「いくらここがアズカバンから一番近い陸地の一つだからって……俺らがいてどうにかできることあるか?」
「黙ってろ。俺らは上の指示通り海を眺めてりゃいい」
北海に注ぐ河口の脇、使った形跡がほとんどない監視小屋に、急遽俺たち二人が監視員として呼び出され、詰めるハメになった。
できることはなにもない。なにを警戒してるかもわからねえ。
凶悪脱獄犯が杖もなしにずぶ濡れのまま泳いできたならば、たしかに俺たち二人でもどうにかできるだろう。そんなことがありえるかどうか別にして。
「通り掛かる人間がいたら誰何しろとのことだ。あと、
「
「そういう指示なんだから仕方がねえだろ。ほら、おとなしく見張って……」
グランピアン山脈から北海に注ぐ河、その上流からなにか音が聞こえる。
人の声だろうか? いや、しかし、上流のほうまで見張れなんて指示はなにも聞いていない。俺の仕事では――
「わはは! 川下りだ! この手の小さな川沿いにはだいたいグローワームがいてな……」
「じゅ、十人は収まる船体がこの小川を下れるというのも不思議ですな、バチルダ」
「この船にかけられた魔法の一つだ。川を移動経路として使えるかどうかで内陸部への移動は全く違うからね」
数人の男女(明らかに魔法使い)が、バイキング船に乗って川を下り、勢いよく海へと出ていった。
「あー……報告すべきだろうか、これは」
「ああ。もちろん。ボーっと見過ごした俺らのまぬけ具合と一緒にな」
―――
普段敵対関係の二人が同じ船に乗っている……ああ、こんな状況を現す言葉があればよいのですが!
私、クィリナス・クィレルは船の上でロングボトム夫人とマルフォイ夫人に挟まれ、オロオロとしておりました。
「へえ。木製のオンボロの船に見えたけど、なかなか便利ねこれは。ナビゲートもしてくれるんでしょ?」
「伝統あると言うべきでしょう。古い魔法具への敬意を欠いてはいけません。ロングボトム家も伝統ある家のはずだというのに、そこに嫁いだ人間がこのような認識とは……」
「うへえ。あなた、私のひとつ下なのにうちの姑みたいなこと言うのね」
「なっ!?」
スリザリン出身であり、マルフォイ家に嫁いだのはこれまた高い家格を誇るブラック家の出のナルシッサ・マルフォイ。
一方、グリフィンドール出身であり、ロングボトム家に嫁いだのは庶民的なクーパー家の出であるアリス・ロングボトム。
いま、配偶者をアズカバンから救出するという目的を同じくして船に乗り込んでいるものの、間違いなく水と油でしょう。
「お、落ち着いてください二人とも……ほら、バチルダもなにか言って」
「あ? 知らないよ。好きにやらせときな」
「それよりクィリナス、見ろ! 水平線のところにきらめく光の反射が見える……あれはまさしく、北海の魔法族の領域にしか棲息していない銀龍ではないか!?」
どうにか仲裁を試みようとしますが、私では明らかに力不足。
ですが、私の師匠もシルバヌスも一切協力してはくれはしません。胃が痛くなりそうです……
ひとまず話題の転換を試みてみます。
「そ、そういえばバチルダ。この船は先ほどロングボトム夫人がおっしゃった通り、目的地まで自動でたどり着く能力もあるのですね。もしや、アズカバン島の位置を割り出す必要もなかったのでは?」
「馬鹿を言うんじゃないよ。そりゃ、この船はたどり着くだろうさ……しかしね、荒天も珍しくない北海の、それも魔法族の領域を丸一日でも航海してみな。連中を助けに行くために来たはずが、着く頃にはわたしらのほうが要救助者だよ」
「ああ、なるほど。それで大雑把でも最短距離で行きたかったのですね。実に驚きましたが、ということはそれほど航海は長くなるわけではないのでしょう。マルフォイ夫人も、ロングボトム夫人も今は一旦矛を納め……」
「前から思ってたけどね、あんたの旦那の陰険さどうにかなんないの? 在学時もよくフランクが罠にかけられてて……」
「なにを言いますか! 名家を背負っているにも関わらず気弱なあなたの主人のほうがよほど……」
やはり、私の仲裁の効き目はないようです。
こういうのはハッフルパフ生の仕事ではないでしょうか? そう考えシルバヌスに視線を向けると、彼は頭を少しかしげて、その後なにかに気付いたように手を叩いて取り出した。
「む? クィリナス、ずいぶん顔が青いぞ。体調が悪いなら……魔魚シュレイクの魚卵があるぞ。栄養満点だ」
「いえ、遠慮したく……というか、なぜそんなものを?」
彼は懐から袋に詰められた魚卵を出し……数袋どころではない量を取り出した。
ちょっと待って下さい、多すぎます! 帰りに更に5人乗せるとは言え、これを全部下ろせばもう一人、戦闘要員やらなにやら乗せれたのでは!?
「うむ。それは実によい質問だ! アズカバン周辺の海域はリヴァイアサンの生息地だという噂を聞いたことがあってな。リヴァイアサンの好物であるシュレイクの魚卵をしっかりと携行してきたのだ。新鮮だぞ、うまく育てればアズカバンに閉じ込められてもシュレイクが飼える!」
「どういう事態を想定しているんですか、それは!?」
「まあ、見ていろ……ほれ!」
海に向かって餌(魚卵とは別のものです。いったいこの御仁はどれだけ余計なものを持ってきたんでしょう……)をシルバヌスが投げると……水中から水獣が現れ、すぐさまそれに食らいついた。
「おそらくアズカバンは近いぞ、海生型のケルピーじゃ!」
「ケルピー……ああ、水魔ですか」
「当然じゃが、エサとなる魔法生物がいないマグルの海域にはケルピーはほとんど顔を出さん……まあ、例外はあるようじゃが。よって、アズカバンはかなり近い可能性が高い。ほら、早速役に立ったじゃろ? それにいざとなれば、魔法で馬具を出した頭にくくりつけてやればケルピーには乗れるからの!」
「そ……それはシルバヌスが乗ってみたいだけでしょう!?」
ただ、シルバヌスの言は真のようで……水平線に人工の構造物が見えた。
三角形のコンクリートで固められた要塞のようなものが見える。
魔法使いの監獄、アズカバンだ。
「なにか見えたわね。あれがアズカバン?」
「流石だね、アリス。私の老眼じゃうっすらとしか見えないよ」
「しかし、見えたのはいいですが……どうやって侵入するのですか?」
マルフォイ夫人がもっともらしい疑問を唱える。
「うーん。そもそもアズカバンの構造自体が極秘だったからねえ。まさかこんな島ごと外殻で覆ってるなんて。まあ、ぶち破って侵入するしかないんだけど」
「そ、そんな野蛮で派手な救出方法がありますか! 仮にそれが成功したとしても、ルシウスをどうやって探せばいいのです!」
「そうねえ。この船はナビゲート機能がついてるんでしょ? 行き先を救出対象に指定したらコンパスのように使えないかしら」
ロングボトム夫人は、闇祓い出身らしく豪快な侵入方法を提案しました。マルフォイ夫人はそれを反射的に退けはしましたが、実際のところ侵入に際してなんらかの破壊的手段を使うということは十分に予測してきました。
問題はそう、侵入してからなのですが……
「悪いが、この船は水の上しか使えないよ。その上、まっすぐ行き先の方角を示すわけではないね。迂回したり蛇行したりはしょっちゅうのようだ」
「だが……逆に言えば、水の上でさえあればアリスのアイデアは使えるということかの、バチルダ?」
バチルダ師匠はアリスのアイデアを一旦は退けましたが、シルバヌスのほうはどうやらなにかアイデアがあるようです。
ですが、なんとなく背筋に寒いものが走ります。シルバヌスのアイデアというだけで、若干の嫌な予感が……
いえ、いえ。シルバヌスだって常に突飛なアイデアを考えているわけではありません。どちらかといえば、彼は誰でも思いつくがすぐに否定するアイデアを、そのエネルギーと魔法生物に対する誠実さ、及び魔法生物の持つパワーを持って実現してしまうからこそ厄介なタイプであって――
「そうだが……シルバヌス。どうするつもりだい?」
「アリスのアイデアでいい案が浮かんだ。ちょうどこの海域には元気な魔法生物がいっぱいいるようじゃからの。彼らの力を借りれば、ちょっとした大仕事もできるかもしれん」
―――
「みなさん! ホグワーツから手紙が戻ってきました! 事前の連絡で、今日を脱獄作戦決行の予定としていたのはお伝えしていた通りですが、予定通り決行だそうです!」
レギュラスがホグワーツからの手紙をカラスから受け取り、読み上げるとわずか5人ばかりのメンバーではあるが、小さな歓声があがった。
私も正念場に向けて心構えを進める。なにが起こるかわからないから、簡易版「元気爆発薬」を調合する手を止めはしないが。
それを受けて、ロングボトム氏は我々をまとめるべく今後の方針を示した。
「よし。内部からできることを探してみよう。向こうは僕らが収監されている場所がわからないはずだ。狼煙になるようななにかが必要かもしれない」
「手紙で地下にいることは伝えてありますが……確かに、アズカバン全体の中でここがどのあたりに位置しているかは私たちもわかっていないですからね」
ホグワーツとの通信を管理しているレギュラスもそれに頷く。
それに対して、ルシウスは腹案を示した。
「ふむ。我々が用意できる合図となると……音はどうだろうか? ベクトル教授、なにか用意できるかね?」
「は、はいい! マルフォイ卿からのご提案、たいへん光栄でえす! 音、音かあ……救出信号みたいに正確な形で音波を出すのは結構難しいのよね。とんでもない大音量でホグワーツ校歌を流すぐらいだったら入学式にやってるやつを転用するだけで十分なんだけれど正確な音となると準備に時間が……」
「十分すぎる」
相変わらず、セプティマは放置しておくと勝手に不要な袋小路に入り始める。
私が思考を止めてやり、そのホグワーツ校歌とやらを流す儀式を組ませるよう指示を出すと「ええー……そんな一回作ったようなのまたやるなんて、面白くない……」などと宣っていたが、渋々取り掛かり始めた。
「まあ、あちらはセプティマに任せておいてよいでしょう。我々としては物資をかき集めて忍耐強く待つのみですかな、ルシウス」
「そうすべきだろう。しかし……セブルス。その死ぬほど不味い薬をこの期に及んで増やすのは何故だ?」
「ずいぶんと生活は改善したとは言え、我々の栄養状態は良いとは言えません。脱出の過程で負傷し、冬の北海の気候に晒されれば、危機的な状態に陥る可能性もあります。味は二の次です」
「死ぬ寸前まで陥ったときに口にするのがそれだと? 勘弁してくれ」
どうやら、ルシウスは私が調合したアズカバン仕様の「元気爆発薬」がお気に召さないらしい。確かに苔土、黒カビ、ダンゴムシから調合したそれの味は良いものとは言えないが、それほどだろうか?
しかし、私の考えは少数派のようで、レギュラスとセプティマは大きく頷き、ロングボトム氏も苦笑いをしていた。確かに私は普段の調合においても味の面を大きく重要視せず、マダム・ポンフリーに渋られることもあったが……彼らはよい大人だろう。これぐらい我慢して貰いたい。
「しかし、誰が救出に来るのでしょうね? 手紙にはなにも書いていません」
レギュラスが手紙に目を走らせながらそう言うと、ロングボトム氏がその疑問に間接的ながら答えた。
「おそらく、傍受されたときのリスクを考えているのだろう。とはいえ、賭けてもいいが……無事ならアリスは乗り込んでくるだろうな」
「ふん。グリフィンドールのメスドラゴンか。あの女に救出任務なぞという繊細な仕事がこなせるのか?」
「また古い呼び名を……よく覚えているものだ。では、ルシウスはどんな人間が適任だと思うのかい?」
「決まっている。狡猾で手段を選ばぬスリザリンの人間が最上だ。だがまあ、フランクの顔を立ててもいいだろう。獰猛で粗野なグリフィンドールも、時には役立つ。上に立つ人間が適切な指示を出す限りにおいてはこのような任務で有用なのは認めてやろう」
「それを言うなら、別にレイブンクロー生もハッフルパフ生も役立つ分野はあるだろう。レイブンクロー生の計画性は言うまでもなく重要だろうし、ハッフルパフ生の粘り強さは大いに称賛すべきだ」
「なるほど……では、逆に最悪なメンバーはどのようなものでしょう?」
ルシウスとロングボトム氏の間で若干の火花が散ったところで、レギュラスが割って入った。
そのあたりの気の回し方がレギュラスはなかなか自然だ。昨年、ホグワーツでも一年限りの選択科目の教員としてはずいぶんと慕われていたのを覚えている。
レギュラスの疑問に対して、ルシウスは少し考え込んで……再び口を開いた。
「最悪を決めるならば、まず最上を仮定しよう。リーダーがスリザリン生、参謀にレイブンクロー生。陣頭指揮をするのがグリフィンドールで、実行を支えるのはハッフルパフ……といったところだろうな」
「では、最悪は?」
「グリフィンドール生の思いつきを、ハッフルパフ生が間違った忠実さを発揮して実現してしまう。レイブンクロー生がそれを面白がって眺め、少数派であることを認識したスリザリン生が押し黙ってしまう……このような状況だろう」
「なるほど……まあ、そんなことには今回ならないことを祈りますが……」
「当たり前だ。我々の身体がかかっているのだからな」
こうして我々が雑談に興じていたタイミングで……上からなにやら轟音が聞こえた。
海の上のなにもない場所だ。普段はもちろん、このような騒音は聞こえない。
偶然でなければ、おそらくは我々を救出するメンバーが到着し、動き始めたのだろう。
「来たか」
「セプティマ、急かすようで悪いが先ほどのプランの実行までにはどれぐらいかかる?」
「あと少しよ。もう、この術式の端っこに一筆いれるだけで――」
突然、セプティマがなにか書き記していた牢が振動し、大音量で調子外れのホグワーツ校歌を奏で始めた。
あまりの大音量に、思わず耳を抑える。
「ああああ! 私の傑作が! なぜか流れ込んできた水で台無しに! も、もっと音程はとれてて音量調整機能もついてるはずだったのに!」
どうやら、この大音量のホグワーツ校歌は意図していたものではないらしい。とはいえ、目的は十分に達せられるだろう。まあ我慢して――
待て。水?
「おい。勢いがかなり強くなってきたぞ」
ルシウスが若干の焦りとともに、そう呟く。
入り口の階段はバリケードで塞いでいたが、今見たところ、確かにその隙間から水が流れ込んできていた。
その勢いはどんどん増していく。
「ちょっとおおおお! これ、救出作戦の一環とか言わないわよね! 私たちが地下にいるって知ってるんでしょ!? 水攻めされたら最初に溺れるのは私たちじゃなあああい!!」
「
流れ込んでくる水の量は増え、水かさは既に胴体の位置まで上がっていた。
さすが魔法警察部隊のベテランだけあり、このような状況でもロングボトム氏はしっかりと指示を出す。我々はそれに従い、水かさが増えて体ごと浮き上がっていく中で必死に両隣の人間――私の場合はルシウスとセプティマ――を繋ぎ止める。
事故か救出作戦の一環かはたまたその両方か……それはわからないが、もう天井は近い。いざとなれば破れかぶれで地上への突破を目指すしか……
そう、決意したタイミングで……アズカバンの暗い雰囲気にはそぐわない、明るい脳天気な声が外から我々の監獄に響いた。
「そうよね! 水の上の目的地ならどこでも辿り着いてくれるなら……海水を流し込んで目的地を水上にしちゃうのが一番合理的よね! 私ったら冴えてる!」
「わははは! ナイスアイデアだぞアリス、ここの銀龍はずいぶんと元気いっぱいでな、ハーピーの卵を餌にやるだけでアズカバン収容所の喫水下に大穴を見事に空けてくれた!」
流れ込んでくる水の上を進むロングシップの先頭には、見慣れた……もうあまり、見たくないと思っていた御仁が乗っていた。後ろにも数人。ルシウスの奥方であるナルシッサも同乗しているのが見えた。
先ほどの声のもう一方はロングボトム氏の配偶者であるアリス・ロングボトム。ロングボトム氏は苦笑いともいえないような表情を浮かべていた。
「ああ、ルシウス!」
「ナルシッサ! こんな危険な真似をしなくても!」
「あなたとドラコのためでしたら、どこへでも行ってみせます!」
ロングシップの上から、ナルシッサがルシウスに手を差し伸べて引き上げる。
私とセプティマに手を差し出したのは……ホグワーツを代表するトラブルメーカーであった男、シルバヌス・ケトルバーンだ。
「困った同僚どもめ! 助けに来たぞ……セブルスにセプティマ!」
「溺れさせに来たの間違いでは?」
「絶対ファイヤウイスキー飲みながらこの人選決めたでしょ!!」
「細かいことを言うな! さあ乗れ!」
我々5人が船に乗り込むと……そのロングシップは器用にターンし、流れに逆らって動き始めた。
繊細な救出作戦とは言えず、目の前の自慢げな表情のケトルバーンには呪いを1つ2つ撃ってやりたいが……しかし、今のところは大目に見てやろう。
なにせ、ここからが本番のようなものだから。我々はここから脱出し、逃げ切らねばならない。