魔法省職員の多くを動員して行われた逃走劇だったが、なんとか逃れることはできた。
しかしこれはあくまで緊急避難。根本的な問題の解決や長期的な自由と生命の維持を考え、手を打たねばならない今からが本番と言えるだろう。
……だが、彼らにはそういう気持ちはないらしい。
「おっ、組み分け帽子あるじゃん! かぶっていいですか校長」
「もちろんじゃ。わしもたまにかぶっておる」
程なくしてホグワーツの校長室に「グリフィンドール!」の声が響いた。緊張感ゼロなのかこいつらは。
「先程リリーからふくろう便を受け取った。今、リリーは『忠誠の術』という古い魔法で守られておる」
「お待ちください校長。現時点で私は敵の最大の目標です。捕まってどこまで知っているか、あるいは再び服従の呪文をかけられ利用されるか……そう考えると詳細を私に聞かせるべきではないでしょう」
「おいおいスネイプ。何言ってんだよ、もうそんな水臭いこと言うなよ」
「肩を組むな。やめろ。触れるな」
なぜこいつは馴れ合ってくるのか。吐き気がする。
学生時代こいつらは何をしたか忘れたのか? 一度は狼人間に殺されかけたというのに。
「その懸念はもっともじゃが……残念ながらこの『忠誠の術』はわしとリリーが昨年共同論文として古魔法研究フォーラムで発表したものじゃ。リリーの家に向かえばはっきりと何かが起きていることがわかる仕組みである以上、公開されているこの魔法にたどり着くのはすぐじゃろう」
「あー。息子のハリーが生まれた頃から研究してたやつか、うちの屋敷の奥から出てきた蔵書のやつ。詳細は知らないんだが、どういう効果なんだ」
「うむ……たとえば今ジェームズがゴドリックの谷に帰っても自宅を見つけることはできず、ホームレスとなる」
「ちょっと待ってくれ」
「ほう。お似合いだな」
ダンブルドア校長の語るところによると、『忠誠の術』は秘密の守人を一人決め、その人間が秘密を明かさない限りはその場所に干渉することができないという術だそうだ。
もちろん、その秘密の守人を務めているのはダンブルドア校長だ。
そして、ダンブルドア校長からその秘密を知らされることで、秘密の守人以外の人間も出入りできるようになるらしい。ポッターがホームレスにならないのが残念でならない。
「おう。じゃあスネイプにも教えとけよ。今度うちで飲もうぜ」
「飲み友達に秘密を明かすな! そして貴様の誘いなどなぜ受けると思った!?」
「だってほら、あれだろ? 許されざる呪文を使う悪い奴らに立ち向かう正義感で俺を守るために服従の呪文を破ったんだろ? マジ尊敬する」
「断じて違う!!」
あのままなんとか服従の呪文にかこつけてこいつを殺しておけばよかった、と頭をよぎる。
……いや、わざわざルシウスを使って間接的に服従させるなど捨て駒の扱い方だろう。仮に暴発してもリドル派が助けてくれる見込みはない。切り捨てられて終わる。
つまり正解は「学生時代のうちにこいつを殺しておく」だ。悔いても仕方がない。
「君たちの和解を心より歓迎するわしとしても、秘密を広く明かすのは今のところオススメせんのう。申し訳ないが君の家族以外には当面明かすべきではないじゃろう」
「まあ仕方ないか。とはいえ今後身の振り方どうするかねえ。魔法省に戻るのはちとしんどいだろうし」
「お前は海外にでも逃げればいい。しかし校長、私はこのイギリス魔法界でまだやらねばならぬことがあるのです。重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、なにか踏みとどまる手はありませんか」
「君の言うやらねばならぬこと、というのがルシウスを指しているならわしにも責任がある。わしは……彼の父、アブラクサス・マルフォイがトムの服従下にあったことに薄々気付いておった」
「なんだそりゃ。初耳だな」
「口にしたことはないからの。証言も証拠もない話じゃった」
しかし残念なことに本日、証言者があらわれてしまったがのとダンブルドア校長は呟く。無論私のことを指している。
「許されざる呪文が魔法世界で禁止されたのは1717年。しかし、禁止されたと言っても地域によって扱いには濃淡があっての。グレートブリテンに関しては、比較的法や権威の整備が早かったが、ヨーロッパだけに限ってみてもそうでない地域は少なくはなかった」
魔法史の教授ではないから細かな部分は割愛しとるがの、と呟きながらダンブルドア校長は話を続ける。
「19世紀に至ってもイタリアのコーサ・ノストラやロシアの"善なる犯罪者"はこの許されざる呪文を禁止される以前よりもむしろ洗練された形で運用を確立しておった。その確立された手法の一つが……
「ああ……確かに、『
「アラスターなら知っておるじゃろうな。服従の呪文はそうした裏社会の人間にとって極めて魅力的な一方で、政治家や豪商、貴族といった表の顔を持つ人間にとっては露見したときのリスクが極めて高いものでもある。闇の魔法が不慣れな者でも服従の呪文を扱うことはそれほど難しくはないが、そのまま生かしておけば遅くとも数日後には服従の呪文は解け、許されざる呪文を行使されたと告発を受けるじゃろう。そうしたリスクを最小限にするための手法が
老人はすぐ話が長くなるの、とダンブルドア校長は述べて指を鳴らすと我々の前に紅茶が注がれたカップが現れた。
「服従下に置く人間の条件はふたつ。ひとつは高い頻度で顔を合わせても不自然でない者。つまり、服従の呪文が解けないよう毎日のように呪い続けられる社会的立場にある者じゃ。トムにとって非常に強いつながりがあると社会的に認知されているマルフォイ家の人間は、はっきりとこの条件を満たしているじゃろう。そしてもうひとつは……セブルス。君は在学中から呪文学と数秘術の成績は大変良好であった。君が作る新しい呪いは、当時のスリザリンではよく知られておったの?」
「あまり口に出して誇るような類のものではありませんでしたがね。今も昔も」
「確かにあの中には闇の魔術に分類されるようなものも混じっておったが……別に隠し立てする話でもない。重要なのはそれがわしの耳にも入っているぐらい、君に闇の魔術の才能があるということがよく知られていることじゃ」
並々と注いだティーカップの紅茶を、ダンブルドア校長はゆっくりと口に運び、話を続けた。
「つまり、セブルスの闇の呪文の適性はほとんど周知されておる。同じように、血統を鑑みればマルフォイ家の跡継ぎであるルシウスもまた、狙いとして申し分ないじゃろう。『
しかし、今の話には疑問がまだ残っている。
「私やルシウスが狙われた理由の一端については理解できました。しかし、ルシウスの父が服従下にあったという疑惑はどこからきたのでしょうか?」
「わしがそれを疑い始めたのは……2つの出来事からじゃ。君らはトムの出自をご存知かの?」
「ああ、なんとなく聞いたことがあるな。伝統あるゴーント家の後継者の純血だが、名前を隠して駆け落ちしマグルとして隠れて暮らしていた両親に敬意を払って、その頃に称していた姓である"リドル"を今も名乗っているとか。泣かせる話なのにこんな悪いやつに育っちまってなあ」
「うむ。ジェームズのようなものから同情を誘うためのフィクションなんじゃ、それは」
ポッターはアホ丸出しで口を開けて驚いている。
自分も今の話に驚いてはいるが、少なくともあのように見えないよう振る舞えているので奴とは違う。
「そして、出自は少し怪しいながらも純血であることで血を重んじる伝統的な魔法使いや魔女からも支持を受けるのを狙う……まさに政治家として作り上げたバックストーリーのようですな」
「その通り。しかし、この手の話は実のところそう珍しくはない。特にスリザリン出身者にはよく見られる話じゃ。そうした過去を作り上げるには背後に力ある家の助力が必要で、トムはその協力相手としてマルフォイ家を選んだようじゃった」
自分も在学中にそれなりに噂を聞いたものだ。
あの卒業した先輩は純血を名乗っているけれど実は半純血だのなんだの。
「しかし、そのような手は大きな代償を伴います……協力相手というのは体のいい言い方で実際はよくて手下。悪ければ死ぬまで使い潰されます」
「左様。一方的に弱みを握られるのは間違いなく、またその助力には金銭面などの前払いも必要じゃ。そういった策謀に手を染める家は、その選択をした人間から搾り取る術にも長けている。マルフォイ家はまさにその代表といえよう。しかしトムはマルフォイ家をむしろ利用している側で、利用されているようには見えなかった。そもそも孤児の彼が前払い金をどこから工面したのか不明じゃった」
そして、先ほどセブルスの話を聞いて確信した。と校長は述べた。
ここに来て取り急ぎいまの状況、そして昨日のルシウスとリドル邸に訪れた様子を話した。
「セブルスの話じゃと、アブラクサスは
「しかし、生命の水を掠め取られたならば話は違う。それに気付いたリドル閣下はずいぶん焦ったでしょうな」
私の見立てに、ダンブルドア校長は頷いた。
「うむ。わしの見立てでは君への手紙を書いた時点ではルシウスは正気であった可能性が高い。法執行本部の君からのサポートをもとにヴィゼンガモット法廷に駆け込めばかなりの勝算が見込めると判断したのじゃろう」
「しかし、それは阻まれた」
「うむ。遣る瀬のないことじゃ。そしてわしとしてはトムへの因縁をもう一つ知ってしまった。ニコラスとペレネルの仇」
「ニコラス……ニコラス・フラメルのことですか」
ニコラス・フラメルといえば、今はリドルが持つ賢者の石の発明者で知られる。
「わしの友人じゃった。長らくフランスに住んでいたのじゃが、10年ほど前にホグワーツの錬金術の臨時講師としてイギリスに招聘した。彼らの名前はイギリス魔法界でももちろんよく知られているから、これを機に話を聞きたいとセミナーやフォーラムの依頼が届いておった。その一つがトムからのものじゃった」
未だに残ってるんじゃよ、と便箋を取り出した。差出人の名前には確かにトム・リドルの名前があった。
「丁重にフラメル夫妻にお会いしたいという旨が書かれていた。わしとしては疑念は確かにあったものの、フラメル夫妻は賢人。もしトムが邪悪な意図を持って錬金術を学ぼうとしているのならばそれを見抜くことはできるだろう……そう思って手筈を整えたのじゃ。わしは大きく見誤ってしまった」
「というと?」
「数日後には、夫妻は音信不通になってしまった。法執行部にも訴えたが年老いた魔法使いによくある奇行だと取り合ってもらえずの。となると主席魔法戦士としての権限を行使するしかない……そう思って彼らの家にわし自ら向かうと、邪悪な魔法の痕跡がかすかに残っており、賢者の石は失われていた。これをもって強盗として訴えそのものは成立したものの、捜査の進展はなかった」
「今から思えば、殺した当人が手を回したんでしょうな」
「うむ。不老不死とはいえ生命の水がなくなればその効果は切れる。効果が切れるまで拘束され殺されたのじゃろう」
むごいことじゃ、と呟くダンブルドアの声には未だになお悔いている響きがあった。
それがわかるのは……今、まさに私も悔いているからだろう。
私が迂闊なことを話したから私が狙われたのか?
彼の逆鱗に触れるようなことを言ったから狙われたのか?
ルシウスが生命の水を盗み出したことを知っているものすべてを消そうとしたのか?
答えはわからない。だが、悔いるよりも優先度の高いことが目の前にある。
「奴は賢者の石を使えばいくらでも校長の死を待てると言い放っていましたよ」
「そこじゃよなあ。実際その部分はわしのはっきりとした弱みじゃ。老いて弱りきる前に魔法省に乗り込んで首級を挙げる……なんてことはできんしの。良くも悪くも受動的なスタイルを強いられておる。そうしてるうちにもなにやかにや理由をつけられてホグワーツの予算や設備も、校長としての権限も削られていく……世知辛いことじゃ」
「なあ、ホグワーツの設備と言えば……確か『憂いの篩』がここにも一つあったろ? スネイプの記憶を取り出して、それをもとに訴えるとかできないのか?」
「それを口に出すのは少し酷なことじゃが……」
「校長、気を遣う必要はありません。まさに私の落ち度ですから」
「……このような事態が起きることはそうそう想定できるものではあるまい。少なくとも現状の『法廷証言法』からこのような意図を読み取るのは不可能じゃ」
そう。「『憂いの篩』『真実薬』『記憶再現ボガート』を利用した証拠は、魔法法執行部の専門の職員が携わらない限り証拠能力を認めない」という条文が記されている『法廷証言法』には、まさに私の署名が入っているのだから。
明確な証拠さえあればヴィゼンガモット法廷に持ち込み訴えを起こすこともできるだろうが、証拠のない段階で訴えを起こすのは現在のヴィゼンガモット法廷の仕組み上不可能になっている。
「とはいえ、それはある種の抑止にはなる。君らを当事者とする訴訟があればその記憶を証拠として精査することを迫ることが出来る。わしの監督下なら流石にあまり露骨なことはできんじゃろうし、仮にその記憶を専門の職員が採ることを法廷で明確に拒否させれば疑いは公衆に広がるじゃろう」
「うん? ちょっと待ってくれ……どういうことだ」
「阿呆め。我々をでっち上げた罪で起訴するのは向こうとしても避けてくるという話だ」
向こうとしては少なくとも合法的な手段で我々を即座に追い詰めることはできないはずだ。
もっとも、非合法な手段に一切の躊躇いがないのは本日よくわかった。油断は一切できない。
「さて、ここで本題じゃが……魔法省に戻れぬお二人に職の斡旋をしたいのじゃがいかがかな? 給料は官僚のものと比べれば雀の涙かもしれんが」
「大丈夫です! 闇祓いの若手なんてもともと大して給料高くないんで! いやあ、年々こっちも手当がいろいろ削られていって苦しいのなんの」
「うむ……ではリリーに給料を伝える役目はジェームズに任せるとしよう。わしは嫌じゃ」
「ちょっと待って下さい、そんな安いんですか」
ポッターは少し考えこんでいるようだが、私としては選択肢はほとんどない。もとより金銭欲はあまりない質だ。
「…………ポストとしては来年度には闇の魔術の防衛術と魔法薬学が空くじゃろう。ホラスはもともと引退を望んでいたし、このようなことになるとわしとしても少し不安が残る」
「というと?」
「トムはホラスにとってお気に入りの生徒であった。スリザリン出身者で、魔法省官僚として部長まで上り詰めた彼が接触した場合喜んで応じ……間違いなく利用されるじゃろう。ホラスも賢明な男じゃが、場合によっては服従の呪文すら辞さないこともわかった以上やはり大きなリスクじゃ。そして、闇の魔術の防衛術じゃが……これは現状、既に空いておる。数ヶ月前に前任者をクビにしての。ダングは性根は良い男なんじゃが、残りの部分はあまりよろしくなくての」
「ダング……もしや、マンダンガス・フレッチャーですか? 彼を雇うとは盗人に金庫の鍵を渡すようなものですな」
「多少覚悟はしていたが、目を瞑れる範囲を超えてのう。というか、セブルスは面識があるのじゃな」
「魔法警察局にいたときに多少」
「うむ……実に納得できる出会いの場じゃな……」
ロングボトム室長の下にいたときに奴と相まみえ……まあ、少しは助けになったが……ともかくひたすら騒がしく迷惑な男だった。
「残りの数カ月は他の教授、主にクィリナスにお願いしてなんとか回して……なんならわしも講師として出ておった。闇の魔術の防衛術を教えられるような人間は就職先にもことかかんからの。今のホグワーツの安い給料ではなかなか見つからなくてのう……」
「なるほど。ではそのポスト、お受けしましょう」
「ちょっと待てよ! どう考えてもお前が魔法薬学だろ!」
官僚の仕事は嫌いではなかった。
名誉欲はないが、コツコツと実績を積みあげ出世していくのは達成感はあった。
しかし、ホグワーツの仕事も悪くはないだろう。少なくとも終わらない深夜残業とも口うるさい上司ともおさらばだ。