走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

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アンタレス

「すみません、ここがチーム・アンタレスの部室で合ってますか~?」

 

 スーパークリークがそのプレハブ小屋にやってきたのは、日が大分傾いてからだった。

 

「兵藤トレーナーに何か用かい? 彼ならトレーナー室に資料を取りに行ったよ」

「はい、それもあるんですけど……」

「私は今手が離せない。そこの椅子にかけて待つといい。少々遅れているようだが……まあ、じきに戻ってくるだろう」

 

 部屋の奥にいたタキオンが、背を向けたままクリークに応える。彼女はクリーンベンチに向かい、その中でシャーレに固体培地を分注していた。クリーンベンチの送風機の音に交じって、電動ピペッターの吸排気音が部室に断続的に響いている。クリークの()は兵藤以外にもあったが、作業に集中している様子のタキオンにそれ以上時間を割かせるのは躊躇われた。

 大人しく椅子に座ると、入り口側の部屋の隅にいた目的の人物と目が合った。

 

「あっ、やっぱりここにいましたね!」

「……」

 

 クリークはすぐに立ち上がり、そちらへ歩み寄る。無言の相手が投げる視線は興味の有無を感じさせず、監視カメラのように無機質だった。

 

「貴女がスコープドッグちゃんですね。私はスーパークリークっていいます~」

「……俺に何の用だ」

 

 昨日も、そして今日も行われていた、スコープドッグのトレセン学園入学反対デモ。彼らを始め口さがない者達に『最低野郎(ボトムズ)』の誹りを受け蔑まれているその名をトレセン学園で聞くことになるとは、クリークは考えもしなかった。クリークもまた、今朝の食堂でスコープを遠巻きに見ていた一人だったのだ。

 それ故に、クリークには気付いたことがあった。

 

「スコープちゃん、でいいかしら?」

「構わない」

「スコープちゃん、お昼ご飯は食べましたか〜?」

「!」

 

 昼休みに食堂に行ったクリークは、今朝とは正反対の(或いは普段通りの)騒がしさで、その場にスコープがいないことを知った。購買に訪れた様子もなく、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()彼女が自力で食事を作れる筈もない。つまりスコープは、唯一の栄養補給源である食堂のスタッフを疑うあまり、食事を疎かにしているのではないか。他人への世話焼きをこよなく愛するクリークの、それが推論だった。規格外に大食漢な友人の例もあり、捨て置くことはできない。

 

「……食べていない」

「やっぱり! だめですよ、ご飯はちゃんと食べないと〜」

「……」

 

 その程度のことは百も承知だ。視線でそう語られた気がした。無論クリークとて、スコープに説教をする為にここに来た訳ではない。クリークは肩にかけていた鞄から、分厚いタオルに包まれたタッパーとプラスチック製のスプーンを取り出し、スコープに差し出した。

 

「オグリちゃんが沢山食べてしまったので、これだけしか残らなかったけれど……」

「……これは?」

「カレーライスですよ~。私がお昼に作りました〜。どうぞ召し上がれ! 大丈夫、危ないものは入ってませんから」

 

 スコープはクリークと受け取ったタッパーをかわるがわる見つめている。皆が平気な顔で食事を摂っていたことを思えば、スコープが異物混入の被害を受けたことは、あの場にいたウマ娘達にも意外に知られていないようだった。厨房スタッフの――一部であると信じたい――悪意は、明確に彼女一人に向けられたもの。疑うのも当然かとクリークは気落ちしかけたが、スコープが丁寧な手付きで蓋を開け始めたのを見て、内心ほっとした。どうやら、他者の善意までもを疑う程に荒んではいないらしい。

 作りたての状態と比べれば多少劣るが、中身はつい先程電子レンジで温め直したばかり。開けた瞬間から食欲をそそるスパイシーな香りが部屋に漂う。タキオンにもその芳香が届いたのか、彼女の耳が一瞬だけ後ろを向いたのをクリークは確かに見た。

 

「いただきます」

 

 挨拶のみ口に出し、以後黙々と食べ進めるスコープ。速くもなく遅くもなく、一定のペースを維持して米とルーをスプーンで掬い、口に運んでいく。相変わらずの仏頂面だが、次第に耳が横向きに倒れていくのを見て、クリークは破顔一笑した。

 

「すまん、遅くなった。喜べタキオン、とんだ逸材が……何だこの匂いは」

「おかえりトレーナー君。君に客人だよ」

 

 スコープがタッパーを半分程空にしたのと時を同じくして、兵藤が帰ってきた。作業を終えたらしいタキオンも彼の方に歩いてくる。クリークがそちらに向き直ると、スコープも顔を上げ、無造作にスプーンを置いた。

 

「お前は……スーパークリークか。というより、何故スコープはカレーを食べているんだ?」

「はい、スコープちゃんがお昼ご飯を食べていなくて、お腹が空いているだろうと思って」

「食べていない? 何故そんな……」

「……朝食に買った惣菜パンに、ガラス片が入れられていた。食堂は信用できない」

 

 クリークとスコープの説明を聞いて、兵藤は頭を抱えた。全くの初耳だったに違いない。

 

「スコープ……そういうことは教員なり事務員なりに相談――いや、お前に無理は言えんな。どうしたものか……」

「空腹の状態であの記録か! 凄いなスコープ君、君の能力は想定以上だ」

「さっき喜べと言ったのは撤回するぞタキオン。おかげで計測はやり直しだ。全く不調を表に出さないのが上手い奴だよ……」

 

 呆れた風な語調だが、態度の端々からスコープへの心配が滲み出ている。やはりスコープも自分も、このチームに入ることが正解なのだと、クリークは確信を強めた――堪はいい方だと自負している。

 

「あの~、そのことなんですけど……」

「ああすまん、客を放置するのはいかんな。何だ?」

「私、このチームに入りたいんです~。ここで活動しながら、スコープちゃんのご飯を作ってあげられたらなあって」

 

 ただ手をこまねいて見ているだけではいたくない。傷付いたスコープの心身を、自分にできるやり方で癒してあげたい。遍く発揮されるクリークの母性は、溢れんばかりの慈愛となってスコープを包み込まんとしていた。彫刻のような彼女の顔が、いつかは笑顔で満たされる時を願って。

 

「入部なら大歓迎だが……飯を作る?」

「よかったじゃないかトレーナー君。後ろの一人も合わせればあと一人だ」

「ふぇっ?」

 

 タキオンが指を差した先には、果たして耳の大きな黒鹿毛のウマ娘が兵藤の背後に隠れるようにして佇んでいた。

 

 

 

 

 

 昨日今日と随分に濃い日が続くものだと、ライスは振り返ってみて驚嘆した。スコープとの出会い、彼女の不調、そして選抜レースを待たずしての彼女と同じチームからのスカウト。自分でそうなるよう動いた訳でもないのに、こうもスコープとの関わりが多くなると最早運命的なものをも感じる。

 アンタレスに新たに二人――ライスシャワーとスーパークリークの加入が決定し、時間の都合からその日のトレーニングはお開きとなった。ライスは寮を同じくするスコープと同道し、二人が初めて会ったあの交差点に差し掛かっていた。

 

「礼を言っていなかったな」

「お礼……?」

「昨晩は、助かった。わざわざすまない」

「う、ううん。いいの、ライスはスコープさんのことが知りたくて……」

 

 信号待ちの間の会話。今朝の出来事をロブロイから聞いていたライスは、スコープを受け入れたチームがあったこと、クリークが今後スコープの食事を作ることを聞いて安堵したものだった。敵意と悪意に包囲されたスコープに自分以外の味方がいたことが、堪らなく嬉しかったのだ。心なしか、自分に礼を言うスコープの声色も――彼女の声自体あまり聞いていないのに――僅かばかり明るく聞こえる。

 

「……お前も、俺を知っていると思っていた」

「昨日までは知らなかったよ? ロブロイさんから聞いたけど……ライスが知りたいのは、もっと違うこと」

「違うこと……?」

「えっと、どんな食べ物が好きなのかな、とか、なんでトレセン学園に入ったのかな、とか……」

 

 相手が自分を知らないとは思いも寄らなかったらしいスコープに、何とか言葉を選びながら答えるライス。「戦い以外のこと」という言い方はしたくなかった。他者の不幸を何より嫌うライスには、その話題に自分から触れる勇気はなかったのである。

 

「理事長に誘われた。トレセン学園に入学しないかと」

「理事長さんに?」

「進学先も就職先もあてがなかった。だから受験した」

 

 しかしスコープの回答は、その話題を容易に想像させ得るものだった。人殺しのレッテルを貼られた彼女に選べる道はそれ以外になかったという事実。辛いことを思い出させてしまったのではないかと、ライスは俯き、唇を嚙み締めた。

 

「――ライス」

 

 横に並んで立っていたスコープの声が前方から聞こえて、ライスははっと顔を上げた。見れば信号は既に青に変わっており、スコープは横断歩道の中程で立ち止まってライスを待っている。ロブロイに聞いた通りの律儀なウマ娘だと嬉しくなり、歩道から足を踏み出そうとして、

 

「危ない!!」

 

 スコープのいる場所に向けて、一台の軽トラックが突っ込んできた。

 

 

 

 

 

「うわあああああぁぁぁぁぁん!! ドレーナーざんが死んじゃうがど思っだあああああぁぁぁぁぁ!!」

「泣くなチケゾー、私は生きているだろう。せめて病院では静かにしなさい」

 

 友人の良川トレーナーが事故に遭ったと聞いて、兵藤は肝を潰した。兵藤がアンタレスのトレーナーとして大叔父の後を継いだ時からの付き合いである彼は、アンタレスがそうであったように卒業生として担当ウマ娘を送り出し、先日新たに一人のウマ娘を担当し始めたばかりである。そして入部から数日と経っていないチームメンバーが事故に巻き込まれかけたとあれば、彼が病院に駆け付けない理由はなかった。

 そして今、号泣する良川の担当ウマ娘ウイニングチケットと、目撃者であるライスを伴い、彼の病室に面会に来ている。

 

「……意外に元気そうで安心したよ。スコープを庇ってくれたことには礼も言う。しかし無茶したもんだ」

「交通事故如きで未来あるウマ娘を走れない体にしたくなかったのだよ」

「それでお前が死んだら元も子もないだろうに。よくその程度で済んだな……」

 

 軽トラックに轢かれそうになっていたスコープを、通りかかった良川が突き飛ばし、身代わりになる形での事故。路肩から急発進した軽トラックはそれなりの速度が出ていたが、良川は右上腕骨を折る以外には大した怪我もなくぴんぴんしている。

 

「あ、あの、ごめんなさい! ライスがちゃんと信号を渡っていればこんなことには……」

「気にすることはない。君が救急車を呼んでくれたのだろう? スコープ君と合わせて礼を言いたい」

 

 尚、下手人の運転手を現行犯逮捕したスコープは、駆け付けた警察に同行し聴取を受けている。聞けば、逃走を図った犯人の軽トラックの側面に回り込み、車体を横転させて止めるという荒業を使ったとか。「凄いパンチだったなあ」と冷や汗をかきつつ呟くライスの声は、兵藤は聞かなかったことにした。

 

「――チケットのトレーニングはどうする? 利き腕が塞がっては仕事にならんだろう」

「えー?! じゃあトレーニングできないのー?! そんなー!!」

 

 無事が確認できたならと、兵藤は仕事の話に入る。良川も自分と同様、新しく担当するウマ娘に本格的に鍛えることができていない。契約早々にトレーナーが現場を離れる羽目になっては、泣き止んだと思いきやまた喧しくなり始めたチケットの気持ちもわかろうというもの。

 その答えは、兵藤にも利のある形で返ってきた。

 

「そのことだが、確かアンタレスは部員が不足しているだろう? 私がサブトレーナーになる形でそちらに合流すれば、出走条件は満たせるのではないかね?」

「いいのか? サブならお前の名前はあまり表に出なくなるぞ」

「私がすることは大して変わらんよ。チケゾーの望み通り、ダービーで勝たせる。立場など些細なことさ」

「トレーナーさぁん……!」

「……わかった、その話受けよう。お前、あまり自分の担当を心配させてやるなよ」

「善処しよう」

 

 兵藤から見ても、良川は変人の類にあたる男だった。彼はウマ娘を理事長に負けず劣らず愛し、ウマ娘を最高のパフォーマンスで走らせることを至上の喜びとしている一方、自分の評判には無頓着極まりない。それは大叔父にも似ていたが、彼がここまで自分のチームを持たなかったことのみが二人の決定的な差異であった。

 兵藤が良川と友誼を交わしているのは、兵藤自身が身勝手と自覚する危惧、或いは恐怖心によるものであった。一歩間違えれば、良川が大叔父と同じ道を辿ってしまうのではないかという――

 

「今日はもう帰る、流石にもう夜も遅い。書類は後で頼むぞ。チケット、ライス、寮まで送ろう」

「はい!」

「あ、ありがとう、ございます!」

 

 車でウマ娘二人を寮に帰し、兵藤も帰路に就いた。トレーナーにも学園から寮が用意されているが、兵藤は立川市の自宅から通勤している。その途中で、彼は渋滞に捕まった。

 

「……そうだ」

 

 スマートフォンに接続したカーオーディオでタキオンに電話をかける。三コール程で繋がり、実験器具を洗っているらしき音をバックにタキオンが応答した。

 

『やあトレーナー君、良川トレーナーは無事だったかい?』

「腕の骨を折った以外は何ともない。仕事ができなくなるからうちと合併することになった。また仲間が増えるぞ」

『おお、何とか五人揃ったね。私も少し安心しているよ、これを全て実験室に移すのは骨だ』

 

 前置きもそこそこに、兵藤は本題を切り出した。

 

「……タキオン、やはり俺は、爺さんの論文は信じられん」




無能、怯懦、虚偽、杜撰。どれ一つとってもレースでは命取りとなる。
それらを纏めて無謀で括る。
用意した作戦、用意された地獄。
内も怖いが外も怖い。
脆弱なバ場、狭隘なゲート、充満する敵意。
まさに破裂必至の大動脈瘤。

次回、『メイクデビュー』

怒涛のドミノ倒しが始まる。

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