汐里は電気も水道も使えなくなった高校の体育館で寒さに身を震わせ、だた時間が過ぎるのを一人で待っていた。友人は日没後にやっとの思いでたどり着いた父親も含めて家族で寄り添いあっていた。その輪に入れば幾分楽になるとは思っていたが、この事態で友人とはいえ他人が家族の輪の中に入るのはおかしいと思い、少し距離を置いてその様子を見ているだけにしていた。それでも友人の母親は気を使い、汐里に話しかけるが「大丈夫ですから」、といい遠慮し続けていた。
ただ携帯は通じず、メールの返信も来ない中、汐里の精神は確実に蝕われ始めていた。それでも”父と母は絶対大丈夫・・・”と言い聞かせ、借りていたカメラの一番最初の画像、その日の朝にテストで何気なく撮った両親の写真を見つつ、寝れない夜を過ごしていた。
しかし翌日、そんな切なる願いも打ち砕かれてしまうことになってしまう。汐里の両親は、避難していた高校近くの未だに水が残っていた田んぼに、車体の半分が水に浸かっていた車の中から冷たくなって発見されていた。港近くの仕事場から中心街を抜けて高台に避難している最中に津波に流されてここにたどり着いていた。
それを捜索していた地域の消防団から聞かされた瞬間、汐里の中の世界は大きく歪み、色を失い、あらゆる感情が抜け落ちてしまった。その後の救い出された両親と対面しても涙も出ずただ近くで見つめることしか既にできなくなっていた。
徐々に支援の手が入り始めていたものの相変わらずの不便な生活が続いていた。汐里はただ虚空を見つめ続け、少ないながら出ていた食事も取ろうとはせず、話しかけて見ても生返事が帰ってくるだけとなっていた。あの日の夜、使いすぎて電池の切れたカメラと携帯は両親の死がわかってからは、一度も手にすることなく、上着のポケットに入れられたままになっていた。
数日後、火葬の受付が始まり、両親は隣市の火葬場で、この町の犠牲者としては初めて火葬されることになった。火葬場までは遺族が運ぶのが原則とされていたが、プライベートでも両親と仲がよかった会社の経理だった人の軽トラックで二人まとめて運んでもらった。その前日にも、被災を免れた汐里の自宅の片付けまで買って出てくれていた。家を流されてしまったらしく、体を動かさないとだめになりそうだからという理由であった。同じ理由で汐里の友人の両親も手伝ってくれていた。
汐里は俯き、弱々しい声で感謝を伝えていたが、瞳に光が見えないのもあり余計に心配させる羽目になっていた。
家の片付けの最中に、未使用の食品を入れるタッパーが2つ見つかり、汐里はそれを避難所に持ち帰っていた。これは両親の遺骨を入れる骨壷の代わりに使うために持ち帰ってきていた。
この災害では葬儀屋も当然流されており、骨壷と言った物もなくなってしまっていた。仮に残っていたとしても被害の甚大さを考えるととても足りないのは目に見えていた。
町職員からも「袋でも何でもいいので、骨を入れるものも持参してほしい」と説明されていた。幸い津波の被害を受けなかった汐里の家には袋よりはマシなものがあった。
火葬される両親を見届けているときも、手を合わせていたものの無表情であった汐里を立ち会っていた大人達はかける言葉を探してはいたが、ついには見つけることができないまま、火葬が行われていった。
火葬が完了し、遺骨となった両親を見ても涙一つも見せることなく骨を拾い始める汐里の姿に、とうとう逆に周りの方から嗚咽が聞こえ始めるほどであった。
通常火葬のときは骨が可能な限りきれいに残るように、時間が掛かっても低温でゆっくり行われる。しかし、通常の方法では施設の能力や当時の燃料不足によって火葬できる人数が限られ、すでに火葬待ちが増え続けているのでは機械的に行う他なく、火葬炉の上限近くまで温度を上げて行われていた。そのため両親の骨は健康であったにも関わらず粉々に砕けていた。その小さい破片をなんとか拾い上げて無表情のままタッパーの中に入れるその光景は、異様であるとしか言えないものであった。
家は無事ではあったが、余震の危険と身寄りがいないこともあって汐里は、高校の避難所に身を寄せ続けていた。家から持ち出したものと職員の努力で少しは寝れるような環境にはなっていた。流石に食事は少しずつとるようにはなっていた汐里ではあったが、それでもほとんど寝れないでいた。うつろな目で見つめる先が虚空から灰色と白色の混じったもの入ったタッパーに変わっただけであった。蓋に大きく父、母と乱雑に手書きで書かれたそのタッパーに小さくなってしまった両親が入っているとは誰も思わないことであろう。
そして他の人にはわからないことではあったが、汐里にはもう一つ思いつめていることがあった。それは借金のことであった。
経営が順調であったとはいえ、銀行から融資を受けないことには小規模な会社を成り立たせるのは難しい。この震災で海沿いにあった両親の会社は跡形もなく消えているのは想像に固くなく、その融資をどう返すのかが頭から離れなかった。
また震災の被害をあまり受けていなかった汐里の家も一年前に建てられたばかりであり、その借金の額ですら小学生の自分では到底払って行けるものではないとわかっていたことも事態の悪化に拍車をかけていた。
少し前に借金の返済に関して親が愚痴っていたときに、なにかあったら頼むぞと親が冗談で話しかけて来ていた。親からしたら子供を少しからかうだけのものであったが、汐里には冗談には思えていなかったのも原因であった。
大人であればあらゆる制度を利用したりや、なんとかお金を稼ぐ方法を考えたり、最悪自己破綻さえすれば生きるだけならなんとかなるだろうという考えが巡るであろう。しかし幾らものわかりが良かったとはいえ群を抜いて賢いわけではなく、ただの小学生であった汐里にこの状況でそれを期待するのには無理があった。
以前軽く読んでいた漫画には臓器売買や保険金詐欺という自分を犠牲にして借金を返すという描写があった。無論読んだときはそれは違法行為であり、やってはいけない行為であると理解してはいた。だが震災や両親の死を目の前にし、今までの疲労で思考が鈍っていた汐里にはそれすら自分に襲いかかるという想像に取り憑かれ始めているほどであった。
思い詰めるあまり、他の大人に聞くという簡単で単純なことですら抜け落ちていた汐里はあることを思い出していた。それは自分には大学進学時に満期を迎える医療保険をかけてくれていたであった。親がその保険のパンフレットを見せてくれたときに自分が死んだときにもお金がもらえると書いてあったことを思い出していた。
自分が死ねば、お金がもらえるし、借金も死んでしまえばそれ以上返すことはできないし、なにより両親ともう一度会えるという考えが徐々に大きくなってしまっていた。
普段では絶対考えないことであったが、汐里にとってあまりにも過酷な現実が続いていたためか生きることにすら執着しなくなっていた。
そしてある日の午後、ゆっくりと立ち上がって、ふらふらとした脚付きで体育館の出口を目指して始める汐里。行く先は海であった。両親の後を追いたいという気持ちか、誰かに迷惑をあまりかけたくなかったのか、自然とその考えにたどり着いていた。
しかし、体育館を出たときにある医者に声をかけられた。それはその日の午前中に避難所で臨時の健康診断が行われたときに見てくれた医者であった。
汐里はその医者に校舎にある一室に連れられて、海上自衛隊のものと名乗る職員と会った。そこで君にはこの国を守る特別な力があると言われていた。
当時、国民には秘匿されていたが深海棲艦と艦娘との戦いはすでに始まっていた。その頃の艦娘は第一次世界大戦以前の軍艦の能力しか持ち合わせていなかったが、知能がなく反射的に攻撃をする初期の深海棲艦には十分対抗できていた。
しかし徐々に連携や知能を身につけてきていた深海棲艦により劣勢を追い込まれ、震災前年の暮にはついに一方的な敗退をしてしまう事態にまでなっていた。その時は他の海域にいた他の艦娘たちも集結させてなんとか撃退したが、もう後がないのは火を見るより明らかであった。しかし震災前には第二次世界大戦で活躍していた艦艇の能力をもった艦娘は見つかっておらず、いずれ制海権を深海棲艦に奪われ、国家が滅亡するのも時間の問題という考えすら出てくるほど追い詰められていた。
ところが震災直後の捜索で浸水した町の水の上に立つ少女達が発見され、調査すると第二次世界大戦で活躍していた艦艇を模した艤装を扱うことができると判明したのであった。そこで国は、避難所にいる人を対象に臨時の健康診断を行うと同時に、艦娘に適正のある少女を探すことを決めたのであった。その検診の中で汐里は、秋月型防空駆逐艦1番艦秋月を模した艤装を操る適正があったことがわかった。
艦娘の登用は少女たちという立場上、完全な自由意志によるものと国際的な取り決めがされていた。しかしすでに深海棲艦が飛ばしたとされる航空機と思しき物体が確認されており、今後最重要とされる防空に絶大な効果をもたらすこの艦娘をぜひ確保したいと考えていた職員の説明はかなり熱のはいったものであった。
しかし当の汐里の耳にはあまり届いていなかった。ただ断片的に海上で死ぬことになる可能性があることだけは理解しており、借金も国が建て替えるから安心してほしいという話に「(どうせ死ぬならいっしょか・・・・)」という思いから静かに了承してのであった。
こういて汐里は艦娘秋月として海上自衛隊に入隊することになるのであった。