走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

1 / 12
懐疑

 ある朝、寮からトレセン学園への道を歩いていたライスシャワーが信号待ちをしていると、自分の隣に何者かが立ち止まったことに気付いた。

 自分の身の回りで起こる不幸が全て自分のせいだと思い込んでいるライスシャワーは、普段ならここでそそくさと別の交差点にルート変更を行い、他人に迷惑をかけまいと心がけている。だがその時ばかりは、自分と同じトレセン学園の制服を着た隣の人物、もといウマ娘に興味が沸き、ちらりと目をやった。

 

「……」

 

 まず背丈がかなり高い。目測でも一七〇センチ強はあるだろう身長は、一四五センチのライスにすれば見上げる高さだ。肩幅も広くがっちりしており、ウマ娘特有のウマ耳の存在もあって余計に上背が大きく見える。

 次に目を引くのは、ウマ娘としても珍しい青色の毛だ。正確にはもっと彩度の低いくすんだ水色に近い発色の髪は、単に長いというより手入れを怠っているが故に長くなっているように思える。自分の容姿にはあまり気を使わないタイプなのだろうか。

 そして、基本的に見目麗しい美少女として生まれる――ライスにはその自覚はあまりない――ウマ娘とは思えぬ峭刻な容貌。切れ長の目は情動性に欠け、耳も尻尾も表情筋同様ぴくりとも動かない。学園にも感情表現の苦手なウマ娘はいるが、彼女のそれは得手不得手とは別次元の、人として大切な何かを摩耗してしまっているように見えた。

 こんなウマ娘がいるものなのか。ライスにそんな感想を抱かせる程に、そのウマ娘は異質であった。

 

「……あ、青だ」

 

 信号が変わると、ライスはすぐに横断歩道を渡り始めた。得体の知れないウマ娘への恐怖と、周囲に不幸を振り撒くまいとする普段通りの思考が取らせた行動である。しかしあの長身のウマ娘は、ライスを遥かに超える歩幅で以て彼女を追い抜き、先に反対側の歩道に到達した。特に先を争うつもりもなかったライスは、その時初めて彼女の長い手足と、それが生み出すストライドの長さという優位性について‘ウマ娘らしく’意識したのだった。

 その歩幅の差が、明暗を分けた。

 

「あっ――」

 

 声を上げたのは自分か、それとも他の誰かか。渡ろうとしていた先の歩道、そこに面した工事現場から赤黒い鉄骨が落ちてくるのを見たのは、自分だけではないらしかった。

 落下地点は目と鼻の先。それは当然、先に道を渡り切った彼女の真上。

 

「きゃああああああぁぁぁぁぁーーーーー!!」

 

 直視に堪えぬ惨劇を予感し、ライスは叫喚と共に目を覆った。直後、伏せられた耳からも伝わる轟音。

 何ということだ。自分は駄目な子だと日頃思い続けてきたが、これでは疫病神どころか死神ではないか。ライスの自己嫌悪は過去最悪に達していた。幾らウマ娘といえど、高所から落下してくる重量物に耐えられる程の頑健さは持ち合わせていない。たとえ即死を免れようとも、レースに出るウマ娘ならば選手生命を恒久的に絶たれることは必至だ。たまたま通りすがっただけのウマ娘を襲った()()に、ライスは己の運命を嘆き、この世に生まれてきたことを恨みさえした。

 ところが、ライスが恐る恐る事故現場に目を向けてみると、

 

「え……?!」

 

 鉄骨は紙一重でかのウマ娘の背後のアスファルトを抉るのみで、彼女自身は直立不動のまま、全くの無傷であった。とんだ偶然もあったものである。こんな状況下でも、彼女の顔は何の感情も表さず、自分を危機に陥れた鉄骨をただ冷たく静かに見下ろすのみである。

 

「大丈夫か?!」

 

 どこか人間離れした冷静さにライスが呆然としている間に、その場に居合わせたうちの一人が駆け寄ってくる。そうだ、助かったのだとしても、自分が近くにいなければ起こらなかったかもしれない事故だ。自身のネガティブさにかえって助けられ、ライスは謝罪の言葉を胸中で捻り出しつつ、彼女に向けて歩を進めようとした。

 そんなライスの足は、先程とは別種の驚愕で止まることになった。

 

「……って、何だ最低野郎(ボトムズ)かよ。心配して損したぜクソが」

 

 すぐ近くまできたその男性は、被害者を案ずる顔から一転、汚物を見るような顔で吐き捨てた。これ見よがしに声を張り上げた彼は犬の糞を踏んだような足取りで去っていき、悪罵を受けた彼女も何食わぬ顔でその場を離れていく。

 ライスの鋭敏なウマ耳は、通りのそこかしこでひそひそと話す声を捉えていた。

 

「最低野郎ってあの子……?」

「じゃああいつが『レッドショルダー』の生き残りなのか?」

「あんなのを入学させるなんて、トレセン学園は何を考えてるのかしら」

「あいつがレースに出ると思うとぞっとするね」

「さっきのでくたばってりゃよかったのに……」

 

 ライスにも、これが自分のもたらした不幸以前の問題だと理解できた。怪我を心配する言葉の一つもなく、それどころか死ねばいいとすら言われる程の嫌われよう。一体彼女の何がそうさせるのか。普通のウマ娘なら、レースでどんな失態を犯したとしてもここまで非道な扱いを受けることなどない筈だ。

 

「あ……ま、待って!」

 

 力になれるかはわからないが、せめて自分だけでも彼女に思いやりのある言葉をかけてあげたい。そう思って追いかけた背中がトレセン学園の正門付近にあるのを見て、ライスの足は三度止まった。

 

「スコープドッグを退学させろーッ!!」

「ウマ娘のクズをレースに出すなーッ!!」

「赤ん坊殺し! 大量殺人者!」

「トゥインクルシリーズに人殺しはいらない!」

「メルキアに帰れ!!」

 

 横断幕やプラカードを掲げたデモ隊が正門前に押し寄せ、校舎に向けて口々に罵り声を浴びせていたのだ。プラカードには『SCOPE DOG GO HOME』『ウマ娘の恥晒し』『ターフを犠牲者の血で汚すな』などとあらん限りの非難の言葉が書かれていたが、

 

「嘘……」

 

 その中でも一際大きくライスの目を引いたのは、あのウマ娘が銃を持ち、幼い子供の遺体を足蹴にしている様が大写しになったものだった。

 あの写真の人物が、彼らが退学を要求している“スコープドッグ”というウマ娘なのか。スコープドッグというのは、目の前にいる彼女と同一人物なのか。心に受けた衝撃を受け止めきれず、ライスは思わず彼女の顔を覗き込んだ。

 

「……」

 

 鉄面皮かと思われた彼女の顔は、眉間に僅かに皺を寄せ、デモ隊のプラカードを視界に入れまいと目を伏せていた。何より力なく垂れ下がったウマ耳を見れば、彼女――スコープドッグが目を逸らしたい現実を突き付けられ、苦痛に苛まれていることは明白である。

 初めて見たスコープドッグの表情らしい表情に、ライスには確信できることがあった。よしんばデモ隊の言う通り彼女が人殺しだったのだとしても、それは間違いなく彼女自身の意思によるものではないと。あの写真を見て、()()()()()()()()()()()()()()ような人が、好き好んで人を殺しなどしないだろうと。

 やがてスコープドッグは逃げるように正門を離れ、塀を乗り越えてトレセン学園の敷地内に入っていった。

 

 

 

 

 

「ハハハハ、それで結局彼女だけになってしまったのかい」

「笑い事じゃないぞタキオン……」

 

 チーム・アンタレスの部室は閑散としていた。卒業生達が未来のチームメンバーに明け渡していったロッカーには、十五分前までは十人程のウマ娘達の荷物が置かれていたが、新たに一人の入部希望者が現れると、彼女達は蜘蛛の子を散らすように部室を去っていってしまったのだ。自主トレーニングを終えて戻ってきたばかりのアグネスタキオンは、チーフトレーナー兵藤から事の次第を聞いて大いに笑った。

 アンタレスは同世代の他チームに比べれば目立ってはいないものの、確かな実績のあるチームだった。しかしここ数年新メンバーに恵まれず、昨年メイクデビューしたタキオン以外のメンバーは昨年度末に全員が卒業。チーム解散の危機を前にようやく現れた新メンバーも殆どが加入の意思を翻し、盛大な肩透かしを食らった形である。

 はっきり言って、アンタレスは空中分解寸前であった。

 

「……サインはしたぞ」

 

 最後にやって来たこのウマ娘――今年度高等部に入学してきた新入生スコープドッグに付き纏う()()を慮れば、入部を取り止めた彼女達の判断を一概に否定することは難しいのかもしれない。だがそんな先入観に踊らされるだけの輩にはアンタレスにいて欲しくないというのがタキオンの本音だった。

 

「ありがとう。さて、あと三人か……」

「新入生相手に勧誘でもするかい? 言っておくが私はやらないよ、忙しいからね」

「やれやれ……仕方ない、俺もそろそろ腰を上げないといかんな。受け身のままでは原石の一つも拾えんか」

「……君、ちゃんと仕事してるのかい?」

「目立たない努力が多いんだよ、お前と同じでな」

 

 今の自分があるのは、このチームがあったからこそだとタキオンは考えている。

 繊細過ぎる自分の足をあの手この手でなだめすかしてギリギリの状態で走っていた彼女は、授業もトレーニングも欠席せざるを得ないことがままあり、それが悪い噂を呼んでいた。トレーナーの指示通りのメニューをこなせないだろうと、チームへの所属もトレーナーとの専任契約もしていなかった為、一時は退学勧告すら出されていたのだ。

 そんな時に出会ったのがアンタレス、そして兵藤トレーナー。兵藤は「厄介者を押し付けられただけだ」とは言っていたものの、タキオンの意思を尊重し、トレーニングメニューの他デビュー時期やその後のレースの出走登録さえ彼女の好きにさせていた。卒業していったアンタレスのメンバーも、偏見を持たずにタキオンに接し、彼女のライフワークである様々な研究にも積極的に協力していた。タキオンがアンタレスを存続させたいと願うのは、大量の実験器具の置き場所に困っていることばかりが理由ではない。

 

「今日はもう遅い。スコープドッグ――スコープでいいか、お前のトレーニングは明日以降だ。授業が終わり次第またここに来てくれ」

「了解した」

「俺は帰る。タキオン、施錠は頼むぞ」

 

 お気に入りの白いマリンキャップを被り直し、兵藤は部室を後にする。人数の大幅減や実験の都合もそうだが、鍵の管理を任せられるまで構築することのできた信頼関係を、タキオンは貴重なものと認識していた。

 

「……」

 

 扉が閉まると、兵藤をじっと見送っていたスコープとタキオンが部室に残された。数秒の静寂――タキオンには、スコープが兵藤について何か考え込んでいるように見えた。

 

「安心するといい。彼はチームメンバーの待遇をその者の前歴で不当に悪くすることはない。私がここにいるのがいい証拠だ」

「……皆、俺を知っているのか」

「君の言う“皆”がどこまでを範疇とするのかの定義は不明だが、少なくとも私とトレーナーは、センセーショナリズムに染まっていない情報は持っているよ」

 

 タキオンが口を開くと、スコープはやおら彼女に振り向いて問うた。タキオンが部室に戻り椅子に座ってからというもの、二人は一歩もその場を動いていない。立ったままのスコープに「使いたまえ」と着席を促し、タキオンは続けた。

 

「少し調べればわかることだ。正門前で騒ぐ者達にはそれができないらしい」

「……ここに来るまでに六つのチームを訪ねた。受け入れられたのはここだけだった」

「ふむ、トレーナーや教員には理事長からの通達があったと聞いたが……まあ何にせよ、君はここに受け入れられたことを素直に喜ぶといい。ようこそアンタレスへ」

 

 鷹揚に語るタキオンを、彼女の向かいの椅子に座ったスコープは無言で見つめていた。表情に変化が現れずとも、信頼に値するかどうかを量られていることはタキオンにもわかった。他人を元気付けるようなことは柄ではないが、チームへの心象をよくしておくに越したことはない。タキオンは、それを単なる打算だとは言いたくなかった。

 

「――デモンストレーションはこのくらいにしておこう。世間が騒ぎ立てていることよりも、私にはもっと別に知りたいことがあってね」

 

 それでも、タキオンの知的好奇心をとどめるには至らない。

 

「知りたいこと?」

「このチーム・アンタレスの前任者、兵藤トレーナーの大叔父にあたる人物の論文がここには多く保管されている。その中に一つ興味深いものがあったんだ」

 

 本来こういった前置きは好かないが、兵藤には事前の説明をしっかり行うことを口酸っぱく言いつけられている。タキオンはそれを思い出しつつ、スコープへの最初の質問を口にした。

 

「まずは問おうスコープドッグ君。君は、()()()()()()()()という経験が何度か……いや、それこそ()()()あったりはしないかい?」




入学したことが幸運とは言えない。それは次の地獄への誘いでもある。
ここは、トゥインクルシリーズの最前線。
滲み出す偏見が、お前など要らないと呻きを上げる。
呻きは恐怖を呼び、血を求める。
競い合い、鬩ぎ合い、その汗を互いの涙で洗えと断末魔の地が叫ぶ。

次回、『トレセン』

青く茂った芝が狂気を促す。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。