カムラの里を出たい少年と、少年に里に残って欲しい竜人族の双子姉妹の700日戦争   作:メリバ上等

4 / 13
4話 この世界の当たり前

 ハンターには自身の分身とも言える武器がある。

 十数種類からなる武器種から生涯を共にする武器を一つを選び、それを強化し続けていくのが一般的だ。

 稀に複数の武器を使いこなす天才もいるが、一を極めることでさえ一握りのハンターしか出来ないのだ。大抵のハンターは、一度これと決めた武器を変えることはない。

 

 だから、ハンターを志した日に、ツミキも己の相棒となる武器を決めた。

 

「ウツシさん。僕はこれにします」

 

 ツミキが選んだ武器は、片手剣。

 鉱石をそのまま削り出したような無骨な剣と盾が、ツミキの手にあった。

 

「……数ある武器の中で、片手剣を選ぶハンターは少ない。モンスターの攻撃をまともにいなせない小さな盾。薄皮を斬るのが精一杯な軽い剣。扱い易さと機動力は、一撃の重さを犠牲にする。モンスターの一撃一撃が致命傷になりかねないハンターにとって、接敵回数はそのまま死のリスクを引き上げることに繋がる。だからこそ、問いたい。……どうして、片手剣を選んだんだい?」

 

 ウツシの問いかけは、優しさから溢れたものだった。

 

 大丈夫か。

 辛くはないのか。

 モンスターに肉薄できるのか。

 

 ハンターだって、君がやる必要はどこにもないんだ。

 

 目元を泣き腫らしたツミキは、くしゃくしゃの顔で笑った。

 

「それでも、片手剣には盾があります。盾は、守るためにある。誰よりも速く。どんなピンチにも間に合うように翔く。片手剣なら、守ることができる」

 

 だから、僕はこれがいい。

 ツミキは、そっと無骨な鉱石の盾を撫でる。

 

「僕はハンターになる。でも、ハンターになるのなら、守るための武器を振るいたい。それが、守ってもらった僕のやりたい事です」

 

 

 

 

 

 そして現在! 

 

 

 

 

 

「──ぅッるああああああああッ!!!」

 

 天高く飛び上がった刹那の、急転直下のフォールバッシュ。

 盾と地面の間でリスのような細い顎を砕かれたトビカガチが嗄れた断末魔を挙げたときにはもう、ツミキは次の行動に移っていた。

 全身の筋肉を躍動させた流麗な回転斬り。

 踏み込みは強く、広く。

 鉄板すら貫く鋭い嘴で串刺しにしようと、大きく頭を振りかぶって大跳躍したアケノシルムを、すれ違い様に一閃。

 そして、それだけに留まらない。

 

「ズッだああ!!」

 

 追撃。盾で殴りつける三殴打。

 蓄積されていたダメージが臨界点に達し、二撃目で嘴にヒビが入り、三撃目で遂に嘴が砕かれる。

 たまらず後方に飛び退ったアケノシルムが劣勢と見てその場を離脱しようと翼を広げた。

 直後、頭部に衝撃。

 投げられた盾がアケノシルムの蟀谷を打ち据えていた。

 

「逃げるなッ!! 先に仕掛けたのは、お前だろうッ!!!」

 

 宙に手を翳したツミキから白い糸が伸びる。

 その先端には翔虫と呼ばれる猟具生物。

 翔虫を起点にして、ツミキの体がパチンコ玉のように空中に射出された。

 着地点はアケノシルム。瞬きの間に彼我の距離を跳躍したツミキがアケノシルムの頭部を切り裂き、そのまま踏み台にして上方へ駆け上がる。

 

 その手には、投げられたはずの盾が握られていた。

 

「──フッ!!」

 

 フォールバッシュ。

 地を這う人を見下す高い頭が土を舐める。

 アケノシルムの瞳から光が消えた。

 

 討伐完了。

 

 ツミキはふいー、とようやく肩の力を抜いた。

 

 その盾にはモンスターの返り血がこびり付いている。

 過去のツミキが守るためにと選んだ盾はバリバリ攻撃に使われていた。

 なんなら投げられてもいた。

 むしろ剣より盾がメインウェポンになっていた。これではもはや片手盾である。

 守るための盾とは(素朴な疑問)。

 

「多い! なんか今日モンスター多い! 休む暇もないな!」

 

 この日、ツミキは既に十数体ほどのモンスターを狩猟していた。

 基本的に、ツミキはウツシの許可を得た日でなければフィールドに出ることはできない。

 ツミキはハンターではなく、ハンター訓練生だからだ。

 ウツシとてフィールドに大型や中型のモンスターが闊歩しているときに訓練生をフィールドに出したりはしないので、本来ならそれらのモンスターと会敵すること自体が異常なのだが……。

 

「まあ襲われるのはいつもの事なんだけど」

 

 ツミキはその異常に慣れ過ぎていた。

 異常が日常になり、異常ではなくなる。

 だから、ツミキは気が付かなかった。

 今日は襲われる回数が多いな、そんな日もあるか、ぐらいにしか考えなかった。

 それは、ツミキが例え複数の飛竜にリンチされようとその全てを討伐できてしまうことも理由の一つではあったが。

 

「でも、流石にこれで打ち止めでしょ。んぅ〜〜つっかれたなぁ」

 

 ぐ〜っと伸びをするツミキ。モンスター十数体との連戦を"疲れた"で済ませられるところに、彼の異常性がある。

 あと、今のツミキの言動は俗に言うフラグというやつであった。

 

「ツ〜〜ミ〜〜キ〜〜ィ!!!! 

 

 フラグ回収。

 

「え?」

 

 自分の名を呼ぶ声に、反射的にツミキが振り返る。

 瞬間、ツミキは目を剥いた。

 

「あれ、ミノ……トぉ!?」

 

「ヒノエ姉さまの純潔を奪ったその罪!! たとえ神様仏様が許したとしても、私が絶対に許しません!!!」

 

 ミノトは走っていた。

 全力疾駆。土煙を巻き上げ、己の限界すら超えて、風となって走っていた。

 腰を落とした前傾姿勢。より早く。もっと早く。

 ミノトは走っていた。

 

 ランスを構えて。

 

「くたばりなさいッ!!!」

 

「なんで!?」

 

 突進の勢いを全て乗せた最高最大の一突き。

 けれど、ツミキはあっさりと突きを躱す。

 見えてはいけないものがチラチラしていない限りツミキに攻撃を当てることは非常に困難である。

 

「逃がっ……しません!!」

 

 されど、ミノトとてそれは織り込み済みである。

 ツミキが突きを交わした瞬間、ミノトは全身を捻った。

 草履が擦り切れそうなほど踏ん張り、地面を削りながらの急制動。

 その勢いのままに膝のバネを使い、受け身なんて何も考えてない跳躍。

 遠心力が大きくなるため制動に邪魔なランスは放っぽり出し、フリーになった右手で硬く拳を握る。

 

 取り敢えず殴る。話はそれからだ。

 

 ミノトの瞳はマジだった。

 

「ちょっ……!?」

 

 反射的にツミキは避けようとして、避けたらミノトが地面と激突することに気がついて、その場から動かずミノトを抱き止めることを選んだ。

 

 刹那の思考と判断の後、接触。

 

 もつれ合うようにゴロゴロと転がった二人は、その辺に生えていた木に激突することで止まった。

 

 仰向けのツミキの上にミノトが座っている形である。

 俗にいうマウントポジション。

 最初に一発かまそうとした右手はちゃっかりとツミキに握られて抑えられていたため、間髪入れずミノトは左手を振りかぶった。

 

「判断が早すぎる!!」

 

「なっ! くっ……手を離しなさいツミキ!」

 

「嫌だよ!? 手を離したら絶対僕のこと殴るじゃん!」

 

「当たり前です! 私はっ、貴方を殴りに来たんですから! だから手を離してください……!」

 

「そう言われて手を離すわけないだろ……!!」

 

「むぅ〜〜!! 嫌がる女の子の手を無遠慮に握って……! きゃっ!? 今さわさわして感触を確かめましたね!? このっ、すけべ!!」

 

「理不尽すぎる!!」

 

 純粋な膂力では竜人族であるミノトに軍配が上がっていたが、ツミキの方が力の使い方が数段上手だった。

 どこにどういう風に力を加えれば、相手が十全に力を発揮できないか。

 ツミキは、それを理屈ではなく直感で知っていた。

 

「だいたいなんで急に……!? 僕ミノトに何かした……………………もしかしてあれ? ミノトの巫女服を……」

 

「えっ? ……わ、私の巫女服を使って何をしたんですかッ、このすけべ!! 最低です!!」

 

「しまった藪蛇だった! あと使うって何にだよ!!」

 

「そ、それは……ツミキの……」

 

「僕の?」

 

「ツミキを……って、女の子に何を言わせようとしてるんですか!? やっぱりツミキはすけべで最低です!! こんな奴にヒノエ姉さまは……!!」

 

「ヒノエ? ヒノエがどうしたの?」

 

「こ、この後に及んでまだそんな事を……!」

 

 ミノトの瞳が憤怒に燃える。

 大好きな姉を軽々に弄び、なおかつそれに全く反省の色を見せないばかかすっとぼけるツミキに、腹の奥底からぐつぐつとマグマが煮えたぎる。

 

 許せない。

 

 頭に血が上ったミノトは、勢いそのままに頭突きを敢行した。

 

「ふん!!」

 

 が、そんな分かりやすい動作がツミキに当たるはずがない。

 ツミキはミノトの首筋に顔を埋めるように上体を起こした。

 そして、首と顎で肩を挟むようにロック。

 これで、もうミノトはツミキに攻撃することが出来ない。

 ツミキの合理的な判断による押さえ込みだった。

 側から見たら抱きしめあってるようにしか見えなかった。

 

「〜〜ッ!? なっ、あっ、なぁ!?」

 

 抱きしめ合うような体勢に見えるということは、当然それなりに密着具合も深まる。

 ミノトは自身の胸部が圧迫される感触を知覚した。

 そして、今までにない距離感にカッと顔に朱色が刺す。

 

「ふっふっ、なんで暴れてるのかは知らないけど、これでもう僕に攻撃は──」

 

 吐息が近い、とか。

 匂いをダイレクトで感じる、とか。

 ヒノエ姉さまとは違う男の人の感触、とか。

 嫌いなはずなのに、何故かこうやって抱きすくめられるのは嫌じゃない、とか。

 

 色々と乙女的なモノローグがミノトの頭の中を駆け巡った。

 

 が。

 

 それよりも怒りの方が強かった。

 

「──色魔滅ぶべし! 成敗ッ!!」

 

「ぐふぇ!?」

 

 やったことは単純である。

 ミノトはマウントポジションを取っていた。

 マウントポジションとは、上に跨ることである。

 なので、当然ミノトは腰を持ち上げることができる。

 

 ミノトはツミキの男の子としてとっても大切な部分が自身のお尻の下にあることに気付き、腰を持ち上げて、竜人族の膂力をもって勢いよく打ち下ろした。

 そうして、まあ、端的に言えば、自分のお尻で潰した。

 説明終わり。

 

「ぐ、お……ぁがっ……ま、マジか……!」

 

「悪は滅びました。以降、ヒノエ姉さまが誑かされることもないでしょう」

 

「や、やっていいことと悪いことが……ある……でしょ……!」

 

 立ち上がり、ぱんぱんとお尻を手で払うミノトの足元で、両足の間で手を挟んだツミキが蹲っていた。

 あれ? 追撃のパンチをミノトは叩き込まないのか? 

 

「……っ」

 

 ミノトは自分のした事を思い返して、あらぬ方向を見ていた。

 その顔は真っ赤である。よくよく聞くとさっきも声が震えていた。

 多分思い返しているのはした事だけじゃないですよこの顔は。

 

 ツミキからすればいきなり訳のわからない難癖を付けられて暴力に訴えられたに等しいのだが、最後、ミノトと密着しにいったことに下心が全くなかったかというとちょっと解答に困るので、そういう意味では因果応報であった。

 なぜなら、その気になればツミキはいつでもミノトから抜け出せたのだから。

 

 ちゅんちゅん。

 一部始終を見ていたヒトダマドリは、ケッとでも言いたげに鳴いた。

 

 

 

 

 

 十分後。

 

 

 

 

 

「ヒノエと赤ちゃんができるような事!? したい! じゃなくて、する訳ないだろ!?」

 

「で、でもヒノエ姉さまはそう言っていました! ヒノエ姉さまが嘘をつく理由がありません!」

 

「いやでもなら僕が知らないのはおかしいだろう!?」

 

「まだしらばっくれるつもりですか!? ゆ、許せない……せめて、せめて責任を取るのならまだしも……!」

 

「しらばっくれてるんじゃなくて本当に知らないんだってば! 少なくとも僕の主観認識だと僕はまだどっ……未けっ……とにかく僕はしてない! 何かの勘違いだって!」

 

「じゃあヒノエ姉さまが嘘をついていると言うんですか!?」

 

「そうは言ってないよ! 何かの勘違いがあるって言ってるの! だいたい、僕が知らない以上は寝込みを襲われた線が一番考えられるけど……夜は二人はいつも一緒だろ? そりゃ昼寝してるときもあるけど……寝込みを襲おうと考えてる人が、わざわざ昼寝を狙う?」

 

「そ、それは……」

 

「それに、だ。仮に寝込みを襲われたのであれば、僕は必ず気付く。僕の眠りの浅さは知ってるだろう?」

 

「……」

 

 取り敢えず状況を整理しようと始めた現状の認識の擦り合わせである。

 ここでようやく、ミノトはあれ? なんかおかしいな? と思考が回り始めた。

 

「だから一回里に戻ってヒノエに確認した方がいい。ね?」

 

「……そう、ですね。少し、早とちりをしてしまったかもしれません。……申し訳ございません、ツミキ」

 

「いいって。勘違いは誰にでもあるもんね」

 

「勘違いじゃなければ先程の謝罪は撤回し、もぎます」

 

「何を!? えっ、何を!?」

 

 きゅっと股の間を押さえるツミキを無視して、ランスを拾ったミノトがスタスタと歩き始める。

 慌ててツミキは後を追う。

 少年と少女が、肩を並べて歩く。

 

「……今更ですが、随分とモンスターを狩猟したようですね」

 

「まあねー。今日は多かった多かった。あとでアイルーさん達に運んでもらうようにお願いしないと」

 

「また、襲われたモンスターを全て狩猟したのですか?」

 

「え、うん。先に僕を殺そうとしたのはモンスターの方だし」

 

「そうですか……」

 

「人に敵意を向けるモンスターは狩猟する。人に敵意を向けるということは、人を外敵だと認識している証だ。だから、いつかどこかで必ず人を襲う。絶対に逃さない。モンスターを狩猟すればするほど、未来の誰かを守ることに繋がる。ハンターってそういうもんだろ?」

 

「……そうですね」

 

 それは一面的には正しいハンターの認識ではあった。

 けれど、ツミキの言う"それ"は決定的に間違っていて。

 ミノトは、ツミキがそうなってしまったことが、悲しかった。

 

「昔の貴方なら、きっと"皆を守るためにモンスターを狩猟する"って、そう言ったと思います」

 

「え? ごめん、聞き取れなかった」

 

「……ツミキは知らなくてもいい話です」

 

「その言い方だとめちゃくちゃ気になるんだけど。教えてくれてもいいじゃん」

 

「はあ……昔は、ヒノエ姉さまや私を守ると、そう言っていたことを思い出しただけです。転んだだけでびーびー泣いてた泣き虫でしたのに」

 

「いきなり恥ずめの過去を穿り返さなくてもよくない!?」

 

「おや。もうあの宣言は無かったことになったのですか?」

 

「そんな訳ない。あれは僕の誓いだ。二人には僕の助けなんか必要ないかもしれないけど……僕は、ヒノエとミノトを守れる僕になりたいと、今もそう思ってる」

 

「……そういうところが、変わらないから……」

 

「なんて?」

 

「何でもありません。里に急ぎましょう。ツミキの生き死にがそこで決まります」

 

「あれ? 僕が死ぬか生きるかの話だった!?」

 

 ずしりと、背中のランスが重くなったような気がした。

 一瞬だけ己の盾を見つめて、すぐに目線を切る。

 ミノトは諦めない少女だ。

 だから、一度決めたことが変わることは滅多にない。

 

 ハンターには自身の分身とも言える武器がある。

 

 ツミキは片手剣を選んだ。

 ミノトはランスを選んだ。

 

 ツミキが片手剣を選んだ理由があるように、ミノトにもランスを選んだ理由がある。

 

 大きな盾を。

 片手剣よりも大きくて、頑丈で、あらゆるものから守るための"大楯"を選んだ理由が。

 

「え? 何?」

 

「……べっつに! 何でもありません!」

 

 片手剣よりも大きな盾で、片手剣では守れないものも守ることができる。

 ミノトがランスを選んだ理由は……そういう事だ。

 

「……あれ?」

 

「どした? ミノト?」

 

 昔を思い返していたミノトの思考が止まる。

 

「モンスターが多い……? それは……おかしい……」

 

 異常が当たり前になれば、それは日常になる。

 モンスターに襲われることはツミキにとって日常になっていたし、毎度当たり前のように中型以上のモンスターを狩猟して戻ってくるツミキが、いつの間にかカムラの里の全ての人の感覚を麻痺させていた。

 

 まあ、ツミキだから。

 

 そんな一言で納得してしまえるぐらいに、皆んなが麻痺していた。

 

 異常には理由がある。

 理由があるのなら、原因がある。

 何の起因もない異常など、存在しない。

 

「私がフィールドに入れたということは、少なくとも前日の観測では中型以上のモンスターはいなかったはず……仮にいたとしても、一体か二体がせいぜい……それが十数体……?」

 

 ミノトは不器用な少女だ。

 だが、不器用であるからこそ、人の何倍もミノトは頑張ってきた。

 その中には、当然、座学も含まれる。

 

 今までのミノトの努力が、現状の類似事例を弾き出す。

 

「不自然なモンスターの大移動……これではまるで……百竜夜行のような……」

 

 ミノトがたどり着いた答えを口にした、その直後だった。

 

 

 

「──ミノトちゃんッ!!!」

 

 

 

 ──ぇ、と。

 ツミキに突き飛ばされた、と脳が理解する前に、ミノトの眼前を紫の巨体が突っ切った。

 

 それは、超高高度からの滑空。

 言葉にすれば簡単だが、それが大質量かつ、凄まじい勢いで突っ込んできたとなれば話は違う。

 

「──え?」

 

 尻餅をつくミノトの眼前で、紫の巨体が崖に激突した。

 おそろしく硬い岩であるはずのそれは、円形に凹み、悲鳴をあげるように亀裂が走る。

 どれだけの破壊力があったかは、火を見るより明らかだった。

 

「──え?」

 

 きょろきょろ、と。

 祈るようにミノトは周囲を見渡した。

 きょろきょろ。

 きょろきょろ。

 何度も。

 何度も。

 けれど、何もなかった。

 

 目の前にいたはずのツミキは、どこにもいなかった。

 

「──ぁ」

 

 現状を、脳が理解する。

 干上がった喉から濁流のように溢れ出そうとするのは悲鳴か、嗚咽か。

 

「──ぁ、ぁあ、あっ」

 

 カタカタと震える視界の先で、紫の巨体がゆっくりとミノトに向き直る。

 土煙が薄れていき、その全貌が現れた。

 

 全身を覆う甲冑のような甲殻だ。

 隆起した人の身ではありえない埒外の筋肉が洗練された曲線を描き、それが紺藍色の鎧を連想させる重厚な甲殻に覆われ、その間に突起のように立ち並ぶ黄色い甲殻が縞模様を形成している。

 兜飾りを思わせる独特の形の角の下には憎悪を滾らせる瞳が浮かび、鋭い槍のようなブレード状の尾が、ヒュン、と空気を薙いでいた。

 

 そして、何よりも目を引くのがその体から発せられる紫炎のガス。

 禍々しく立ち登る紫色のガスが、その巨体から妖しい威圧を発していた。

 

 けれど、そのどれもミノトの目には映っていない。

 

 ミノトは、ただ一点を見つめていた。

 今しがたこびり付いたような真っ赤な鮮血に彩られた、その口を。

 ぽたぽたと赤い雫を垂らす、その牙を。

 

「──ぃ、いやぁあああああああッ!? ツミ、ツミキ!! ツミキぃ!!!」

 

 その瞬間のミノトの行動はとてもじゃないが、愚かとしか呼べないものだった。

 

 あろうことか、ミノトはモンスターに近寄ったのだ。

 腰が抜けてまともに立てない体で、バタバタとみっともなく手足を動かして、凹んだ崖の真下へ行こうとした。

 

 思考の末の行動ではない。

 

 ただ、真っ白になった頭が一番最初に出した答えが。

 

「いやっ! ツミキぃ!! いやだっ!! いやです!! ツミキ! 死なないで……!! ツミキ! いや、だぁ……!!」

 

 ツミキが死ぬのは嫌だ。

 それだけだったということ。

 

 けれど、モンスターがミノトの想いを汲むなど、そんなことがあるわけがない。

 

「──ぎ、ぃッ!?」

 

 ヒュン、と無造作に振るわれた槍のような尾がミノトを串刺しにせんと動いた。

 反応が出来たわけではない。

 けれど、今まで馬鹿のように繰り返し続けた抜刀という反復動作が、命の危機を前にミノトの意思を飛び越してそれを行った。

 

 槍尾と大楯が激突する。

 凄まじい衝撃がミノトの体を襲った。

 けれど、地面に尻をつけた状態では踏ん張りようがない。

 ランスを弾き飛ばされたミノトはそのまま無様にごろごろと転がる。

 白い巫女服は泥だらけになり、髪飾りが割れて飛び散った。

 

 骨が折れたかと思うほどの激痛。痺れるなどと生易しいものではなく、感覚がなくなるほどの痛みに襲われる両腕。

 

 生理反応で流れる涙と鼻水が綺麗な顔をぐちゃぐちゃにし、普段の美しい巫女としての姿など見る影もない。

 

 たった一撃。

 最初の不意打ちを含めても、それでも二撃。

 

 それだけで、人とモンスターの生存競争は決した。

 

 これが"モンスター"。

 

 人とは、持って生まれた生物としての強さが違う存在。

 

「──ふへっ」

 

 ミノトの口から、笑みが溢れる。

 あまりにもこの場に似つかわしくないものだった。

 だからこそ、もうミノトの心がどうしようもない状態にあるのだと、なによりも雄弁に物語るものだった。

 

 ミノトの心は折れていた。ぼっきりと折れてしまっていた。

 

 折れた心を紡ぎなおす? 

 無理だ。

 出来るわけがない。

 ミノトは諦めない少女だが、諦めることがない少女ではない。

 

 ツミキがミノトの目の前から消えたあの瞬間に、もう、ミノトは──。

 

「ふへっ、は、ははは」

 

 笑う、嗤う。

 涙を流しながら、震えながら、笑う。

 もう、それ以外に何をすればいいのか分からないとばかりに。

 

「ごめん、なさい……」

 

 極限状態のミノトが見つけたやらなければならない事が、謝罪を口にすることだった。

 

「ごめんなさい……里の、皆んな……」

 

 それは一体、どういう心の動きなのだろうか。

 今、死に瀕している状況を自分が作ったと思っているのだろうか。

 ツミキを自分が殺したものだと思っているのだろうか。

 

 そんなこと、あるはずがないのに。

 

「ごめ、んなさ、い……ヒノエ姉さま……」

 

 ミノトは悪くないですよ。

 そう言ってくれる姉はここには居ない。

 

「ごめんっ……なさい……」

 

 大丈夫。だから、泣き止んで。

 そうやって抱きしめてくれる姉はここには居ない。

 

「ごめん……なさい……っ!」

 

 ミノトの涙を拭ってくれる人は、誰一人としていない。

 

 モンスターが動く。

 その名は怨虎竜マガイマガド。

 けれど、そんなことはどうだっていいだろう。

 ミノトがその名を知ったところで、数秒後には墓の中。

 

 ミノトは自分を助けられないし、ミノトを助けてくれる人もいないのだから。

 

「ごめん……っ! ごめんなざいっ……!」

 

 けれど。

 

「ツミキ……!」

 

 

 

 

 

 ミノトを守ると誓いを立てた少年は、ここに居た。

 

 

 

 

 

 マガイマガドの後方の林で何かが爆発した。

 

 ゆうに数十メートルは離れた丘の上から、爆風に乗って何かが飛んでくる。

 鋼虫糸を駆使して常識はずれの加速をし、普通なら目も開けられないような風圧の中で、一瞬の瞬きすらなくただマガイマガドを睨みつけ。

 

 飛来物を知覚したマガイマガドが身を屈めた。

 それは跳躍の予備動作。

 モンスターの怪物じみた膂力を用いた跳躍を持って、マガイマガドが"飛翔"する。

 飛び上がると同時に槍尾を振り回すその動きは、正しく包囲網。

 

 この間合いに入ればその瞬間に細切れになるぞと、紫色の殺意が空気を薙ぐ。

 

 しかし、そんなこと知るかとばかりに"それ"は突っ込んだ。

 

 身を捻る。

 最小限の動きで体を横軸に回転させたそれは、すり抜けたと見紛うほど鮮やかに槍尾を躱し、盾を抜いた。

 

 少年にとって、守るための盾を。

 

「お前──」

 

 少年の名はツミキ。

 カムラの里が生んだ稀代の大天才。

 そして。

 

「──ミノトちゃんを、泣かせたなッ!!!」

 

 幼馴染みの竜人族の双子姉妹を守る、ハンター訓練生だ。

 

 落下の勢いをそのままに殴りつけた盾がマガイマガドの頭を捉える。

 激突。轟音。

 苦悶の声を上げるマガイマガドを無視して、転がったツミキはミノトの前で静止した。

 

「ごめん、心配かけた?」

 

「──つ、え? ぁ」

 

「あーあー、もう。ほら」

 

 ツミキがミノトの涙をそっと拭う。

 それだけで、溢れて止まらなかったミノトの涙が、不思議なぐらいにぴたりと止まった。

 

「僕のこと泣き虫って言ったけど、ミノトだって泣き虫なところあるよね」

 

 揶揄うような物言い。

 それがあまりにもいつも通りで、こんな状況だというのにミノトの中からツミキへの対抗心が顔を出す。

 

「うん。泣いてるよりも、そっちの方がミノトらしいよ」

 

「……怒ってる方が私らしいというのは、心外です……」

 

「あはは。そういうわけじゃないんだけどな。僕は、芯の強いミノトが好きだなってだけ」

 

 それだけ言って、ツミキは立ち上がった。

 盾を構える。

 その背中が何を言っているかは、見なくたってわかる。

 

「だから、ミノトがミノトらしくいられるために」

 

 ツミキの眼前で、マガイマガドが怒りの咆哮を上げた。

 紫炎のガスを体から噴き上げ、怨念のような纏わりつく殺意を叩きつけ。

 お前を殺すと、兜の下の目が怪しく灯る。

 されど、ツミキはその全てを受け止めて、笑ってみせた。

 

「お前を狩るぞ。えーっと? ウツシ教官の絵巻にも載ってないモブモンスター」





ツミキくんの一連の流れ。

①マガマガ君のリア充死すべしタックルを直感で察知し、一瞬で迎撃体制に移ったあと、ミノトが横にいることに思い至り、迎撃からミノトを逃す動きに切り替える。
②ミノトを突き飛ばした後、マガマガくんのタックル直撃。が、盾を間に挟み、かつ鋼虫糸で自分の体を真後ろに引っ張る事で威力を殺す。しかし勢いは殺せずめちゃくちゃ吹っ飛ぶ。
③丘の上の林に突っ込む。受け身は取ったが頭から木に激突。流石に失神する。
④数秒で復活。ミノトの涙を確信。近くでケロケロしていたボムガスガエルと鋼虫糸を使って加速と大跳躍。
⑤本文に戻る。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。