ヴォルデモートなんていない   作:taku1531

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54.空中裁判

 僕には箒しかない、なんて陳腐な言葉だ。

 父も母も健在だし、生活は困窮とは程遠い。友人も多くはないがいるし、当たり前だがクィディッチはそもそも一人ではできない。本当に箒しかない人間はクィディッチはやれない。

 

「ドラコ、そっちはお父様の部屋よ。今はお客さんがいらしてるから、近づいちゃだめよ」

「母上!」

 

 僕がまだ小さかったころ。幼かったころ。悩み一つなかったころ。

 母上は僕の肩を掴んで止めた。

 

「どうしたの、ドラコ? なにかお父様に話したいことでも?」

「はい、先日から父上はあまり僕に話してくださらなくなって……せめて、遅くはなりましたが誕生日に頂いた箒のお礼だけでも言おうかと……」

「そう……ドラコはいい子ね。でも、今お父様はお仕事中なの。しばらくはお父様と……お客様のリドルさんには近づかないようにね。絶対に」

 

 そう言って母上は僕が持っていた『クリーンスイープ・カーバンクル』を指し、外で練習していらっしゃい、と促した。明らかに誤魔化されているのは子供ながらにわかっていたけど、あまり母上を困らせたくはない。

 なにせ、つい先日から母上もなにかと塞ぎ込みがちだ。僕がわがままを言って更に心労を与えたくはない。

 少し前までは、そんな考えは浮かぶことはなかった。いくらでも迷惑をかけていたし、気を遣うことはなかった。そうやって迷惑をかけられることを父上、母上ともに楽しんでいる様子さえあったから。

 はい、わかりましたと母上に頷き、箒を握って庭に出る。慣れ親しんだ庭の上で一人で飛ぶ。楽しいわけがない。

 それでも、僕は箒に跨り、飛行の練習を続ける。

 ターン。クライム。クルーズ。

 ホールディングパターン。ストップ・アンド・ゴー。シャンデル。フォーリングリーフ。

 

「……おやおや。素晴らしい飛行だ」

 

 そうやって僕が練習を続けていた最中に、下から拍手が聞こえた。

 下には無表情の父上と、その客人であるトム・リドル氏がいた。

 僕は箒のスピードを緩め再び地上に降り立ち、トム・リドル氏に一礼する。

 

「9歳とは思えない。素晴らしい箒の乗りっぷりじゃないか」

「きょ、恐縮です。見ておられたんですね」

 

 人に見せるようなつもりで飛んでいなかった。誰に見せるでもない、ひたすら基礎の練習を繰り返すような不格好なものだし、失敗ももちろん重ねていたから……見られていたとなると少しばかり恥ずかしい。

 

「何度か顔を合わせてはいるけど、こうして挨拶するのは初めてだね。トム・リドルだ。君のお父さんにはお世話になっているよ」

「じ、自分はドラコ・マルフォイです。リドルさんのことは父からよくお聞きしています」

 

 そう言うとリドルさんはにっこりと笑って、僕の目を覗き込むようにして見つめた。

 

「おや、そうだったのか! では同じだね。僕も何度かルシウスから君の話は聞いている。今後は素晴らしいクィディッチプレイヤーになる才能を秘めた箒の乗り手だね」

「父上が僕の話をしてくださってたのですか!」

 

 そう僕が声を上げると、リドルさんはニコリと笑って話を続けた。

 まさにいま、僕が聞きたかった話だ。父上は僕についてそんなふうに思ってくれていたなんて……

 

「もちろん。さっきの見事な宙返りもしっかり見せてもらったよ。将来はチェイサー、いやシーカーかな? このあたり、僕は詳しくないんだが」

「は、はい! もちろん僕はシーカーを目指してて……」

「ドラコ!」

 

 屋敷から走ってきた母上が僕とリドルさんの間に割り込むようにしたものだから少し口を尖らす。

 僕がリドルさんに失礼な言動などしていないか不安になったのだろう。母上は過保護だ。

 

「リドルさん、うちのドラコがなにか?」

「いやいや、あまりにも見事な飛行をしていたから目を奪われましてね」

「過分な言葉、ありがとうございます。ですが、もうドラコを寝かしつける時間でして。ドラコ、お願いだからもうあなたの部屋に行ってね……さ、リドルさん。お送りしていたしますわ」

 

 過保護な母上に促されて、箒を抱えながら階段を上がり自分の部屋に向かう。

 ベッドにそのまま転がり、先ほどリドルさんに言われた言葉を噛みしめる。

 話してくれなくなった父上だけれども……僕が飛んでいるところをちゃんと見てくれているんだ!

 僕にはクィディッチの才能があるはずなんだ! 父上がそう言ってくれたからには、それを証明しなければいけない。託されたこの箒とともに。

 

 僕には箒しかない。

 

 

 ―――

 

 

「はっ、マルフォイをシーカーにコンバート? スリザリンはゲームを捨てたのか? ハリーと才能の差が段違いだってみんな知ってる!」

「ふん。ウィーズリー、お前はキーパーの補欠の補欠でベンチにも入れなかったんだろ? 妬むのはそれぐらいにしてくれ」

「なんだと? マルフォイ」

「ちょっとロン! 今のはあなたが悪いわよ!」

 

 グリフィンドール側の観客席の一番前に陣取った(スリザリンじゃ考えられない。ああいう席はもっと上級生に譲るものだ)ロン・ウィーズリーの野次を聞き流しながら、弧を描きながら箒を加速させる。何年も使った馴染みの「クリーンスイープ・カーバンクル」。今日も絶好調だ。

 

「やあドラコ! 驚いたけど楽しみだよ、今日はよろしくね!」

 

 やや上空から「ニンバス2000」にまたがったハリーが声をかけてきた。まだ練習の馴らしだというのに、風を切り裂くような速度で僕の頭上を過ぎ去っていった。

 ……確かに最高速度では比べるべくもない箒かもしれない。チェイサーならともかく、シーカー向きではないかもしれない。母上に頼めば、最新の箒の一つぐらい喜んで用意してくれたかもしれない。

 けれど、それでも。この箒で僕は勝ちたかった。この箒でなければ勝てない気がした。

 

 審判のフーチ先生がホイッスルを吹く。練習飛行の時間は終わりだ。

 チームごとに集まり、試合前の最後のミーティングだ。スリザリンチームもグリフィンドールチームも、競技場のセンターラインを挟んで各々固まっていく。

 キャプテンのフリントが声を張り上げた。

 

「チェイサー陣! お前らはホグワーツで間違いなく最優の得点源だ! カウンターの失点はくれてやれ、できるだけ流動的な展開にするぞ!」

 

 スリザリンのフリント以外のチェイサー2人は頷く。グリフィンドールのチェイサー陣はかなり攻撃的と聞いている。間違いなく乱打戦になるが、そうなると細やかな連携や技術より体力面での優位が生きてくる。そうなると3年生と4年生の女性陣で固めたグリフィンドールチームは不利になる……そういう戦略だそうだ。

 

「ビーター陣! あの双子どものプレイに付き合いすぎるなよ。手数で勝負するな、一発一発の重みを重視していけ!」

 

 間違いなくグリフィンドールチームの中核はビーターのウィーズリーの双子だ。基本に忠実なプレイを完璧に抑えた上で、予測できないトリッキーな動きを加えてくる。技術も判断力もトップクラス。だが、ビーターとしてはかなり細身なところは数少ない弱点だ。一発のスイングを重くすることで不利を小さくする。

 

「そしてシーカー! 噂のハリー・ポッターが相手だが対策は万全だ、そうだろう? 下降を伴わない動きはブラフだ。他のポジションのメンバーはあまり気を取られすぎないように!」

 

 そしてハリー。

 まだ本番の試合で見た人はいないから半信半疑の人は数多くホグワーツにいるけれど僕にははっきり断言できる。2年生にして間違いなくホグワーツ最速のシーカーだ。特に、急下降(ダイブ)のキレは凄まじい。

 ただ、一年近く練習も含めて付き合っていただけあって、ハリーのプレイスタイルは抑えている。

 シーカーにもいろいろなタイプがいるが、ハリーはブラフはもちろん部分的なコーチング、果てはブラッジャーの誘引まで引き受けるアグレッシブなタイプのシーカーだ。

 なまじ箒を飛ばす勢いが強すぎるもんだから、ブラフと半ばわかっていても放置できなくなる局面がかなりある。スニッチを掴むのには瞬間的な速度が必要になる。その速度まで猛烈な加速であっという間に達してしまうのだから、厄介という他ない。

 昨年の練習試合でも上級生相手に付け焼き刃のチェイサー陣がある程度戦えてたのは、相手チームがハリーの動きに意識をかなり割いていたからだと睨んでいる。

 

 しかし、付け入る癖のようなものはある。急下降(ダイブ)を得意としているだけあって、高度をかなり重視しているところだ。

 本命のキャッチングのときに、スニッチが常に自分に近い位置にあるとは限らない。自分が気付いたということを相手に悟られる前に距離を詰めるには、急加速が一番だ。

 そのためにハリーは本命のときに急下降(ダイブ)を多用するのだが……下降するには、上昇が必要になる。ブラフでいちいち競技場の地面スレスレまで降りるわけにはいかない。

 ハリーの場合はそれが癖なのか、かなり極端で……高度というリソースをブラフのために大きく消費することはほとんどない。つまり、ブラフかどうかかなりの確度で判定できる。

 僕はこれを補欠の立場からスリザリンチームに伝え、競技場で仮想ハリーとして動き、そしてそのうちにハリーの動きに対応するためのシーカーとしての動きを実演するようになって……それがどうやらキャプテンから見てもなかなか悪くない動きができたようで、お試しで出してみせようということになった。

 まあ、スリザリンチームの正シーカーであるヒッグスさんの昨年の成績は散々で、懲罰的に一試合降ろされたという意味もあるのだが。

 とはいえ、願ってもないチャンスだ。ここで活躍すれば2年生レギュラーはほぼ現実だろう。

 

 フーチ先生が手を振って合図をしている。ミーティング終了の合図だ。

 

「勝てる相手だ、取りこぼすなよ!」

「ああ!」

 

 最後にキャプテンがチームに激を入れて、各メンバーは自分のポジションへの飛んでいく。

 僕は……高さは高すぎでもなく、低すぎでもなく。位置はセンターラインのわずかに手前。一方でハリーはかなり高くまで上昇していった。試合開始前に飛べる限界まで行く気だろう。

 

 フーチ先生の高らかな笛の音。

 試合開始だ。弾かれたように両チームのプレイヤーが動き始める。が、当面僕が見るのはスニッチとハリーだけだ。

 ハリーは緩急をつけながらぐるぐると競技場の上を回っている。急にスピードを上げるとやはり緊張してしまうが、急下降を伴わない限りは反応せずに競技場内のスニッチを探す。

 

「おいおい! 今のは体が当たってたんじゃないか!? 審判の判断はノーファール! 俺の目には当たってたように見えたけどなあ! そしてそのままスリザリンチームのゴール! 50-30!」

 

 ゴールのアナウンスは耳に入れつつ(スコア状況を把握し続けるのもシーカーの重要なスキルだ)、チラチラとハリーを見ながら競技場をぐるっと巡航する。

 こちらがなかなかブラフに反応しないので、ハリーはやりづらそうだ。とはいえ、こちらのブラフもなかなか効きはしない。動体視力がいいからか、自信があるのか。僕が加速してみても少し近づいてきた段階で僕の目線の先にスニッチがないと判断し、チームにもその合図を送って対応をすぐに打ち切る。

 おかげでなかなか敵チームを振り回せない。ビーターにブラッジャーをどこに打たせるか迷わせたい局面ではあるのだが。

 

「またスリザリンチームのゴールだ! 110-60! ちょっと今日のリングは大きすぎやしないか?」

 

 そんなわけがない。きちんと規格化されている……いや、あんな戯言に気を取られてはいけない。順調にリードを広げているが、それもハリーがスニッチを見つければおじゃんになる。取れはしなくても、先に見つけて体を前に入れてしまえばハリーが奪うのは至難の業だ。

 となるとブラッジャーで妨害するか反則で止めるか、というところだが、一度取り逃がせばお互いに競技場のサーチをし直すことになる。そうなると試合は長引き、チェイサー陣でスコアを稼げるスリザリンチームは優位になる。先に見つけるか、せめて優位な位置からシーカー・チェイスをしなければ。

 

 

「しっかりしてくれキーパー、ウッド。2対1ぐらいなんとかしてくれよ! スリザリンのゴール、130-70!」

 

 そのとき、視界の端でなにかが煌めいたことに気付いた。

 いた。スニッチだ。

 スリザリン観客席側、競技場の端だ。先に見つけたのはいいが、ここからだとかなり遠い。ここで加速を始めてもハリーはすぐに距離を詰めてきて……あっさりと僕を抜き去るだろう。

 そろりそろりと近づきつつ、フリントキャプテンに合図を出す。

 スニッチを見つけたことを察したフリントキャプテンはすっとポジションを移動し……ハリーから見てスニッチを自分の影に隠すような形でポジションを取った。完璧だ。

 少しずつ加速を始める。ハリーは若干こちらに視線を投げかけてくるが、なまじ自信があるだけにあまり派手に動いては来ない。なにせ、僕が飛ぶ方向にはまだ何も見えないのだから。

 そのまま距離を縮め……ハリーが加速してもギリギリ間に合わない位置までたどり着いた。

 ここだ。

 

「あーっと! ついにスリザリンチームのシーカーが急加速! 真か!? 偽か!? 我らがハリー・ポッターも……動いた! シーカー・チェイスの始まりだ!」

 

 ハリーの位置からはまだ見えないはずだが……それでもただならぬものを感じ取ったか。

 僕が加速した瞬間にハリーもまた加速を始めた。もちろんおなじみの急下降(ダイブ)からだ。

 

「速い速い! グングン差を詰める! もちろんフレッドも黙っちゃいない、ブラッジャーをシーカーの軌道の先に……おっと! スリザリンチームのキャプテンが体で弾いた! 野蛮だぞ、バットを使え!」

 

 あっという間にハリーが僕の後ろまで詰めてきたのがわかる。

 だが、これは織り込み済みだ。予想よりは早いが。ここからが僕の箒の強みのみせどころになる。『クリーンスイープ・カーバンクル』はハリーの『ニンバス2000』に比べて加速力や最高速でははっきり劣るけれども……安定性や操縦性については引けを取らない。ハリーが僕と入れ替わろうと加速するたびに、箒や体を傾けてブロックする。どんな体勢になっても失速すらしない。

 こうなれば僕が圧倒的に有利だ。スニッチはスリザリン観客席側、競技場の端からほとんど動いていない。競技場の中央でのキャッチングに比べて、壁を使える位置でのキャッチングの成功率は非常に高い。このままゲームを終わらせてやる!

 なんとかして僕を抜こうとするハリーを体と箒でブロックしながらスニッチに近づく。あと30インチもない。僕はスピードを緩めずに右腕を伸ばす。ハリーはまだ僕の背中。必死に僕の脇の下に右腕を通して無理やり掴みに行こうとするが……僕のほうが掴むのは早い。僕の勝ちだ!

 

 そう思った瞬間、スニッチを掴みに行った右腕が衝撃で跳ね上げられる。なんだ? なにが起こったんだ?

 そのままお互いに競技場の外周部にぶつかり……地面に転がり込む。ハリーは頭から血を流して倒れ込んでいる……が、右手はしっかりと握っている。

 スニッチはハリーの右腕の中に握られていた。フーチ先生がそれを見届けて試合終了の笛を吹い――

 

「反則だ!」

 

 僕は思わずそう叫んだ。

 そう、僕がキャッチングの姿勢に入ったタイミングで、右腕が跳ね上げられたのは……スピードを緩めずにハリーが僕の肘部分に思いっきり頭を当てたからだ。

 もちろん、シーカー同士の体の接触、プレイの妨害は故意でなくても反則……ではあるのだが。

 今にして思えば拙かったとは思う。冷静になってみればわかることだ。

 

 頭から血を流して倒れ込んでいる友人が横にいるときに、最初に叫ぶことが「反則だ!」でいいのか?

 

 グリフィンドール側の観客席から恐ろしい声量のブーイングが飛び始めた。

 選手のウィーズリーの双子も激怒していて「なにが反則だ! 肘打ちをしたお前こそ反則だろうが!」と僕に向かって叫んでいる。

 一方でスリザリン側の観客席も黙ってはいない。なにせ、キャッチングは目の前だった。フーチ先生からはハリーの体が影になって見えなかったかも知れないが、観客席側からはハリーが先に僕に体を当てたのはしっかりと見えただろう。

 「ミスジャッジだ!」「あっちがぶつかってきたんだろ!」「汚いぞポッター!」などとグリフィンドール側に負けぬ声量で怒号が飛ぶ。

 結果的に競技場は大騒ぎだ。フェンスを越えて入り込もうとしている生徒もいる。

 

「あ、あの……フーチ先生、試合は終了したということでいいですか?」

「これはペティグリュー魔法医。いつの間にこちらまで。え、ええ。試合は終了しております」

 

 どうやってあの人混みと喧騒の中を抜けてきたのだろう。

 いつのまにか一時期、魔法薬学の授業を受け持っていたピーター・ペティグリュー魔法医が横に立ち、ハリーの頭部に手を当てていた。すでに手を講じたのだろう。ハリーの額の血は止まっていた。

 

「触診で判断できる脳挫傷はなし。出血も額を切っただけとは思いますが、念の為検査はしましょう。医務室に運びますね」

「よろしくお願いします」

 

 フーチ先生が頷くと、ペティグリュー魔法医は杖を振ってハリーの体を寝かせたまま浮かせ、運んでいった。

 

 ふと、顔を上げて観客席を見ると……スリザリン生とグリフィンドール生が殴り合い、あるいは呪いの撃ち合いになっているのも見える。怒り狂った勢いで競技場に飛び降りて選手に呪いを撃とうと試みて、他の選手や事態の収拾にあたろうとしている教員陣に無力化されている生徒も少なからず出てきた。

 外傷もなにもないはずの僕は……競技場に座り込み、動けないままだった。

 

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