1989年6月2日 魔法省地下8階 カフェテリア「
「学生時代の君の活躍は聞き及んでいる」
いかめしい紫色の革のブックカバーが被せられた冊子をめくりながら、重苦しい声でルシウスは呟いた。
隣りに座っている後輩、レギュラス・ブラックはこわばった顔でルシウスを見つめている。
「この決断は非常に重大だ――だからこそ、セブルスを通して君を呼ばせてもらった」
「い、いえ! とんでもない! わざわざ魔法省まで足を運ばせてしまって申し訳ないぐらいです!」
レギュラスにとってルシウスは6つ上のヘッドボーイ。彼の有能さは既に在学中からスリザリン寮中で広まっていた。そんな憧れの先輩、そしてマルフォイ家の次期当主である彼に尋ねたいことがある、と指名されて恐縮しきっている様子だ。
君もブラック家の次期当主(あのアホが舞い戻ることはないだろう)だ、格としては別に劣るものでもないだろうに。
「有益なアドバイスが聞けることを期待している」
「自分などという若輩者の助言でよければ、いくらでも!」
「では聞かせて頂こう……息子に贈る箒について悩んでいるのだが、クリーンスイープ社とニンバス社のものどちらが良いだろうか」
「は、はい。それでしたら……え? 箒?」
そう言ってルシウスはめくっていた冊子――箒のカタログを切り抜いてファイリングしたものだ――を机に置いていくつかの候補を指で指した。
レギュラスはよほど重大な案件だと思っていたのだろう。鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。
その様子を見てルシウスはなにやら察したようだ。
「セブルス。さては要件を伝えなかったな」
「我輩は『マルフォイ家次期当主から、君に重大な頼みがあるそうだ』とお伝えいたしましたよ、一切の不手際はありませんな」
「ひどいですよセブルス! 絶対僕がなにか勘違いするとわかっての言い方でしょう、それは!」
2つ下の後輩であるレギュラスが文句を垂れてくる。
わざと言わなかったのは確かだが、ルシウスから依頼があると聞いた時点で舞い上がり、話を確認しなかったのは君だろう。
「まったく……それでブラック君。学生時代寮代表チェイサーで鳴らしていたと聞く。この運動音痴よりよほど良い助言が聞けると思ってな」
無礼千万な言い様ではあるが流してやることにする。運動音痴ではなく箒に興味がないだけだというのに。
「ご子息の誕生日はもう来週でしたな」
ルシウスの息子であるドラコの誕生日には私も何度も招かれている。「マルフォイ家の威信にかけて」などの宣ってはいるものの、猫可愛がりしているのが傍からみてもよく分かる有様だ。
「普段であれば盛大に誕生日を祝うパーティを開き、もちろんレギュラス君もお招きしたいところではあるのだが……今回は身内のみの小さいものにする予定でな」
「やはり、当主様のお加減は優れませんか」
マルフォイ家の現当主であり、ルシウスのお父上であるアブラクサス・マルフォイ氏が、臥せり気味であることはルシウスから聞いていた。
かかっている病は
「今年に入ってからは外に出ることもままならなくなっていてな。私や妻に気付くとなにか話そうとすることもあるのだが、呼吸器がだいぶ弱ってしまっていて声もでない有様でな…………
「心中、お察しします」
「……こう見えて彼は図太い。真に受けないほうがいいぞ」
「失礼な」
「そうですよ! 先輩に対して」
過剰な伝聞というのは時として人に対する評価を曇らせる。彼など、私からすれば単なる愛妻家の親バカにしか見えないのだが。
「レギュラス、君が入学してきたときの学校の雰囲気を覚えているかね?」
「え? ……それはもちろん。あの時はグリフィンドールと寮杯を懸けて――なんでもその前年にわずか5点差で寮杯を失ったとか――スリザリン寮全体で取り組んでいた年でした。当時は1年生でプレッシャーは今から思えば弱いものでしたが、それでも肌感覚でピリピリとしたものを感じていたものです」
「そんな年にな、このスリザリン寮を率いるはずのヘッドボーイは夜な夜な抜け出して出歩いていた。女子と」
サッとルシウスが目をそらす。
無論、彼はそうした事を広く露見させるような無能ではないが、それでも一部の人間にとっては公然の秘密であった。
「他言無用と誓わせたはずだが、セブルス」
「いつの話ですか」
「うむ……そもそもスリザリン寮の本分とは狡猾さ。将来のためにリスクを取るのはまさにスリザリンの体現と言えよう」
「よくナルシッサと遊び回っていただけの事を美辞麗句に置き換えられますな」
「ああ……もう当時からミセス・マルフォイと付き合いがあったんですね」
「湖に映る彼女の横顔はそれはもう美しくてな……十分見合う価値のあるものであった」
「ほら見ろ、図太いだろう」
「……」
尊敬する先輩の知らぬ一面を見せられ、いささかレギュラスも面食らったようだ。
そうした雰囲気を察知してか、ルシウスは話を変えてきた。
「まあ、ともかく息子に贈る箒について迷っていてな。どのような基準を持って選択するのが好ましいだろうか」
「は、はい。ご子息はおいくつですか?」
「次の誕生日で9歳だ。可愛い盛りだよ」
「可愛い盛り……毎年そうおっしゃっていると記憶していますな」
「毎年ベストを更新しているのだ。仕方あるまい」
自慢気に開き直ったルシウスを尻目に、レギュラスは手渡された冊子をめくりながら杖でいくつかに印をつけていく。
「このあたりはどうでしょうか。一般的にクリーンスイープ社の箒はニンバス社のものよりもカタログスペックは落ちると言われていますがクッション、グリップ、安定性などの数値化しにくい部分にかなり気を配っています。特にこのジュニア向け箒の『クリーンスイープ・カーバンクル』は体型の変化に合わせて伸び縮みする伸縮自在魔法がかけられており、ホグワーツ入学後もつかえるかと」
「入学後は入学後で新たに箒を買い直すぐらい訳はないのだが、それでもそうした部分に気を配るべきかね?」
「私見ではありますが……キーパーやチェイサーなどを担う場合は箒の最高速などよりもその箒自体への慣れが重要だと思っています。どのポジションを目指すにせよ若いうちの転向は多いですから、選択肢を残しておくのは悪くないかと」
「なるほど、理解した。検討してみよう」
そう言ってルシウスは返されたファイルの印をつけられた部分について熟読し始める。
レギュラスは納得してもらえるようなアドバイスが出来たことに安堵したようだ。
「良かった……あ、そういえばセブルス。『法廷証言法』が無事施行されたそうですね。おめでとうございます」
法執行部本部には多種多様な仕事があるが、その中でも花形と言われているのが立法だ。
今回起案から携わった『法廷証言法』は「証言は魔法使いおよび魔女に限る」「『憂いの篩』『真実薬』『記憶再現ボガート』を利用した証拠は、魔法法執行部の専門の職員が携わらない限り証拠能力を認めない」……といった、正直に言って非常に地味な内容のものだ。
とはいえ、法律作成に携わらないままキャリアを終える魔法省官僚も少なくはない。
血縁にもとづくコネクションのない自分が、比較的若手と言える段階で法律作成について携われたのは今後のキャリア形成において大きいだろう。
……もちろん、ここ数ヶ月の残業時間は書き残すこともできないレベルだが。
「ああ。何事もなく大臣の目を通過したようでよかったよ」
「カロー室長の下でしたよね。どんな人なんですか?」
「ガチガチのリドル部長派だな。正直、部長の顔色を常に伺っているのはやりづらい部分もあったが……まあ、終わってみれば些細なことだ」
「あー……リドル部長はその、下に非常に厳しくあられるからな。カロー室長の気持ちもわかる」
ペラペラとファイルを見ながらルシウスは口を挟んでくる。
「そのような人なのですか」
「セブルス、君の部署のボスだろうに」
「自分もほとんど話したことないですね……一応、入省したときにブラックということで挨拶はされましたが。今は本部から離れて魔法警察局で現場研修なので、顔を伺う機会もないですね」
そうはいうが魔法省の魔法法執行部は超高層ピラミッド構造だ。
ヒラに毛が生えた程度の自分では部長クラスと縁などなく、ときたま顔を仰ぎ見るだけの存在でしかない。
「ふむ、ということなら……セブルス、レギュラス。今夜は暇かね?」
「は、はい!」
「ええ」
「では、連れて行くとするか」
─────
魔法省の、魔法法執行本部において出世競争は熾烈だ。
特に部長クラスの覚えはいいに越したことはない……というのはもちろん理解してはいるが。
「まさかご自宅に伺うことになるとは」
「もともと今夜お会いする予定でな。父上の付き添いのときはともかく、自分が主のときは二人ぐらいゲストがいてもいいだろう」
「ま、まだ心の準備が……」
しきりに汗を拭いているレギュラスに構わずルシウスが杖を振ると、蛇の形にあしらわれたドアノッカーが扉を叩いた。
「マルフォイ様、お待ちしておりました」
その瞬間に扉が開き、屋敷しもべ妖精の出迎えを受ける。
玄関ホールの左右の壁には所狭しとマジックアイテムが飾られている。
……いや、玄関だけではない。廊下やその奥の広間も同様。どうやらリドル部長は相当な蒐集家のようだ。
「趣味が悪いだろう?」
まじまじと見つめていたのがわかったのだろうか。
広間の奥に居た館の主に、からかうように声をかけられた。少し顔が赤くなる。
「ルシウス。それにブラックくんにスネイプくん。遠路はるばるようこそ、歓迎するよ」
「趣味が悪いなんてとんでもない。惜しみなく飾られている貴重な品々に感服していたところです」
「別に言葉を飾らなくていいさ、スネイプくん。どうせ僕は一代成金。ルシウスやブラック家の館と比べられるとさすがにバツが悪い」
「い、いえ! とんでもない、自分の館でもこれほどの品々は倉庫まで漁らない限り、いやそうではなくて、本日はお招きいただきありが、ありがとうございます!」
普段のレギュラスはブラック家の跡継ぎということもありこのような場で浮足立つこともないはずだが、おそらくルシウスの顔を潰すまいと意気込みすぎているのだろう。
はっきり空回りしていた。
リドル部長に案内されて進んだ先の広間には、既に先客がいた。
先日の法案作成プロジェクトで直属の上司であったカロー室長だ。
「マルフォイ卿、ご無沙汰しております。それにセブルスくん。先日はご苦労だったね」
「恐縮です。カロー室長も今日招かれていたのですね」
「招かれたというか、まあ……普段から特に用がなくとも出入りしているものでね。私の妹ともどもよくご厄介になっている」
カロー室長には妹がおり、彼女も法執行部の官僚で……兄妹ともどもかなり熱狂的なリドル派のようだ。
もちろん二人とも純血の名家、カロー家の人間で省内ではかなり幅を利かせている。
もっともより上位の家格の人間、すなわちマルフォイ家やブラック家などの人間は家督をつぐのに合わせて省から離れることが多いため(なにせ、十分な不労所得があるならコネクションの形成さえすませてしまえばあくせく働く必要はない)、やっかみ半分で揶揄する人間もいる。
そうした陰口がほんの少しでも耳に入るたびにプロジェクトルームで激昂していたのは記憶に新しい。
「スネイプくんは君の下で『法廷証言法』をやっていたんだったな」
「ええ。もし部長が望むのであれば……今後の法改正にも参画してもらって良いでしょう。彼は半純血ですが、使える若手です」
「もちろん……スネイプくん。君の働きぶりはアミカスを通してよく聞いている。どうか今後も法執行部のために働いてくれるかな?」
少し雲行きが怪しい。部長自ら命じるというのは光栄なことだが……改正? 通過したばかりの法律だというのに、既にそういう話をするということは、そもそも将来の改正を前提にしていたということか?
「はい、もちろんお受けします……ですが、改正というと?」
「おお、そう言ってくれるか……君が下にいてくれてずいぶん仕事がやりやすかった。再び仕事ができるなら実に嬉しく思う……まあ、君のことだからすでに感づいていると思うが、あの法案は将来の改正を前提としたものなのだ」
「新規立法であれば目がいきやすい……ですが、改正であればその目も緩む、ということでしょうか」
古典的な手だ。とはいえ、表立って語られることはない。
後ろ暗いことがなければそんな手を使う必要はないからだ。
「察しがいいな。波風が立たなければウィゼンガモットで多数を取るのは訳はない……だが、わからずやが騒げばクラウチ大臣が難色を示し始めるかもしれん」
「というと、どのような内容でしょうか」
「……君は、一昨年起きたバグノールドのスキャンダルを覚えているかね?」
「はい。部下が汚職を働いた咎で当時大臣だったバグノールド氏が辞職、後任としてクラウチ氏が大臣に就任した件ですよね」
「物事は正確に話すべきだ……マグル
言いたいことも、ここまでそれを隠し、濁してきた理由も理解できた。
「あの汚職をきっかけに『公職雇用信頼法』を成立させ――魔法界に居住実績がない者を拒むことができるようになった。しかし、マグル
「なるほど……しかし、具体的になにをお考えでしょうか」
「マグル
『証言は魔法使いおよび魔女に限る』。私が起こした一文だ――確かに、自分としても違和感のある一行だった。ヴィゼンガモットにゴブリンやケンタウロスが訪れることはない。必ず明記しろと指示が下されるほど重要な部分とは思えなかった。
今となってはその意図は明白である。『魔法使い』と『魔女』の定義を法案の改正で行う。
純血の血が入っていること――などといった意図が明確な文章は不要だ。
それこそ、既に施工されている『公職雇用信頼法』よろしく魔法界への居住実績でも記せばよい。ホグワーツ入学のときに初めて魔法界について知るマグル
そして、一度法案で『魔法使い』と『魔女』の定義を行ってしまえば、今後法廷ではその前例通りに扱う可能性さえある。
「ふむ、不安にさせてしまったかな、スネイプくん。君は半純血だ。思うところはあるだろう」
「いえ、スリザリン出身者として純血の価値は理解しております。ですが、少々面食らってしまって」
「ははは、そんな取り繕う必要はない。僕だってこれが大きく舵を切ることであることは理解している。となるとスリザリン的に気にするのは……僕が沈む船かどうかだろう?」
「とんでもない」
「成金貴族のコレクションにも、少しは誇れるものがある。ついてきてくれ」
突然、リドル部長は話題を変えた。
杖を取り出して本棚に向けて振ると、本棚が動き……地下へ向かう階段が現れた。歩き始めたリドル部長にカロー室長も追随していく。
我々三人は一瞬顔を見合わせたが、同様に背中を追うことにした。
「周囲のものには触れないことをお勧めしよう。それなりに仕掛けを用意してある――それこそ、ヨーロッパでトップクラスの呪い破りでもない限りは痛い目を見るはずだ」
「これは……容器にエジプトの木棺を転用していますな」
「さすがルシウス。君もこの手の物には大層詳しいと言っていたな。ルーン文字術も達者だとか」
「いえ、誇れるほどのものでは……趣味が高じた程度です」
ルシウスの言う通り、ケースにはギリシャ語、ヒエログリフ、サンスクリットなどで何重にも盗人対策の呪いが仕掛けられていることが門外漢にも見て取れる。
持ち主であるリドル部長以外が手を触れれば、冗談ではなく死にかねない。
「とはいえ、マルフォイ家でもこれはお目にかかったことはあるまい」
リドル部長はなにか唱えながらケースを開くと……そこにはこぶし大の石があった。
「バグノールドが辞職したとき、僕が魔法大臣に就いてもよかった。クラウチに譲らせることなど容易だ――しかし、大臣の座というものは水物だ。そこに上り詰めることは簡単だが、一度落ちてしまえば再び上がるのは実にめんどうなものだ」
リドル部長はその石を握り、手の中でこねくり回しながら我々に向かって語りはじめた。
「特に厄介なのがダンブルドアだ。あの偽善者は僕の理想にことごとく反対し、空想論を唱えて歯向かってくるだろう。奴の主張は空虚極まりないが、それでも軽視はできない。だが、奴は老人だ」
手のひらの中でその石は赤く、鈍く、輝いている。
「この賢者の石があれば、奴が墓の下にいくのを待ってから悠々と大臣の座に座ることができるだろう。必要とあらば、永遠に」