ベッドに横たわるセプティマは身じろぎ一つしない。肌は青白く、脈もない。マグルの医者が見れば死亡の判定を下すだろう。
緊急で投与した心臓保持薬の効果だ。文字通り、人体の保持のみを行う。動かしはしない。
「毒の分析が終わりました。カップケーキの上部から
確かに私も、魔法薬のプロを毒で殺すとしたら選択肢として挙げるものの一つ。凶悪ゆえに、調合のレシピを知ることすら相当の知識量を要求される代物だ。
「念の為じゃが……生徒が市場で手に入れることは可能かの?」
「保有しているだけで国際法を複数破る代物です。不可能とは言いませんが、生徒個人でできるものではありません」
「わかった。ではほぼトムの手管と断じていいじゃろう」
そう言ったのち、ダンブルドア校長は口を閉ざし、医務室はマダム・ポンフリーの処置の音だけが響いている。
この重苦しい雰囲気をかき消すには至らないが、ノックの音が響いた。ポッターだ。
「戻ったぜ。アラスター局長と交代済みだ」
「ご苦労じゃった、ジェームズ。さて、身も心もすり減らしているタイミングで申し訳ないのじゃが、起きた出来事を頭から教えてほしい」
「ええ、もちろんです。事の起こりは……数週間前に、ミス・グレンジャーのフォローのために姿あらわしで急行できるよう、家の周りを見に行ったと話しましたよね? そのとき、保険として『かくれん防止器』など、いくつか警報機を置かせてもらいました」
夕方からポッターの姿が見えないと思ったら、どうやらホグワーツを離れていたらしい。
「今日の16時……10分ぐらいでしたか。それらの警報機が反応したと通知があったわけです。その場にいた局長にその旨伝えて、暖炉でロンドンまで飛んだ上で姿あらわしし、局長から借りた箒でミス・グレンジャーの家の上空から偵察。すると……その時点では何者かはわかっていませんでしたが、フェンリル・グレイバックがミス・グレンジャーの家に杖を振るっていました。おそらくは
思わず息を呑む。
マグル生まれの生家に攻撃。脅迫としては非常に大きなインパクトだろう。
「幸いにして、俺は間に合ったようで……中にいたグレンジャー夫妻に危害が及ぶことはありませんでした。とはいえ、自宅はほぼ全壊。グレイバックは俺といくつか呪文の応酬をかわしたあと、そのまま消え去りました。深追いはせず、グレンジャー夫妻を保護したあと闇祓いへと通報。連絡を受けて来た兄貴……キングズリー・シャックルボルトにと、アリス・ロングボトムに状況を伝えたところで、第二の通報がありました。ウィーズリー家のモリーさんからのもの。兄貴に拉致られて……もとい、民間協力者として
ふん。仕事の内容が当時と変わらなかったから、省にいたときと同じような報告のフォーマットを使っているのだろう。
とんでもない脱線とわけのわからぬ固有名詞とポッターしかわからない渾名を織り交ぜて話すやつの普段の話と比べて、ずいぶんと明朗だった。
「実にわかりやすい報告に感謝しよう、ジェームズ。それで、グレンジャー夫妻は?」
「半ばショック状態で正確な判断ができる状況とも思えず、一旦時間を置いてもらっていますが……リドルの影響圏から離れる形での移住を勧めましたが、『我々はこの地域に物件と顧客を持つ
「
「なんだそれ?」
「マグルの専門的な職業についての話はさておき、それも無理のないことじゃろう。すぐに生活の場を移せる人間ばかりではない」
ポッターが間抜けを晒したので、思わず指摘してしまう。どんな職業だ、それは。
「事故であれば巻き戻し局がほとんどすべて修復するでしょうが……これは攻撃で、グレイバックはプロの犯罪者です。巻き戻されないような壊し方ってのをわかってる。どこまで戻せるものやら……とにかく、壊れた家に置いておいても仕方ないので今はウィーズリー家のほうに避難してもらって護衛として闇祓いがまとめて見てます。あわせて、ミス・グレンジャーとウィーズリー家の子は全員ホグワーツから送り届けました」
「妥当じゃろう。よくやってくれた、ジェームズ」
「そんで……俺がいない間にベクトル教授には何が?」
ベッドに横たわるセプティマを見下ろしながら、ポッターがそう呟いたので、答える。
「私を狙った毒にやられた。解毒薬がすぐに用意できないため……今は身体の保存に努めている」
「マジかよ……時間経過でなんとかなるのか?」
「なるわけがない。
「悪化……ってことは今治療できても、全快とはいかないのか?」
「下半身に麻痺が残る可能性は極めて高い。癒者による治療ですら及ばない可能性がある……だからこそ
あまりにも歯がゆい。素材さえあれば解毒薬などすぐに調合でき、被害を最小限に抑えられるというのに。
「どのタイミングで仕込まれた?」
「皆目見当がつかない。パーティの軽食はホグワーツのキッチンで屋敷しもべ妖精が作った後、魔法で配膳されている。外側についていたことから調理後の可能性が高いが……どの過程で仕込まれたか推測すらできていない。念の為だが、貴様の例の地図にはなにか映っていたか?」
「犯行当時、俺はいなかったから確認したタイミングですでに去っていた可能性は否めないが、わからねえ。脱出したにしても、姿くらましも使えないホグワーツでどうやって逃げたかわからん。移動キーが使われた痕跡もなかった」
主要な隠し通路には通り抜けた人間がいたことを示す痕跡薬を仕掛けてあるが、それも反応していなかった。
調理後のキッチンか、あるいは大胆にも食事が運ばれた後の大広間に忍び込んで毒を入れる必要があるが……見当もつかない。
ただし、勘ではあるが……学会で毒が仕込まれた件。あれと同一の手口のように思える。
「それで、その毒の解毒薬は?」
「素材が足りない。シード・アンサンブルという極めて貴重な種をすり潰して使う必要がある。これはイギリス全土で見ても一箇所にしかない」
「それは?」
「禁断の森だ」
そう、ホグワーツの敷地内にある旨を私が述べると無能なポッターは安堵の息を漏らした。馬鹿め。それが今使えるのであればこんなところで雁首を並べてはいまい。
「なんだよ、じゃあとっとと手に入れて……待て。シルバヌスが引退した今、禁断の森番は誰だ?」
「慣例により、魔法生物飼育学のレギュラス・ブラック教授が担っている」
「マジかよ……それがわかっててその毒を使ったのか?」
「そこまでは断定できない。シード・アンサンブルが禁断の森にあると確実に知っているのは私、ダンブルドア校長、ケトルバーン元教授の3人。我々はこの情報を公にさらさず秘匿していた。レギュラス……彼が禁断の森で見つけた動植物を逐次報告している可能性はないとは言わないが、可能性は低いだろう。とはいえ、彼を魔法生物飼育学のポストに送り込んだのは、我々が使える禁断の森のリソースを制限する狙いはあったかもしれん」
推測ではあるが、私見も加えて話してみたところ校長は頷いた。見解は近いのだろう。
「念の為聞いておくが、校長が今ひとっ飛びして見つけて採ってくる……なんてのは?」
「シルバヌスの報告を受けて存在を把握していただけで、わしも探し出して採集となるとな……そのため、いまは緊急でシルバヌスにふくろうで連絡を取っておる。じゃが、彼も『努力はするが、禁断の森は常に変化しとる。数ヶ月見てないとなるとなかなか手ごわいかも知れん』と返してきた。数日後にはこちらに来れるとのことじゃが、見つかるかまでは確証がないそうじゃ」
「イギリス国内にないってだけだろ? 海外から輸入は?」
「貴重な動植物だ。正式な手続きで持ち込むには省の許可がいる。まず間違いなく理由をつけて拒否されるだろう」
ポッターは頭を抱える。八方塞がりになりかけていることをようやく理解したらしい。
彼女はもちろん意図していなかっただろうが、セプティマには大きな借りができてしまった。なんとしてでも目を覚まさせ、今まで彼女に作ってきた貸しを不本意だが帳消しにした旨伝えねばならない。
「仕方ねえな。おい、スネイプ。探しに行くぞ」
「馬鹿が。素人に毛の生えたような我々が行って種を探してくるなど、砂漠から針を探すようなものだ!」
「それでも行かねえよりはマシだろ。理屈で自分をがんじがらめにしやがって、お前みたいなのは今は手動かしといたほうがいいんだよ」
奴の愚かな提案に食ってかかろうとしたとき、再び医務室にノックが響いた。
深夜だ。もうここを訪れる用のある人間はいないはず。杖に手をかけ、少し警戒を強くする。
扉が開き、そこに立っていた男は――
「ダンブルドア校長、
裾を泥まみれにしたレギュラス・ブラックだった。
「マダム・ポンフリー。解毒薬だ」
「早え!?」
待望のシード・アンサンブルを睨んだ目のレギュラスから受け取った私はすぐさま調合室に引き返し、手早く解毒薬を調合した。
「採取したシード・アンサンブルの効力に関してはこちらで確認済みだ」
「ありがとうございます、スネイプ教授。念の為確認ですが、これからこの解毒薬を七日間に分けて投与します。一回の投与量はいくらでしょうか」
「アンプルより5滴」
「了解しました。ありがとうございます」
私からアンプルを受け取ったマダム・ポンフリーはバックヤードへと戻っていった。血管への投与の支度を行うのだろう。
「どんな調合速度だよ。10分かかってねえぞ」
「行き当たりばったりで人生を歩んでいる貴様と違って私は常に入念に準備を行っている。足りなかった素材が手に入り次第すぐに完成させられるように前段階の魔法薬を予め調合しておいたのだ」
ポッターが私の調合の実力に恐れをなしている。そうだろうな、こいつでは逆立ちしてもできぬ難事だ。例えポッターからのものであっても正しい評価を受けるのは気分が良い。
「なるほどな。でもあれだろ、魔法薬って調合途中のままだと変質しやすいんだろ。なにか秘密があるのか?」
「別段難しい話ではない。3時間おきに調合し直し、古いものは廃棄していけばよい」
「こいつなんかやっぱ重たいな……」
重たい? 意味がわからないが、なにか侮辱された気はする。医務室でなければ呪いを撃ち込んでやるのだが。
「ふん。上っ面だけの同胞愛ですか? この裏切り者が」
医務室にまだ残っていたレギュラスが、私に向けて憎々しげな声を漏らした。
「あれほどマルフォイ家からも、リドル氏からも目をかけて貰っていたのに……ダンブルドアのところに転がり込むとは! その役職を買うのにどれだけの秘密を売り払ったのですか?」
「君がどこまで知っているかわからないし、知る必要もないとは思うが……私はルシウスを裏切ってはいない。そしてトム・リドルを……許すつもりはない。レギュラス、忠告だ。君もできる限り距離を取るべきだ。私には寄る瀬はなかったが、ブラック家を継いだあなたにはやりようがいくらでもあるだろう」
「もう……ありません。私はリドル氏から多大な恩を受け……魔法契約をかわしました」
「なんと」
そこまで黙って我々のやり取りを見ていたダンブルドア校長が口を開く。
魔法契約。古い魔法だ……私もあまり詳しくはない。だが、意外にもポッターにも聞き覚えがあるらしい。考えてみればポッター家は家格こそ低いが、ブラック家と同程度には歴史のある家だったか。かつては古呪文の権威であったあの家の出身ともなれば、やつの小さい脳みそでも覚えていられる程度には聞き及ぶ機会があったのも頷ける。やつも同様に口を開いた。
「破れぬ誓いか?」
「そこまで重いものでは。しかし、ブラック家の当主として彼に協力を誓いました。で、あるからこそ。私はここにいる」
「馬鹿な真似しやがって。友好的な協力関係ならそんなもの結ぶ必要ねえだろ。対等じゃなくするために使うんだよ、そういうのは」
「必要だったからです。母のための生命の水が」
ダンブルドア校長が雷に打たれたように震えた。
生命の水。それはもちろん昨年度にトム・リドルから奪った賢者の石から生み出されるものだ。
「母は……十数年前からもともと病を抱えていました。ブラック家付きの癒者に見てもらうことで、表向きは精力的に父からブラック家を引き継ぎ、采配を振るっていました。しかし、今にして思えばそれが祟ったのでしょう。私が当主になる前に外で見聞を広めたいなどと言ったばかりに……倒れた母の病の進行は思った以上に早く、苦しんでいました。私はそれを見ていられなかった。一も二もなく、私はリドル氏に頼み込みました」
ホグワーツの一同は黙り込む。
なぜならもちろん、ここにいる人間はもはや賢者の石は破壊され、生命の水が生み出されることはないと知っているからだ。
「かつてマルフォイ氏が話してくれたように、その対価は軽いものではありませんでした。しかし、私は満足しています。母は永遠の命など求めませんでしたが……彼女が病床を離れ、再び庭を歩いている光景をお目にかかれた。例えそれが、一時のものでも」
「まあ、あんたの事情はわかったよ。しかしよかったのか? 解毒薬の素材など持ってきて。裏切りとかにならねえのか?」
ポッターが問いを続ける。レギュラスは眉をひそめるが、私に向ける敵意のようなものは一切見せずに答える。真面目な男だ、ポッター家の当主として一定の敬意を払っているのだろう。あいつには勿体ないものだが。
「……? なぜですか? 意図が掴めません……確かに私はダンブルドア派の動向を伝えてほしいと頼まれています。しかし、毒で倒れたスリザリンの先輩を助けることがいったいなぜ裏切りに……?」
「いや、いい。すまん。俺が悪かった、忘れてくれ」
この様子を見ると、レギュラスは何も知らされていないらしい。
少しホッとする。純粋な彼が無辜の人間の殺人すら厭わなくなっているとは想像もできなかったが……今のところそうではないらしい。
「だいたいですね、私はその誓いのために彼に従っているわけではありません。ブラック家の当主として、私の家の利益の最大化のために彼を選んでいるのです。彼が言う通り、特別な者は特別な教育を受けるべきです。グリンゴッツの国営化も強く支持していますし、彼は屋敷しもべ妖精の労働環境の改善についても同意してくださった」
「奴は……ずいぶんと後ろ暗いことをやっているぞ」
「何を今更。スネイプ教授。あなたもスリザリン生でしょう。それがなんだというのです?」
「ルシウスは、奴に服従の呪文をかけられている」
「……はっ。馬鹿な」
レギュラスはそれを聞くと、わずかに逡巡はあったが嘲笑した。
「服従の呪文は高度な呪文です。そして、服従させられていた間に記憶はしっかりと残ります。つまりこう言いたいのですか? あなたが数年前に魔法省から逐電したときから、ずっとリドル氏に服従の呪文をかけられ維持されていると」
「そうだといっている!」
「スネイプ教授。ダンブルドア校長の頭のネジが外れていることはよく知られていますが、あなたも染まってしまったようですね」
そう言ったあと……同じ部屋に校長がいることを思い出したのか、顔をそらした。
それに対してダンブルドア校長はニコニコと笑っているが……しかし、眼差しは鋭い。
「そうじゃの。残念じゃが、彼は立場を明確にした。では、彼に君から伝えてもらうとするかの」
「ダンブルドア校長?」
校長が腰を上げ、私達を見回した。
「わしはホグワーツの校長じゃ。ホグワーツの校長には義務がある。生徒を守ること。教育を必要とする魔法使いに対して、そのための機会を守ること」
その声は大きいわけではないが、よく響く声だった。心の芯まで。
柔和だが、断固たる意思を伝える声。
「すまぬ、セブルス。わしが間違っておった。わしが臆病だったばかりに、ホグワーツが守るべきものの中から危うく大きな犠牲を出すところであった。ミスター・ブラック。次の魔法大臣の選挙に挑む君の首魁に対抗し、誰が出るべきか。今、はっきりと決まった」
校長はついに決断されたのだろう。
レギュラスでさえを聞き入っている様子で、息を飲んでいる。
「わしが出る」