白雪千夜の美術観   作:maron5650

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20.モノクロームは月夜を浴びて

どうして、こうなってしまったのだろう。

 

彼女の左胸に、深く深く刺さった破片を、どうすることもできないまま。

ぐったりとしたちーちゃんを抱き締めながら、ぼんやりと考える。

背後には、瓦礫の山になってしまった美術館。

目の前には彼が、苦悶の表情を浮かべている。

右手で左肩を、爪が食い込むほど強く掴みながら。

手の隙間からぼたぼたと、大量の血を落としながら。

 

どうして、こうなってしまったのだろう。

 

幼い私にも分かっていた。

彼の負った怪我は浅くない。

あれだけの血を流していれば、いずれ死んでしまうことくらい。

 

どうして、こうなってしまったのだろう。

 

ただ私は、もう一度彼に会いたくて。

ただ私は、絵を褒めて欲しくって。

ただ私は、みんなで笑っていたかったのに。

 

どうして、こうなってしまったのだろう。

 

私が絵を描かなければ、みんなはここに来なかったかな。

私が絵を描かなければ、家族は死ななかったかな。

私が絵を描かなければ、彼は怪我をしなかったかな。

私が絵を描かなければ、ちーちゃんは、死んでしまわなかったかな。

 

どうして、こうなってしまったのだろう。

 

色が好きだった。

世界を鮮やかに彩る、色というものが好きだった。

それを自ら生み出せる、絵というものが好きだった。

世界を色づかせる神様になった気分になれるから。

キャンバスの上の、神様になれるから。

絵を描くことが好きだった、のに。

 

どうして、こうなってしまったのだろう。

 

私は神様でも何でもない。

目に見える世界はどこまでも灰色で。

それを塗り替える力は、私には無かった。

私は無力だ。

私は無力だ。

私は無力だ。

私は無力だった。

私はこんなにも無力なのに。

 

 

 

 

 

どうして筆を、執ってしまったんだろう。

 

 

 

 

 

 

「……僕はね、魔女なんだ。」

 

彼は私の目を見て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

その瞳は穏やかで。微笑すらも浮かべていて。

どうしてそんな表情ができてしまうのか。

私には、分からなかった。

 

「ま、じょ……?」

 

涙を溢しながら繰り返すと、彼は優しく頷いた。

その額にはじっとりと、汗が滲み始めていて。

もう時間がほんとうに、無くなってきていることを示していた。

 

「そう。魔法を使える魔女。

だから……ちとせを、助けられる。」

 

助けられる。

助けられる。

助けられる。

その言葉が頭を満たす。

 

「……助けて、くれるの?」

 

ちーちゃんを助けられる。

彼になら助けられる。

私の大事な親友を、助けられる。

 

「うん。でも、それには君の協力が必要なんだ。」

 

彼の言葉に、私は迷いなく頷いた。

ちーちゃんを助けられるなら。

ちーちゃんが死なずに済むのなら。

親友を失わずにいられるのなら。

私は、何だってしてみせる。

 

「僕が使えるのは、怪我を治す魔術ひとつだけ。

ちとせを完全に回復することは、これだけじゃ難しい。」

 

ちーちゃんを見る。

消火器の破片は左胸の深くまで突き刺さっている。

髪も服も焼け焦げて、皮膚の火傷が痛々しい。

 

「何より。……ちとせ自身が、生きる気力を失っている。

本人にその気が無いんじゃ、身体を治したって仕方がないんだ。」

 

生きる気が、無い?

 

「ちーちゃん、生きたくないの……?」

 

彼女が死を望んでいるなんて、思えなかった。

記憶の中のちーちゃんは、いつも優しく笑っていて。

だから彼の言葉と、どこまでも符合しなかった。

 

「…………でも、君の言葉なら。

君が呼びかけてくれるなら。

彼女はきっと、応えてくれる。」

 

だから。

名前を呼んでくれないか、と、彼は言った。

彼女の目が覚めるまで。

彼女の命が助かるまで。

彼女の意識が戻るまで。

名前を、呼び続けてくれないか。

 

「……うん。」

 

ちーちゃんを仰向きに寝かせ、手を握る。

彼は溢れる血を傷口に流すと、祈るように両手を組んだ。

 

「……千夜ちゃん。」

 

肩で息をする彼は、きっと寝ずにいるだけで精一杯で。

彼の命はほんとうに、終わりの時が近づいていた。

持てる最期の命を使って、ちーちゃんを助けようとしているのだと。

言葉では決して、彼は言ってくれなかった。

 

「君のファミリーネームが、僕は好きだった。

白雪。スノウホワイト。」

 

彼の痛みは彼だけのもので。

彼の覚悟は彼だけのもので。

それを私に分かつことは無かった。

私も背負うことはさせてくれなかった。

 

「その名の通り、君は綺麗だ。

どこも汚れてなんかいない。」

 

それは紛うことなく彼の優しさで。

私は彼にとって、どこまでも庇護の対象だった。

 

「どうか君は、そのままでいてほしい。」

 

 

 

 

 

私は彼の対等たり得ないのだった。

 

 

 

 

 

「……始めよう。」

 

ぼたぼたと落ちていく彼の血が、ちーちゃんの傷口を覆い尽くしてしまった頃。

彼はそっと呟いて、組む両手に力を込める。

 

「……ちーちゃん。」

 

私は、彼女の名を呼び続けた。

 

「ちーちゃん。……ちーちゃん。」

 

彼が死ぬと分かっていて。

命をひとつ、交換すると知っていて。

それでも私は、彼の名前を呼べないのだった。

 

「ちーちゃん。ちーちゃん……!」

 

私が呼ぶのは彼岸の彼女で。

そのために此岸の彼を差し出すのだ。

愛する者を失くさないために、愛する者を失うのだ。

 

「……ちーちゃん!」

 

彼の身体が、段々と黒くなっていく。

灰や煤では説明のつかない、絶対的な黒。

すべての光を失った果ての黒。

すべての力を使い切った残骸。

そんなものに、彼は徐々に成り果てていく。

 

「ちーちゃん! ちーちゃん!」

 

最初は足から。

水嵩が徐々に増していくように。

じわじわと上の方へ、黒が這い上がっていく。

彼が彼ではなくなっていく。

 

「……千夜ちゃん。」

 

黒が彼の首元にまで迫る。

それに締め付けられるように、彼は言葉を絞り出した。

 

「ちとせを頼む。」

 

それが最後に私の聞いた、愛する人の言葉だった。

 

「……ちーちゃんっ!!」

 

嗚咽を噛み殺す。

涙を振り払う。

彼の方を決して見ない。

彼の言葉に応えない。

彼の最期を、見届けない。

 

「ちーちゃん!!」

 

そうしなければ揺らぎそうだった。

そうでなければ壊れそうだった。

彼女だけを見ることが、私にできる精一杯の応えだった。

彼女だけを呼ぶことが、私にできる唯一の意思表示だった。

 

「ちーちゃんっ!!!」

 

彼女の名を呼ぶ。

何もかもを拒絶するように。

彼女の名を呼ぶ。

何も聞こえてこないように。

彼女の名を呼ぶ。

私が託されたものを、心に刻みつけるように。

彼女の名を呼ぶ。

 

 

 

 

 

 

「だいじょうぶ。君は生きるよ。」

 

彼女の声が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

真夜中の美術室。

月明かりが絵を照らす。

私が描いた絵を照らす。

黒埼ちとせが色を得る。

 

「……助けなきゃ。」

 

何をしていたんだ、私は。

彼に守られて。彼女に守られて。

何もかもを失ったような顔をして。

あるじゃないか。

成さねばならないことは、確かにあるじゃないか。

託されたものは、確かにあるじゃないか。

安寧な幻想を。幸福な虚構を。

それら全てを投げ打ってでも。

やりたかったことが、確かにあったじゃないか。

 

「……思い、出したのですねー?」

 

芳乃さんが声をかける。

美術室の入り口に、彼女達は立っていた。

私が戻ってくることを、きっと彼女達は待っていた。

頷き、彼女達の元へ歩き出す。

 

「幸子さん。小梅さん。「あの子」さん。芳乃さん。」

 

全てを思い出した。

あの日あった全てを。

違和感の正体を。

 

「私は、無力です。

私には何もありません。

何の力も持たない人間です。」

 

私だけでは彼を助けられなかった。

私だけでは彼女を守り切れなかった。

私はこんなにも無力だった。

 

「だから。お願いします。

助けてください。力を、貸してください。」

 

泣き縋り嘆き拝み訴え望み続けよう。

何も持たない私ができる何もかもをし続けよう。

 

 

 

 

 

ちーちゃん(生きる意味)を、助けなきゃ。

 

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Mission] 白雪のままでいてください

 

私は、白雪です。誰のものでもなく。

そうあれと、願う人がいるから。

 

 

[Mission] 生きる意味を救ってください

 

託されたんだ。願われたんだ。

大切なんだ。大好きなんだ。

たったひとりの親友なんだ。

それを違えてたまるものか。

それを失ってたまるものか。

助けるんだ。

 

 

 

〔Mission List〕

 

・白雪のままでいてください

・生きる意味を救ってください

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