セブルス・スネイプはマグルの居住区で育った。
私の父は、はっきり言って粗暴で粗野だった。彼はテレビに映る俳優、歌手、作家、政治家……ほとんど例外なく、彼らをテレビ越しに罵っていた。
だがしかし、彼ですらもそうした下品な口を閉ざす瞬間があった。
王子出産を大々的に報じるテレビを見る父は悪罵を止め、その開いた口の中を罵声の代わりのもので埋めるためかいつもより多めにジンを呷っていた。珍しいことに静かに。幼いながらに、奇妙な様子と思ったものだ。
「ええ。アルバスは旧き友人の一人でしてね。頼みはもちろん聞いてあげたいのですけれど……」
その後、ホグワーツに入学し、魔法界で生きていくことを決意した私が、まさか、テレビ越しではなく直に女王陛下と顔を合わせることになるとは。人生とはわからぬものだ。
ダンブルドア、及び前魔法大臣であるミリセント・バグノールド氏に伴ってマグル界の公邸に招かれた私は、イギリス首相、外務大臣、そして女王陛下……という面々に囲まれていた。
それなりに面の皮が厚いことは自負していたつもりだし、スリザリン寮に入って以来非魔法界の権威というものからは縁遠く生きてきたつもりではあったが……流石に、この雲の上のような重鎮に囲まれると思わず顔が強張りそうになる。
「セブルス。いつにも増して顔が険しくはないかの? そう言えば君はマグル育ちだったの」
「本当にやめてください、校長」
ダンブルドアはこちらの緊張を察して弄ってくる。流石に御前だ。やめてほしい。
彼らと面識があり、かつ反リドル派である(彼の陰謀で大臣職を追い落とされたのだから当然だ)バグノールド氏が頭を下げて、マグル側の首相に挨拶をした。
「お久しぶりです。メージャーさん。私が前に挨拶したときは外務大臣であったあなたが主な窓口になってくださりましたな。遅くなりましたが、首相就任おめでとうございます」
「こちらこそお久しぶりです、バグノールドさん。イギリス政府としても、クラウチ氏への代替わりにあたり対応が強硬化した点に関しては注視してきました。ですが、ウェストミンスター憲章以来、イギリス政府は魔法界への不干渉を伝統としてきています。その伝統を覆すほどの事態なのでしょうか?」
そう。我々は今日……女王陛下からダンブルドア校長への支持を引き出すために訪れたのだ。
私は正直なところその考え自体に面を食らい、なんなら校長のつまらない冗談の一つだとさえ思っていた。
しかし、前魔法大臣で現首相とも顔を合わせた経験のあるバグノールド氏の協力もあって話は進み……いつの間にか私も巻き込まれていた。
「あら、伝統っていっても……
「しかし……国外の選挙に干渉するというのは」
「私の立場としては魔法界も非魔法界も変わらずイギリスであり、イギリス王室はそこに君臨しているという見解なのですけれどもね。ですが、懸念は理解します」
どうやら女王陛下は校長の提案にかなり乗り気のようだが、首相は難色を示しているようだ。
「うむ。であるから……わしとしては応援や支持の表明ではなく、あくまでイギリスの魔法使いに語りかける機会という形でお願いしようと思っとる」
「それは欺瞞でしょう。ダンブルドア氏は現時点では民選議員ではない。当選してから改めて正式に申し入れを行うべきではありませんか?」
「メージャー。今日、護衛についている近衛兵から話を聞く限りでは随分と状況が悪化しているそうですよ」
「それは……確かに情報部を通して聞いていますが」
私はまったく知らなかったが、どうやら伝統的に王室の護衛についているイギリス近衛兵の中には魔法界の人間がいるらしい。
魔法界の現状はしっかりと把握されているようだ。
「ふむ。セブルスはどう思う?」
その合間に……突然ダンブルドア校長は私に振ってきた。
「は……私ですか?」
「うむ。スリザリンの寮監である君にこそ聞きたい。彼はわしの学校の教員でな。寮監の立場で日々魔法使いの子どもたちを見ておる」
その目は真剣で、どうやら私に問を投げかけたのは悪ふざけではないらしい。
少し考えたあと、口を開く。
「私は……ホグワーツに入学するまで、非魔法界で育ちました。スリザリンという寮は純血を掲げており、父が非魔法族である私の立場はあまり良いものではありませんでした。もし……もしですが、女王陛下の目が魔法界にも行き届いていることを知っていれば……非魔法族出身の生徒の心持ちも、あるいはそれ対する周囲の目も……少しは変わるかもしれません」
「目が届いていることを、知るだけでいいのかしら?」
「大人は、子供の心というものを軽視しがちですが……それは将来に渡って大きな影響を及ぼすものです。私も今、寮監という立場で再度実感しております」
そう答えると空気はやや緩んだ。
ダンブルドアがニコニコと笑いながら言葉を継ぐ。
「君が心細い思いをしていたのはわしの手落ちじゃの。しかし、それは改善できるものだと思っておる。魔法界と非魔法界は確かに分かたれているが、そこを行き交うことができるようになることをわしは強く望む」
「ええ。アルバス、その通りでしょう。魔法界と非魔法界の調整という伝統的な立場を、王室は放棄しておりません。『権利の章典』のどこにも書いていないですからね」
そう言って女王陛下はニコリと笑った。
「もちろん、議会の優位の原則を侵すつもりはなく、首相の判断を最大限尊重いたします。しかし、れっきとしたイギリス国民である非魔法族、およびその子孫を公平と正義の観点から保護する意思を表明し、イギリス王の権威が魔法界にも及ぶことを知らしめる良い機会です。ただし、政務でなくアルバスの友人としての立場で出席する。これでいかがでしょうか?」
「……首相としても認めましょう。公式に魔法界を訪れるのは1世紀ぶりでしょうか? 護衛の任務につくであろう連隊長には相当負担をかけるでしょうが」
「ええ。わたくしからもしっかりとお願いしましょう」
こうして。
仏頂面の連隊長とともに女王陛下はダイアゴン横丁を訪れ。(なお、魔法使いの連中の無軌道ぶりをみるたびに近衛連隊長の顔の皺は深くなっていたのがありありと見えた)
いま、広場の壇上で魔法使いたちに語りかけている。
「私達、イギリス王室が魔法界で果たしてきた役割はあまり知られていませんので、軽くお話しします。魔術師マーリンの名は、非魔法界でもよく知られています。イギリスの歴史において、王と魔法使いの関係は切っても切り離せないものでした。これは機密保持法が成立した後も変わりません。ステュアート朝からウィンザー朝に至るまで、機密保持法の例外として魔法使いと非魔法族の調整の役割を担ってきました」
生まれたときから王室の一員であった女王にとって、自分を知らぬ人間も数多くいる場で話すというのはほとんどない機会かと思う。
しかし、そうした場に躊躇する様子はほとんどなく、むしろ陛下のスピーチは彼女のことをほとんど知らないはずの魔法界生まれ魔法界育ちの者でさえも振り向かせていた。
「わたくしが今日ここにきた目的は応援演説ではありません。この場を借りてお伝えしたいのは、特定の人物を支持する方にではありません」
少し観衆がどよめく。
それはそうだろう。ここは応援演説の場だ。意識してのものであろうが、女王陛下は「アルバス・ダンブルドア」の名前さえ出していない。
「私が話をお伝えしたいのは……非魔法界で生まれ育ったあなた。親族に非魔法族がいるあなた。非魔法界で暮らした、あるいは働いた経験のあるあなた。多様な学術的興味を求めて、非魔法界の学術機関への進学を模索しているあなた。よりよい雇用先を求めて、非魔法界での雇用を検討しているあなた。イギリス国民であることを望むすべての人です。私は、あなたがたが魔法界にいようと、非魔法界にいようと……あなたは、あなたが望む限りイギリス国民であり、公平と正義の観点からイギリス国民が受けるべきすべての権利を持つことをお伝えします」
女王陛下に言われるまではもなく、改めてのことではある。
私は非魔法界で生まれ育ったから出生登録簿にはきちんと「セブルス・スネイプ」の名があることを知っているし、当然マグル生まれはほぼ全員がそうなっているはずだ。
しかし……だからといってそれを認識していたかは別だ。
魔法省で仕事をしていた頃、食うに困ったマグル生まれやスクイブが犯罪者にやむにやまれず身を落としたというケースは頻繁に耳にしていた。
彼らは自分たちが
女王陛下は……彼らにそのような選択肢があること、および受け入れる用意があることを明確に伝えたのだ。
「私はイギリス魔法界においてよりよいリーダーがみなさまの支持によって選ばれることを心から喜び、祝福します。そして、どのような結果であっても私はあなたがたのリーダーを尊重し、最大限イギリス女王としての責務を果たす所存です。皆さんの幸運を祈ります」
そう言って女王陛下はスピーチを締めくくると……おそらく今日一番だろう。マグル生まれを中心に、盛大な拍手を浴びせた。
拍手は数十秒続き……そして、満を持してアルバス・ダンブルドアが顔を出した。
「わし、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアは……おっと。長過ぎるミドルネームを自慢しすぎたようじゃな。ここにいる皆様が記憶している通りダンブルドア校長で結構。呼び名としては一番気に入っておる」
そう言って、聴衆の笑いを軽く誘う。
トム・リドルの陣営にいる人間、例えばフリットウィック教授にノックアウトされたロックハートなども巧者ではあろうが……間違いなく、大勢の人間に語りかける能力としてはアルバス・ダンブルドアに一日の長がある。
「わしは、記憶が間違っていなければ1881年に生まれた。わしより髭が長いものは見渡す限りおらんようじゃから、おそらく相当長く生きながらえていると言っていいじゃろう。そんなわしでも、生まれたときには既に魔法界には機密保持法が存在した。あまりにも長いその歴史は、魔法界と非魔法界を分断し、溝を深めてしまった。ホグワーツを卒業したばかりの17歳の人間が非魔法界で暮らすのは相当に難しくなってしまった。わしは、校長の立場でなんとかそれを改善しようと試み、非魔法界の政府に働きかけ、ホグワーツにおける学歴が非魔法界においても一定の価値を持つよう取り計らってもらうなどした。しかし、率直に言って十分とは言いがたい。魔法大臣の立場についたとき、わしが行うつもりなのは魔法界と非魔法界の橋渡しじゃ」
ダンブルドアがそう口にすると……観衆のうち、おそらく魔法界出身の人間が幾人か首を傾げた。
そうだろう。自分たちに利益が見込めない政治家に投票する理由はない。
それを否定するように、ダンブルドアは言葉を続けた。
「これは今、魔法界でなんの問題もなく暮らしている方には一切、悪影響はない。一方で……たとえば、非魔法界の学問を学びたいと考えたい者。これは今後大幅に増えていくと予測しとる。非魔法界の数学理論は現代の数秘術に応用されており、高度な変身術も原子物理学の知識が要求される。事実として、わしの学校の魔法薬学教授は非魔法界で言えば修士レベルの有機化学をマスターしておる」
話しながら校長は私にウインクをした。要らぬことはやめて欲しい。
「こうした魔法界の学問の発展に尽くすために、非魔法界へと足を伸ばそうとする人間をバックアップする制度を作る。特別に例外規定を定め、マグルの教授を招聘する可能性もあるじゃろう」
学問の発展を希求する。レイブンクロー的な発想だ。
「無論、わしが追求するのは学問分野だけではない。たとえば非魔法族と魔法族の結婚。愛とは素晴らしいもので、今ある垣根を越えて夫婦になるものがすでに大勢いる。一方で、結婚式にさえお互いの友人や親族を満足に呼べないという現状は無視できるほど小さい問題ではないと思っておる。現状の事なかれ主義で作られた規則をゆるめ、改定された現代の国際魔法使い機密保持法に沿った形にする」
社会的関係の維持・強化。これはハッフルパフ的な人間の心を打つだろう。
「世の中は移り変わる。わしのような老人はすぐに置いていかれるものじゃ。ここ百年で魔法界にもバスドライバー、ラジオパーソナリティ、ポップミュージシャン、ファッションコーディネーターといった新しい職業が定着したように……今後も新たな職業が現れるじゃろう。魔法界最初のプロレーシングドライバー。ディスクジョッキー。プログラマー。
「助ける」でも「指し示す」でもなく挑戦を妨げない……これはまさしく無謀で自由を求めるグリフィンドール向けの話だ。
「こうした政策は無論、わしの一存だけで叶えられるものではない。非魔法界側とも緊密に連携し、魔法界から非魔法界へ飛び込む人間を支える力が必要じゃ。伝統的に魔法大臣は非魔法界の政府首班と顔を合わせてきたが……これをわしは形式ではなく実質的なものにしたいと考えておる。既に現首相であるメージャー氏などとは会談をし、意向を伝えさせてもらった。もちろん、魔法界と非魔法界の橋渡しにおいて強力な力を持つのは非魔法界の政府だけではない。女王陛下はまさしくその筆頭であろう」
マグルの首相との関係を示唆し、そして女王陛下という圧倒的かつ強力な権威を誇示する。まさしくスリザリン。
「こうした橋渡しは……魔法界全体の発展を助長し、結果的に魔法界出身、生粋の魔法族に対しても良い影響を及ぼすじゃろう。これがわしの掲げる目標であり、今回の選挙で掲げる公約じゃ。投票日は来週。今聞いた話に心惹かれたものは、どうかわし、アルバス・ダンブルドアに一票を投じて欲しい。よろしく頼む」
四寮の人間すべてに訴えかけるような演説であったと感じたのは私だけだっただろうか?
ダンブルドア校長が演説を締め、頭を下げると……聴衆は盛大な拍手で応えた。これは成功だろう。
広場を見渡すとかなりの人数で埋まっていた。トム・リドル側の広場から流れてきた人間も少なくなさそうだ。
トム・リドル側はまだ本命である当人の演説を控えているが、こちらの陣営の選挙運動は実質的にこれにて終了となる。
来週の平日中にホグワーツの終業式を迎え……そして日曜。運命の投票日となる。