルドア校長と言えども徹底的に調べ上げられれば、露見するリスクは決して小さくはない。
だが、今はそうはならない。そうはできない。
私が彼の肝入りで作成した「法廷証言法」によると……「証言は魔法使いおよび魔女に限る」とある。つまり、屋敷しもべ妖精の証言は、使えない。
「まあ、他にもいろいろと罠はあり、なかなか手こずりはしたが……セブルスの話だと、トムは『ヨーロッパでトップクラスの呪い破りでもない限りは痛い目を見るはず』とのことじゃったな。わしはどうやらそこの末席を汚すぐらいの腕はあったようじゃのう」
「謙遜も行き過ぎるとイヤミだぜ、校長」
「そうは言うが、わしぐらい長く生きるととんでもない才能が世の中にいることを知ってしまっておるからのう。軽率には言えぬようになるものじゃ」
賢者の石。
トム・リドルは自分に比肩しうる魔法使いはダンブルドアだけと考えており、そしてそのダンブルドアが老いて弱るのを待つという戦略だった。
その戦略の基礎は無限の寿命をもたらす賢者の石であり、それが今夜奪われたことは……すなわち、その戦略の崩壊を意味する。
「この石自体はどうするんだ、校長」
「壊す」
間髪入れずに校長は答える。
「うわっ……マジかよ。思い切りがいいな」
「わしの亡き友はそうすることを願っておった。とはいえ、壊したことは公言はせんがの。そうすれば……」
「奴は動かざるを得なくなる、ということですか」
「その通りじゃ。近いうちに派手に動いてくるじゃろうな」
亡失だけであれば、別の手段を模索する手もある。
しかし、賢者の石が奪われ、ダンブルドアの手に渡ったということは……つまり、今まで自分が採用してきた、老いを待つという戦略をダンブルドアのほうが使ってくる、という可能性が生じる。
その可能性が存在する限り、トム・リドルのほうから動かざるを得なくなる、というわけだ。
「さて、セブルス。どうかの? これで君との約束を果たしたといえるかの?」
「……あなたは嫌味なお方だ」
「ほっほっほ」
微笑を浮かべながらダンブルドア校長は賢者の石を再びポケットにしまい、指を振ると……再び周囲の喧騒が鮮明に聞こえ始めた。
周囲の人間は一切こちらを気にも留めていないようだ。
「終わった? セブルスくんたち」
「うむ。セプティマ、わしは一旦校長室へ戻らせてもらおう。子供たちは気丈に見えるが、内心のショックは大きいかも知れぬ。頼んだぞ」
「ええー。そういうのってわたしが一番苦手な類の仕事だってご存知ですか、校長?」
「セプティマは出来ぬわけではなくやらないだけじゃろ? 頼むぞ」
「いやいやいや! そんなことないですからね! というか世話って意味ならこの部屋、大人のほうがヤバいと思いますけど!?」
私達が密談している間にも学校一の問題教師、ケトルバーン教授は好き勝手やっていたようで、どこから入ってきたのか、派手な鳥がとことこと歩いている。
……いや!? おかしいだろう!?
「1年生は魔法生物飼育学がないからのう。教える機会がなくて残念じゃ。かわいい魔法生物に触れる機会は1年から必修にすべきとアルバスに働きかけておるのじゃが……」
「ケトルバーン教授! 医務室に謎の魔法生物を持ち込まないでいただきたい!」
「おおっと、怒る必要はないぞ、ポピー。あれはヒクイドリといってな。謎でも魔法生物でもない」
「論点がわかっていないようですね!」
「いやいや、医務室に泊まる生徒がフクロウのようなペットを持ち込むことはあるじゃろ? その類の話と思っていただきたい。大差ない」
「ああ! クィレル教授のベッドが、入ってきた怪鳥にひっくり返されてるわ!」
「おい! なんとかしろウィーズリー!」
「お前がやれよ! マルフォイ!」
ケトルバーン教授が持ち込んだ鳥は医務室狭しと走り回り、暴れまわっている。
それに対抗するために鹿に変身したポッターとにらみ合いの取っ組み合いを始め、それをケトルバーン教授やグリフィンドールの愚かな生徒達が囃し立てている。
数時間前に生きるか死ぬかの戦いを繰り広げていたとは思えない状況だが、しかし、まあ……ホグワーツの日常というのはこういうものだ。
─────
普通だったら僕たちは学校にいないはずの時期だけれど僕は特別に校長室の暖炉を使わせてもらい、ホグワーツの医務室に向かっていた。
一番乗りとはいかなかったようで、すでに医務室の前にはネビルとデイヴィスさんがいた。
「あ、ポッターくんも来た!」
「2週間ぶりだね。ひさしぶり? でいいのかな」
「二人とも早いね。示された時間よりも結構早いんじゃない?」
「ハリーくんだってずいぶん早いわよ」
「まあ……僕にはそれなりに責任もあるし……」
僕が医務室送りになって、しかもそれを見舞いに来てくれたのにそのせいでこんなことに巻き込まれたんだから、僕の責任は重い。
にもかかわらず、償う方法はないんだから……せめて真っ先に駆けつけて謝るぐらいはしないと。
「まったくもう。ダフだって別にそんな風に思ってないわよ」
「うん。ダフネさんはたぶんそうだと思うけど……でも、1ヶ月半も倒れてたわけでしょ? 何もなかったって顔はできないよ。しっかり謝らないと」
「まあ、謝罪より言って欲しいものがあると思うけどねー?」
「?」
なんだろう。謝罪より欲しいものって……出れなかった授業の分の羊皮紙とかかな?
「あ、もうハリーたちはいるね」
「ネビルとトレーシーもいるわね!」
「ほら見ろ。お前が突っかかってくるから遅くなっただろうが。いま、中はどうなってるんだ?」
「ハロー、ハリー!」
駆け寄ってきたハーマイオニーがデイヴィスさんと「久しぶりねー!」などと言いながら抱き合っている。女性陣は仲がいいけれど、ドラコとロンは相変わらずのようだ。
ディーンもマイペースに歩いてきた。
「今はダフのご両親が中にいるわ」
「ふーん。聞き耳立ててみる?」
「ウィーズリー……!」
「うわっ、冗談だよ、冗談。マルフォイはユーモアと悪戯心が足りないな」
「お前はもっと大事な礼儀とかが足りん!」
「ロン、わたしも割と本気でそう思うわよ」
「うわっ、ハーマイオニーまで。うるさいなあ、もー」
ロンが扉に忍び寄ろうとしたのをドラコとハーマイオニーが制止する。あれは止められなかったら本気でやろうとしてたやつだ。
「まあでも、ちょっと中の様子を伺うぐらいなら……うわあ!」
とロンが近づいた瞬間、中から扉が開かれ、ロンは尻餅をついた。
「……む。失礼したかな」
「ご無沙汰しております。ダフネのお父様」
「ごきげんよう、トレーシー。他の皆様は?」
「グリーングラス嬢のご友人です」
医務室の中にいたスネイプ先生が僕らの代わりに答えてくれた。
スリザリンの寮監ということで教授陣を代表して応対をしているようだった。
「ふむ。人見知りでなかなか心を開かない傾向のある子だと思っていたが、意外にも友人はなかなか多く……」
「ちょっと! パパ! やめてよね!」
「ダフ!」
ダフネさんは――医務室の中のベッドで身を起こして、こちらを見ている。
よかった!
デイヴィスさんは走って医務室に入っていき、その勢いのままダフネさんに抱きついた。
「ダフ! 一ヶ月寂しかったわよー!」
「もう。大げさね、トレーシーは」
「トレーシー・デイヴィス! 医務室で走らない!」
「てへへ。マダム・ポンフリー、ごめんなさい」
デイヴィスさんが駆け寄ったのをきっかけに、みんなでなだれ込む。マダム・ポンフリーはため息を一つついたが、見逃すことにしたようだ。
「うわー! 1ヶ月ぶり! この間マルフォイがスリザリン寮で大威張りだったらしいよ。やっぱりグリーングラスさんがいないとダメだね!」
「お久しぶり、ウィーズリーくん。マルフォイ係はあなたじゃないの?」
「ダフネさん! いない間の授業のノートはまとめてあるわ! すぐに追いつけるようサポートするわよ!」
「ありがとうハーマイオニー。試験では負けないわよ」
「石化した間の気分はどうだった? グリーングラス。お前の毒舌が聞けなくて過ごしやすい一ヶ月だった」
「あなたこそ鞄の中に閉じ込められた気分はどうだったのかしら? ぜひ聞きたいわ、マルフォイ」
「おはよう、グリーングラスさん! 気分転換にこれからデート行かない?」
「おはよう、トーマスくん。 もう別れたの?」
みんなが口々に話しかける。僕も言わないと。
「えーと。ダフネさん。僕のせいでこんなことになっちゃって……ごめん」
「ハリーくんのせいじゃないわよ。でも、また危ないことしたんですって? スネイプ教授に聞いたわよ」
「うっ……えーと、あれは……ドラコを助けるためで、それから悪いやつを追いかけるためで……」
「まったく。私が起きる前に言ってた言葉通りね。『仲間を助けるためには体が勝手に動いちゃう』って。あなたってほんと、自分が言った通りに動いちゃうのね」
「はい……その通りです」
こうやってダフネさんの前で項垂れてると、ママに叱られてるパパになったみたいに思えてくる。
いや。僕はあんなのと同じじゃないはずだ。
「じゃあ、助けてくれる?」
「え?」
「いま、一人で立てないの。肩、貸してくれる?」
「えええ……」
そ、そういうのって普通……この中だったらトレーシーさんとかに頼むものじゃないの?
集まったみんながこっちをじーっと見てるし、なんならディーンは僕に小声で「行け! ここで押し切れ!」と言ってくる。押し切れってなに?
しかし、今の僕は逆らえない。観念してベッドの脇に近づく。
「あー。はい、どうぞ」
「うん。ありがとう、助かるわ」
「……コホン」
ダフネさんに肩を貸すと、片腕を通して僕に身体を預けてきた。
……その様子は僕たちの後ろで待っていた、ダフネさんのお父さんからもしっかり見えていたようで、一つ咳払いをした。
それに気付いたダフネさんも……僕と同じぐらい顔を真っ赤にさせた。
「あー、まあ。娘と親しい友人が多いようで喜ばしい。しかし……節度は保つように」
「は、はい!」
節度……言わんとしてる意味はよくわからないけど、ちゃんと返事しないとマズいと直感的に思ったので、即座に返事する。
「では、スネイプ教授。ここで失礼する。どうか、寮監としての務めをしっかりと! 果たすように!」
「……ええ。心得ております。グリーングラス卿」
そう言ってダフネさんのお父さんは去っていった。
「そうね。リハビリがてら、少し歩いてもいいかしら。ほとんど誰もいないホグワーツってのも新鮮ね。その間、わたしが居ない間なにがあったか教えてくれる?」
「うん。そうだね、雪合戦中のロンが湖に頭から突っ込んでね……」
「ハリー! その話はしなくていいよ!」
ベッドから身を起こしたダフネさんを支えながら、ゆっくりと進む。
静かなホグワーツと、ダフネさんの横顔を目に焼き付けながら。