カムラの里を出たい少年と、少年に里に残って欲しい竜人族の双子姉妹の700日戦争 作:メリバ上等
生来、器用な方ではなかった。
自分が不器用であることは自覚していて、だからこそ人一倍努力しなくてはならないのだと心に刻んだ。
不器用であることは、何もできないこととイコールではない。
一つのことを修得するのに、器用な者の何倍も時間はかかる。けれど、諦めずに挑戦し続ける事で不器用な者も出来るようになる。
雨垂れが石を穿つように。
心の脚を太く、強く。何度失敗しても、絶対に諦める事なく挑み続ける。
それが、ミノトという少女だった。
頑張ることは苦にならなかった。
自分は何でも出来ると傲るわけではなかったが、何も出来ないと思っていたわけでもない。
頑張ればいつか必ず達成出来るのだと、そう信じていた。
けれど。
ツミキがハンターを志した日から、ミノトの"諦めない"は、険しい山へ挑む挑戦から、地べたに這いつくばってでもしがみつく意地に変わった。
誰かに出来ることが出来るから天才なのではなく。
誰かに出来ないことが出来るから、天才なのだ。
ツミキの近くにいるだけで、ツミキが見える場所にいるだけで、ミノトの心は軋みをあげる。
あまりにも高い壁の前に、人が膝を屈するように。
あまりにも険しい道のりの前に、人の心が折れるように。
圧倒的な才は、ときに非才を食い潰す。
どれだけ頑張っても。
自分は、ツミキに追いつけないだろう。
そう思ってしまった時が、ミノトの心が折れる瞬間だった。
でも。
折れた心を再び紡ぎ、また歩き出す強さがミノトにはあった。
理由があった。
これは戦いだ。
絶対に絶対に負けられない、"意地"と"執念"の戦いだ。
あの日の出来事は全部自分のせいだと。
今も昔もずっとずっとずっと自分を責め続けているクソバカの横っ面に一発かましてやるための、ミノトの戦いだ。
だから、ミノトは諦めない。
決して歩みを止めることなく、ツミキよりも凄いハンターになろうと頑張り続ける。
そう、決めたのだから。
……なのに。
ツミキが、カムラの里から出ようとするから。
「ヒ、ヒノエ? そんなに手をずっと握られると動きにくいんだけど……」
「良いではないですか。今朝は肌寒いですし。だから、ツミキの手で私の手をぎゅっと包み込んで、温めてくださいな。……それに、昔……私の手、好きだと言ってくれたでしょう?」
「うん。好き」
「〜〜っ。あらあら……」
まあ、それはそれとして。
大好きな姉を自分から盗っていきそうなツミキのことが、ミノトは普通に好きではなかったりするのだけれど。
「ヒノエ姉さまから離れてくださいっ! そんなねちっこく……ふ、布団の上で繋ぐような手の繋ぎ方して!! ツミキのすけべ!!!」
君も大概だと思うよ。
「フィールドに出てくる度に鳥集めるの面倒くさいな……」
ツミキ、今日も今日とて大社跡でフィールドワーク。
ハンター訓練生は忙しい。それが、早く一人前のハンターになろうとしているなら尚のこと。
面倒くさいと言いつつ、毎回きちんとヒトダマドリを集めるところに生来の真面目さが伺える。
ちなみに、本日の課題は特産キノコの納品だ。
納品したキノコは今日のお夕飯になる予定であり、カムラの里でヒノエがうさ団子をパクつきつつ待っているだろう。
「一日にあんだけ食べて、あれで太らないのは不思議だ」
一人なので普段は言わない独り言をボヤきつつ、特産キノコを採取するために山へ踏み入っていく。
「全部おっぱいにいってるのかな……栄養……だめだわからん、巫女服の上からだと分からん」
ミノトが聞いたら血管切れそうなことも零しつつ、順調に特産キノコを採取していた。
一方その頃! ミノトは!
「──っ!!」
「ミノト? どうしましたか?」
「ぁ、いえ、なんでもありませんヒノエ姉さま。少し、邪気を感じたような気がしましたが気のせいだったようです」
ガタッ!! と椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がったミノトが、しずしずと座り直す。
立ち上がった瞬間、ミノトはちょうどツミキが特産キノコを採取しているあたりの方角を睨みつけていた。
現在、二人が座っている机の上には大量の書類がある。
というのも、
「受付嬢をしてほしい、ですか。それにしても……随分と急な話でしたね、ヒノエ姉さま」
「そうですね……ただ、前任者の方も引き継ぎが見つかれば、ご結婚し退職されるそうですから。私たちが手伝えるのであれば、手伝ってあげたいと思いますよ」
こんな話が舞い込んだからである。
事情が事情だけに、ミノトだって自身が受付嬢をやることに異論はない。
ハンターとしての訓練時間が減ることはミノト的には大問題ではあるが、それで他人の幸せを手伝うことをほっぽり出すほど情のない気質でもなかった。
全て自分で抱え込むタチが見え隠れしているのが心配にはなるが。
手伝うことに異論はない。
ない、のだが。
「それにしても、結婚ですか。結婚……かあ……」
「……」
大好きな姉がさっきからずっとこの調子なのは面白くなかった。
訂正。なんなら腹立つ。
「いってらっしゃいませ、旦那様、なんて……うふふ」
「ヒノエ姉さま」
「毎日、手を繋いで眠りたいですね……いいえ、結婚……しているのですから、向かい合って……抱きしめられながら……」
「ヒノエ姉さま!」
「ぁ、ごめんなさい、ミノト。どうしましたか?」
「……むぅ」
ミノトの頬はガスを溜めたブンブジナのお腹のように膨らんでいた。
「……ヒノエ姉さまにツミキは相応しくありません。ツミキはアホですけべで……あとすけべです」
「もう、そんなにツミキの事を悪く言わないであげてください」
「悪く言ってるわけではないです。事実です!」
「うふふ。なら私も事実を言います。ツミキは一緒にいると楽しくて、それに……とても優しい男の子ですよ」
「優しくてもすけべだからだめなんです!」
「もう……本当に、ツミキの事になると意地っ張りさんになるんですから」
「それは……だから……っ! むぅ〜〜! ヒノエ姉さまはツミキがどれだけすけべか知らないからです……!」
「む。私だって、ツミキのことならよく知っていますよ」
ヒノエの中の譲れない部分が、ぽろりと口から転がり出た。
かといって、ここではいそうですかと引くのならミノトだって度々苦言を呈しはしない。
滅多にない姉妹喧嘩が始まろうとしていた。
イメージは子猫二匹がどっちが先に猫じゃらしを捕まえられるかどったんばったんしてる感じである。
「いいえ! ヒノエ姉さまは知りません! 私の方がよく知っています! だって私は、ツミキの事をずっと見てきました!」
「そんな事はありません。私だって、ツミキの事をずっと目で追っていました」
「ヒノエ姉さまはツミキの良いところしか見ていません! ちゃんとツミキの全部を見ているのは私です!」
「ちゃんと良いところも悪いところも知っていますよ。ツミキの全部を見て、知って、だからツミキを想っているのです」
「だから……! ヒノエ姉さまが見てるそれは表面的なツミキなのです! だって! ヒノエ姉さまはツミキに裸を見られたことがないでしょう!?」
「え」
「あ」
一瞬、二人の間の時間が止まった。ような気がした。
しまった、という顔をしているミノト。
固まっているヒノエ。
ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
「ともかくだからあれがこうなってそれでえっとかくかくしかじかでツミキはヒノエ姉さまに相応しくありません! これでお話は終わりです!」
ミノトは勢いで押し切る事にした。
「待ってくださいミノト。裸を……見られた……?」
が、そうは問屋が下さなかった。
「詳しく説明してください。場合によっては……私は、ツミキに話さなければならないことがあります」
「ぇっ。ぁ、あの、ヒノエ姉さま……?」
静かなヒノエの声に気圧されるミノト。
びくっと肩が震えていた。
虎の尾を踏んだ鼠は多分こんな感じだろう。
「……覗かれたのですか?」
「そ、そういうわけでは……ありません……事故、のようなものです……」
「……そうですか。なら……良いでしよう」
とは言いつつも、全然良い顔はしてない。
ヒノエ姉さまを怒らせてしまった!
そう勘違いしたミノトは焦ってしまい、焦ってしまうから普段は努力の下に隠れている生来の不器用な部分が顔を出してしまう。
とにかくミノトは、旗色が悪そうなこの話題を終わらせようとした。
「わ、私が言いたいのは、私はヒノエ姉さまの知らないツミキを知っていて、だからヒノエ姉さまにツミキは……」
終わらせようとしたのだけれど。
不器用だから最初に決めた会話の着地点以外に咄嗟に持っていけない。
ミノトはまたまた言葉選びを間違えた。
「わ、私だってミノトが知らないツミキを知っています!」
だから、またヒノエの中の譲れない部分に触れて堂々巡りに……。
「だってミノトは、つ、ツミキと……赤ちゃん……出来るようなことをしそうになったことないでしょう!」
「赤ちゃんできるようなことをしそうになったことないでしょう!!!?!!?!??!!!!?」
あー……。
「え……? ……え? ……え?? …………え???」
「だ、だから私の方がツミキの事を知っているんです。お姉さんですから」
「待ってください……?? え……? あれ……? 赤ちゃん……? 赤ちゃん……赤ちゃん!?」
顎にイイのをもらったボクサーのようにふらふら放心していたミノトの目がカッと見開く。
ようやく言葉の意味を飲み込めた様子。
「赤ちゃん!!?」
まだ飲み込めてなかった。
「そうです。赤ちゃん……です」
「待ってください!! え!? いつですか!? いつなんですか!!? 夜はずっと私といるはず……え!? 昼!? でも私たちの家にそんな痕跡は微塵も……!? 洗濯は全て私がやってるのに……!?」
「家……? したのは昼の外ですけど……」
「昼の外でしたんですか!!??!!!?!?」
「そ、そんなに驚くような事ですか? 仲の良い方々がされてるのを見るのは、そう珍しいことではないではないですか。その、私も流石にちょっと、誰かに見えるところでするのはどうかと思いますけど……」
「昼の外でするのがそんなに珍しくないんですか!?」
「でも……そのときはなんだか……どうしても、そうしたいと思ってしまって……」
「思い立ってすぐにそうしたんですか!? 昼の外で!? ひ、ヒノエ姉さまが……そんな……あ、あああああ……ぁ」
「ぁ、ミノト!?」
ふらふら。ばたーん。かんかんかーん。ミノト、KO。
容量オーバーの情報の洪水をわっと浴びせかけられて、白目を剥いてひっくり返るミノト。
慌ててヒノエが駆け寄って抱き起こす。
「ヒノエ姉さまが……私の……ヒノエ姉さまが……」
「ミノト!? ミノト!? 大丈夫ですか!? 頭から行きましたよ!?」
「ヒノエ姉さまが……何処の馬の骨かはわかってるやつに……!」
ぶっちゃけ会話は噛み合っているようで全く噛み合ってはいなかったのだが、ここではミノトが認識した"ミノトの中の事実"が真実だ。
ここで問題。
大好きな姉が本当に盗られてしまいました。
妹が取る行動は何でしょうか。
回答者のミノトさん、どうぞ。
「許さない!!! 私に断りもなくヒノエ姉さまを!!! ツミキぃ!!!」
「ミノト!?」
ガバリと跳ね起きたミノトは脱兎の如く里を駆け抜け、マイハウスで自身のランスを引っ掴んで大社跡へ爆進していった。
同時刻。
大社跡で特産キノコを採取し終わり、ついでにいきなり襲われたのでオサイズチが率いるイズチの群れを盾で殴り飛ばしていたツミキはふと空を見上げた。
「うげ、曇ってきた。これは一雨来そうだな……。今日はやけにモンスターに狙われるし……厄日だ」
今そっちに怒り狂ったモンスターが一人いってるよ。頑張って。
「早く帰ろうかなぁ。ヒノエもお腹空かせてるだろうし。ミノトのキノコ料理も早く食べたいし」
ぱっと踵を返したツミキが下山を始める。
その背後。
険しい山の頂で。
紫炎が、揺らめいていた。
ゆらゆら、ゆらゆら……と。
気付いたら日間一位でした。嬉しい!
みんな……ありがとう!