1943年6月11日 ホグワーツ魔法魔術学校3階廊下
「まったく感じが悪いぜ、スリザリンの連中」
廊下の曲がり角の先から声が聞こえる。
僕が近くにいることに気付いてさえいないようだ。
「ああ。うちの兄さんも徴兵されて北アフリカに向かったんだ。心配になるのは当然だってのに……」
「スリザリンにだって半純血のやつはいるんだろ? なんで理解できないんだろうな。血統主義だのなんだの、気味が悪い」
「ぷっ……」
あまりにも的はずれな意見に笑ってしまう。もしかしたら聞こえていたかもしれない。
理解できない? それはこちらの台詞だ。君が今ホグワーツにいるのは、魔法使いの血のおかげだというのに。自覚すらしていないのか?
その間抜けどもは喋りながら歩を進め……"感じが悪いスリザリン生"が道の先にいることに気付いたようだ。
「うわっ! スリザリンの……」
「ってなんだ。リドルくんか。この前は呪文学についていろいろ教えてくれてありがとう」
どうやら、彼らは僕の嘲笑に気づきすらしていないようだ。
むしろ、先ほどまでスリザリンの悪口を言っていた凡愚は驚いて両手で持っていた本の束を崩して廊下に落としている。いい気味だ。
"優等生トム・リドル"のおこぼれに預かった経験のある彼らは、先ほどの陰口などなかったかのようにフレンドリーに振る舞おうとしている。
「こんばんは、グリフィンドールの先輩がた。先日はこちらこそ勉強させていただきました」
「いやいや、大したことはないよ。スリザリンの連中がみんな君みたいならなあ」
スリザリン生にも愚か者はもちろんいるが、一番愚かな者でも彼らよりはマシだ。
このような無能な連中ほど血統主義を馬鹿にするものだ。自分の能力のなさを棚に上げて。
血統主義による分離のない、純粋な暴力の有無で立ち位置が決まる共同体など想像もできないのだろう。
あの孤児院ではずいぶん色々と楽しませてもらったが、それでも今なお虫酸が走る。
体格がいいだけの人間がその日の享楽のために弱い人間を殴りつける、原始的な共同体。それが"血統主義だのなんだの"がない世界だ。
それに比べれば、スリザリンの人間の社会は実に心地が良い。強者と弱者は争わない。ただ、双方の合意のもと取引をするだけだ。
彼らは僕に手を振り去っていく。僕も笑みを崩さずに対応していたところで――背後から声をかけられた。
「行ったか」
「……マルフォイ卿。驚かさないでくださいよ」
「少し悪戯心が湧いてな。しかし、未だに君はそのような慇懃な呼び方を崩してはくれないのだな」
「そんな言い方しないでくださいよ。純血の名家の方にはあまりにも恐れ多い」
「君の態度を見るに、それほど恐れているようには見えんがね」
「これでも内心は敬意を払っているんですよ、内心は」
後ろから現れたのはホグワーツ7年目のアブラクサス・マルフォイ氏。
既に家を継いでおり、あとは卒業を待つだけの身分。非常に残念なことに凡愚が少なくないスリザリン寮(他の寮に比べれば、数も質もマシではあるが)において、僕でさえも非凡とみなせる数少ない人間の一人で、実質的に今のスリザリンのリーダーでもある。
「しかし、こんな時間になにを? 門限ギリギリまで遊び歩く類の人間ではなかろう」
「スラグホーン教授にお尋ねしたいことがありましてね、貴重な儀式についての話をいかほどか」
「なるほど。まあ、君は彼の教授の大のお気に入りだからな」
そう。今日はついにあのスラグホーンを宥め賺し、かねてから気になっていた闇の秘術を聞き出すことができた。
不死の実現は、魔法による儀式の頂点だ。死に打ち勝つというのは兼ねてからの自分のテーマでもあった。今日、ついにその目処が立ったのだ――
さすがに学期中にホグワーツ内で殺人を行うのはリスクが高いだろうが、それでもいつでも儀式を実行できるように準備を整えることは可能だろう。
サラザール・スリザリンが残した秘密の部屋には僕しか入れない。儀式の準備にはうってつけの場所だ。
魂の分割というのはリスクも高いだろうが、それだけのリターンはある。
「そういうマルフォイ卿こそ、こんな夜分にどんな用事で?」
「少しばかり密談をな。家を継いでからというものうちの家の力を借りたいやつが跡を絶たん」
「やれやれ。婚約者さんに泣かれますよ」
「はっ。向こうも私個人に興味などあるまい。さすがの才英トム・リドルくんもそのあたりは疎いのだな、え?」
「……まあ、そうですが」
「なに? もしや気にしていたか? 仕方あるまい。そのうちに純血の女を見繕ってやる。卒業後の進路希望は省だったな。入省後なら箔も足りるだろう」
「いや、そういうわけではありませんが……お気遣い感謝します」
マルフォイ卿からはかねてから贔屓に預かっている。
やはり、彼やスラグホーン教授(まあ、彼はお世辞にも欠点がない人間とは言えないが。あまりにも操作しやすすぎる)といった才覚ある人間には僕が単なる半純血ではなくサラザール・スリザリンの血を継ぐもの、ということが言葉にせずとも伝わるのだろう。凡愚の血をマグルで割ればゴミクズとなるが、栄光と歴史ある血は弱まってもなお輝くのだ。
「私ももうすぐ卒業だ。スリザリン寮のリーダーの立場を継ぐのは君だろうが、困ったことがあればすぐに連絡したまえ。それでは失礼する」
そう言ってマルフォイ卿は去っていった。
先ほど言っていた密談とやらに向かったのだろう。僕も寮に戻るべきか。スラグホーン教授と遅くまで話していたと言えば罰則を受けることはないだろうが、理由がない限りは門限までに戻るに越したことはない。
そう思っていた矢先に……廊下に一冊の本を見つけた。
いったい……と少し思案したのちに合点がいった。先ほどのグリフィンドール生が落としたものだ。滑り落ち廊下の角にまで行ってしまったために気付かなかったのだろう。間抜けにもほどがある。
奴自身の持ち物であれば今すぐここで
ふむ。ちょうど今日学んだ
ちょうどいい。僕は図書館に向けて歩を進めた。
すでに図書館の閉館時間は過ぎている。灯りはほぼすべて消され、マダム・ピンスももういない。
僕は忍び足で制限区域へ体を滑り込ませる。何度も訪れたこの領域。もはや勝手知ったる場所だ。暗視のポーションを舐め、三段目にある「闇の儀式――その陰惨な失敗例」を手に取る。
内容としては闇の儀式で人体、魂、魔法力を失った人間といった末路を書くことで、いかに闇の儀式が恐ろしいかを知らしめる目的で書かれたようだが、僕から言わせてみれば強力な魔法にリスクが伴うのは当然のことだ。
そうした
数ページ読み進めたところで、不快な雑音が聞こえることに気付いた。これは……
こちらに干渉しない限り無視しても良かったが、興味本位でキンキン耳呪文に割って入り(そういった対抗呪文があるわけではない。魔法力を使った力技だ)、耳を傾けてみる。
キンキン耳呪文の効果で声はやや変質しているが、内容はよく聞き取れた。
「……はい。来年度に受ける入省試験前にはどうにか頼みます」
「もちろん、それは君がいつまでに費用を用意できるかにかかっている」
「すぐに工面いたします! こちらとしても早いほうが良いので……」
「期待している。必要ならば、君のマグル側の家の資産の魔法側への換金も手配しよう」
「か、寛大な申し出ですがそれには及びません。私も早く貴方のように純血を名乗りたいものです、マルフォイ様」
「名を出すな。この呪文は質が低い。……誰かいるのか?」
動揺し、肩を本棚にぶつけてしまった。
あまりにも初歩的な失態だ……しかし、マルフォイ卿? どうやら彼らはしっかりと物音の所在を把握しているようだ。こっそりと離れるわけにもいかない。流石にふたりとも気絶させて去るというのは拙いだろう。
「僕です。マルフォイ卿」
「……! ひ、ひぃっ……」
本棚から姿を見せると、もう一人の男は一目散に逃げ去っていった。先ほど見たグリフィンドールの連中の片割れだ。
「盗み聞きはマナーに反するぞ。尾行してきたのか? かなり念入りに人払いはしたはずだが……」
「偶然です。それよりも、どういうことでしょうか? 先ほどの男は、愚にもつかない半純血の男のはずです。純血を名乗るとは、いったい!?」
「まったく使えぬ呪文だ。もっとマシなものを開発すべきだな。いや、君の魔法の力が優れているというべきか?」
マルフォイ氏はこれみよがしにため息をついた。
話を逸らそうとしている。
「誤魔化そうとしないでください。まさかと思いますが……マルフォイ卿ともあろう人が小銭で半純血の家系を書き換えようとしているのですか!?」
「そう激昂するな。落ち着きたまえ。彼からは小銭とは言えない額のガリオン金貨を頂く予定であるし、今後もそれをくびきとして使い潰すつもりだ。いわば、これは純血名家としての社交術の一つなのだよ」
ぬけぬけとそのようなことを言い放った。
僕もお前も、過去から受け継いだ血によってこの場に立っているというのに、どうしてそれを蔑ろにできるというのだ!
「そのような戯言で正当化できるものではありません。純血に関する欺瞞が蔓延るようでは魔法使いの血は穢れを重ねてしまうでしょう!」
「君は魔法界についての伝統をよく知らぬのだろう。明文化されているわけではないが、慣習的に1/16以下、高祖父の代に一人、マグルの血が混ざる程度であれば純血とみなしている。純血社会においても君のような考え方の魔法使いは今や、かなり少ない。さすがはゴーント家の末裔だなとは思うが」
出鱈目だ。そんな慣習存在するわけがない。
「そんな馬鹿な! 純血を名乗るからには
「そのような考え方で魔法界を回していけるわけがなかろう。純血をブランドとして価値を高めるには、純血に憧れる人間を使ってやるのもまた一つ必要なことなのだ。まったく、プライドだけが増長して現実がわからない……これだから、半純血は」
思わず、といった形でマルフォイから出た言葉が「半純血」だと? 許せない。こいつこそが間違っている。仮に慣習が実在していたとしても、それは現状の魔法界がおかしいのだ。僕のほうが正しいはずなのだ!
僕は勢いよく杖を抜く。マルフォイはその動きを目で追うことすらできない。
「言うに事欠いてそのような暴言を! クルーシオ、苦しめ!」
「がああああああ!」
この呪文は
マルフォイは激痛に悶えながらも体を転がして本棚の影に隠れた。息も絶え絶えの状態で僕に言い放った。
「貴様、その呪文は許されざる呪文だぞ……!」
「もちろん、存じ上げている。魔法界に詳しい君は知らなかったのか?」
「……わかった。私が悪かった。許してくれ。この事は私の中に収めておくことにしよう。今夜はなにも起きなかった。そのほうがお互いのためではないかね?」
マルフォイは命乞いを始めた。
はっ。お互いのため? この場で逃せば僕を死ぬまでアズカバンに放り込もうという表情だがね。
とはいえ、少しばかりやりすぎたのも確かだ。
そうだ。どうせ一度
「なにか言ってくれ。頼む。なにが必要なんだ? 先ほどの取引を反故にしろというのならそうしよう」
僕が腹を決めたのをどこかで察したのか、態度を更に軟化させ始めた。だが、もう無関係だ。
「もちろん。そうする予定だ。それはそれとして……クルーシオ!」
とはいえ、服従させる前にもう一発ぐらい撃っておいても悪くはないね。
再び悲鳴をあげたマルフォイを見ながら、ゲタゲタと笑った。
スリザリンの同輩の家にお邪魔した際、書斎を訪れる機会があった。
そこに収められた古い本を手に取り、開いたときに書かれていた一節をよく覚えている。
「服従の呪文を維持するのは難しい。切れ目なく持続させるには、よほどの適正か魔法力がなければ毎日のかけ直しが必要だ。一方で恐怖は長続きする。我々"善良なる犯罪者"は人を長く服従させたいとき、杖ではなく血を使う。三重の意味で」と。
ロシアの古い魔法使いコミュニティがそう言うのだから、と当初は非常に警戒していた。実験対象に服従の呪文をかけたことはあったが、
もはや後戻りは効かない。記憶の消去で対応できる範囲はゆうに越えた。なにせ、翌日再度話を持ちかけてきたあのグリフィンドール生を告発し、停学に追い込むところまでやってしまったのだから。
しかし、すべて杞憂だった。
僕のかけた服従の呪文は実によく効いていて、数日に一度かける程度でも十分機能した。
彼を服従させることで、僕が利用できるリソースはとんでもなく増えた。あまりにもバカバカしくなって笑えてきたほどだ。
そのときになってようやく、孤児院出の優等生トム・リドルを愚鈍な連中でさえもどことなく馬鹿にしてきたのはこのせいだったのか、と気付いた。そりゃ、いい血に産まれるだけでこれだけなんでもできるなら、たかだかヘッドボーイを上に見る理由はないよね。
名家の持つ全てを利用できるのは、やれることの幅をあまりにも大きく広げた。
こうした豊かな立場になってみて気付いたが、どうやら孤児院の荒れた世界での幼少期の生活を送ったことは、暴力に対する危機感を過剰に高めていたようだ。暴力を受けるリスクなど金でいくらでも緩和できる。だとすれば残る敵は老いだけで、魔法界には長寿の術は金に糸目をつけなければいくらでも転がっていた。
ただし、そういった立場でも完全には手に入らないのが法的庇護だ。
無論、マルフォイ家の社会的信用と圧力はかなりの強度を誇るが、それだけに依存するのはあまりにも拙い。愚者は手に入れたあぶく銭を使い潰すが、賢者は投資しより巨大にするものだ。
僕はマルフォイ家の後援を受け(まあ自作自演みたいなものだが)、魔法省に入り、魔法法執行部のエリート部門に歩を進めた。
その過程で、まあ少々父も魔法使いだった、ということにさせてもらった。金で買ったわけじゃない。魔法使いとしての力で得たものだ。ゴーント家の血の力の証明のようなものだから無問題だろう。
そのうちに、僕の理想の"不死"を見つけた。賢者の石だ。
僕直々に踏み込んで(さすがは名高きニコラス・フラメルだ。夫婦ともども殺してバラバラにするのに3分もかかったよ)、持てる力を総動員して揉み消させてもらった。
おどろおどろしい闇の儀式というのは悪くはないが、他人に分け与えて対価を得られない
さあ順風満帆、僕の理想の社会を築こう――などと思っていたのだが、好事魔多し。飼い犬に手を噛まれた。アブラクサスの死にあわせてマルフォイ家は切り離そうと思っていたのだが、思わぬ形で危機が訪れる。ちょっとヒヤッとしたね。しかし、親が服従させられていたルシウスくんはともかく、セブルスくんはいったい何が気に入らなかったんだろうか?
やはり人というのは信用できない。裏切り者に愚か者に愚か者の上に裏切る者、そんなのばっかりだ。
そこで、僕は思った。ああそうだ。魔法界には忠実な奴隷の売買制度があるじゃないか、と。
外聞を気にする人は「屋敷しもべ妖精が望んでいるから」など理由をつけていたけれど、どう言い繕ってもあれは奴隷売買だ。だって、彼らが望んでいるなら金でやり取りする必要はないし、鞭で打つ理由もないだろ? 「金で買った奴隷を鞭で打つのはとても愉快」と嘘をつかずしっかりと明言すべきだと僕は思うね。
僕のような合法と違法を器用に使いこなす賢い人間にとって、忠実で能力があり、なにより金でいくらでも買える存在というのはずいぶん都合がいいように思えた……が、実際にはそれほど理想通りにはいかなかった。
僕は知らなかったけれど、家事にあたらないような業務については彼らはしばしば仕事を拒否する。彼らの扱いに慣れている人は「断られる」という恥ずかしい経験をしないよう(人前で行われればなおさら)、無意識でもそういった業務を頼まないように育てられているようだ。
賢者の石を奪われるなどの不愉快な経験をし、一度は退けたリスクの高い手法の再検討などしているのと並行して、屋敷しもべ妖精についてもわからないなりに試行錯誤した。そして、今のところ使えるようになった個体は一体。
「ドビー。素晴らしい仕事ぶりだった。ターゲットも正確だ」
「はい……ドビー、とてもつらかった。でも、これでリドル様がご主人様からドビーめを解放してくださると言ったから!」
その個体とは、元々マルフォイ家にいたドビーという屋敷しもべ妖精だ。
ルシウスは彼を極めて手厳しく虐待しているみたいだ。かわいそうに。そして僕はそれを助けてあげる王子様、というわけだ。古典的な飴と鞭、良い警官と悪い警官だね。
彼はクリス・マーティン氏を狙った毒殺を見事に達成してくれた。期待通りの褒美の話をしないとね。
「ああ。もちろんだ。でもこの件は極秘だ。前にも話した通り記憶を消させてもらう。いいね?」
「はい! もちろんドビーめは従います!」
「ではギルデロイ、よろしく頼むよ」
「ははは、お任せあれ!」
そう言って、ロックハートは杖を振り……
彼は無限に稼働する吠えメールのようなやかましい男だが、この忘却術は本当に感心させられる。特定的な記憶の消去には魔法力の大きさだけではなく繊細さが必要なようだからね。
こうして彼は再利用可能となる。
うん。しばらくはこの手法が他の屋敷しもべ妖精に使えるか試してみよう。それまでドビーはヤックスリーにでも貸しておくか。
彼が特殊な個体で、他の屋敷しもべ妖精はそれでも頑強に抵抗するかもしれないが、そうなったら消してしまえばいいだけのことだ。魔法界はのんきなものだ。こんな奴隷売買制度、悪事を企むやつを利する以外ないってのにね。