「みなさまは2年間、よき教師のもとで魔法薬を学び……フグの目玉をすりつぶす方法やベニバナセンブリを刻む方法、そしてそれを鍋に放り込み、煮立たせる手段を学びました。しかし、それはレシピ通りに平易な魔法薬の調合ができるようになっただけであり、決して深遠なる学問である魔法薬学を修得したわけではありません」
ホグワーツが始まり、スネイプ先生が不在のあいだ臨時でつとめることになった講師の声に僕、ハリー・ポッターは耳を傾けていた。
すでに手順は黒板に示されており、僕たちはおっかなびっくりで作業を進めている。そんな中、講師の女性は話を続けていた。
「学問としての魔法薬学を理解するには、一部の天才を除けば度重なる経験が必要です。で、あるからこそ。よき教育を受けているスリザリン出身の純血の魔法使いに魔法薬学を得意とするものが多いのは必然……そう。このドラコ・マルフォイのように」
そう言って彼女はドラコのテーブルにあった紫色のポーションを手に取り、高々と掲げた。
「魔法薬学における成功は呪文学や変身術のように派手な結果をもたらしません。熟達者の調合は傍から見れば容易に見えますが、過失なく成功させるのは考えるほど簡単なものではありません。堅実な調合を称えてスリザリンに10点」
どんな生徒も寮点をもらえたときは喜ぶものだけど、そのときのドラコに限っては顔を赤らめて下を向いたまま黙ったままだった。
「さあ、なにをボサッとしているのです? 他の皆様も彼を見習って調合を手早く完成させなさい。このポーションは極めて重要なものです。あなたがたがまともな社会性を持ち合わせているならば覚えておいて損はないでしょう。特に、将来的に魔法世界で家庭を持つことが期待されている純血名家出身の人間であればなおさら」
講師のご婦人はそう述べた。
うん。まあ確かに僕もママが調合していた記憶をうっすら覚えているけれど……
「間違いなくこのポーションはイギリス魔法界の、育児に励む家庭全てで使われているものです。かくいうマルフォイ家でももちろんしっかりと私が手ずから調合した『芽キャベツ苦味解消ポーション』を屋敷しもべ妖精に授け、苦労せさせながらもドラコに服用させ……」
あ。ついにドラコが机に突っ伏した。
いつもなら茶々を入れに行くであろうロンでさえも流石に気の毒なのか遠巻きに眺めている。
理由は簡単だ。今日の魔法薬学の臨時講師はナルシッサ・マルフォイさん。ドラコのお母さんだ。
「ハリー……君は普段あんな気持ちで
「いや、さすがにもうある程度は慣れたけどね……」
授業が終わり、図書館でうなだれているドラコを僕が慰めている。正直なところ、ママが授業をやって僕の子供の頃の野菜嫌いをみんなの前で発表するなんてことがあれば間違いなく相当に厳しいダメージを受ける。パパはまあその辺、ある種のママに叱られてきた過去を持つ同盟軍として踏み込んでこないラインはあるからね……
「まあでも、マルフォイはさておいてもちょっと不慣れな感じはあったね。殊更に純血名家だのなんだのを強調するのも僕的にはいただけないかな」
ロンが口を挟んでくる。さすがに直接ドラコを笑ったりはしないけれど内心思うところはある感じだ。僕としてはイギリスの魔法界の上流階級、貴族を名乗る人たちなんて「労働? そんな浅ましい真似するものではありません」みたいに言い放つイメージを持ってたのでむしろ意外と卒なくこなすものだなと思うぐらいだったんだけど。
あ、ロンといえばパパからこんな話を聞いてたな。
「そういえばパパから聞いた話だけど、魔法薬学臨時講師の候補にはロンのお母さんも挙がってたらしいよ」
「……いやー! 最高の魔法薬学の授業だったね、わかりやすかったし! ぜひともスネイプ先生が帰ってくるまで続けてほしいね!」
「殊勝にしていたと思えばウィーズリー! あっさりそれか!」
「情けはかけるけど、舟板が一枚しかないなら僕はマルフォイを突き落とすことに抵抗はないね」
「あら? ドラコかしら?」
後ろから声をかけられる。
現れたのは……噂をすればまね妖怪。ドラコのお母さんだ。
「は、母上……」
「さすがドラコ、授業が終わっても図書館で勉強とは大変関心ね。ふむ、赤毛の……もしや血を裏切る者かしら? ドラコ。お友達はしっかりと選びなさい」
うわー。
流石これが本物の貴族か、歴史小説でよく見る感じの台詞だなあ。とかぼんやりとズレたことを僕が思っていた一方で……ロンは顔を真っ赤にして、今まさに飛びかかりかねないような怒りを見せていた。うん。あっちのほうが正しい反応な気もする。
「母上」
「なあに? ドラコ」
「お言葉ですがホグワーツで2年間過ごし、僕も成長しました。友人は僕自身が決めるものです」
「……まあ!」
ドラコは語気を強くしてそう言い放っているけど、同じ机で横についている僕からすると手が震えているのがわかる。
今までの付き合いでドラコがご家族を敬愛していることはよく知っていて、かつお母さんに関しても優しい方だと話していたからこのように反抗するのは彼としても相当に勇気を振り絞る必要があったのだろう。
「その上で彼はウィーズリー家や血など関係なく……品性が下劣で知性も劣り、趣味も下品なため付き合うべきでないというのはわかります。そもそも、この場にたまたま居合わせただけで彼とは友達ではありません」
「まあ。それならいいのよ」
「おいマルフォイ! 誰の趣味が下品だって!」
「13歳だというのに喜んで蛙チョコレートのカードを集めている君がだが?」
「なっ! べ、別にいいだろ!」
いつもの調子を取り戻して、ドラコとロンがいがみ合い始めた。
このまま放っておくと僕ら全員マダム・ピンスに激怒され一週間ほど出禁にされそうなので、ここはこの場を誤魔化すことにする。
「あっ! そういえばもうこんな時間だ、クィディッチの練習に行かないと!」
そう言いながらロンとドラコの手を引いて立ち上がる。
……声の調子もずいぶんと上ずっているし、さすがにいくらなんでも嘘が露骨かも……と思ったけれどマルフォイのお母さんには看破されなかったようだ。
「あなたは……ポッター家ね。まあ、今ホグワーツにはそもそも名家の生徒がほとんどいませんから学生のうちの付き合いとしてはギリギリ許容範囲としておきましょう。ええ、クィディッチですね。頑張ってくるのですよ、ドラコ。ああ、まさか私とルシウスの子に箒の才能があるなんて……ルシウスと来たら、箒で飛ぶよりも箒とダンスするほうが得意で……」
「なあハリー。このまま黙ってたらマルフォイ家の恥ずかしい話がいくらでも手に入るんじゃないか?」
「ウィーズリー、そういうなら僕にも考えがある……君の兄が魔法生物飼育学の講師になったことを忘れたのか?」
「うええっ! そうだった、チャーリー兄さんなら……い、いや。なんでもないよ。チャーリーとは疎遠だったからね。僕のことなんてなーんにも知らないはずさ」
「いくらなんでも無理があるでしょ……」
さすがにそう言い訳した手前、ニコニコと僕たちを見送るマルフォイのお母さんの前で無関係の方向には行きづらい。
特に用事はないけど、クィディッチ競技場のほうへ僕ら3人は歩を進めた。
こうやって明確な用もなく歩いていると、昨年のホグワーツと比べて今のホグワーツが閑散としているのが感じ取れる。
ドラコが寮に戻らずに僕らと一緒に図書館にいたのも、今のスリザリン寮はガラガラで戻ってもやることがないというのが一つだ。ダフネさんと会えないと知った僕はすごいショックを受けて、正直なところ未だに立ち直れていない。ホグワーツで彼女を見送った後にダンブルドア校長が殺されたり色々あって、ダフネさんの誕生日に遊びに行くって話も結局流れちゃったしね……
人が減ったのはスリザリンだけではない。
現状のホグワーツはかなり微妙な立ち位置で、国際的な承認を明確に得られていない。僕たちからするとトム・リドルが不当に魔法大臣の座を奪ったとしか言えないわけだけど、海外からすると英国魔法政府に認められていない学校という立場のわけだ。
もちろん、ホグワーツは歴史ある著名な学校だからそこの卒業者が不当に扱われるということはしばらくはなさそうだけれど、将来的には国際的な学位として認められなくなる、と危惧してる人も少なくないらしい。
それを恐れたのは知恵の寮。レイブンクローだ。スリザリンに次ぐ形でごっそりと人が離れてしまった。ロンドンの新しくできた学校のほうに行った人もいれば、ヨーロッパ諸国の学校を選んだ人、ホームスクーリングを選んだ人、と行き先は様々だけれども。まあ、ホグワーツも籍自体は残してるみたいだけどね。
「まあ、ホグワーツもだいぶ寂しくなったよね。シェーマスもいなくなっちゃったしさあ」
そもそも、ロンドン周辺に住んでる人にとってはホグワーツまで訪れる手段を持ち合わせていない人も少なくない。
決められた日時に、ロンドンのど真ん中に列車を送るのを見逃してはくれないだろうという判断のもとキングスクロスへのホグワーツ特急は停止。
向こうに密かに移動してサポートしている人(マンダンガス・フレッチャーさんとか)もいるみたいだけど手は全く回っていない。成人していない魔法使いを大量輸送する手段なんて、ホグワーツ特急に代わる規模のものはそうそうないからね。
生徒が欠けてしまったのはグリフィンドールも例外ではなく、同級生のシェーマス・フィネガンは授業が始まった今もホグワーツに来ていない。彼と親しいディーンから聞いた話では、親御さんはホグワーツに息子一人を送るリスクを避け、アイルランドの実家でホームスクールのような形態で学んでるみたい。
「スリザリン寮ほどじゃないだろう」
「そう、そこなんだよ。いたら嬉しいわけじゃないけど、連中がいないと張り合いがないのも事実なんだよね。クィディッチの寮対抗杯も、チェスクラブのトーナメントも今年は休止になりそうだし」
「仕方ないだろう。生徒の人数に偏りがありすぎる」
「いいじゃん。たまにはそんな年があっても。グリフィンドール圧勝、あらゆる部門総ナメみたいな。あーあ、僕らの力でなんとかできないもんかなあ。ハーマイオニーもうるさくてさ」
「グレンジャーがどうした?」
「なんとかして少しでもトム・リドルに抵抗してみせるとかなんとか。必要なら地下組織でもなんでも作ってやるわ、まずは国際社会の目を集めてみせるわ! って」
そんな中、親を説き伏せフランス経由でマグルが使う飛行機という乗り物でスコットランドのエディンバラに飛び、ホグズミードまで徒歩で来たハーマイオニーはかなり気合が入っている。
とはいえ、さすがに周囲の人間は彼女のように闘志むき出しで突っ走ってはいない。
「流石に現実的ではなさすぎる。大人たちが必死でやってる中で僕たちにしかできないことなどそうないだろう」
「そりゃそうなんだけどさあ……」
ドラコがそう諭すとさすがにロンも渋々ではあるが同意してみせた。
「大人と比べて僕ら生徒になにか優位があるか? ないだろう。国際社会の衆目を集めるといえど、そんな簡単な話ではない」
「あーあ。敵がアンブリッジだとかロックハートのうちはまだやりようがあったんだけどなあ。あ、そういや覚えてる? アンブリッジに君がさらわれたのを僕が助けにいったんだよね! いやー、君の情けなさときたら……」
「黙れ、ウィーズリー」
ロンとドラコがいつもの様子に戻ったのを眺めながら、僕も頷く。
パパはまあアレだけどなんやかんやいって色々やれることは僕よりも遥かに多い。13歳が社会と戦う術なんて早々……
「おお! ハリーにロン! 練習に来るとは熱心だな! お前の兄貴の双子どもなんか捕まりやしない」
「わ、ウッド。どうしたの?」
行くアテもないままとっさについた誤魔化しに従いクィディッチ競技場のほうへ歩いていたところ、すでにそこには先客がいた。
グリフィンドール寮のクィディッチチームキャプテン、オリバー・ウッドだ。
「どうしたもこうしたもない、もちろんクィディッチの練習だ。通例なら試合まであと2ヶ月を切ってる、休み暇なんてないぞ!」
「ええ……? 今年の寮対抗杯はなくなると思うけど……」
「そこにいるのはスリザリンのシーカーだな? ちょいと失礼……いいかハリー。これは奴らの陰謀だ」
「陰謀?」
僕らの横にスリザリン生のドラコがいるのを見て、僕らを少し引っ張って距離をとり、ウッドはひそひそ声で話し始めた。
「そう……やつらは寮対抗杯がない、という噂を流して俺たちの油断を誘ってる。その噂を信じて練習を俺たちがサボれば、突然あらわれたスリザリンチームに太刀打ちができなくなる、だろ?」
「だろ? って。流石に向こうもそんな大掛かりなことは……」
「いや! 7年間やつらを見てきた俺にはわかる。姑息なスリザリンの奴らが使いそうな手だ」
「おい。全部聞こえているからな」
ドラコがボソリと呟くとウッドは露骨に睨みつけた。
大人げないなあ。
「ともかく。それに立ち向かうためには練習、練習、練習あるのみ! 頼むハリー、俺の卒業の年を花道で飾るために協力してくれ! もちろんハリーだけじゃない、ロン、君もだ! 卒業までに来年の正キーパーを育てて去らねばグリフィンドール寮に顔向けができん!」
「うええー……」
ウッドのしごきのキツさをよく知っているロンと目が合い、お互いに頷く。
クィディッチは好きだけど、さすがに張り合う相手もいない状態で休みをほとんど潰して激しい練習する気にはなれない。ここはロンと共同戦線を張って、なんとしてもウッドの企みをせめて軟着陸させないと!
そう思った僕はまずウッドの考えの穴を突くことにした。
「っていってもウッド、練習相手もまともに揃わないような状態じゃない?」
「そこは俺に考えがある。実はな、すでにユースで契約してたパドルミア・ユナイテッドと卒業後、プロ契約をする予定でな。その代わりというわけじゃないが、契約までに試合勘とかが鈍らないようにスカウトの方を通してスコットランドの地元のチームとか、プロの2軍とかと練習試合を組んでもらう予定なんだ」
「え! ウッド、パドルミア・ユナイテッド入るの!? じゃあ……モーゼス・ボイドの直筆サインとか貰ってこれたりする?」
「任せろ!」
「よし! 練習試合でもなんでも任せてよ!」
「ハリー、裏切るの早すぎるよ……」
ごめん、ロン。僕の贔屓のチームのエースで、プレイする上でも一番参考にしてる名シーカー、モーゼス・ボイドの直筆サインとなれば流石に買収に応じちゃうよね。
僕の様子を見たロンはがっくりとうなだれている。一方でドラコは顎に手を当ててなにか思案しているようだ。なにか思いついた様子みたいだけど、どうしたんだろう?
「ロンも諦めて手伝ってよ。ウッドがいる間はバックアップだろうからそんなキツくないだろうし」
「いや……だってビーターのジョージとフレッドが逃げ回ってる状態だろ? となるとチェイサーのアンジェリーナも捕まらないだろうし。ケイティは巻き込めるかもしんないけどアリシアはホグワーツに来てないみたいだし……ってことは、絶対僕も別のポジションやらされるでしょ、このままだと!」
「ちっ、気付いちゃったか」
「この層の薄さでグリフィンドールチーム組むのは無理があるよ!」
「……いや。開き直ってその層を厚くするのも悪くないかも知れない」
「ドラコ?」
なにか考えていた様子のドラコが突然、口を挟んだ。層を厚くするってどういうことだろう。
「先ほどウィーズリーに『大人と比べて僕ら生徒になにか優位があるか』と言って否定したが……僕たちには確かに武器があった。30歳の大人はいくら箒がうまくてもユース契約は結べない」
「そりゃそうだけど……?」
「スポーツの世界は国際的で、かつ商業的だ。利に聡いスカウトは間違いなく若い才能を欲してる。もし、ホグワーツにクィディッチのプロ選手の資質がある原石が転がってると示せば、自ずと国際社会の目が向くというわけだ」
なるほど。ドラコが言いたいことはわかった。
「つまり……ホグワーツ選抜チームで地元のアマチュア、セミプロ、あるいはプロの2軍チームを叩き潰し続けろ……ってわけだね?」
「そういうことだ」
「いいね。ハーマイオニーは喜んで手伝いそう。そうなると選手も埋まるから僕も裏方で済むだろうし」
「……待て! グリフィンドールチームの練習試合だぞ! 勝手に話を捻じ曲げるな! これだからスリザリンは!」
ウッドは未だにグリフィンドールチームの栄光にこだわっているようだけど、そこは折れてもらうしかない。たぶん、なんとかなるだろう。
なにせ、ホグワーツにはグリフィンドール関係者に限らず、クィディッチ狂がいっぱいいる。寮対抗杯の代わりのイベントとしては申し分ない。諸手をあげてウッドに錯乱呪文を……説得してくれるはずだ!