儂だって水生生物とじゃれあったりすることはある。もちろんじゃ。魔法界に生まれた者はみーんなセイレーンと一緒に泳ぐのを夢見るもんじゃ。そうじゃろ?
とはいえ、水中で呼吸のできない我々ヒトを水の中に引き込む習性のある魔法生物は両手で足りないほどいるわけで、その手の研究者はだいたい何らかの対策をしとるものだ。鰓昆布を常に懐に入れておくとか、マグルの釣具店とかで売っとるライフジャケットを身に着けておくとか。
じゃが、それでも事故で死ぬ魔法使いはおる。陸にだって危険な魔法生物はおおぜいいるというのに、水中で呼吸する方法だって、準備さえしておけば学生レベルでもそれなりにあるというのに、水生生物とじゃれ合った結果不運にも亡くなってしまう魔法使いは際立って多い。なぜか?
答えはシンプルじゃ。準備なしで水中に引き釣りこまれた魔法使いは呪文を唱えることができない。場合によってはパニックになって抜くこともできなかったか、はたまた陸に置いてきたか。杖さえ手元にないケースは少なくない。
リヴァイアサンの口の中は、当然海水でいっぱいじゃ。呪文など唱えられない。
だからこそ儂は……トム・リドルが、中から平然とリヴァイアサンを切り裂いて出てきたのには素直に驚いた。ビビったわ。
とはいえ、内心当然と思う気持ちもある。まぐれではダンブルドアは殺せん。
「おお、ついに儂も一人殺っちまったかと思ってドキドキしとった」
「……」
無言の
こんなおっかない奴相手にしたくはない。とっととケツ捲りたいとこ……なんじゃが、チラリと横に視線を向けると水平線にまだうっすらと船が見えていた。
仕方ないのう。
中指を……義手のフックを奴に立てて見せてから手綱を引っ張り、ケルピーとともに潜水する。
どんな強力な呪いも当たらなければ無意味。10フィート潜っただけで儂の正確な位置なんぞ見えなくなる。怒りに任せて死の呪文でも乱発してくれりゃあ、疲弊して連中の船を追う余裕もなくなるじゃろ。
じゃが、奴が放った魔法は緑色の閃光ではなかった。
ああ、やっていることはシンプルじゃ。1年生が最初に教わるような他愛もない
儂らごと数十立方フィートの海水をすべて宙に持ち上げただけで。
「はっはっは。……嘘じゃろ?」
「言い残すことはあるか? お前の小細工など無駄だったな」
持ち上げられた海水は粒となり、儂の姿ははっきりとやつから見通せるようになってしまった。
勝ち誇った様子のトム・リドルは、儂に杖を向け……しっかりと呪文を唱えた。
「アバダ・ケダブラ!」
さながら水の棺桶じゃ。杖を構える余裕すら儂に与えず、トム・リドルが放った死の呪いは……儂の体に命中した。浮き上がった海水から投げ出された儂は、ケルピーとともに水面に打ち付けられる。
「ハハハハハ! 俺様に逆らう者はすべてこうなるのだ、他愛もない」
トム・リドルは高笑いする。
そして、即座に船で逃げた連中を追おうとしたのだろう、儂の生死の確認もせず……背を向けた。
「ペトリフィカス・トタルス!」
儂が放った会心の一撃は……あっさりと無言呪文で防がれた。
おいおいおい。今のタイミングはジェームズやアラスターですら食らわせられるじゃろ。それを無言の
「……!?」
「完全な奇襲じゃろ、今のは食らってもらわんと困るぞ。可愛げないのう」
だが、防ぎはしたもののトム・リドルはずいぶんと困惑した顔つきだ。そりゃそうじゃろうな。儂自身もまさか、死の呪いに対する保険が、こんな上手くいくとは思ってなかったしの。
狼狽した様子のトム・リドルは、儂に向かって話始めた。
「バカな……まさか貴様も、貴様も
「……ああ、そうかも知れんの。お前さんと同じようにな」
パニくってなにか口走っとる。ホークラックス? そんなもん1ミリも知らんが、話を合わせておくのが吉じゃろ。
話を引き出すだけ引き出して損はない。
「いや! ありえん。貴様のような愚鈍なやつが、あの闇の儀式の極地を行っているなど……」
「おいおい。それはあれか? 儂がハッフルパフだからか? ひどいのー、愚鈍とは。そう言われんうちにお暇しておくかの」
水平線に再び目を向ける。
奴らの船は……もう見えなくなっていた。時間稼ぎ成功じゃな。
目的を達成した儂は、ケルピーの手綱をふたたび握り、水中に逃げ込もうとする。
「……ふん。一瞬頭に血が上ったが、冷静に考えてみれば貴様のような人間が
だが、奴はタダでは逃してはくれなかった。死の呪文とは違う、強烈な切り裂きの呪文じゃ。
儂の胴体にそれはしっかりヒットし、コートと、その下にしまっていた革袋……死の呪いから儂を救ってくれた内容物を切り裂いた。
「手品のタネじゃ! 世紀の大発見かもしれんぞ、貰っとけ! ああ、後世に名を残すなら生物学のほうがよかったんじゃがのう。死の呪いの防ぎ方なんて呪文学の領域じゃわい」
強力な呪いをこんな革袋とコートで止められるわけはない。ましてやトム・リドルのような大きな力を持った魔法使いのものを。
つまり、死の呪いはしっかりと効果を発揮していたのだ。
革袋の中いっぱいに詰まった生命……少なく見積もっても、新鮮な魚卵が一袋に500粒は入っとったからの。
生命を奪うことに特化した呪いを遮ろうと思ったら、生命でいっぱいの遮蔽物を使う、というアイデアはフィリウスとか呪文屋は一度も試さんもんなのかの? 儂からすると試さんほうが不思議に思えるんじゃが。さすがに羽虫やら葉っぱやらで遮ったところで死の呪いが防げるわけじゃあないと思うが、卵は一つ一つが細胞であり、生命じゃ。それが500じゃろ? まあまあ効き目あるんじゃないかと思ったが、うまいこといったわい。
儂は奴に切り裂かれて中身がボロボロとこぼれ落ちている革袋を、答え合わせと言わんばかりに水面に潜る直前に奴に再びぶつけてやった。
リヴァイアサンの餌になることを回避するため、奴は賢明にも儂への反撃よりも
幸いにして、先ほどと同じように儂ごと持ち上げられることはなかった。さすがに全速力で50フィートほど潜っちまえば、その嵩の海水全部を持ち上げるのは無理だったようじゃな。
念の為、水深を維持しながら泡頭呪文の持続時間いっぱいを使ってその場から逃れる。慌てて唱えたから形が歪んどる。10分持つか持たないかってとこじゃな。
泡頭呪文が切れる直前に、水面の様子を伺う。どうやら逃げ切ったようじゃ。
水面に再浮上した儂は、全身の疲労と安堵でケルピーにもたれかかる。ただ、見た感じあんまり猶予はない。やるべきことをやらねばな。
儂は切り裂かれてズタボロになったコートの内ポケットをまさぐり、蓋つきの小瓶を2つ取り出す。
1つはホグワーツ湖の水を充填したもの。もう1つは空の瓶。まあ、空といっても綺麗とはいい難く、まあぶっちゃけ餌として燻製にしたコークロッチを入れた後の容器なんじゃが……連中ならまあ、文句をいいつつもなんとか抽出してくれるじゃろ。
その空の小瓶の中に涙を入れて、蓋をしっかりと締める。
「ここまでコキ使ったあとに申し訳ないんじゃが、これを頼んでいいかの? 儂のコートを持ってホグワーツ湖にあがれば誰かが気付いてくれるじゃろ。この匂いのとこまで頼むぞ」
ケルピーにホグワーツ湖の水の匂いを嗅がせ、小瓶を委ねる。
さて、これで最低限の仕事は済んだ。震える手で杖を握る。
「
ズタズタに引き裂かれた胴体の傷に向かって癒やしの呪文を唱えるが、効果はない。まあ、もともとダメ元のつもりじゃった。得意な呪文でもないしの。
それに、どうせ今から傷口だけ治したところで助からん。こんだけ大きく開いた傷口を塞がんまま水中を突っ切ってきたんじゃ。もう血は足らん。
「やれやれ、あやつ……不死の儀式とか言っとったな。死というのは儂らのご先祖様が子孫を残すために編み出した優れたシステムというのに。自分からそれを捨てるとは、未来が見えてないのう」
儂は海上でケルピーにもたれかかって、仰向けに浮かびながら、誰もいない大海原で空に向かってぼやく。
「まあ、一方で死を避けようとするのも生き物の本能……儂は老いすぎて本能が弱まっちまったかのう、こんなとこでおっ死ぬ予定じゃなかったんじゃが。レギュラスくんとも是非議論したいし、ブラック家の金をぜひとも予算に……ああ、儂はどうやら死ぬ寸前まで欲まみれで死にそうじゃ」
下にいるケルピーが不満有りげに鳴き声をあげた。
そりゃそうじゃろうなあ、全体重かけちまっとるもんなあ。負担をなくすべく、儂のコートの切れ端だけ首にくくりつけて、手綱を外した。
「うむ、そうじゃ。儂は置いていけ。魔法使いの死体なんて大好物である連中がもう寄ってきとるからの。お前さんはとっとと行くがいいわ」
水面に浮かんだ儂を一舐めしたのち(魔法使いの血でも欲しかったのかの?)、ケルピーは再び水中に潜り、見えなくなる前に……儂は瞼の裏にその美しい姿を焼き付けるため、目を瞑った。
―――
不愉快な生物狂の爺が逃げ去ったのと入れ替わるように、ほどなくして箒に乗ったバーテミウス・クラウチが俺様のところに到着した。
「バーティ。捜索隊の準備はできているか? 連中は向こうの方角に逃げていった。僕は……少し疲れた。君が指揮を取って連中が陸に辿り着く前に仕留めろ」
「……お疲れのところ申し訳ありません。差し出がましいとは思いますが、お耳に入れて置きたいことが」
「なんだ?」
「ウェールズの支配を失いました。カルカロフは……敵前逃亡したと見られています。こちらの対応が急務かと……」
杖を通さず体から魔力が放たれ、海の水面が吹き飛ぶ。
「ひっ!」
「カルカロフが……敵前逃亡しただと……?」
「で、ですが。敵の守りは脆弱です。再奪取は容易でしょう、私に任せてもらえば……」
「駄目だ」
バーティがカルカロフの尻拭いを申し出るが、俺様は即座に断る。
こいつは部下の中では比較的目をかけているほうだが……それでも、もはや誰も信用できん。
「俺様に、英国を統べる
「お、お待ち下さい。現状、ロンドンの魔法使いはおおよそあなた様の統治に満足している人間ばかりです。しかし、大臣自ら陣頭に立てば、憎悪はあなた様に……どうか、我々にお任せください」
「憎悪ではない。恐怖を引き起こすのだ。二度言わせるな、バーティ。やると決めたら決めるのだ。お前が仕事をやりたいというならくれてやろう。戒厳令を敷け、夜間の外出禁止令を出せ。不満を抑え込め」
「……了解しました。お任せください」
これだけでは足りん。
俺様に逆らう連中は害虫のようなものだ。湧いて出てくる森がある限り、いくら駆除しても追いつかない。
「ドロホフにも連絡しろ。俺様はずいぶん寛大な政策を敷いていたが、どうやら間違いだったようだ。時期を見てアイルランドも同じようにしっかりと掌握する。暴力をもって」
「……はっ」
「ああ、そういえば……アズカバンはもう穴だらけのようだな。となると
俺様は連中を追うのを諦め、身を翻してアズカバンへと戻り……そして、移動キーと煙突飛行ネットワークを使ってウェールズの首都、カーディフに降り立った。
魔法省が用意した建物内の暖炉から顔を出す。だが、そこには省の人間はいなかった。浮かれた様子の魔法使いが数人。
「おい、誰かが暖炉から顔を……うわあ! 魔法大臣じゃねえか!」
「魔法大臣ってえと、トム・リドルか?」
「よく来てくれました! カルカロフはとんでもない政治を敷いている野郎で……」
「アバダ・ケダブラ」
素早く杖を振り、居合わせた人間を殺す。
俺様を前にしてずいぶんと粘ったあの爺と違い、連中はあっさりと息を引き取った。
「魔法大臣だ!」
「なんで俺たちに杖を向けてるんだ?」
「喰らえ! クソ爆弾だ!」
ほとんどの人間は戸惑った様子だったが、一部は俺様に逆らう様子を隠さなかった。
だが、手段があまりにも悪すぎる。クソ爆弾? 臭い玉? 違うだろう。俺様に立ち向かいたいなら、向けるものはそんなものではない。
杖であり呪いであるべきだ。
「アバダ・ケダブラ」
俺様に逆らう人間も、居合わせた人間も区別することなく殺していく。
どのような意図にせよ、この省の建物に土足で踏み込むことで……俺様の権威、名誉、利益を汚した連中は万死に値する。
私はその晩、死の呪いを唱え続け、一段落した頃に、日付が変わることを告げる鐘が聞こえた。魔法使いのものではなく、マグルのものだ。
魔法界まで響いてくるとは、ずいぶんと五月蝿いと思ったが……私は日付に気付いて納得した。
マグルの連中がその日を祝い、アドベントリースの中央の蝋燭に日を灯すとき、イギリス魔法界の灯は、一つ消えた。