「フリットウィック教授がいらしています!」
そのスタッフは悲鳴のような声を上げた。
ざわめきは他のスタッフにも伝搬していく。今まではこのようなことはありませんでした。ホームグラウンドで来るのは無名の生徒。みな、楽観的でした。
しかし……そんな彼らも我が恩師を前にするとずいぶんと悲観的になるようです。
皆、作業の手を止めて硬直してしまいました。
「明言はして来ませんでしたが……暗黙の了解で代表は生徒とお互いに想定していたのは間違いありません。今日は出直していただきますか?」
「ようやく気づきましたが……私がホグワーツにこだわっていた理由は、彼だったのですね」
「ロックハートさん……?」
「出直してもらわないで結構。番組は時間通りスタートです! イレギュラーもトラブルもなんのその、わたしこそがイギリス魔法界の顔、ギルデロイ・ロックハートなのですからね!」
そうスタッフに伝え、激を入れると魅了の呪文をかけ直された人形のように皆が動き始めました。そう、それでいいのです。
ラジオ局の廊下からコツンコツン、と短い歩幅の足音が聞こえ始めました。
他のスタッフ、業者の人間、観覧に来ていたお客様……その多くが足を止め、彼を見ていました。話しかけるものもいれば、握手を求めるものも。
フリットウィック教授は、彼らが求めるままに都度、対応していました。
ああ。ようやくわかりました。
組み分け帽子の言っていた「最も人気のある者」とは、あなただったのですね。
人混みを抜け、我が恩師は私の前に立ちました。
「こうやって顔を合わせるのはずいぶん久しぶりですね、ギルデロイ。お変わりはありませんか?」
「ええ。それはもう、ホグワーツにいたときの私とは今や、まったくの別物ですよ! それを今からお見せします、ご期待ください!」
ニコリと笑って握手をする。
そう。今日こそ彼を越えて……ギルデロイ・ロックハートという存在は完成に至るのです!
……などと気負ってみはしますが。
フリットウィック教授は収録室の席についた途端、杖を振ってどこから出したか。なにやら華やかな缶を出したと思えばスタッフに配り始めました。
思わず毒気が抜かれます。
「友人が送ってきた甘いチーズを練り込んだクッキーです。生徒たちにもずいぶん好評だったのですが、ギルデロイもおひとついかがです?」
「ありがたくいただきましょう。なるほど、なかなか香ばしい! 珍しい味でもあり、どこかで食べたような味でもあり……これは絶品ですな!」
「さすがギルデロイ。実に的確な評です。さて、ではそろそろ放送の時間です。準備いたしましょう」
機材、マイク、それに加えて手元の両面鏡を確認する。
異常なし、本日もしっかりと控室の対策チームが――
パチン、とフリットウィック教授が指を鳴らした途端、その姿はかき消え、単なる鏡へと戻った。
「ええ。そうですね、こちらは準備万端です。ギルデロイはどうかしましたか?」
ハハハ。信じられません。指を鳴らしただけで両面鏡の接続を切ったですって?
予め持ち込んでいると公言していれば道具の不調だのなんだの言えますが、ホグワーツの彼らには私を見くびってもらうために伏せていました。それが裏目に出ましたか。
いえ。もう私を追求する材料は前回で出揃っていたはずです。独力で打ち勝ってこそ、彼を越えたと言えるでしょう。
「いえ、一切問題なし! いつものギルデロイ・ロックハートですよ! では、いつものタイトルコールから! 『ロックハートのロッキン・オン・ハート』、今日のゲストはなんと! 言わずとしれた呪文学の権威! フリットウィック教授がいらしています!」
「ええ、お邪魔させてもらっていますよ!」
「では、今日のテーマは『マグルは危険か?』! 4月にも、ビショップスゲートと呼ばれる通りがマグルによって爆破されました! これは、ホグワーツへ通う生徒たちが乗り込むキングズクロス駅から箒で10分ほどの距離です。ホグワーツの教授としても不安はあるのではないですか?」
こちらから主導権を握る意味でもテーマの設定は有用です。こちらがテーマを設定している以上、圧倒的に有利なのは間違いないためミス・グレンジャーのように即座に打ち切ってしまうのが正解ではあるのですが……誰しも人間ですからね。負い目は生まれますし、リスナーとしてもその議題から逃げたという風に見えてしまうのも否めません。
さてフリットウィック教授はどう出るか……
「ふむ。それでしたらホグワーツのスタッフとしてはこう言う他ありません。始業日のキングズクロス駅で、生徒たちに危害が及ぶことはありえないと」
「……ええと、4月の爆破事件は通りのみならず近くの駅やタワーまで破壊した、非常に大きい規模で、マグルの死者も多く……」
「ええ。ですから同じような事態が当日、近隣で起きましたら……生徒を確実に守ります。私が。ミネルバが。アルバスが。あるいは……今日そこにいるジェームズかもしれませんね! 我々はお子さんを預かるものとして、しっかりと断言いたします。一方で、始業日にトラブルが起きましたら、まず生徒の皆さんは我々に伝えてくれ、とはお願い申し上げます。ねえ、ジェームズ?」
ガラス窓を挟んで収録室の外から眺めているポッター教授がばつの悪そうな笑みを浮かべています。
いや、そんなことはどうでもいいのです。テーマからは少し外れていますが、上っ面だけの床屋政談よりも、遥かにホグワーツの危機管理はリスナーとしても関心のある話のはずです。ここまではっきりと断言されるとかなり印象づけられてしまいます。なんとかして話を逸らさなければ……
「しかし、こういった話なら私がここまで足を運ぶことはなかったでしょう。ギルデロイ、テーマを決めてもらって悪いのですが、こちらからあなたにいくつかお聞きしてもいいですか?」
「え……ええ! もちろん。問題ありませんよ」
渡りに船。むしろ向こうから話題を変えてくれました。こちらから言い出さなかったぶん、印象はそれほど悪くなかったはずです。
「教え子を問い詰めなければならない、というのはいつであってと心苦しいものですが……私はあなたが本を書くにあたり、エピソードの持ち主の記憶を消して自らの手柄にしていた、という疑いを持っています。これに関して、なにか申し開きはありますか?」
前回のミス・ハーマイオニーは私の盗作を疑っていました。
しかし、今回は……相当に真実に迫ってきました。率直に言って、息が止まりそうになりましたね。
盗作ならばまだ影響を受けただのたまたまかぶっただの実話風創作だっただのなんだの言い訳は聞きますが、フリットウィック教授の告発は相当に重い犯罪の話です。ちらと見回すと、何も知らないスタッフでさえも動揺した表情の人間が見受けられました。
ですが、私は話のプロ、ギルデロイ・ロックハート! 演技もバッチリです!
「そんな……フリットウィック教授。あなたのことは今でも尊敬しています……だからこそ、そのような事実無根の疑いをかけられたのは、非常に悲しいことです……」
「自ら認めるつもりはない、ということでしょうか?」
「ええ。もちろん。そのような事実は一切ありません!」
ここはきっぱりと否定するのが大事です。少しでも怪しい態度を取るとそれだけでマイナスですからね。
「よろしい。では一つずつ確認して行きましょう。まずですが、あなたが『トロールとのとろい旅』に書かれているトロールを追い払う呪文。これはあなたオリジナルのもので、かつ術式も独占している……というのは間違いないですな? もしよければ、実演していただけると」
「ええ! もちろんです……ただし、杖の振り方などは広めないでくださいね? これは私が独占している署名呪文の一つなのですから!
トロールもいないこの場で、呪文の効果が発揮するかどうかなどわかるわけがない、と思いつつも。在りし日の彼が唱えていた呪文通りのものを披露します。
それを見たフリットウィック教授は手を叩いて喜びました。
「素晴らしい! よいものを見せてもらいました。現代的な呪文と異なる構造。ノルド魔術の伝統をもとにした術式です。確かに、これを正しく唱えればトロールを追い払う効果が期待できそうです」
「いやはや、呪文学の権威であるフリットウィック教授にお墨付きを頂けるとは。ええ、もちろんですよ! 私がノルウェーの山地で冒険しているとき、何度もこの呪文に命を救われたものです!」
どうやら、それなりにサマにはなっていたようだ。構造がどうだのはわからないが、事実として効力を発揮した呪文をそのまま真似ているのだからプロが見ても効果があるように見えるのは当然だろう。
「では、次です。その経験をするために著書の舞台であるノルウェーに渡航したのは1983年と推測しています。これは間違いないですかね?」
「これは全く恥ずかしい話なのですが……わたしは何度もいろいろなところに渡航していましてね! 正確な記録も取っておらず、また前回お話した通り事務方のミスで魔法省にも記録が残っていないということですから、わたしにもはっきりと断言はできないのですよ!」
既に出入国記録は、トム・リドル氏にお願いし、すべて処分してもらっています。年単位でいついたかさえ証明されなければ、証拠もなにもあったものじゃありません。
私がそのときノルウェーにいた証拠を用意するのは不可能なはずで――
「では、このグリンゴッツ銀行・ノルウェー支店におけるあなたの口座へのアクセスの記録は、あなたのものではないと?」
目が点になる。
グリン……ゴッツ?
そうです。まさに私はあの日の朝の銀行に寄っていました。ああ、しかし、まさか……そんなものが証拠として使われるなんて――いや、忘れていました。教授はハーフゴブリン。なんらかのツテがあったのでしょう。
「えー……あー……それに関しては多少、調べる必要がありそうです。では一旦……」
これは大変にまずい。時間が必要です。一旦仕切り直し、両面鏡を再度使えるようにするため、コマーシャルを入れるべきでしょう。
そう言ってスタッフに合図を出すと、首をブンブンと振り、音声を使わずに私に理由を伝達するために紙を掲げました。
その紙には「本日はコマーシャルなし。スポンサーの発明家・アベリー様から『恩師の話を中断するわけにはいかない。広告枠をすべて番組に使ってくれ』と速達が」と書かれていました。
そんな。ああ……確かにこの番組のメインスポンサーのアベリー様……彼に限らず、起業家にはレイブンクロー生が多いことは認識していました。しかし、それがこんな影響を及ぼすとは……
言い淀んでしまった私に追い打ちをかけるように、フリットウィック教授は私に言葉を促しました。
「念の為申し上げておきますが、ゴブリンは口座への不法なアクセスについて大いに関心を持ちます。虚偽の申し立てはあまり良い結果を招きませんぞ?」
「……ええ。確かに。記憶はやや曖昧ですが、そのタイミングでそこに私がいた可能性は高そうです。しかし、それがなんの証拠になるのでしょうか?」
そう。前回のミス・ハーマイオニーの告発についても、結局の所すべては類推につきます。
いくら私を告発しようと精力的に動いたとしても、事が起きたのは外国のノルウェー。ホグワーツで毎日教鞭をとっているフリットウィック教授がおいそれと調査ができるような距離の場所ではありません。物証がなければ何にも……
ハッとしました。それを引き起こしたのは、このフリットウィック教授が差し入れたクッキーの香り。
このクッキーから漂う甘い匂い。キャラメルのような甘いチーズの匂いは……ブルーノスト。ブラウンチーズとも呼ばれるそれ。
ノルウェー現地で手に入れるしかない、名産品です。
フリットウィック教授は、懐から彼のものではない杖を出しました。証拠品のように……いや、まさしく証拠品であるそれは透明な袋に入れられています。
「私の教え子であり、あなたの後輩でもあるクィリナスはいい仕事をしてくれました。たまたま北欧で研究をしていた彼に連絡をとったところ、オスロの酒場で妙な記憶の失い方をしている魔法使いを見つけてくれたのです。彼は『この杖で唱えるべき呪文があるはずなんだが、肝心のそれを忘れちまった』と話していたそうです」
「ははは……あの『吃音クィレル』ですか」
よく覚えている。
二つ下の後輩であった彼こそがまさに、レイブンクローの悪しき部分の一つと考えていました。派手な成果も一切なく。はっきりいって私は彼を軽んじていました。
「彼は実によい同僚でしたよ。一回り大きくなった彼がホグワーツに戻ってくる日を私は心待ちにしています。トロールを追い払う呪文はあなたオリジナルのものであり、手法を独占しているはずです。にも関わらず、少なくとも数年使われた形跡のない杖の直前呪文でそれが発動すれば……これは大きな証拠になると考えています。よろしいですか?」
「……ええ。どうぞ」
フリットウィック教授は袋からその古びた杖を取り出し、
そこから出た呪文は……もちろん、あの日に彼が使ったトロールを追い払う呪文。
明確な証拠です。
「……彼はよく手放しましたね。いくら呪文を使えないと言え、彼はこれが先祖代々伝わる大事な杖だと話していましたが」
観念し、そう問いかけるとフリットウィック教授は意外そうな顔をして答えました。
「先祖代々……? 確かに古い杖ですが、設計の仕方からしてせいぜい50年程度の量産品でしょう。それに、彼が呪文を使えないとは? クィリナスの話だと、彼は……まあ、あまり手癖の良い人間ではなかったそうで、酔いつぶれかけた隙に財布を狙ってきたそうで……呪いを撃ち合う一悶着があったそうです。結局、『なぜ自分が持っているかもわからない小道具用の杖』を売ることで合意したそうですが」
目が点になる。
つまり……彼は……私が金を持っていることを確認した上で、拠点に招き……呪文が使えないと話すことで油断させて、有り金を奪う強盗……言うなれば詐欺師であったと!
思わず私は笑い始めてしまいました。
未だに番組は収録中。周囲はぎょっとした視線で私を見ますが、構いません。
だってそうでしょう? 私が噓で自らを塗り固め始めたきっかけとなった彼が……私以上の嘘つきだったと言うのですから。これほどの皮肉はあったものではありません。
「スタッフの皆さん、申し訳ありません。収録は中断です。フリットウィック教授。少しばかり身辺整理するお時間をいただけますか?」
「……ええ。もちろんです。あなたが悔い改めることを祈っていますよ」
「ハハハ。今のあなたはまるで教授というより……司祭のようだ。私は人を集めることはできても……あなたのように人を導くことはできませんでしたよ。それでは」
私は席を立ち、ざわめき混乱するスタッフを置いて収録室の扉に手をかけました。
─────
「お疲れさん。見事だったぜ」
憔悴した様子のフィリウスをねぎらってやる。
目的は見事に達成できたが、嬉しそうな様子は微塵もない。
「ありがとうございます、ジェームズ。あまり喜べはしませんがね」
「そりゃそうだろ。闇祓いだって知人の案件は扱わないぜ。自分から教え子のとこに突っ込んでってケリつけるなんて……俺もいざというときやれるかとなると、自信はない」
「おや? ずいぶん弱気ですな。これは来年もグリフィンドールの寮監はミネルバですな」
「……それとこれとは話が別だ」
「そうですかね?」
とぼけた様子のフィリウスではあるが、何も言わずとも足は動いている。
もちろん向かうのは……ギルデロイ・ロックハートのために用意された控室だ。
デカデカと奴の名前が書かれたドアをフィリウスは手の甲で数度叩いた。
返事はない。
元闇祓いの直感。嫌な予感がする。
俺はフィリウスの前に体を滑り入らせ、より激しくノックを加えた。
「ロックハートさん、中にいるかい!? 入りますよ!」
荒っぽい俺の確認にも反応はない。ドアノブに手をかけ、鍵を
中には……誰もいなかった。
「あー……これは自殺とかじゃなく……俺の直感鈍ったなあ……これは……」
部屋の中を見渡すと、乱雑に散らかったその部屋には貴重そうなものも手荷物を入れる鞄も不自然なほどに見当たらなかった。
「これは……逃げたな」
「逃げましたね」
フィリウスと声がハモる。彼は頭を抱えた。
「あの馬鹿者……」
「どうする? 無理にでも追っかけてみるか?」
「……いえ。生放送であれだけ明確に話したのですから、流石にリドル氏も
「まあ、俺も同意見だ」
「スタッフと省にその旨伝えたら私はホグワーツに戻りますよ。ジェームズはどうしますか?」
一緒にホグワーツに戻ってもいいんだが……せっかくロンドンまで来たんだ。数日後に向けての最後の仕上げをしてもいいだろうな。
「俺はこっちで仕事があってな。ちょいとダイアゴン横丁まで行っての残業だ」
投票日一週間前……ダイアゴン横丁での演説会が目前に迫っていた。