「インペリオ、服従せよ」
体中が快楽で満たされる。
なぜルシウスが? 私に服従の呪文を?
そういった疑問はすべて脳から洗い流されていく。
彼の命令に従うだけでよいのだ。
もともと、口では皮肉を流しながらも彼のことを信頼していたではないか。大差はない。いや、彼に心から服従し、望むままに動くだけでいいのだ。
余計な考えを脳みそに詰め込み、苦悩する日々のなにが幸福なんだ、セブルス・スネイプ?
そんな毎日はおさらばだ。これからはこうして幸せに生きていけばいい。
呪文が打ち込まれた数秒後には、自分はそう"納得"していた。
では、ルシウス。いったいどんな命令を?
なに、君に酷な命令など下すまいさ。ちょっとした陰謀だ……君もグリフィンドールの連中、闇祓い局で幅を利かせている奴らが目障りだろう?
まったくです。奴らと来たらこの法執行部の品位を下げるのみ。
その通り。彼らを追い出して名実ともに法執行部のすべてを掌握する必要があるのだ。
脳内で命令と応答が駆け巡る。
このうちいくつが服従の呪文によるものなのだろうか? それとも私の脳が勝手に作り出している対話なのか?
奴らを追い払う口実が必要だ。
ほう。どのような?
服従の呪文を使え。実際に使ったことはないだろうが……君にこの手の呪文の適性があるのは明白だ。
まあ、確かに自信はありますが。
だろう?
しかし、奴ら闇祓いはこの手の術のやり取りのエキスパートです。奴らに出し抜かれるとは言いませんが……リスクは高いのでは?
わかっている。どうやら……この命令を下した人間は君の周囲についてよく調べていたようだ。
ルシウス? あなた自身の命令ではないのですか?
脳が歪む。
明らかに不自然な、服従の呪文の効果に反する情報が流れ込んできたような感触を感じた。
一瞬の苦痛――は洗い流された。違和感はもうない。
ターゲットはジェームズ・ポッター。目的はアラスター・ムーディの辞任だ。
あの腐れポッターですか。確かによく存じております。しかし……泣き言を言うわけではありませんが、客観的事実として奴はなかなかに手強い闇祓いです。どのように攻略を?
慌てるな。調べてあると言っただろう。
……リリー・ポッターを使え。細かい部分に関しては任せる。だが、君は彼女の出身地も含めてよく存じているようだな。使えるはずだ。
リリー。
私を救ってくれた魔女。
彼女に服従の呪文をかけ、ポッターを殺させろ。
むざむざ殺されてくれれば駒が一つ減るし、抵抗しても醜聞になるのは間違いない。なにせ、法執行部はほとんど抑えきっているのだ。明確な物証がある案件ならアズカバンに放り込むのはわけはない。
どちらにせよ、闇祓い局にとっては痛手だろう。責任を取って局長のムーディは辞任するしかあるまい。
リリー。
彼女は私を救ったなどと露ほども思っていないだろうが、だからこそ私を救えた魔女。
……その思いとは裏腹に、彼女を陥れる策が頭の中でいくつも浮かび、紡がれはじめる。
彼女を呼び出すのは簡単だ。私は彼女の実家を知っている……そこにいるマグルの両親に錯乱の呪文でもかけ、呼び出させればいい。いくら実家と疎遠とはいえ、危篤であったり訃報であれば駆けつけるだろう。
あとは待ち受けるだけでいい。
さすがセブルスだ。実に隙のない計画だ。
幼少期の想いなど捨ててしまえ。奴はあの憎いジェームズ・ポッターのもとへ逃げ去ったのだ。マグル
そんなものはたんなる麻疹のようなものだ。こうした任務を達成し、実績を積んでいけば君は地位も名誉も思いのままだ。そうなればいくらでも異性など手に入るだろう。トロフィーのようにな。
リリー。
今はもうエヴァンスではない魔女。
彼女に尽くす義理などない。
彼女のためにすべてを投げ打つ義理などない。
お前は、あのジェームズ・ポッターが憎いのではなかったのか? やれ、やるのだ! お前ならできる、必ずやり遂げ――
セブルス。それはお前の声ではない。お前はお前のやりたいことをやれ。
それがスリザリンだ。違うか?
「クルーシオ」
激痛が走る。
誰だ?
誰が拷問の呪文を放っているのだ?
誰に……私にだ。
私が、私に対して拷問の呪文を放っていた。
お前らしい泥臭い手だな、セブルス。
だが……手段を厭わない。それこそがスリザリンだ。
─────
「大丈夫かえ? 立てねえか」
声をかけられ、目が覚めた。
場所は……変わらず魔法事故惨事部の廊下のようだ。
省内の清掃員が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「……ああ、なんとか」
「
そう言って清掃員は去っていった。
時計を見ると、まだ11時にもなっていない。ルシウスに呼び出されて30分程度といったところか。周囲に他の人影はない……ルシウスもどうやら去ったようだ。
状況の整理が未だ追いつかないが……しかし、明白なことはある。
ルシウスは服従の呪文の支配下にいた。私を呼び出した手紙の送付時刻を鑑みて……早朝までに彼に会って服従の呪文をかけることが出来る人間はごく限られている。
つまり、下手人はほぼ間違いなくトム・リドル。
どうやら彼は違法な手段を使うことも、自分の地位を私的に使うことも躊躇いがないようだ。彼の手の内の人間であれば間違いなくここまで知ってしまった私を消しにかかるだろう。
服従の呪文も行使していることを考えれば、今この建物にいる人間は全て信用できない。
……だが、その例外がいる。憤懣やるかたないことではあるが。
廊下を進み、地下2階へ繋がる非常階段を登る。誰と同席するかもわからない昇降機は不味い。
行き先は私の所属する
当たり前だが、敵の本丸のようなものだ。警戒しながら、できるだけ足早に通り過ぎる。
足を進めるのは
入り口の上に掲げられた案内板には「闇祓い局」と記されている。
つかつかと歩を進めると、当然視線を浴びる。闇祓い局は独立性の高い部署だ。もちろん魔法警察局などとは緊密に連携しているが……ある種の対立関係である
「あ? スニベルスが何の用だ?」
薄汚い野良犬は無視し、目的の人間を探す。いた。
「おいポッター。面を貸せ」
「スネイプ……? 俺に用だと? なんだ、決闘のお誘いか?」
「無駄口を叩く余裕はない……リリーが危ない。局長室だ、来い」
ノックもせずに局長室に押し入るように入り、中の人間が一人であることを確認する。
もちろん中にいるのは、闇祓い局、局長のアラスター・ムーディだ。
彼のことはよく知らないが……しかし、恐ろしく腕の立つ闇祓いであるのは間違いない。彼の陥っている狂気に対してどれだけ話が通じるかは不安材料ではあるが。
戸惑った様子のポッターも追って入室してきたのを見届けたのち、局長室の扉に施錠呪文と
「
「省内で服従の呪文をかけられましたものでね」
「ほう、ほう、ほう。では、儂らだけは信用するに至った理由はなんだ? 大方予想はつくが」
「ターゲットがあなたがただったからですよ。局長なら速達用のフクロウがありますな。お借りしても」
「構わん、好きに使え」
「ポッター、今すぐリリーについて手紙を書け。お前とリリーでしか知らない何らかの符丁を先頭に示した上で、お前とムーディ局長以外からの手紙を受け取りを禁じろ。外に出るのも、誰かに会うのもだ」
「待て待て! 唐突すぎるぞ、リリーがどうしたって!?」
なんでこいつはリリーの危機だというのに、のんきに戸惑っていられるんだ?
私に服従の呪文をかけた黒幕は私の周辺も含めて調べていた可能性が高い。つまり「リリー・エバンスの幼少期を知るセブルス・スネイプが取りそうな手段」をしっかりと模倣し、私にその罪をなすりつける……ぐらいのことはやりかねないだろう。手を講じる必要がある。
まごまごしているポッターを前に思わず舌打ちが出てしまったのを(階級的にはかなり上の)ムーディ局長は咎めず、むしろポッターを叱責した。どうやら私と同じように危機感を共有していたのだろう。いい気味だ。
「おい、ジェームズ……油断大敵だ! 馬鹿者」
「うわっ、局長はなにか既に掴んでらっしゃるとか?」
「お前が愚か者であること以外は何もわかっとらんわ。だが、しかし……こいつが服従の呪文で命じられた内容というのは大方リリーを操ってお前と争わせるとかその類だったのだろう。よく服従の呪文を弾いたな、え?」
「その通りです。少なくとも私はリリーの実家を利用し、訃報で呼び出すことまで服従の呪文の効果中に思考していました。少なくともこの程度の試みは確実に防げるよう手を今すぐ講じないのであれば……目の前のこいつを殺して服従の呪文の効果中だったと証言することにします」
「わかったわかった! アクシオ!」
ようやくペンと手紙を手元に引き寄せて書き始めたポッターを尻目に、魔法省を脱出する手を考える。
通常、移動用の暖炉は地下8階のアトリウムに固められているが、緊急の任務が多い必要上、闇祓いの局長級には特例として執務室に設置が認められている。
「ムーディ局長、局長用の暖炉をお借りしても?」
「なるほどなるほど、そういうことか……ついさっき魔法運輸部から連絡があった。どうも煙突ネットワークは緊急メンテナンス中らしい……ずいぶんと都合がいい話だと思わんか? え? お前、どんな大物を敵に回した」
だが、どうやら私の脱出の試みはある程度気取られていると見たほうがいいだろう。
ピンポイントで闇祓い局の暖炉を使うと思われているわけではなさそうだが、通常の移動で使うものも含めてすべて使用停止に追い込まれているようだ。
となると脱出経路はかなり限られてくる。
「直接私に服従の呪文を唱えたのはルシウス・マルフォイ。しかし彼も服従下のようでした。黒幕はほぼ間違いなくトム・リドル」
「ほう、これはまた実に大掛かりな陰謀のようだ……
「なんですって?」
「忘れろ。老人のたわごとだ。もし気になるのであれば、儂より老けたジジイにでも聞くが良い……その大掛かりな陰謀を儂に伝えたことはもう魔連中の手先に伝わっているだろう。イギリス魔法省の半分がお前を消しに来る覚悟はできてるか?」
「まだ消されないと思っているより遥かにマシでしょう。たとえばこのポッターなどはそう未だに思っているフシがありますが」
「さっきからすごいバカにされてるけども、突然の協力の申し出に快く応じてる側だよな、俺?」
「馬鹿者。まだ第三者ヅラか? この緊急時に愚かしいことを……間違ってるのはお前のほうだ」
「局長はそう言いますよね! すんません! というか待って、俺消されるの? 魔法省に」
ようやく手紙を書き終えたポッターが速達用のフクロウで手紙を送る。
暖炉の封鎖、周辺姿現しの拒否の指示なども当然ながら含まれていると信じたいが……確認する余裕すらない。こいつが闇祓い局で犯罪者の手口を学んでいることを祈るだけだ。
「よろしい。
「申し訳ありませんが、必要がない限り行き先は黙秘します」
「結構結構。なかなか見所がある……ジェームズ。8階に隠し暖炉がある。あれは独立ネットワークで儂らしか把握しとらんはずだ。逃亡先は任せる」
「了解、ボス」
「わかっていると思うが昇降機は使うなよ? 周囲の人間はすべて敵だと思え。ジェームズ、主にお前に言っているのだぞ? 闇祓い局の人間も含めてだ。無論、隣の坊主も儂も信じるな」
「いやー、
「なんとでも言え。なにせ省内で服従の呪文が使われたわけだからな……
「……そうですね。退職届を出しておいてください」
冗談ではあるが、内心は複雑だ。
正直に言って、幼少期のみじめさを考えれば魔法界での立身出世に明け暮れるここ数年は夢のようだった。ある意味では私の求めているものの一つを叶えていた。
魔法省を去るのは耐え難いし、今後どのようにして生きて行くかもわからない。ツテもコネもない、裏切り者の半純血がどこで職を得られるというのか? 海外など一切わかりはしない。
しかし……天秤にかけて残った道はこちらだけだった。
ムーディ局長は私の内心を知ってか知らずか、ニヤリと笑ってそれを受け取った。
「よろしい。儂直々に叩きつけてやろう……行くがいい、坊主共。駆け足だ!」
別部署の、いっさい馴染みのない人間が突然押し入るように局長室に入ってきたのだが騒ぎにもなろう。
ドア越しにも外の喧騒が聞こえ始めた。
まずは魔法省から逃げ出さなければいけない。脱出経路は地下8階の闇祓い局秘密の暖炉。
「ポッター、足を引っ張るなよ」
「デスクワーカーが良く言うぜ」
まずは生き延び、自由を手に入れなければいけない。
リリーを護るために。
ルシウスを救うために。