走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

5 / 12
集客

 アンタレスへの新規加入者四人のメイクデビューから八ヶ月。学園で不定期に開催される小規模な模擬レースの後に、それは起こった。

 

「スコープドッグさん、ですね?」

 

 その時学園内にいたアンタレスの関係者は、良川とチケット、スコープだけだった。すみれステークスに出走するべくクリークと兵藤が阪神レース場に向かい、ライスが応援の為、タキオンが曰く「ちょっとした検証」の為それに同行した。一方チケットは来月の弥生賞に向けたトレーニングの為同行を辞退、特に予定がない筈のスコープもトレーニングを理由にこれを拒否した。二人の面倒を見ることを良川が請け負い、この日に至る。

 模擬レースでグラウンドが使えなくなることを、勝負勘を維持する好機と捉えた良川の提案で、二人は出走を決定。最終直線での二人の競り合いの末、ハナ差でスコープが勝利を収めた。そしていつものようにチケットが悔し泣きする中、スコープに声をかけたのがチケットに続き三着となったウマ娘、中等部所属のグラスワンダーであった。

 

「……そうだ。俺に何か用か?」

 

 良川は最初、グラスがスコープの強さに興味を示したのかと思った。グラスは昨年十二月前半のジュニア級GIレース、朝日杯フューチュリティステークスで二着を獲っている。一方のスコープはジュニア級で三つのレースに、更に十日前にもクラシック級GIIIレースの共同通信杯に出たものの、重賞では一着を獲っていない。そんなスコープが、昨年十二月後半のホープフルステークスを勝ったチケットさえ下してゴールしてみせたのが、彼女の闘争心に火を付けたのかもしれない、と。

 

「貴女は、何の為に走っていますか?」

 

 だがグラスの不機嫌な、或いは不完全燃焼とでもいうべき表情を見て、その考えは霧消した。彼女の問いに、ややあってスコープは答える。

 

「……俺には勝利が必要だ。走らなければ手に入らない。だから走る」

「その走りを、貴女は自分に誇れますか?」

「戦いに誇りなどない」

 

 きっぱりとしたスコープの応答。彼女の顔は昆虫のように動かなかった。彼女がチームメンバーと併走する度に見せる、無感動で冷めきった目だ。それを前にしたグラスは、「……やはり」と小さく呟きつつ嘆息した。その眉根に皺が寄り、次いで開かれた口が泡を飛ばさん勢いで浴びせかける。

 

「貴女には闘志がない。勝ちたいという欲望もない。夢や目標も感じられない。貴女は空っぽです。走らなければならない、勝たなければならないという必要性と義務感だけで走っている。そんな人と競ったところで、勝利にも敗北にも意味はありません。終わったことをいつまでも引きずって嫌々走っている位なら、走ることなど今すぐ止めてしまいなさい!」

 

 あまりにも的確な言葉――“空っぽ”。鋭過ぎる正論が、スコープの印象を残酷に縫い留めた。

 

「その言葉、取り消して貰おうか。グラスワンダー君」

 

 サブトレーナーの身とはいえ、最早静観などしていられない。少し離れた観客席から一部始終を見ていた良川は、三人の方に足を進める。自分でも驚く程に底冷えのする声が出ていた。四十も越して大人気ないとはわかっていても、自分の受け持つウマ娘を害されて黙っていられる程良川は気が長くなかった。

 

「貴方は、アンタレスの……」

「知っているのなら自己紹介は割愛する。いいかねグラスワンダー君。彼女の‘戦い’はまだ終わっていないのだよ。自己実現欲求の為に走る君には、安全の欲求の為に走る彼女が浅ましく見えるのかもしれないが、君の発言はスコープ君を大いに傷付けるものだ」

「安全の欲求……」

 

 スコープドッグというウマ娘の入学が決定した時点で、トレーナーや教員には秋川理事長から彼女に関する通達が届いていた。それ自体は良川の知る情報をなぞるものでしかなかったが、白状すれば、当時の彼には彼女の担当になれる自信はあまりなかった。

 数年前のニュース――政情不安定な南米の小国メルキアで、一人のウマ娘が人権団体に保護された。彼女の名こそスコープドッグ。メルキアの公用語である英語とスペイン語の他、日本語を流暢に話していた彼女は、親族に日本人がいた可能性が高いとして安全な日本に渡ることとなり、児童養護施設で暮らすことになる。

 ところがその後、ある事実が世間を震撼させた。

 内戦状態にあったメルキア政府軍は、数々の国際条約で禁止されている筈の少年兵を組織的且つ公然と運用し、その中にいた多数のウマ娘の一人がスコープであった。更に多国籍軍の介入により壊滅するまで彼女が所属していた『メルキア陸軍第二四戦略機甲歩兵団特殊任務班X-1』、通称『レッドショルダー』が、内陸部の都市サンサに於ける大量虐殺(ジェノサイド)に関与していたことが明らかになると、彼女に対する評価は「戦禍に巻き込まれた悲劇の少女」から「虐殺に加担したウマ娘のクズ」へと転落。ショッキングな内容故に大手メディアが報じなかったのは彼女にとって唯一の救いであろうが、ネット上で拡散した情報は最早戸を立てることもできず、現地に潜入していた戦場カメラマンが偶然捉えた‘証拠写真’もこれに拍車をかけた。

 最低野郎(ボトムズ)吸血部隊の生き残り(ラストレッドショルダー)。世論の‘叩くべきもの’がたった一人の身に集約された結果が、スコープドッグというウマ娘を今も尚苦しめている。

 

「ウマ娘の能力はその精神面に大きく影響を受ける……彼女が走る理由はそこにある。PTSDの問題は、心の強い君が考える程軽くはないぞ」

「……!」

 

 スコープが他のメンバーと比べて頻繁にレースに出ているのは、兵藤と良川の判断によるものだった。報酬金額は上位のレースの方が多いのは勿論だが、彼女には確実に勝てるレースで「十分な金が懐に入っている」という実感を持たせ安心させると同時に、堅実にファンを、つまり味方になってくれる人間を増やすべきだと二人は考えていたのだ。身の安全さえ脅かされていては夢や目標を持つことも難しい。今の時期は、彼女の心の余裕や、健全な自己肯定感を育む為の土壌を涵養している最中なのである。

 それを、グラスに邪魔された。ウマ娘を愛するが故の良川の怒りは、同じウマ娘に対しても一切の矛盾も未断もなく向けられる。身体能力では劣る筈の相手に、グラスはたじろいだ様子を見せていた。

 

「待ってください、良川トレーナー」

「む?」

 

 そんな折、二人の間に割って入る者があった。身長は一七五センチのスコープと同程度だが、ボリュームのある芦毛の髪型は彼女をそれ以上に大きく見せる。制服姿なので先のレースには参加していなかったようだが、良川には記憶に新しいウマ娘だった。

 

「君は……ストライクドッグか」

 

 ストライクドッグ。スコープやチケットらとは同期にあたる。朝日杯FSでグラスと七バ身差を付けて勝利した他、京都ジュニアステークスと共同通信杯でスコープを破っている実力者だ。担当トレーナーは彼女にトレーニングメニューを渡すだけで放置し、彼女自身もトレーニングを行う姿を滅多に見かけなかった為ノーマークだったが、重賞を三度も勝てば注目度も上がるというもの。

 

「私はアメリカにいた時グラスの姉弟子でした。妹分の不始末、その責任の一端は私にもあります。どうかこの私に免じて、平にご容赦ください」

「ストライクさん……」

 

 スコープとは違う、勝つことが当然だと言わんばかりの傲慢な無表情を勝利の度に見せていたストライク。他の生徒とさしたる交流もなく、プライドの高いウマ娘だと良川は思っていたが、なかなかどうして優しい所がある。遮られてやり場を失った怒りが、氷水に突っ込んだように冷めていくのを感じた。

 

「……わかったよ。やはり、私も大人気なかったな」

「感謝します。行くぞ、グラス」

「は、はい……!」

 

 ストライクはグラスを見えない糸で引っ張るようにして去っていく。良川が横目に見たスコープの顔には、自分を負かしたウマ娘と相対しても、やはり何の情動も浮かんではいなかった。わかりきったこととはいえ、それが良川には辛く、そして寂しい。

 クリークの謎の体調不良の話は、その直後に舞い込んできた。

 

 

 

 

 

「う、うう……」

 

 日が沈んだ頃、仁川から帰ってきたクリークは、学園の中庭で泣いていた。

 デビュー戦以降のトレーニングから、体に抱えていた不可思議な違和感。気にするまでもないと無視を決め込んでいたが、出走直前、遂にそれを無視できなくなった。レース後の診察で発覚した正体不明の呼吸器系・循環器系の異常――担当した医師と兵藤の判断で、およそ半年以上のレースへの出走を見送らねばならなくなったのだ。

 

「たった一度の機会だったのに……」

 

 本人の気分優先で前哨戦にすみれステークスを選びこそしたが、クリークはチケット同様三冠路線を走るつもりであった。それはアンタレスが四半世紀以上も続く息の長いチームでありながらクラシック三冠の一角も獲っていないことも理由の一つではあったものの、スコープの為というのが彼女の中では大きなウェイトを占めていた。

 スコープはレースに勝つことも、走ることも楽しんでいない。少しでも自分が彼女の世話を焼き、そして背中を見せることで、彼女が擦り減らし風化させてしまった情熱を蘇らせることができるのではないかと、クリークは考えていた。

 それが、この体たらくである。

 

「――クリーク」

「……えっ?」

 

 唐突に現れた気配にクリークがはっと顔を上げると、彼女の目の前にはいつの間にかスコープが佇んでいた。月明かりの下、涙で滲んだスコープの顔は、クリークには自分と同じく哀しんでいるように見えた。

 

「それ程苦しんでいるのに、何故お前は走るんだ?」

 

 走る理由そのものからの問い。答えていいものだろうか、とクリークは逡巡する。それがいけなかった。

 

「今日、中等部のウマ娘に怒られた。嫌々走っているなら走るなと。何も言い返せなかった」

「……」

「俺にはわからない。他人を蹴落としてまで手に入れたいものなど、俺には命位しかない。生きる保証のある奴が、何故争い合う必要がある?」

「それは……」

 

 裏を返せば全ての競技者に対する侮辱とも取れるスコープの疑問。クリークには、それがスコープが本心から発した純真にして当然の問いかけだと理解できた。

 戦争を過去のものとするこの国の人々と、戦いを隣人としていたメルキアの国民。争うことに疲れたスコープは、銃も要らない平和な世界の中で、それでも他者を踏みつけにして這い上がること、夥しい数の犠牲の上に一握りの栄光を見出そうとすることが理解できないのだ。もし()()()安全な場所で不自由なく暮らすことができていたなら、彼女は頼まれても走らないだろう。レースで勝つのはただ一人、大抵のウマ娘は未勝利戦も突破できずに走りの最盛期を棒に振ることになる。それは否定しようのない事実だった。

 膨大な、あまりにも膨大な夢と青春の意味無き損耗。スコープの目には、このトゥインクルシリーズがそう映っているに違いない。

 

「……レースも戦争も同じだ。負けた者の未来を奪う。勝った者の自由も奪う。走り続ける限り、この地獄は終わらない」

 

 レースと戦争、二者の間にある競争・闘争という共通項。己が築いた屍の山の上で、次は自らがその一部となることに怯えながら、血塗られた冠を掴み取る。見方を変えれば――否、自分が向き合わなかっただけだ――スコープの言う通り、輝かしい栄誉の裏側で数多の夢を歴史の狭間に葬り去ってきたこの業界は地獄そのものだ。

 もうクリークには何の反論もできなかった。自分と同じレースに出ていた者にとっての勝者であり、自分が出られなくなったレースに出る者にとっての敗者である自分の言葉など、スコープには届くまい。レースに関わる限り、心からの彼女の笑顔など望むべくもないのか――

 

「違うよッ!!」

 

 聞き慣れた声が、スコープの主張に反駁した。

 

「そんな悲しいこと言わないでよぉ……!!」

 

 チケットだ。事あるごとに泣いている彼女だが、その悲痛な叫びは、今の彼女が流す涙の重みを普段とは比較にならないものに変えていた。

 

「確かにレースで勝てば、負けた誰かの、その誰かを応援してた人達の夢を奪うのかもしれない。奪った夢を背負って走るのは苦しいことかもしれない。でも……レースは奪うだけじゃない! それ以上に、誰かに夢を与えられるんだよ!!」

 

 チケットはクリークがスコープに伝えたかったことの全てを代弁した。そうだ、どんなに非情な光景に見えたとしても、互いを潰し合うこと、勝利に縛られることがレースの本質ではない。少なくとも自分は、自分を負かした相手を憎むようなことはしないと誓える。レースを制した者の輝きが、必ず誰かを笑顔にできると知るから。

 

「スコープ、アタシのダービー見てて! 絶対に勝って、夢を叶えて、それで……沢山の人に夢を与えるから!! 証明するからッ!!」

 

 まだ皐月賞も始まっていないというのに、威勢よく啖呵を切るチケット。常日頃自身の目標である日本ダービーへの思いを口にするチケットならば、或いはスコープの心を蝕む闇を照らすことができるのかもしれない。

 涙を拭いつつグラウンドの方角へと駆け出していく彼女に、クリークは今の自分には実現できない思いを託した。




この時点で警告だと気付かなければいけないのだ。
自分を信じて欲しいとなど言ったことはない。
無論、愛して欲しいなど考えたこともない。
ましてや、願い事など聞く耳を持たない。
後悔もなければ未練にも思わない。
ただ一つだけ確実に為すべきことがある。
それは、自分を超えようとする者を圧殺すること。これだけは誠実に実行するのだ。

次回、『好敵手』

ただの一度も仕損じてはならない。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。