走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

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不死の舞台

 例年晴れることの多い有馬記念は、今年は珍しく雨天が予報されていた。それは奇しくもスコープのメイクデビューと同じ天候だと思われたが、スコープのパドック入場を前にして土砂降りに変わりつつあった。

 

『注目の一番人気、十三番スコープドッグ』

「待ってました!」

「今日も、いや今日は勝ってくれよ!!」

「気持ちだけは百票入れたからな!」

「五万円寄付したぞー!!」

「俺らの気持ち受け取ってくれい!!」

 

 会場に押し寄せた観客達は、激しい雨のことなど気にもしていない様子だ。年末最後の大一番への興奮が渦を巻き、凄まじい熱気を放っている。その中心にいるのは紛れもなくスコープだった。メジロ財団のクラウドファンディングで彼女の為にと最終的に集まったおよそ四億五千万円、贈与税を引かれても二億円以上に及ぶ支援金受け取りの成否が懸かったこの戦いを、彼らはその目で見届けようとしていた。

 

「……去年の秋天の時もそうだったんだがな」

「うん?」

 

 その人垣に阻まれ、良川は前列から遠く離れた位置でスコープを眺めていた。皆が口々にスコープへと応援の言葉を投げかける中、背後にぬっと姿を現した兵藤が話し始める。

 

「本当は、チームメンバーを同じレースに複数人出すのは気が進まなかったんだ。爺さんと同じ轍を踏むことになるんじゃないかってな」

「『共食い』……大塚博士の行っていた限界性能試験か。ウマ娘特有の闘争心の高さを悪用し、チームメンバーのライバル関係を必要以上に煽って同じレースに出走させる。これで怪我をするウマ娘が出なかったのが不思議なくらいだが、その辺りは彼の名伯楽たる所以かな」

 

 二番人気でスコープと雌雄を争うストライクの他にも、今回のレースには錚々たる面々が集まっていた。特にアンタレスはメンバー全員がファン投票上位に食い込み、人気票数も殆ど横並び。やはりスコープとストライクの注目度合いは突出していたが、いずれ劣らぬ強者ばかりの彼女らの目は、それでも尚たった一つの勝者の座を求めてぎらついていた。

 しかし良川には、スコープが、タキオンが、ライスが、クリークが、チケットが、絶対に負けないという矛盾を孕んだ確信があった。直接生死に繋がるような状況ではないものの、彼女達が共通して持つ異能の因子がそうさせているのかもしれない。ここまで努力を重ね、仕上げることができたという結果まで含めて。

 

「だが君は違う。彼はマインドコントロールの結果として出走させた。君は彼女らの意思を尊重した結果として出走させた。君は同じことをしていると思っているのかもしれないが、少なくとも私は、行動の意図という点で君を評価したい」

 

 良川はそこでようやく振り返り、ウマ娘達に向けていた目を兵藤に移して彼を讃える。対する兵藤は面食らった様子でマリンキャップを取ると、視線を逸らして照れくさそうに後頭部を掻いた。

 げふん、と咳払いし、兵藤はキャップを被り直す。

 

「――ストライクのトレーナー、弥永についての情報が出た。タキオンには後で話すが、お前とは今のうちに共有しておきたい」

「わかった。場所を移そうか」

 

 良川が最後にもう一度見たスコープは、降りしきる雨の中でじっと空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 人払いをした控室の中で、ストライクは保冷バッグの中を漁っていた。保冷剤とスポーツドリンクに埋もれ、二重底の下に隠されていたのは、透明な液体の入ったアンプルと無針高圧注射器。

 

「んっ……ふう」

 

 注射器にアンプルをセットし、首筋に当ててスイッチを押し込むと、ばすっ、という脱気音と共に液体が打ち込まれる。これまで全ての公式戦で行ってきた作業だ。日常生活用、強度別のトレーニング用、模擬レース用、公式戦用で含有する酵素の量や比率は異なり、PSの性能を最大限に発揮可能になる公式戦用は、今注射したのが最後の一本だった。次にそれらが支給されるのは、このレースに勝った後。

 

「……勝たねば」

 

 当たり前だと思っていた勝利。それを奪われて初めて、ストライクは凡百のウマ娘達の「勝ちたい」という気持ちを知った。自分もウマ娘である以上、それは初めから自分の中にあるものだと自覚していて、「負けてもいい」と思って走ったレースなど一度たりともなかったが、PSとして優れた走行能力を約束されて生まれた自分には、それは半ば関係ないものだと思っていたのかもしれない。凡愚の思い上がりなどではない厳然たる事実として、自分は他者より優れている。その事実を、スコープドッグという異分子が破壊した。

 人の手によらない天然のPS、スコープドッグ。ヂヂリウムを使った遺伝子発現の制御で手綱を握っておくことができない相手であるにも関わらず、大塚は自らの野望の結晶たる自分を切り捨て、スコープを研究に使おうと画策している。そうなれば最強を示す機会は永久に訪れない。遺伝子の機能不全による死の恐怖と同等かそれ以上に、ストライクは己の存在意義が果たされないことをこそ恐れていた。

 その為に、スコープドッグへの勝利で以って、彼女の全てを否定する。

 

「真の戦士は、私一人で十分だ」

 

 ストライクが控室を出て廊下を少し歩くと、丁度スコープも自身に割り当てられた部屋から出てくるところだった。ふと立ち止まったスコープの脇を通り過ぎようとすると、自然に両者の目が合う。

 

「……」

「……ふん」

 

 ままならぬ現状に燻る怒りを込めて睨みつけても、スコープはピクリとも表情筋を動かそうとしない。鉄面皮の裏側で自分を嘲笑われているような気がして、ストライクは殊更苛立たしくなった。

 

「待て」

 

 背後から声がかかる。ストライクは足を止めるが、振り返らない。最早スコープの顔も見たくなかった。

 

「……記者会見は、見ておくべきだ」

 

 何かと思えば、もう勝った後の話をしているのか。ストライクは呆れたが、死んでいく自分のプライドに終止符を打つには丁度いいのだろうと思い直して、何も返さず歩き出した。

 

 

 

 

 

 担当バとそのライバル達が続々とターフに姿を現すのを、弥永は中山レース場最上部のゴンドラ席から見下ろしていた。すぐ隣には自分の()()()、もとい共犯者である大塚が立ち、サングラス越しに下界へ険しい視線を送っている。

 

「弥永、わかっているな。このレースでストライクドッグがスコープドッグに勝てなければ、プランプロトツー=イプシロンは打ち切り、直ちにプランプロトワンに移行。お前はストライクドッグとのトレーナー契約を解除し、スコープドッグと契約して貰う。その為の仕掛けはいつでも使えるようにしておいた」

「……はい、博士」

 

 喉元まで出かかった「貴方はウマ娘を何だと思っているのだ」という言葉を、弥永は必死で呑み込んだ。その言葉が自分自身に跳ね返ってくることを恐れたからだ。たとえ今大塚をどんなに責めようとも、良心に蓋をして彼の誘いに乗った事実を否定することはできない。

 同量・同質の努力では決して覆すことのできない、決定的な能力差。努力の末に得た力を、それ以下の努力でねじ伏せてしまう才能の差。ウマ娘達の夢を支えたい一心でトレーナー試験の狭き門を潜り抜けた先で見たその光景、担当バがことごとく才能ある同期に敗れ学園を去っていく姿に、弥永は心を痛めた。苦悩の果てに過った考え――『全てのウマ娘の能力の初期値と成長率が同じなら、後は努力の差だけがものをいう筈だ』――それこそが、悪魔に魂を売り渡すきっかけとなった。

 大塚が接触してきたのは、弥永の父が病に倒れた直後のことだった。“私の研究に協力すれば、私の伝手で古巣の大学病院を紹介してやる。金も出そう”という甘言に縋り、その対価がストライクドッグとのトレーナー契約、彼女の能力を最大限に引き出すトレーニングの指示通りの遂行(つまりトレーナー業の代行)、そして機密保持。全てが好都合過ぎた。

 

「……博士、もしストライクがスコープドッグに負けたとして、本当に契約を変更してまで研究する価値があるのでしょうか? 幾ら能力があろうとも、それ故に欠陥を持つウマ娘は研究材料には不適当かと」

「奴の抱える精神疾患については私も把握している。その上で、その欠陥を埋め合わせて尚釣りのくる価値が奴にはある」

「貴方が手ずから作り上げたストライクよりも上だと?」

「ストライクドッグを奴以上の逸材としてプログラムすることができなかったのは私の失態だ……だが、それがわざわざ非効率なやり方を続ける理由にはならん」

 

 ストライクドッグ。日本の生殖補助医療関連法規の不備を突き、不妊のウマ娘を秘密裏に代理母(サロゲートマザー)として誕生したウマ娘。最強のウマ娘を作るという大塚の妄執によって、倫理性の欠片もない遺伝子操作で作為的に作り出された歪な生き物だ。現在に至るまでその存在に大塚が関与・干渉し続け、家庭環境すらも完全に掌握されている。

 ストライクの出生の秘密を大塚に聞かされて、愕然としなかったと言えば嘘になる。しかし弥永は当初、彼女を徹底的に利用し尽くす腹積もりでいた。彼女の活躍によって大塚の研究が立証されれば、一握りの才能に夢を奪われる理不尽な現実をトゥインクルシリーズに突き付けることができる。そして皮肉にも、いずれ多くのウマ娘達がこぞって同じ力を求める筈だ。遺伝子ドーピング規制は、従来の手法では検出困難な被メチル化遺伝子と、酵素群の組み合わせと比率次第でそれらを自在に発現可能なヂヂリウムによって有名無実化するだろう。その暁には、PSと同じ能力で平均化されたウマ娘達が、残酷に過ぎるレースの世界を真に‘公平’にしてくれる。普及までの混乱と、絶対的優位性を失ったストライク自身のその後のことなど、後は野となれ山となれ――菊花賞での彼女の敗北まで、本気でそう考えていたのだ。

 

「優れた者がいれば、私はそれから目を背ける訳にはいかん。奇跡というものを私は目撃した……それは、あるのだ!」

 

 敗北した相手への逆襲。普通のウマ娘なら十分あり得ることだが、最高の能力を持つよう‘設計’されたPSが相手なら話は変わる。行手に塞がるあらゆる敵を赤子の手を捻るように蹴散らし、それでもただ一人にだけ勝つことができない不可解な実態。完全なる走者であることが自身のアイデンティティーと信じて止まないストライクが、その最大の障害となったスコープを前にもがき苦しむ姿に、いつしか弥永は打算をかなぐり捨て、ストライクを勝たせることに躍起になっていた。完璧な大塚のトレーニングマニュアル――ストライク以前の担当バがいた時にこれがあればと頭を抱えたこともある――から逸脱したメニューを行うことは勿論なかったが、その熱意は確実にストライクに伝わっていたと自負している。

 その一方で、弥永はストライクにとって然程重要視されていないだろうと自覚していた。ストライクは縦の繋がりには従順だが、横の繋がりは極めて薄く、基本的に孤立した(スタンドアローンな)ウマ娘だ。トレーニングを他人と一緒に行わない指導方針の影響もあって友人らしい友人が殆どいない。大した趣味もなく、栗東の寮長フジキセキによれば、休日は一人部屋から一歩も外に出ていないという。それを苦にした様子もないのは、彼女の心の拠り所が己の存在証明だけであり、それ以外の何物にも精神的に依存していないからなのだろう。だとすれば、彼女がライバル視どころか敵愾心や憎悪すら向けているスコープは、方向性は異なれど彼女が初めて依存した‘他者’であり、その点に於いて自分よりもずっと大きな存在に違いない。

 

「……ストライク」

 

 今更ながら、ストライクが何故スコープに負け続けているのか、弥永は自分なりに理解できた。PTSDを患う程の悲惨な過去を持ちながら、チームメンバーに恵まれ、今やファンの期待を一身に背負って走るスコープは、とても多くのものに支えられて生きている。支援という名の脅迫の下、この世に生まれ落ちる前から押し付けられた‘最強’という命題の証明を自分の意思だと勘違いしたまま、孤独に戦い続けているストライクと比べれば、その差は一目瞭然だ。精神面もウマ娘の能力を左右するというトレーナーとしての基本に立ち返って考えれば、ストライクがスコープに勝つ未来はどうしても想像できなかった。

 

『――年末の中山で争われる夢のグランプリ・有馬記念! あなたの夢、私の夢は叶うのか! ――』

 

 この舞台での敗北は、ストライクを更なる絶望の淵に叩き落とすことになろう。コートのポケットに保冷剤と共に忍ばせた最後のヂヂリウムを彼女に託したとて、何の慰めにもなりはしまい。先延ばしにされた死が訪れる前に、彼女の精神が死を迎えることさえ考え得る。

 それを覆せるのは、きっと皮肉にも、ストライクドッグに引導を渡すスコープドッグ自身なのかもしれない。そんな淡い希望を抱くことしか、弥永にはできなかった。

 

 

 

 

 

『――スタート! ――』

 

 『無事之名バ』という言葉がある。時速六十キロ以上で走り回るウマ娘達が、時にそのスピードが徒となって命を落とすことさえあったことから、競走能力如何よりも怪我なく走り続けることをこそ尊んだ言葉だ。これは、スコープドッグというウマ娘について言えば間違いなく保証されたものと考えていい。異能生存体の尋常ならざる回復力、そもそも死に繋がる要因を寄せ付けない体質があれば、怪我での引退とは無縁と云えよう。GI四勝の実力とそれを裏付けるPSというポテンシャルも加わればマ子にも衣装である。

 故に兵藤は、実際に走り出すその時まで、スコープの無事を微塵も疑っていなかった。

 

「む……?」

 

 普段より妙に前方に位置取るスコープを見て、兵藤は胸騒ぎがした。肩掛け鞄から可変倍率双眼鏡を取り出し、スコープを注視する。電波測距儀と指向性マイクを搭載したタキオン特製の逸品は、泥に塗れて向こう正面を走るスコープの問題をつまびらかにした。呼吸が荒く、目の焦点が合っていない。

 

「……まずいぞ。良川、すぐにレースを中止させろ!」

「な、何を言っている? また何か事故が起きるとでも――」

「わからんのか良川!! スコープは、」

 

 今の今まで意識していなかった。レースそのものが引き金になるなど考えもしていなかったからだ。

 

「PTSDの発作を起こしている……この天候とバ場状態が、フラッシュバックを誘発しているんだ!!」




捻れて連なる二重螺旋のように、精妙にして巧緻、大胆にして細心。
練りに練られた能力が、遺伝子の如く自己を複製する。
いよいよクライマックス。いよいよ大詰め。
舞台を用意した諸悪の根源がツケを払う時が来た。
万雷の拍手喝采と共に、眩し過ぎるスポットライトを浴びるのは誰だ?!

次回、『中山』

勝負とはいつも残酷だ。

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